還る場所
鳥は巣の中で生まれる。人は病院で生まれる。死に際も、病院で世話になるのだろう。生まれた場所が、あなたの還る場所でしょうか? 確かに鮭は本能に従って、産卵の時期になると川を上り、生まれた場所に戻ろうとする。しかし、流れの勢いに逆行することは容易ではなく、旅の途中で生き途絶える鮭もいる。 人間も、あらゆる生き物も、人生の旅の途中で、突然思いもよらぬ死が訪れることがある。それは不運な最後でしょうか? とある小さな村の墓地を登っていると、美しい村の風景が見渡せた。そのとき、友人とこのような会話をした。 「僕が死んだら、灰を海に流してほしい。自然に戻り、自由になりたい。このようにどんなに美しい村の風景を望める山の上だとしても、あの真っ暗なお墓の中に閉じ込められたくはないな。墓に入るのは、残された人々のエゴによるものだと思う。祖先が、自分たちを見守ってくれていると思いたいからだ。でも、暗闇の中にずっと閉じ込められるなんて、考えただけでもぞっとする。」 すると友人はこう答えた。 「死んだ者に意識がないとしたら、どこにいても死人は何も思わないよ。まあでも、俺も墓の中は窮屈で嫌だな。子孫が、見守られたいって思っているなら、骨をキーホルダーにするっていう方が、よっぽどいいよな。コーティングしたら長持ちするだろうし。」 「いいね。高級感のある金の金具なんかに取り付けちゃったりして。子供はランドセルにつるしてお守りにするんだよ。これがおじいちゃんの骨。カッコいいでしょうってクラスの話題になる。」 どのような死に方を望むか、誰しも一度は考えたことがあるのではないだろうか? 三島由紀夫の言っていた、「望む死」。それは天然自然の自殺であった。例えば狡智長けやらぬ狐が、山ぞいをのほほんと歩いていて、猟師に打たれるような。自分の愚かさゆえに、天日の下に突然現れる不意な死。 また例えば最近見た「イントゥ・ザ・ワイルド」という映画で、旅する青年は、食用植物の知識不足から、毒草を食べて死んでしまう。楽園を求めてやってきたアラスカの手つかずの自然で、自分の無知ゆえに命を絶つ。それは、愛嬌のある、ボーイッシュな死に方だ。
2021/06/20 20:58