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革命家たちのパリ。周恩来とレーニンの住まいの跡をHPにアップ!
パリに住んだ周恩来とレーニンが住んだアパルトマンを訪問した旅行記をHPにアップしました。写真は10枚です。周恩来が住んだプラス・ディタリーにあるアパルトマンは取り壊されホテルが建っていました。ただ、ここに周恩来が住んだとの銘板がありました。レーニンが住んだのは地下鉄4号線、ポルト・ドルレアン駅とアレイジア駅との間。現在はちょっと殺風景な場所となっていましたよ。...
東京神田小川町に老舗中華料理店「漢陽楼」があります。ここは周恩来や孫文が贔屓にしていた店として知られています。 周恩来は1917年に日本に留学しました。日本語の習得不足により第一高等学校と東京高等師範学校の受験に失敗しましたが、その後東亜高等予備学校(日華同人共立東亜高...
それは時代を超えた写真撮影の場だった。100年来の「中国の旧友」であるヘンリー・キッシンジャーを北京で迎えた習近平国家主席。 Pepe Escobar Sputnik Global 2023年7月21日1972年のニクソン訪中に向けて、キッシンジャーは1971年に初めて周恩来と直接会談した場所である。「キッシンジャー北京行き」は、ますますこじれつつある米中関係を修復しようとする「非公式」な個人の試みだった。彼はアメリカの現政権を代表していたわけではない。そこに問題がある。地政学に携わる者なら誰もが、キッシンジャーが残した伝説的な処方箋を知っている: アメリカの敵になることは危険であり、アメリカ…
文化大革命とは、中国で1960年代後半から1970年代半ばまで約10年間続いた、資本主義文化を批判し、新しく社会主義文化を創生しようという運動だといわれていますが、実質は多数の人民を巻き込んだ共産党指導部の権力闘争であったようです。 背景としては、毛沢東が進めてきた大躍進政策(農工業の大増産政策)が失敗し経済が破綻して、毛沢東は国家主席の地位を劉少奇に譲り、変わって劉少奇や鄧小平などが修正主義的路線に基づいて経済を再建していたことや、フルシチョフのスターリン批判を契機に起きた中ソの社会主義路線対立などが考えられます。 文化大革命の発端は、1965年11月に姚文元(ようぶんげん)が毛沢東の命を受…
Hysteria not mystery NO1 出来ればご声援お願いいたします m(__ __)m フリードリッヒ2世(神聖ローマ皇帝)のお話の お茶の時間の後日。、、アジアの平和が成った日は50年前 後日これを改めて見た。 1972年9月29日 この時、合言葉は アジアの平和だった。 毛沢東 周恩来が交渉相手。 誰かがしなければならない事だった。 ...
先日、元の職場の部下たちと久しぶりに会食する機会があり、神田神保町に行ってきました。 会食の場所はすずらん通りにある「川府」というお店でしたが、神保町といえば古書街として有名です。すずらん通りには、中国やアジアに関する古書を扱うお店が多く、少し早めに出て散策してきました...