初回の人生で神の救いを信じて罪人に殺害された者は屠られた子羊の命の書に名前が記される。
サン=フェリペ号の漂着以降、秀吉はキリスト教による日本征服を恐れて、バテレン追放令につぐ禁教令を発布。秀吉の命を受けた石田三成は京都や大坂にいた宣教師ら26名を捕らえました。彼らは耳を切り落とされて市中引き回しにあい、長崎で処刑されることになります。当時長崎はキリシタンの町として栄えていたため、秀吉がキリスト教に寛大ではないことを示すのにうってつけの場所でした。そして、1597年に26人は磔の刑に処されました。キリスト教の信仰を理由に、日本の最高権力者が信者を処刑したのはこれが初めてで、この出来事は「二十六聖人の殉教」と呼ばれています。さらに1622年には二十六聖人の処刑が行われた西坂で、宣教師ら25人が火あぶり、その他キリシタン31人が斬首されるという「元和の大殉教」が起きました。現在は温泉地として有名...初回の人生で神の救いを信じて罪人に殺害された者は屠られた子羊の命の書に名前が記される。
2023/08/31 23:56