今回はこのブログを書いておる私のことを書きましょう。 まず、外国語は英語、ドイツ語ができます。英語は学校で習ったあと、仕事で使うざるを得なくなり、自分で勉強して覚えました。ドイツ語は、大学で4単位履修した後、教授のところに自主的に出入りして、さらに2単位?
ドイツのイスラエル優遇策:贖罪のシステムがもたらした「凡庸なる悪」への転落
イスラエルの安全保障はドイツの「国家の理」戦後ドイツのイスラエル優遇政策は、ナチス体制下で600万人以上のユダヤ人を虐殺したホロコーストという「原罪」の贖罪として始まりました。1950年代のルクセンブルク補償協定を皮切りに、ドイツはイスラエルへの巨額の財政支援と
裁判その2では文章の量が増えて読みにくくなることを避けるため、詳しい説明をしていない単語がありました。ここでは潔癖証明書と幇助罪の時効について説明したいと思います。潔白証明書戦後ドイツの非ナチ化においてしばしば語られる「潔白証明書(Persilschein)」とは、
過去に目を閉ざす者は、現在にも盲目となるドイツは戦後、戦犯裁判の実施、強制収容所の公開、徹底した戦後教育、慰霊碑や記念館の建設、そしてワイツゼッカー大統領の演説などを通じて、過去と向き合う姿勢を国際社会に示し、しばしば「過去と真正面から向き合った国」とし
朗読者には、読み進めるほどに「なぜそうなるのか」と疑問を抱かせる仕掛けが随所にあります。ハンナの裁判の容疑もその典型で、彼女がアウシュビッツやクラカウの作業所で看守をしていたという重大な経歴は裁判で一切問題にされず、教会の火事で解錠が行われなかったこと、
今回はハンナの裁かれた裁判について考えてゆきたいと思います。裁判では、ハンナがアウシュビッツ収容所やクラカウの作業所で看守をしていたことにも触れられますが、争点の中心はそこではありません。爆撃によって収容者が一時収容されていた教会が火事となり、すべての扉
今回はハンナとミヒャエルの名前から、小説の成り立ちを考えてみたいと思います。まず、ハンナ・シュミッツですが、その姓「シュミッツ(Schmitz)」はドイツ語で鍛冶屋(Schmied / Schmiede)に由来し、よく見られる名前ですが、火と鉄に向き合い、黙々と肉体労働に従事する
今回はちょっと寄り道をし、ミヒャエル・ハネケ監督の映画「白いリボン」をご紹介したいと思います。2009年発表の白黒映画で、第62回カンヌ国際映画祭パルム・ドール、第67回ゴールデングローブ賞外国語映画賞ほか、多数の映画賞を受賞しています。 朗読者の話はまだまだ
ドイツの戦後教育は高度に制度化されています。まず、6歳〜10歳では「歴史教育の前提となる価値・態度」を育てることが中心となります。具体的には、人権・尊厳の大切さ、多様性の理解、民主主義の基礎、身近な生活史、「過去と現在のつながり」を感じる練習などです。ナ
1970年代後半から80年代にかけて、ドイツは記憶文化において段階的な転換を遂げました。「怒りと告発」の時代から、過去を冷静に分析し、歴史学的に理解しようとする「記憶の制度化」 の段階へと移行していったのです。その背景には、1960年代の市民による圧力があ
連合国のA級、一部のB級、C級戦犯裁判が1949年に終わり、それ以上の追及はドイツの国内法で裁くことになりました。しかし、証拠不足もあり、時効が壁となり、残ったB、C級戦犯の追及は進ませんでした。1950年代のドイツは米英にとって共産主義圏の最前線になってお
作者はベルンハルト・シュリンク、小説家だが法学者でもあるといいます。ノルトライン・ヴェストファーレン州の憲法裁判所判事をしていたこともあるから、裁判の実務もしっかりあるんですね。小説は1995年の発表、邦訳は2000年に出ています。ドイツ、アメリカでベス
始まりは、友人がこの本を勧めてくれたからでした。ドイツ映画や文学には強い興味は持っていたけれど、この作品のことは全く知りませんでした。友人はまず映画を、そして小説のことを教えてくれました。最初は映画を観てみようと思ったのですが、英語のハリウッド映画なので