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#浜名郡式内社のブログ記事
  • 2022/10/15 00:27

    浜名郡の式内社ー弥和山神社

    式内弥和山神社寛政風土記伝は「只木村神明宮、号弥和山、俗曰弥也山、檜山也」と述べています。しかしおそらく、逆で「ミヤ(宮)山」と呼んでいるのを「ミワ(弥和)山」と聞き違えたのだと思います。内山真龍は遠州各地を実地踏査した学者です。しかし、以前にも書きましたが、『日本三大実録』遠江国稲佐郡蟾渭神を式内渭伊神と間違えています。これは同時代に歴史的仮名遣いの研究が低調だったことも一因でした。蟾渭神は「ひきぬま」神と読みます。長上郡ひきぬま郷の神で、式内社に推薦されなかったか、天竜川の洪水で跡形もなくなったのでしょう。このほかにもいくつかの誤りを指摘できます。そこで、真龍の書は必ずしもすべて正しいわけではありません。話を「弥和山神社」に戻します。この神社の山容は三輪山型ではありません。山塊の一つが麓に降りてきた河...浜名郡の式内社ー弥和山神社

  • 2022/10/15 00:26

    浜名郡の式内社ー英多神社

    式内英多神社は、写本のうち現存最古といわれる「高山寺本」での訓は「ヱタ」です。これが確認できる最古の訓となります。江戸時代寛政年間に書かれた内山真龍著『遠江風土記伝』は「アカタ」と訓じますが、これはおそらく他例からの類推と、なによりも大字三ヶ日にある惣社神明宮旧神官家縣氏の存在によっています。真龍の英多神社比定地はその神明宮で、縣氏旧記を引き、弥和と英多と両社を同地に祀ったと述べています。しかし何か特段の根拠があったわけではありません。「英田」という小字は、現在東名高速三ヶ日バス停のある付近大字岡本に残っています。同地の初生衣神社神主家でも、そのあたりを古くから「ヨウダ様」と呼んでいました。その小字英田の東の台地下の田が小字「陽田」です。つまり「アガタ」という名称はなく、平安末期から鎌倉初期以来「ヱタ」や...浜名郡の式内社ー英多神社

  • 2022/10/15 00:25

    浜名郡の式内社ー猪鼻湖神社

    奥浜名湖の歴史からすると、この神社は浜名湖南現湖西市新井町在とするものもあり、微妙です。新井町は古代猪鼻駅家があったので、その説が立てられたのですが、延喜式神名帳記載の並びからは現猪鼻湖の周辺にあったとしてよいでしょう。神社名は「猪鼻湖神社」ですので、ここでは」ありません。また、この並びから、大知波八幡宮(湖西市)に比定する説もありますが、ここは「猪鼻」地名はありません。やはり浜松市北区三ヶ日町内だと考えて間違いないでしょう。『引佐郡誌』は古老の話として、本社はその位置が海辺故、台風などにより何度か流され、創立及び再建の日時不明と言いますが、むしろ神社の原位置がわからないと言ったほうが正しいでしょう。『遠江国風土記伝』には、下尾奈村神明社が後進であるとし、迫戸(せと)明神と称したと述べています。社地は猪鼻...浜名郡の式内社ー猪鼻湖神社

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