トップの器量「劉邦」 <史記より>
韓信大将軍となる 孫子から三百年ほど後のことです。秦の始皇帝が亡くなり、天下を項羽と劉邦が争っていた時代、国士無双と呼ばれた人材中の人材に韓信という人物がいました。 その韓信、まだ無名な時分には項羽に使えていたのです。 項羽は自分自身が際立って有能であり、若く、活力に富んでいましたので、他者の意見に耳を貸しません。よって韓信の献策も何一つ聞き入れない。遂に韓信は項羽のもとを去り、劉邦に使…
2017/04/27 08:00
2017年4月 (1件〜100件)
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