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人間は気にかけてもらいたいという欲望があるもので、それは自分という存在の確認であり、それは家庭でも学校でも職場でも、いくつになってもあるような気がする。 病院で長期入院してる高齢者が「今日は顔色がいいですね」と言った看護師の一言が薬よりも何倍も効果があるということはよく聞く話である、子供も見舞いにこない、そんな時看護師からかけられたひと言、それは自分の事を気にかけてくれた、見守ってくれていることを感じたから嬉しかったに違いない。 私の母が晩年、高齢者施設にお世話になったとき、「今日は食欲あるね」「塗り絵上手だね」等明るく声をかけてくれる若い介護スタッフがいた、母にとってお気にいりの人だった、彼女に声を掛けられるといつも嬉しそうだった、自分の事を気にかけてもらえてる、亡くなる直前まで母にとって大切な人だった...母にとって晩年大切だった人
若い時は親に支配されているもので、これは子供の宿命である、成人し経済的に自立しても親は威厳を持っている、そんな親もやがて年老いていつのまにか立場が逆転するときがくる、どんな強者も弱者になる。 両親が還暦を迎え、私が赴任した近場の温泉でお祝いした翌日父がぽつりと言った言葉を今でも思いだす「離れて暮らしていても長男としての自覚を忘れないでいて欲しい」大正生まれの父の言葉は重かった、何かあったら面倒見て欲しいという意味だった。 それから父が80歳のとき実家での出来事だった、なぜか自筆のノートを取り出し、私が大学生の時仕送り含め、これだけのお金がかかったという明細を出してきた、今までそんなこと億尾にもださなかっただけに、もしかしたらボケたのでは?父の言動の意図がわからず戸惑ったものだ、それから数年後父は認知症にな...親子の関係は変化するもの