メインカテゴリーを選択しなおす
日本紀には、応神天皇の九年に、天皇が武内宿禰を殺そうとしたことが書かれています。それによると、応神天皇が武内宿禰を筑紫に派遣して庶民を視察させた際に、その留守を狙って弟の甘美内宿禰(うましうちのすくね)が天皇に、武内宿禰が謀反を企てていると讒言したのです。これがもう一人の内宿禰で、『大日本国語辞典』によると「うまし」には快いとか美しいといった意味がありますから、この人はイケメンだったのかもしれません。彼の言葉を信じた天皇は、武内宿禰を殺すよう命じたため、武内宿禰は絶体絶命の危機に陥りますが、これを伝え聞いた壹伎直(いきのあたへ)の祖、真根子(まねこ)という者が武内宿禰の身代わりとなって死に、武内宿禰は難を逃れて都に戻り、無実を訴えたのです。そこで、武内宿禰は甘美内宿禰と対決することになったのですが、議論で...もう一人の内宿禰
再掲載●吉士(きし)とは何か?「古代朝鮮において「王」・「首長」を意味する称号「於羅瑕」(「鞬吉支」)が渡来人の称号として日本で用いられ、やがてそれが姓となり、また氏ともなったらしい。本居宣長の『古事記伝』によると、新羅の17等の京位(中央役人の官位)中の14