紙幣変更!千円札に描かれる北里柴三郎はどんな人物?
2024年度(目安)から千円札に描かれる人物が北里柴三郎に変更になります。といっても北里柴三郎がどのような人物か詳しく知らない人も多いのではないでしょうか。今回は、北里柴三郎の経歴や功績などをご紹介します。 北里柴三郎の経歴 1853年現在の熊本県阿蘇郡小国町北里に生まれた柴三郎は、現在の熊本大学医学部である熊本医学校に入学します。その後東京医学校(現在の東京大学)に入り直し予防医学を学び、卒業後内務省衛生局に入局しました。その後6年間ドイツに留学し、「近代細菌学の開祖」とも称されるロベルト・コッホの師事を受けます。 留学中に、破傷風菌の純粋培養に成功し、毒素に対する免疫抗体も発見し、血清療法まで確立しました。このことで、世界的に有名な研究者となります。 帰国後は伝染病研究所を創立し、伝染病の予防や細菌学の研究を続けます。結核の予防と治療に力を入れ、1894年には香港でペスト菌を発見しました。 1914年には医学研究所「北里研究所」を創設し、多くの優秀な門下生を輩出し、細菌学の講習会も積極的に開催するなど社会的に大きな貢献を果たした人物です。 北里柴三郎の功績 日本近代医学の父とも評される北里柴三郎ですが、いったいどれほどすごい功績を残したのでしょうか?彼が成し遂げたことを解説します。 破傷風菌の純粋培養に成功 破傷風とは、破傷風菌が傷口から体内に侵入し増殖することでけいれんなどの症状を生じさせる病気です。当時は破傷風菌を単独で取り出すことができなかったため、血清が作れず有効な治療法がありませんでした。 柴三郎は破傷風菌の毒素を動物に少しずつ注入すると体内で菌に対する耐性ができ発病が阻害されることを発見し、血清療法を生み出します。破傷風の伝染の蔓延に大きく寄与した他、ジフテリアの治療にも応用し、免疫治療の最先端を走る存在として大きな評価を受けました。 ペスト菌を発見する 北里柴三郎は、当時ペストが蔓延していた中国に政府から派遣され、ペスト菌を発見するという偉業を成し遂げます。ペストは中世ヨーロッパでは黒死病とも呼ばれ、何万人も死亡させた非常に怖い病気でした。当時はペスト菌発見のために世界中が血眼になっていたので、殊勲の一言です。 ペスト菌はネズミを媒介にして伝染することも突き止め、「一家に一匹猫を飼うと良い」という独自のアイディアを出したことも有名です。 北里柴三郎と言えばこれ!というエピソード3選 母校から恩知
2020/12/14 19:00