憲法記念日特別寄稿/日本語はそもそも即自存在・Being-in-itself・先史人用の言語であり、英語・中国語は対自存在・Being-for-itself用の言語である客観的証拠(現象)を二つ見つけた!/日本はその言語と近代・現代の生活様態との間に大きな乖離が生じてしまった世界で唯一特殊な国家/特にソフトウエア中のソフトの政治の世界において/だから日本にだけE=mc^2の実証である原爆が二つも落ちた/それ故平和憲法9条(戦争放棄)と96条(改正手続)は変えてはいけない/& My EXISTENTIALI

憲法記念日特別寄稿/日本語はそもそも即自存在・Being-in-itself・先史人用の言語であり、英語・中国語は対自存在・Being-for-itself用の言語である客観的証拠(現象)を二つ見つけた!/日本はその言語と近代・現代の生活様態との間に大きな乖離が生じてしまった世界で唯一特殊な国家/特にソフトウエア中のソフトの政治の世界において/だから日本にだけE=mc^2の実証である原爆が二つも落ちた/それ故平和憲法9条(戦争放棄)と96条(改正手続)は変えてはいけない/& My EXISTENTIALI

(お知らせ: 真に自分で言うのも恐縮ですが、この小論文には独創的で画期的な着眼があると自分自身思慮するので、一人でも広く多くの方に閲覧して戴くべく、勝手ながら当分の間新しいブログのエントリーを控え目にさせていだきますので宜しくお願い申し上げます。 (理屈っぽくて気難しい論文で真に申し訳ございません - ブログ管理者より) - この小論文の構成 第1章 実存主義 Ⅰ即自存在 Ⅱ対自存在 第2章 日本語と英語の違い Ⅰ日本語と英語は反対回り Ⅱ日本語はエネルギー(=質量=物質=物)を基準に構成されている Ⅲ英語は意味(=概念=意味=情報〔量〕=意識≒心)を基準に構成されている 第3章 実存主義と日本語・英語の接点 実存主義と反対回り 第4章 結 論 Ⅰ日本語は即自存在の為の言語 Ⅱ英語・中国語は対自存在の為の言語 Ⅲ憲法9条・96条を変えてはいけない。 参考..