保津川下りを世界遺産に
昔は、角倉了以さんが都に物資を送るために保津川を開きました。いかだ流しで、運んでいましたが、京都の実業家、田中源太郎が、鉄道を引き、物資を運ぶのは、鉄道に代わりました。その後、いかだ流しは、観光の保津川下りになりました。田中源太郎は、今では、トロッコ列車の生みの親ともいわれています。私は、今の京都銀行の前身である亀岡銀行を作った方です。私たちは、子供の時から見ているので、そうは思っていあなかったが、保津峡など素晴らしいと、よく外国人も来られます。東京にいた叔父さんをよく言っていましたが、富士山や京都の金閣寺と同じくらい、外国人の照会に、保津川下りが出てくるらしい。巻頭んぼ方も、景色が素晴らしいとよく言われました。この美しさをいつまでも残してほしい。保津川下りを世界遺産に
2020/08/30 21:28