メインカテゴリーを選択しなおす
みなさん、こんにちは。 日本には「季節」と「節気」があります。 「季節」というのは「春」「夏」「秋」「冬」の「四季」の事で、「節気」というのは、それぞれの「季節を、更に六分割」したものです。 「4 (季節) &
二つの腎臓と、それに付いている腰のあたりの脂肪、さらに腎臓とともに取り除いた、肝臓の上の小葉である。祭司はそれらを祭壇の上で、主への食物のささげ物として、焼いて煙にしなければならない。これは代償のささげ物である。祭司の家系に属する男子はみな、これを食べることができる。それは聖なる所で食べなければならない。これは最も聖なるものである。(4~6) これは主の食卓である。祭司が招かれる聖なる食卓である。この食卓は主の交わりなのだ。今キリスト者は男も女も子どもでも、キリストを愛する者が招かれている神の家族の食卓である。此処には聖霊の臨在がある。 感謝のための交わりのいけにえと一緒に、種入りの輪形パンを献げる。そして、それぞれのささげ物から一つずつを取り、主への奉納物として献げる。これは、交わりのいけにえの血を振りかけ...ふわふわのドーナツは喜び(レビ記7章)
アロンの子らは、これを祭壇の上で、火の上の薪の上にある全焼のささげ物に載せて、焼いて煙にする。これは主への食物のささげ物、芳ばしい香りである。交わりのいけにえとしての、主へのささげ物が羊であるなら、雄でも雌でも傷のないものを献げなければならない。(5~6) 主への献げものは雄でなければならなかったが、交わりのささげ物は雄でも雌でもよいが、傷の無いものとある。これは主の食卓に与る交わりのためのささげ物であった。 キリスト者の永遠の望みは主の交わりの中である。そこは救われた日から永遠までの、キリスト者の確かな居場所である。礼拝している時も、働いている時も、遊んでいても、良い時も、悪い時も、喜びも悩みも苦しみも、主のお交わりの中に在れば、すべての事柄を通して主を知る喜びがあり、忍耐を躾けられ、キリスト者の霊は主との...交わりのいけにえ(レビ記3章)