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人生は振り返ることばかり。あまりにも振り返りの多いこと。 ある年のこと、南国のリゾート地に出かけた。 家内を家に放ったらかしにして、アタシは一人で出掛けたw。 ストレスが溜まっていた。 泳いだり散歩したり、カジノでくつろぎ、滞在をココロから楽しんだものです。 酒を呑み珍しいモノを食い、カジノのタダ酒とタダ飯を満喫して羽を大いに伸ばしていました。 ある夜のこと、コテージをノックする音がした。 それ...
人が罪に陥ったとき、すなわち、その人自身が見ていたり知っていたりする証人であるのに、証言しなければのろわれるという声を聞きながらも、それをしない場合、その人は咎を負わなければならない。(1) 罪に対して、見て見ぬふりをすることはのろわれるとある。確かに見て知っているのに、見ぬふりは罪を放置することである。罪を証言することによって、解決に至るささげ物が捧げられ、あがなわれて罪が解決されるからである。 「軽々しい誓いによって後で責めを覚える場合」もあがなわれる必要があることが書かれてあり、このような咎めは今も経験することである。このような時も私たちは、キリストの赦しを願って祈るなら、十字架の血潮によって罪を洗いきよめられ、その咎が赦された確信を得るのである。 このようにして思い出した罪を直ちに祈る中で、咎めを負い...責めを覚えて救われる(レビ記5章)