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昔の一時期、よく赤ワインを飲んでいました。 高いワインの味がわからない私は、安物のワインばかり飲んでいました。 そんな中でも特に安いワインが何種類かありました。それらはどれも、同じ酒造会社の製品ではないかと思ってしまうくらい同じようなネーミングで(「美味しい、酸化防止剤無添加ワイン」 のような …)似たようなラベルが貼ってありました。 ちなみにそれらの安ワインは、現在はペットボトル瓶か、紙パックのお...
「漂泊する避難民・上陸する探索人」と題して進めてきた。 ・紀元前473年 呉の滅亡 ・紀元前334年 越の滅亡 と、ここまでは「漂泊する避難民」として論じてきた。 いよいよ、今回から ・紀元前219年 徐福の出航 となり、「上陸する探索人」となる。 (徐福の出航) 徐福が不老不死の薬を求めて出航したことは、中国で最も古い歴史書である『史記』に記されている。 「斉の人、徐市(徐福)ら上書して言う。『海中に三神山あり。名づけて蓬莱・方丈・瀛洲といい、仙人これに居る。請う。斎戒(さいかい=身を清めること)し、童男女とこれを求むることを得ん、と。是に於いて始皇は徐市を遣わし、童男女数千人を発し、海に入…
仲哀帝即位 筑紫入り 仲哀帝即位 成務天皇が崩ずると、太子の足仲彦尊が即位しました。仲哀天皇です。但し足仲彦尊は先帝の実子ではなく、その兄王小碓尊の子であり、成務帝にとっては甥に当たります。そもそも成務帝の皇子については記紀共に殆ど記載がなく、『古事記』は穂積臣の祖の建忍山垂根の女との間に和訶奴気王という一柱を儲けたと伝えるのみで、『日本書紀』に至っては后妃子女に関する記録そのものがありません。尤も成務紀ではなく仲哀紀の方に、稚足彦天皇には男子が無かったので、足仲彦尊を後嗣に立てたという一文があることから、読み流す限りでは実子に恵まれなかった成務帝が、日本武尊の忘れ形見に皇位を譲っただけのよう…
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