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三河・八幡砦 発掘調査で確認された方形城址と外桝形虎口の遺構
八幡砦は愛知県豊川市八幡町赤土にあります。八幡はヤワタと読み八幡村城とも呼ばれますが、ここでは現地の案内板に従って八幡砦とします。桶狭間の戦いの後、岡崎に帰った家康が東三河に進出して一宮砦を築いたのに対抗して今川氏真が八幡砦を築き佐脇城などと併せて防衛ラインを構築したとされます。参考資料は(1)「愛知県中世城館跡調査報告3」愛知県教育委員会1997(2)「発掘調査だよりNo.36」豊川市教育委員会2003(3)現地案内板Aなどです。なお、八幡砦に隣接して三河国分寺跡が存在し、発掘調査が継続的に行われています。八幡砦家康は東三河進出の足掛りとして一宮砦を築いたとされる(2)によれば、今川氏真は八幡砦を吉田・牛久保の防衛の前線基地とし築き、沿岸部からの敵には佐脇城を守りの前線基地としたとされます。八幡砦現地案内板の...三河・八幡砦発掘調査で確認された方形城址と外桝形虎口の遺構