対話と暴力

対話と暴力

僕は一時期「ファシリテーション」というものに相当のめり込んでいた。 仕事だけでなく、NPO活動、地域活動、ボランティア活動などなど、生活のほとんどをファシリテーションに捧げていた時期があった。 だから、僕は今でも「対話の力」というものを信じている。 対話によって、当初思いもしなかったアイデアや解決策が生まれたり、和解したりするプロセスを何度も目にしてきた。 でも、今回のような戦争や、凄惨な事件などを目にするたびに、対話だけではどうにもならない面があることを感じてしまうのも事実だ。 もちろん、こんなふうに言う人もいるだろう。 「真の対話」が行われていないからそういう結果になってしまったのだ、と。…