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こんにちは、 暖淡堂 です。 「示衆」の3回目。 臨済は繰り返し、なにかを自分の外に求めるということをするな、と言っています。 修行者、修行僧たちが悩みながら生きているその姿は、現在の私たちと重なって見えます。 臨済が修行僧たちに語りかける言葉は、私たちに語りかけている...
示衆(2)「今日多般用處、欠少什麼。」(今日さまざまな現象として目に見えることには、なにも欠けたものなどいないのだ) 「臨済録」より
こんにちは、 暖淡堂 です。 「示衆」の2回目です。 晚參(夜に行われた説法)で始められた講話が、次第に熱を持ったものになっていきます。 ここでは祖師とは、祖仏とは、どんなものであるかを説いています。 修行の目標の姿、修行の到達点ですね。 そして、それを理解できずにあち...
こんにちは、暖淡堂です。 別サイト「散木の小屋」で、古典「臨済録」の原文全文のデータの公開と、少しずつ現代語訳の紹介をしています。 「臨済録」は臨済の語録です。 それはただ禅の教えではなく、私たちが日常暮らしていく上で感じる不安や迷いなどを乗り越えていくためのヒントの宝庫でもあります。 現代語訳はできるだけ平易な言葉になるように努めています。 ご関心を持たれた方、ぜひ、以下のリンクから「散木の小屋」にお越しいただければ幸いです。 原文全文リンク sanboku.blogspot.com 臨済録カテゴリーリンク sanboku.blogspot.com 臨済録現代語訳の進捗 「散木の小屋」の記事…
示衆(1)「師晚參示衆云」(師は晚參の時、衆に対して言った) 「臨済録」より
こんにちは、 暖淡堂 です。 今回から「示衆」の部分をゆっくりと紹介します。 ここでは、晚參(夜に行われた説法)での言葉が記録されています。 臨済は、相手の本質やそのときの環境によって、その人との向き合い方を変えています。 よりふさわしい修行の進め方を示すためでしょう。...
上堂(9)「汝等諸人、作麼生會」(さて、諸君はそれをどのように会得するのか) 「臨済録」より
こんにちは、 暖淡堂 です。 「上堂」の最後の部分になります。 ここでは臨済禅の要点が述べられます。 どれも簡潔な言い方になっていますが、理解しやすいものではなりません。 どれも真剣に取り組み、考え抜かないといけないものでしょう。 しかし、ここまで臨済が言っているように...
上堂(8)「論劫在途中、不離家舍」(仏法を論じて進みながらも本来いるべきところを離れていない) 「臨済録」より
こんにちは、 暖淡堂 です。 「上堂」での講話の続きです。 前回は修行の目指すべき方向、究極の姿についての臨在の考え方が示されていました。 今回の部分では、どのように修行をしていくべきか、どのようにすることで、最終的な悟りの境地に至れるのか、それを短い言葉で語っています...
こんにちは、 暖淡堂 です。 「上堂」での講話が続きます。 今回は禅の修行の到達点に触れています。 修行の先にどのような境地に至ればよいのか、到達点はどのようなところか、という議論が修行僧の間で行われていたのでしょう。 あるいは、過去にそのような境地に達した人は誰だった...
こんにちは、 暖淡堂 です。 「上堂」が続きます。 今回の部分は、禅における問答のあり方に焦点をおいています。 師と向き合った修行僧は、どのような状況に置かれるのでしょうか。 もし修行している僧が、その口頭で、まるで真剣の刃を向けるような質問をしたら、臨済はどのように答...
こんにちは、 暖淡堂 です。 「上堂」の5回目。 前回は喝、今回は棒です。 棒もいろいろな場面で使われます。 いずれも、身体を速やかに動かすことが求めらているように読めます。 心とともに身体も即妙の対応をするべし、と言われているのかもしれません。 臨済録の原文全文...
こんにちは、 暖淡堂 です。 「上堂」の4回目。 ここでは臨済と僧たちとの間で「喝」についてのやり取りが三通り行われます。 一つ目 は、臨在が上堂してすぐ。 一人の僧が師の前に出てきます。 臨在はすかさず一喝します。 前に出てきた僧は、今の喝は、自分を試すためのも...
こんにちは、 暖淡堂 です。 今回は「上堂」の3回目。 臨済禅のキーワードの一つ、「無位の真人」が出てきます。 「赤肉團上」とは、いままさに生きているこの肉体のこと。 そこに「無位の真人」がいるのだ、と言います。 なんの位置付けもない、立場もない、なにものにもとら...
こんにちは、 暖淡堂 です。 今回は「上堂」の2回目です。 河北を治めていた藩鎮の一つ、成徳府(成徳軍節度使)主の王常侍に依頼されて行われた説教の続きです。 この日、臨済は王常侍から説法を依頼され、修行僧たちが集まる堂で座に上ります。 臨済が話し始めようとすると...
こんにちは、 暖淡堂 です。 「臨済録」の内容を続けて紹介しています。 今回は「上堂」の冒頭部分です。 臨済は自らが河北の滹沱河を臨む院の住持となって以来、河北の地を中心に教えを広めていました。 この「上堂」は、当時河北を治めていた藩鎮の一つ、成徳府(成徳軍節度使)主の...
こんにちは、 暖淡堂 です。 「臨済録」の現代語訳の作業を一通り終えました。推敲を続けながら、少しずつこの散木の小屋で紹介していきたいと思います。 今回は序文。すでに一部を記事にしていますが、今回は序文全文をあらためて紹介します。 漢文を学ぶときに、原文を書き下し文...
臨済録の現代訳作成続けています ”「臨済録」の言葉(2)演若達多、頭を失却す”
こんにちは、暖淡堂です。 臨済録、愛読しています。内容をもっと理解しようとして、自分で現代訳を作成しています。言葉の意味をよく考えて、自分の言葉で書き直すとい…
こんにちは、 暖淡堂 です。 臨済録の現代訳作業を少しずつ進めています。 今回はどのように臨済が修行を始めたのか、それが書かれている部分。 序文の一番初めの部分を紹介します。 前回紹介した馬防の肩書きの文章に続くところです。 黃檗山頭、曾遭痛棒。大愚肋下、方解...
平安時代の終わり頃から鎌倉時代にかけて、武士や庶民に仏教の教えが広まりました。 それまでの仏教は教義が難しく庶民には理解しにくいものでした。 また、戦乱で命のやりとりをする武士にとって求められているものに十分に応えられているものでもありませんでした。 そんな状況を受けて、...
臨済録の序文から考える 臨済録はどのような人たちに読まれたか
こんにちは、 暖淡堂 です。 「臨済録」の原文に現代語訳を少しずつつけています。 毎朝10分くらいずつしか作業をしていないのですが、大体半年かけて、半分くらいは訳すことができました。 当ブログで、ゆっくりと紹介したいと思います。最終的には全体を一冊の書籍にしたいと考えていま...
臨済の修行のスタイルは、よく 「臨済の喝」 と呼ばれます。師や弟子たちとのやり取りで、勘所にくると「喝」と叫び、悟りへの一歩を進めます。 師の黄檗は 「黄檗の棒」 とされているのと好対照ですね。黄檗は弟子を棒でピシャリと打ちました。 臨済もまた棒で打ったり、平手を喰らわ...
唐の時代の禅僧臨済の語録「臨済録」は、弟子の慧然が記録したものをまとめたのが始まりです。 その後、他の文献などからいくつかの文章が補われ、現在の「臨済録」の形になっています。 本ブログのページに掲載しているのは、宋代になって円覚宗演が重刊したものをベースにしています。 「...
平安時代の終わり頃から鎌倉時代にかけて、武士や庶民に仏教の教えが広まりました。 それまでの仏教は教義が難しく庶民には理解しにくいものでした。 また、戦乱で命のやりとりをする武士にとって求められているものに十分に応えられているものでもありませんでした。 そんな状況を受けて、...
唐の時代の禅宗のお坊さん臨済の言行を記録した「臨済録」。 その原文の全文を整理して、以下のサイトに置きました。 ネット上で全文を読みやすく公開しているところがなかったので、作ってみました。 (GoogleのBloggerにはpageという機能があります。それをデータベース風に使ってみました。) もとの文は宋が金の圧迫を受けていた頃(1120年頃)に円覚宗演がまとめたものと伝えられているものを用いました。 以下のリンクからご覧ください。 dantandho21.blogspot.com 臨済録は、唐から宋、明にかけて読み継がれて来ました。 その文章は、当時の口語文に近いとのこと。 いわゆる我々が…