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【神様はアッラーしかいない】瑞丘八幡神社、外国人が賽銭箱を蹴り破壊し逮捕「違法逮捕で何も言うことはない」 神戸市垂水区
神戸市垂水区にある「瑞丘八幡神社」で、外国人の男が賽銭箱や手水舎にある竹筒などを破壊した容疑で逮捕。男はアフリカのガンビア共和国籍で垂水区に住む無職のママドウ・バルデ容疑者(29)で、参拝していた女性に『神様はイスラム教のアッラーしかいないから、ここに神様はいないのでここで祈るな』と発言。警察の調べに対して「違法な逮捕で何も言うことはありません」と供述。
日本語の持つ神の意味 最近は何でもかんでも、凄い人の事を軽く『神』と呼ぶ。ムスリムの僕から見れば非常に理解し難い事だ。そもそも、日本語の持つ『神』は『人知を超えたもの』、『とてつもなく凄いもの』という意味である。だから、自然にせよ、精霊や妖怪、時には人間でさえ神になってしまうのである。つまり、日本人にとっての神はこの空間のなかに存在する隣人のような存在である。では人間と神との関係はどうか?時には畏敬の念を表し、時には客人のようにもてなし、あるときには無関心。イスラームのような絶対的な主従関係や契約の概念はない。 アッラーを神と訳すのは正しいのか? ではイスラームではどうだろうか? イスラームで…