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欲しいもの、叶えたいもの、全て見失った。 買うつもりのないスイーツ、まだ野菜庫にどっさりある野菜たち、なのに目に飛び込めば手に入れたくなる。 カゴに入れては出し、出しては入れ、そんなことを繰り返す自分に苦笑し、ネットスーパーに頼ればよかったかと思うのはこんな折り。 願うこと、祈ること、全て忘れ去った。 神聖なる場所で、それでもなお頭を垂れている。何もいらないのです、と。 注意報も警報も何も、出ていない日。 鳥居をくぐるといつの間にか、小雨や強風に見舞われるようになった。 かみさま。 生きていることに感謝します、とだけ。 釘付けになる空も、釘付けにする人も、いつかは気体になる。 かみさま。 正直…
以前、こんなことを書いた。 sa-la-sa-i-poet.hateblo.jp+++ 確か、実践ではストレッチポールを使う軽い運動もあったように思う。 筆者自身、ここ数年かまぼこ型のストレッチポールにほぼ毎日のっている。「参加」記事より2年ほど遡る頃からだ。 これが慣れないうちは、仰向けにのるだけでも怖いし背中と言わず腰と言わず痛くなる。 柔らかいタイプを選ぶべきであった汗 なので、まずは秒単位でのることから始め、少しづつ長く寝転べるようにしていった。 変なふうに起き上がって脇腹が攣ったこともあったが、それくらいで済んだ。 今は、その固めのストレッチポールの上で眠ってしまう(それはそれでどう…
あなたの知っている あなたのいい人も あなたの知らない 誰かのいい人も にこにこしながら悔しがったり メソメソしながら凛としてたり いつかどこかの後ろ暗さを思い出したり そんなものでできている
気がつくかつかないか 全ては多分きっと そんなふうに巡っている どちらに流れても転んでもおかしくないことは この世にあふれているのだし 恋も悲しみも その中にいるときは案外何も 気がつかないものだ 間違っているとも正しいとも 幸せか不幸せだとか 通り過ぎてから気づくものだ そんなことに気づいた日々が そろそろ終着地点 師走が今年が駆け抜けていくよ
揺らがない。たとえ世界が滅んでも。 そんな言い草は夢物語の飴玉にでも閉じ込めておけばいい、とは思うが、ここへきて現実と妄想が入れ替わりそうな心持ちになってくる。 心持ちだけでは、平和は訪れない。 心持ちさえなくなったら、平和を人らは忘れる。 揺らがない。揺らぎたくない。 貫きたい。忘れたくない。たとえ世界が滅んでも。 消えるのは消すのはなくすのは諦めるのは絶望するのは、いくらか早すぎる。 そうでなければ、そうでないなら。
許せないことの多くは 自分の過去から派生しているのである 知ったところでどうにかなるものではないし 知ったところで生き方はそうそう変わらないかも知れぬ それでも 知らないよりずっといい わからないよりずっといい 許せないぞ、とカリカリするより ずっといい
糸を染める花を探そう 明日は早起き つまりは しっかり食べてしっかり動いて よく泣きよく笑う1日にしよう それがあたしのイントロダクション 余計なことは重ねておけばいい いつか朽ちていくだろう 悲しくても苛立っても それは素敵なスパイスで 極上に命を彩るのだから 血に混ざりゆく喜びと 息を調える感謝を それがあたしのイントロダクション
ようやくあきらめがつく九月夜 夏をすべて記憶から追い出し 秋を迎える準備に余念がない ようやくあきらめがつく九月夜 あなたをすべて記憶から追い出し 生きる準備に余念がない ようやくあきらめがつく九月夜 ため息すべてを記憶から追い出し 夢見る準備に余念がない
わたしは あなたではなく あなたになることもできない だからこそ 空想力も想像力も存分にふくらませ わきまえるか ぐいぐいいくか 思いやりとか やさしいとか もしかしたらとか 反射神経も大切 ブレーキも大事 バランスとっていきたいもんだ どうにかこうにか
「夢」という言葉で全てを肯定・あるいは否定しようとすると、おかしなことになる。 夢と呼び定義づける考え方も指針になるかもしれないが、どんなに優れたメソッドであっても誰にでも心地よくフィットするわけではなく、とらわれすぎればストレスの種でしかない。 ダイエットや運動も、どこか似ている。 答え合わせは、最期を超えてもなお判然としないこともある。 それでも「ちょっと先でちょっといい感じ」になれていればよいな、などと瞬間を重ねながら空を見上げる。 ささやかでも、大きくても、夢という言葉でなくても、未来を少し信じる時間を紡いでいきたいものだ。