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鈴木家屋敷の東側にある甘露寺は、寺伝によれば、弘仁13年(822)に真言宗寺院として創建され、その後平重盛によって七堂伽藍が造営されたといいます。明徳元年(1390)に仲翁が臨済宗に改宗し、奥山方広寺の末寺となりました。応仁の乱で全焼、江戸末期には中門と楼門を残して焼失しました。徳川家康が阿茶局を連れて、この寺を訪れ、本堂前の梅を「未開紅甘露梅(いまだひらかずかんろのこうばい)」と名づけて観賞したという伝承が残...
2月は、どこか釈尊涅槃会について考える月となっており、そのため『仏垂般涅槃略説教誡経(『遺教経』)』などを読むことが多い拙ブログではあるが、今日はまだ、それにも早いので、2月の和名である「如月」について考えてみたい。しかし、そうなると毎回お世話になる、三田村鳶魚先生の本に頼るしかないかなぁ。◎二月和名衣更着といふ、〔奥義抄〕此月余寒はげしくて、さらにきぬをきれば、きぬさらぎといふを略せり。三田村鳶魚編『江戸年中行事』新潮文庫、35頁先日も某テレビ番組で、「如月」の由来を明らかにしていたが、おそらくもっとも良く知られているのが、この「衣更着」だと思われる。なお、「如月」表記は中国由来とされる。その読みに、「きさらぎ」を充てたわけである。ところで、この見解について、強く反対した事例がある。○二月を伎佐良芸月と...2月の和名「如月」について
令和4年10月1日(土) 【旧 九月六日 友引】・秋分・蟄虫坏戸(むしかくれてとをふさぐ)神無月たちにし日より雲のゐるあふりの山ぞ先づしぐれける ~賀茂真淵 『賀茂翁家集』神無月になった日から、雲の居座るあふりの山がまず時雨れてゆくのです。「あふり(雨降)の山」