民主主義思想の根幹とは安倍自公政権の国家観の勘違いを批判するまず、国家が守るべき法律は最高法規の憲法です。憲法は国家即ち「政府」や国会議員あるいは公務員が守るべき法律です。アジア的な国家観では、この西欧的な憲法意識が希薄で、実質支配と憲法の意味が切り離されてしまっています。しかも、社会全体のあらゆる範囲に権限が及んでいるはずだと勘違いしています。これが、現政権でも象徴的ですが、国民を牛耳る絶対権力だと過信している原因です。政府の思い上がりもいいところです。しかし、新しい法概念である戦後の民主立憲制では、政府は実体社会とは別であり、国民のために政治をする義務を負っている社会の一部でです。国民が暮らす実体社会の方がはるかに大事で大きな存在です。これは、西欧的な政府と市民社会についての基本的な考え方です。もし、戦争法...民主主義思想の根幹とは
袋小路の日本資本主義と国民経済大量生産、大量消費の時代を日本は1970年代に終了し、資本の拡大再生産はもはやできなくなっています。1990年代には雇用なき経済成長という悪夢が始まり、資本の絶対優位をグローバル化時代で目指すには、人件費の固定化から脱して、人件費の変動費化を目指さざるを得ず、労働市場の規制緩和が始まりました。生産拠点を海外に移す企業と、簡単には海外に移住できない労働者は企業にとってはむしろ、足手まといになり始めたというわけです。そのためには人件費を抑制できる非正規雇用を拡大して確保し、いつでも安価に抱え込み、またいつでも切り捨てられ状態にしないと、利潤の低下した企業は維持できなくなったということになります。円安で一見、物価はデフレを脱却しても、肝心の実質賃金はマイナス幅が拡大しているのが現状です。...袋小路の日本資本主義と国民経済
近代資本主義の崩壊=近代国家の崩壊先進国の過剰マネーが新興国の設備投資を積み上げてきました。しかも新興国の過剰設備は、輸出に頼る新興国にとって過剰な購買力を有する先進国の消費者の存在が必要です。しかし、先進国はすでに後退期へと入り中間層以下の実質所得を削減し、また非正規雇用は日本では4割以上に達し、さらに正規雇用者を削減しようというところにも至っています。景気が良いのが一部の上層と公務員だけでは、市場の収縮と失業を生み出さざるを得ません。先進国はすでにゼロ金利、ゼロ成長、ゼロインフレが持続的に続いていきます。今、日本政府の新興国へのバラマキが大量なマネーとして流れ込んでいます。しかし、もはや出口はなく、いずれは新興国の成長も止まります。それが成果のの資本主義の終焉となります。近代資本主義国家が生み出した中間層を...近代資本主義の崩壊=近代国家形態の崩壊
一般大衆を犠牲にして生き残ろうとする日本資本主義結論すれば「利子率革命」とは先進国の成熟化と新興国の近代化による資源高騰で、先進国の利潤率が低下し、それが国債の長期金利の利率低下として現れることと連動しています。企業は延命しようと、国民の生命や財産や税金、労働力や収益を犠牲にしようとしています。しかし、この手段を取らざるを得ないということは、国を滅ぼしてしまいます。もはや国の経済を根本から立て直すことができなくなります。そして、より苛酷な格差社会を生み出し、GNPを押し下げ、国内経済の疲弊化に拍車をかけてしまうことになります。その結果、悪循環にさらなる拍車がかかり、需要の収縮はさらに国内産業を縮小させ、景気後退と受給バランスの押し下げを助長します。おそらく、バブルの生成と崩壊が繰り返されながら、断末魔の資本主義...一般大衆を犠牲にして生き残ろうとする日本資本主義
資本主義と近代国家の終焉日本資本主義政府が海外にバラマキ、日本企業による公共投資や企業誘致を図り、利益を生み出そうとすると、当然途上国の産業も雇用も次第に拡大し、新興国へと発展してきます。グローバリゼーションは、今まで先進国が辿ってきた道を歩むことになり、農業から第二次産業が主要産業として成長してきます。つまりは、かつての第二次産業の復活を先進国が求めようとしても、国内は市場が限界に来ていますから無理ということになります。新興国の台頭はすなわち、新興国が生産し消費することで雇用拡大を果たすことになります。もはや先進国が輸出主導で成長を続けていくということには限界が来ていることとととになります。これが資本主義の終焉を示していることにほかならず、同時に資本主義とともに成長してきた政治制度である近代国家の終焉にも差し...資本主義と近代国家の終焉
資本主義の危機=民主主義の危機グローバリゼーションが私たちに何をもたらしたかというと、中間所得層以下を没落させる、雇用者と資本家を実質的に切り離す結果となりました。90%の一般労働者が自分の生活に満足する、中流意識が蔓延していた時代の終焉です。富裕層の政治家とそれを支える大手企業や官僚が一体化した、政財官の日本資本主義政府は、国民の命と生活を犠牲にする新自由主義=選民思想へと舵を切りました。本来、資本主義は後進国が不可欠であり、そこに投資をし安価な資源と労働力で生産性を高めて利潤を拡大します。しかし発展途上国が新興国に転じ、以前同様の利潤拡大ることで企業の赤字を阻止する策を、日本資本主義政府と一体化して法制化してしまいます。この結果は、国内の景気に影響しGNP(国民総所得)が減少してしまい、市場そのものの縮小と...資本主義の危機=民主主義の危機
近代資本主義の構造変化1970年代半ば以降、先進国の植民地化あるいは後進国市場の労働力を含む資源調達自体が鈍化し、さらに先進国では少子高齢化が進行し、実物経済の売り上げが鈍化するとともに人件費の高騰の抑制が不可欠となってきています。すなわち国内市場と同時に海外市場の増加も見込めなくなってきました。もはや実物経済による利潤獲得の限界が見えてきてしまいました。そこで新たに1995年以降、「電子・金融空間」という物販以外の市場開拓が投資対象となってきたわけです。リーマンショック以前の2008年までは、winowsをはじめとするIT業界の全盛が第二次産業からの移行を果たすことになります。しかし、2008年9.15のリーマンショックが、その反動として起きてしまいました。これは自己資本の数十倍もの投資を過剰化し、レバレッジ...近代資本主義構造の変化
国民の財産を犠牲にした日本資本主義政府の投資のからくり新自由主義という言葉は、実は一般の大多数の大衆あるいは労働者にとっては、ごまかされやすく非常に危険な考え方です。この新自由主義とは、政府が市場を管理することを止め、企業のやりたい放題に野放しにして政治の管理をそれに従がわせていく市場原理主義の考え方です。これは1980年代のロナルド・レーガン大統領の経済政策「レーガノミックス」に始まっています。「アベノミックス」はこの言葉のパクリです。これは資本側の利益本位の政策に突き進みますから、一部富裕層以外の中間層さらには貧しい層は、労働の分配率が下げられてしまい、ますます貧しくなってしまいます。さらにアメリカは1999年に銀行業務と証券業務の一体化を認める金融サービス一体化法を成立させ、マネー集中一括管理し捨てもとと...国民の財産を犠牲にした日本資本主義政府の投資のからくり
資本主義の破綻と日本崩壊の危機「交易条件」の世界的な悪化を、アメリカはGDPの4割を占める軍事産業分野で打開するためにベトナム戦争は大きなメリットがありました。それを終結させようとしてケネディ大統領が暗殺された原因もそこにあったと推測できます。また、平和が持続するとアメリカの軍事産業は行き詰る。そのために政財官ぐるみで9.11を演出して、中東戦争を再び生み出すような恐ろしい企ても実行していると考えていいと思います。企業が存続するためには、彼らはどんなことでも躊躇することなくやります。新自由主義といううたい文句は、こうした近代資本主義が世界的に限界にきたために、社会保障を切り捨てでも企業を温存し、国民の命を犠牲にしてでも戦争を正当化し、また、国民の内の9割が飢えて苦しむような犠牲が出ても、企業優先の論理を市場で実...今、求められるマクロ的視野
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