小林陽太郎 富士フィルムを没落回避させた先見性
小林陽太郎さんが富士フィルムの社長を勤めていたのが、1978年1月 - 1992年1月、その後会長職に退き、2015年に亡くなっています。王者であったコダックに肩を並べ、フィルム業界の世界トップ4に。日米経済摩擦の代表的な存在となる。1962年に提携合弁した米ゼロックス、いつの間にか逆転し凌ぐ存在になっている。その後のデジタル化には、間接的ではあるが、戦略の決定に影響を及ぼした。
2022/12/31 16:43
2022年12月 (1件〜100件)
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