このところの忙しさは一体何なのだろう、と思う。 冷静に考えてみれば・・確かに (物理的に) 時間がない。 朝夕の娘の送り迎え。このことに最低でも1時間半ほどかかっている。 以前の日記にも書いたことだけ
ふとカレンダーを見れば、何と2ヶ月も日記を更新できないでいました。 義母の入院・仕事・体調不良と ただただ慌ただしかったこの日々。 また、この楽天にて 日記を更新していきたいと思います。
時は晩秋。 腹痛の起こったのが春3月であったことを思えば なんと長い時間が過ぎてしまったことだろう。 地元の病院でどれほど無駄な時間を費やしたことか。 そのことを深く後悔しつつ神戸の病院へと向かう
内科医の見立てでは すぐに腫瘍を切除しなければならないとのことだった。 でなければ虫垂が破裂し 取り返しのつかない状況になる、と。 そこで 手術に踏み切るべく、外科にまわされた。 しかし、あらたに診
病発覚より早くも10年目。 最近になり、これまでの道のりを書き残しておこうという気持ちになってきた。 思えば・・病を得たことは確かに不運ではあったけれど 何故だろう、いつもここぞというところで 守
仕事に加え、最近は義母の介護度認定にまつわる様々なことに対応、 IHの工事、隣接する駐車場のことで弁護士に相談、など ちょっとバタバタしております。 IHの工事など、業者の方にお任せすればよいのです
つい今しがた仕事を終え、ほっとしているところです。 この仕事を始めてもうすぐ10年目を迎えますが やはり今でも右往左往しております(涙)。 辞書を引っ張り出し、参考書を広げ呻吟し 数時間にわたり格闘、
約半月ぶりの更新ではあります。 年末に怪我をしました足は、少しずつ回復中。 しかし、どんなに意気込んだとて やはり年齢には勝てず この回復ぶりのなんと悠長なこと(焦)! ついこの前まで、怪我して
初めまして。ひよきちです。いろんなこと、お話しませんか?
皆様、ごきげんよう(笑)。 お付きあいの長い方は、もうお気づきですね。 ひよきちが「 ごきげんよう 」などと口にする場合 たいてい何かあった時であります。 「・・ごきげんよう 」と、元気なく微
仕事の合間に、ほんの少し更新。 皆様と同じく多忙です(涙)。 朝起きて、ふと気が付けば、夜。 仕事の山を突き崩し、お皿の山を片付け、 市内を車で走り回り、洗濯物と格闘し。 はっと我にかえればもう
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多忙ゆえ、日記もなかなか更新できません。 仕事・家事・義母の病院付き添い。 加えて自身の体調不良。 体力の無さを気力で補っている感覚。 これから年末にかけ、さらに忙しくなってゆくのでしょう。
はた、と気付けば、はやくも9月尽。 毎日、様々なことに忙殺されております。 ともかくも仕事をこなし、家事にいそしみ、 義母の世話をし、家族と自身の体調管理。 最近空気が冷たくなってきているせいか
先日は一日中、神戸の病院にて検査。 いくつかの診療科を回り、朝の10時から夕刻の5時過ぎまで。 冷房の強い中 長時間滞在していたせいか 身体がすっかり冷え切ってしまった。 検査結果は、後日郵送にて
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このところ、体調思わしくなく 仕事は変わらず多く おまけに唇・手のひらが同時に痺れはじめまして これはさすがにまずい、と脳神経外科を受診しました。 6年前の初夏、軽い脳梗塞で緊急入院したことがあ
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現在、姫路市立美術館にて 「 志村ふくみ展 いのちを織る 」が開催されているけれど そしてその展覧会をずっと心待ちにしていたのだけれど このたびのコロナ禍のことを考え、断念することにしました・・・。
インスタグラムを更新するたびに 何故か異国の方がいつも「 いいね 」をくださる。 もちろん、私の更新はいつだって日本語で その方に日本語が通じている・・・わけではないと思うのだけれど その方のページ
確かに、それまで九州で生きていた人間が 同じ日本とは言え文化も慣習も違う関西に嫁ぎ、 この○○家の中、試行錯誤を重ね戸惑っていたことも事実である。 慣れぬ暮らしの中、生来の口下手も手伝い 義父と意思の
つい先ほど、滋賀の検査から戻って参りました。 結果はいつもの如く「グレー」。 今度は卵巣と肺のあたりに腹水出現。 半年後に再検査です。 ただ、今回は「要経過観察」とあり 以前のように「再発か?」
折に触れ、今は亡き義父のことを思い起こす。 この日記の中に幾度も書いているように 義父は私にとって理想そのものであり 生涯、尊敬し続けていく存在である。 義父は謹厳実直、 家に行くと、必ず本を読
今日は、少し落ち着いてパソコンに向かっている。 ようやく仕事のピークも過ぎたからか こんなにほっとした気持ちでいられるのは 一体何か月ぶりだろう。 日頃ぼんやりと思っていたことを、今日は少しここ
仕事も相変わらず。 朝から夜まで、ひたすら仕事の山を突き崩すのみ。 仕事の合間をぬって、大慌てで買い物、掃除、洗濯。 明日からは雨が続きそう。 毛布やシーツ、座布団など大物の洗濯を 何とか梅雨入り
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駐車場横のレモンバーム、初夏の陽を浴び ますます元気に生長しています。 そして何故か、植えた記憶の無いジャガイモ、長芋も 6月の風に爽やかになびいています(笑)。 先日、風邪を引きかけたのか悪寒
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忙しさは変わらず、ですが それでも ほっと一息つける時間を持てるようになってきました。 この自粛期間、おそらく皆様方は 家中の掃除・整理整頓にいそしまれたことと思うのですが そして本来ならば私もそう
毎日、目の回るような忙しさです。 GW、関係なし。毎日雪崩のごとく仕事がやってくる。 それらを消化するのに精一杯の日々。 娘も、GWなど関係なしの職種ですので 今朝もマスクを手に出勤していきました。
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毎朝「 今日はどれくらい仕事が来てるかな? 」と 鼻歌交じりにパソコンを起動、 そのあまりの量に卒倒しそうになっているひよきちです。 一日中パソコンに向かい呻吟するも、終わらぬ仕事。 とにかく今は自
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今、思うことを、つらつらと。 コロナについて。 100年後、歴史の教科書にはどんな風に書かれるのだろう。 今、私たちはその真っ只中にいるんだよね。 100年前のスペイン風邪の時には みんなどん
コロナの影響にて、県内、緊急事態宣言が出されました。 夫・娘の職場もほぼ休業状態。 ただ、2人とも変わらず多忙であり 毎日出勤しなければなりません。 その2人の勤務状況に合わせ、こちらも大わらわで
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年度末の整理、そして新年度の準備と 夫も毎日忙殺されています。 加えて数日後には学校再開。 日々感染者が増える一方なのに ここで本当に学校を再開させて良いのか、と甚だ疑問。 今年度はクラス担任、
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やがて月日は音もなく流れ 時は1980年代中盤、場所は東京都多摩地方。 あの頃7歳だったひよきちも、いつしか大学生に。 ・・・「 三世変わらずを性となす 」とも申します。 何度生まれ変わりましても自身
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小学校3年生の時でしたか、同じクラスのお友達が話しかけてきました。 「 ○○さん、勉強できるね。 」と。 ・・・一瞬、え・・?と思いました。 謙遜などではなく、本当にまごついた。 誰か他の人と間違えてい
何年生の時でしたか 「 詩を書きましょう 」という宿題がありました。 ・・・「 詩 」って何だろう。 作文とはちょっと違うらしい。でも、どこがどんな風に違うんだろう。 混乱したまま机に向かうのですが、一
前々回の日記に書いたことではありますが クラスの中ではいるかいないか分からぬほどの存在、 マーチングでは自身の希望するものとはほど遠いパート、 そして一度も遊ぶことの叶わなかった大きな積み木。
そういえば 母は若い頃こう言っていました。 「 私は、人生の大道の、ど真ん中を歩いていきたい。 」 ・・・片や娘の私はできるだけ道の端っこを でも端っこ過ぎて溝に落ちぬよう、道を行く車や自転車にぶつ
今さらではありますが ふと気づけば、53歳 。 我が身を振り返り、そうか、自分も50代中盤に差し掛かるのだと (柄にもなく) 感慨深くなりました。 20代前半は、ただただ仕事で精一杯。 27歳になる直前
我が家の小さな花壇を見てみましたら 杜鵑、レモンバームが小さく芽吹いていました。 もうすぐ、春ですね。
早いもので、このブログを開設してから 19年目に突入いたしました。 最初の頃の自身の文体を見てみれば 最早、ほんとにこれは自分が書いたものなのか?と思うものも(笑)。 当時35歳。 ・・・
先日、滋賀での定期検査を受けてまいりました。 結果は、ありがたいことにセーフ。 昨年10月下旬の検査では「再発の疑い強し」とありまして この時ばかりは主治医にも笑顔が全く見られず、 すぐさま、この1
本年もどうぞよろしくお願い申し上げます 皆様にとりまして 素敵な一年でありますように 令和2年 元旦
今年はお節を作る予定もなく、年賀状をしたためることもなく また、夫の学期末の成績付けもありませんでしたので 比較的ゆったりとした時間が流れています。 お節を作らぬことにはどうにも落ち着かないのですが
こんな風に、落ち着いてパソコンに向かうのは 一体どれくらいぶりだろうと思います。 義父逝きて早2か月、 事務的な手続きはまだまだ残っておりますものの 夫の妹と手分けし、何とか手探りで頑張っており
数年前の日記を再掲いたします。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ この時節になると、口ずさむ歌がある。 百合とはじかみ賜ひき さはれつゆの身よ
義父の死は、私にとりまして誠に大きな出来事でした。 今抱える様々な思いを、文章にしようと思いましても なかなかできることではありませんでした。 今はおそらく、自身の思いを醸成する時期なのでしょう。
義父が亡くなる数日前に、伝えたことがあります。 「お義父さん、私は来世どうしても男性に生まれたいんです。 何故かというと、今度はお義父さんと同じ世代の人間として生まれて 男同士、親友として生きて
義父が亡くなって、早くも3週間が経とうとしている。 義父と血の繋がりのない私でさえこれほど悲しいのだから 夫の悲しみはどれほど深いのだろう…と心配になる。 夫は本当につよい。 ただ淡々と仕事に
義父は、亡くなる2日前まで様々な話をしてくれました。 「 死んでゆくということは、怖ろしいことでも悲しいことでもない。 だから、これから老いてゆく人、死にゆく人に伝えてあげたい。 死ぬことは少
昨日の日記にも書きました通り、時間的余裕も精神的余裕もありませんため この日記、暫くは断片的な文章になることと思います。 義父と初めて会いましたのは1987年11月、 夫と私の通う大学での、大学祭の時で
暫くは、まとまった文章も書けないことと思います。 時間的余裕がありません。 やるべきことがあまりに多すぎます。 そしてまた、精神的余裕もないことから 文章も箇条書きになってしまうと思います。
まだまだ落ち着きませんけれども 近況を、少しずつ書いてゆきたく思います。 この10月・・・あまりに多くのことが起きました。 そのひとつひとつの出来事を ここに詳細に書くことはできないとは思いますが
2019 2月 凛として如月の風吹く中に 父の植えにし白き梅咲く この春よ 時よ止まれと願いつつ 指の隙間よりこぼるる時間 慌ただしき日々を 乗り越え乗り越えて ともに迎えるつかのまの春 2019
9月に、義父が緩和ケアに入院。 今は比較的落ち着いていて、病室でもいろいろな話をしている。 とにかく今は時間をフルに有効活用し、無駄を省き 疲れを極力ためず、倒れず、前に進んでいかなければならない。
分娩室より出でて見上げし青き空 今日から私は母となる 嬉しさのあまりに深くお辞儀せり 分娩台にも 血圧計にも ぎこちなく 抱きしむる我を許すごと 腕の中にて 微笑める吾子
山の樹々 はやくも朱に燃えいでて 梢の先に秋は宿りぬ
夫婦とは戦友の異名 各々が戦場抱え ともに生き往く
義理、常識 日常生活ぶち切って 死への孤独に 耐えられるか 我
武蔵野の防人 大伴部麻与佐 我を歌へといざなひし人よ 阿米都之乃 以都例乃可美乎 以乃良波加 有都久之波々尓 麻多己等刀波牟 天地の いづれの神を祈らばか うつくし母にまた言とはむ
リアルの友人が聞いたら 「 ? 」という顔をするに違いないけれど そして 私の数学嫌いを知る中高時代の友人が聞けば さらに不可解な顔をするのだろうけれど(笑) 1年ほど前から何故かFXをやっている
風は吹き ほのかに蒼き夕あかり 亡き人 ふいに 帰りくるごと
「 ちゃんと言えますか 」シリーズ、第一弾。 え、ずっと昔の日記にも書いたことではありますが 「レギュラー満タン。」 これ、言えませんねん。 ガソリンスタンドの人に対し 本当はちゃんと、ス
どうも人間は( 時間を無理に作ってでも ) 自分の想いを綴る必要があるようで 今日は徒然に、思い浮かぶまま書いてみようと思います。 ずっと以前の日記にも書いていることではありますが 「 Pinterest 」
病に勝て 弱き自身を捩じ伏せよ いのちとは ひたに掴みとるもの
散り敷きて水も美し 花筏 波やはらかに 春を連れゆく
木末高し 青葉のごときこの命の 何と短き かけがえのなき
現在、夏休みのはずですが、夫も私も何故か忙しい。 毎日バタバタしております。 夫の実家のこと、我が家のこと、通院、検査。 仕事、家事、その他諸々。 やはり義父の自宅介護、 義母の通院付き添いその他
仰ぎみれば 比良の山々そびえたち 湖西の空に崇くゆたけし
吾子よ 時に思い出せよ この桜花(はな)を ともに見上げし母の記憶を
数年前、骨董関連のサイトにて京焼の香炉を目にしたことがありました。 江戸後期から幕末にかけてのものと書かれてありましたが その佇まいに惹かれ しばらく目を離すことができませんでした。 それ
毎日、ただただ慌ただしく過ぎてゆきます。 連日、義父母の通院付き添い。 仕事も多く、いつも夜中の3時過ぎまで格闘、さすがによれよれ。 身体も悲鳴をあげつつあるようで 先日の夜、数年ぶりに消化不良を
毎日バタバタしている間に いよいよ決戦 ( 舌の部分切除 ) が明日に迫ってまいりました。 緊張するなあ・・という思いと ちゃっちゃっと済ませてしまおう!との思いが混在しております。 思えば・・・
今回は、心に浮かぶままに書いてみようと思います。 単なるつぶやきに過ぎず(いつにもまして)脈絡のない日記になると思われます。 毎日仕事や家事に追われ、夫の実家に顔を出し これもあれもしなければ!と
この空間にて 相も変わらず「 忙しい、忙しい 」と呟いているけれど 実は、こうやって呟いているからこそ 毎日をつつがなく過ごすことができているのかな?と。 生きていく上で、自分の想いをどこにも出す
毎日の慌ただしさに翻弄され いかに体調を整えるか、寝込まずに頑張れるか、必死になっています。 義父が先日退院し、在宅介護が始まりました。 そして義母の眼科、歯科、がんセンターへの付き添い そのほか
5月14日、腹膜偽粘液腫の検査にて再発無し、との有難い結果。 夫の親指骨折も経過は順調。 入院していた義父も、おそらく来週には退院。 諸々抱えていた案件がひとまず落ち着くか、に見えた時 またもや心配
日記の更新が少しあいてしまいました。 相も変わらず、朝夕には夫・娘の送り迎え、 お昼間には様々な用事に翻弄されております(笑)。 ・・・おかげさまで今月14日、腹膜偽粘液腫の検査では 何とか
皆さま、ごきげんよう (T-T) 今まで幾度となく このような書き出しで日記を更新してきましたけれども ・・・お付き合いの長い方は、もうお気づきですね? こんな書き出しで私が日記を書き始めるときとい
数年前の春、お気に入りのギャラリ-にて ある講演会が行われました。 講師は 白洲正子さんのお孫さんにあたる方でした。 ・・・その講演の終わりましたあと ( おずおずと ) 講師の方のもとに参りま
先週から今週にかけて 胃カメラ・大腸内視鏡の検査を受けてまいりました。 そして( 恐怖の )歯医者も。 何が怖いって、歯医者ほど恐ろしいものはありません。 この世にて 勇者とは? と問われれば 間
毎日、目の回るような忙しさです。 自身の仕事もさることながら 義父の入院にまつわる多くの手続き等々 病院・市役所・業者の間を行ったり来たり、毎日右往左往しております。 その合間を縫って義母の
この日記をアップする頃には 新しい元号も発表なされていることでしょう。 忘れもしません、1989年1月の早朝 同僚が職員室に走りこんでくるなり「天皇陛下が亡くなった!」と。 ああ、昭和も終わるのだ・
先日、ようやく53歳となりました。 普通、年齢を重ねることに対し女性は喜ばないのかもしれませんが(笑) 私自身は素直に嬉しい、と心から思います。 病気のことを知りました時、 自分に50代、60代の日は
我が家の飾り棚に 漆塗りのお椀がいくつか並んでいます。 どのくらい前でしたか、神戸の骨董店にて購入したものです。 お店の方から日本の漆が最も上質だった時代のものです、と教えていただき 滑らか
義父のお見舞い・仕事・家事とで相変わらず多忙な日々です。 先日、夫と一緒にネクタイを買いに出掛けましたが 途中、目眩と脱力感とでほとんど歩けなくなり 近くの椅子に腰掛け しばし休まなければなりません
毎日、義父の入院先に行き 自分の仕事・家事をこなし、隙間を見つけては身体を休めています。 今年に入り、ちょうど家中の断捨離を始めたばかりでして 玄関も居間も寝室も、荷物でいっぱい(涙)。 かと
ここ1か月近く、家族もろとも嵐の日々です。 知らず知らずのうちに、身体にも強い負担がかかっていたものでしょう、 先日、めめが覚めたらなんと朝の10時半! いえ、6時半とか7時半ではないです。10時半
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