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#引佐郡の名の由来のブログ記事
  • 2022/10/15 00:46

    最強のパワースポット イナサの神たち

    わたし自身はパワースポットなど全く関心ありません。しかし世間の人が言うようなものがそうであるなら、ここが最強でしょう。立須の峰・天白磐座遺跡・白岩水神社のトリオです。「立須」は式内「大煞」故地で、「煞」は殺と同義です。つまりこの神は寿命を司り、御神体は奇岩重々たる峰から「龍」です。これが里に下ると「蛇」になり、天白磐座に鎮座することになります。それはちょうど冬至の日の落ちる方角にあり、太陽の死(陰)を意味すると同時に生(陽)へ転換するいわば再生の地なのです。この磐座自体は陽神(男性器)ですが、ちょうどほぼ真北に白岩神社=うなぎ井戸があります。「う」は烏で黒を象徴し、方位で言えば北、象意は水、すべて陰に属します。しかし「なぎ」はサンスクリット「ナーガ」の転化、すなわち蛇です。蛇は陰陽五行では南を指します。つまりこ...最強のパワースポットイナサの神たち

    • #引佐郡の名の由来

  • 2022/10/15 00:45

    オロ(於呂)の神-龍蛇神(水神)の国「遠江」

    「筑前国風土記」逸文「怡土郡」条に、仲哀天皇に対し、ある男が「高麗の国の意呂山に、天より降り来し日鉾の苗裔、五十跡手是なり」と答える記事があります。天日鉾は新羅の王子で、(『日本書紀』垂仁朝に来朝(『紀』)、では神代渡来(「播磨国風土記」))それゆえ「意呂山」は新羅にあることになります。岩波書店版古典全集『日本書紀』の本文上欄の註に、「朝鮮東南海岸の蔚山。新羅と高麗」三国時代の高句麗)との境の地方であるから高麗といったのである」とあり、「意呂山」は蔚山のこととしています。『三国史記』「雑志第四地理」によれば、蔚山は紀元五百年ころ新羅に帰属し、それ以前の小国名は于尸山(우러산ウロサン)です。これにたいして、鮎貝房之は神功紀摂政四十九年「意流村」(オルノスキ)も似た音で、百済王都所在地「尉禮」と日本音としても朝鮮音...オロ(於呂)の神-龍蛇神(水神)の国「遠江」

    • #引佐郡の名の由来

  • 2022/10/15 00:45

    イナサの国(1)ー浜松市北区旧引佐郡

    それでは「イナサ」とは何を意味するのでしょう。辰巳和弘氏のいうように「イナサ」は「イナ+サ」と考えられます。しかし意味は全く違います。「サ」については後で述べることにして、まず「イナ」について考えることにします。【イナ=稲説】永留久恵氏は対馬上県の「伊奈」鎮座の式内伊奈久比神社由緒(神社明細帳)を引用して、白鶴が稲穂をくわえ来てこれを落とした時、鶴は大歳神という稲作の神に変じ、稲穂を榎田に植えて神饌を得。これが対馬の稲作の初めで、それゆえ伊奈の地名の由来は稲からきていると述べています。永留は、伊奈の地そのものには稲作の遺跡はないが、隣の志多留には石包丁が出土し、榎田もここにあると言います。それから考えれば「伊奈久比とは稲喰であろう。それは、新穀の稲米を神(稲魂)に供える新嘗の古俗を思わせる。『延喜式』に伊奈久比...イナサの国(1)ー浜松市北区旧引佐郡

    • #引佐郡の名の由来

  • 2022/10/15 00:44

    イナサの国(2)ー遠江国引佐郡

    イナサについて考えてみます。【肥前国稲佐神社】『日本三代実録』貞観三年(八六一)従五位下、仁和元年(885)には従五位上に昇った肥前国杵島郡「稲佐神社」があります。『大日本地名辞書』は稲佐神社を西彼杵郡悟真寺の項に載せ、「是は長崎の稲佐村の神にやあらん」としていますが、長崎の稲佐は豪族の名にちなむといい、もっと新しい地名です。長崎の稲佐山にあるのは淵神社です。同書が引く「筑前志摩郡今津寿福寺弘安三年旧記」に、権現は七歳の時五島に浄土会の観音として現れ、それより平戸の郡安満嶽の主持の権現、肥前後藤山御正体黒上法身権現となり、それよりイナサ大明神と現れ、竜王崎のかふめの島に留まります。今これを彦島といい、竜王崎より舟に乗せ、寺井の津より上がるという記事に続きます。これが杵島郡稲佐山神社のことです。竜王崎はこの神社の...イナサの国(2)ー遠江国引佐郡

    • #引佐郡の名の由来

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