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#三ヶ日町諸系図のブログ記事
  • 2022/10/15 00:31

    縣氏系図ー浜松市北区三ヶ日町

    【縣氏系図の検所済浜松市北区三ヶ日町の旧家「縣氏には、①物部・穂積・采女氏の租とされる宇麻志麻遅命から始まる「縣家系図」参照;浜名史論所載改訂系図)と、②南北朝期には成立していたと思える「大中臣系図」(群書類従)に、大宮司大中臣茂生、その子祭主永頼(正暦二年<991>補任)五男岩崎大夫宣成、その長男散位成助六男佐実とあり、佐実に「遠江住」とあります。この佐実の子孫が三ヶ日町「縣氏」(百家系図稿所収、以下「英多神社祠官縣系図」)という二種類の系図があります。①縣氏については、高橋佑吉著『浜名史論』が①に対して検討を加えていて、「上古以来の旧族浜名縣主の子孫であり、鎌倉期浜名氏興起してより、その重臣として現れた」と述べています。しかし古代・中世を通じて現三ヶ日町「縣」名字は、諸史料に出てきません。高橋氏が同名...縣氏系図ー浜松市北区三ヶ日町

    • #三ヶ日町諸系図

  • 2022/10/15 00:30

    遠江の後藤氏ー浜松市北区三ヶ日町

    【後藤氏】太田亮『姓氏家系大辞典』には「遠江後藤氏」は、後藤氏嫡流とする。後藤氏は源頼義の家臣で坂戸判官・後藤内と号した則明を元祖とし、類題河内源氏の家人でした。則明六代の孫基清は、承久の乱で長男基成とともに京方に味方しました。一方二男基綱は幕府軍に就き、結局敗れた父基清と兄基成を六条河原で自ら斬首しました。基清は猶子で、実父は佐藤仲清、同腹の兄は義清すなわち西行です。こうした関係から、基綱の家系は鎌倉幕府の評定衆・引付頭を務める武とともに歌の家系でした。遠江後藤氏の室町時代以前の系譜を正確にはたどることはできません。遠江の後藤氏は室町時代の文献上の初見は、文安年間(1444~49)成立した「文安年中御番帳」「二番後藤能登入道」です。また宝徳二年から享徳四年(1450~55)成立の「永享以来御番帳」(以上...遠江の後藤氏ー浜松市北区三ヶ日町

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