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2025/04/24

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  • 甲申政変処理 漢城条約・天津条約

    甲申政変(1884/12/4)の事後処理の為、日本政府は朝鮮とは「漢城条約」清朝とは「天津条約」を結びます。 漢城条約(1885/1/09調印)こちらの対応はとても早かった感があります。何せお正月を挟んでいるのですもの。事案処理日本全権は鹿鳴館外交でお忙し井上馨外務卿、12月末にに漢城へ着。朝鮮政府担当者も実査の交渉やり取りは不明なものの、翌年1/09に条約署名ですからいち早い決着を付ける事が先決だったやも。漢城条約原文は(データーベース「世界と日本」〈代表:田中明彦〉日本政治・国際関係データーベース 政策研究大学院大学・東京大学東洋文化研究所 漢城条約)にてご確認下さいませ。1 朝鮮…

  • 甲申政変クーデターの事実顛末は?

    清朝軍は光緒帝の命で朝鮮漢城に駐留し続けます。一方、朝鮮政府は済物浦条約の約定に依り、1882年9月に日本へ謝罪使を派遣します。謝罪使は朴泳孝全権大使(1861~1939)、金玉均書記官(1851~94)ら。9/20御召船「明治丸」にて仁川発9/25神戸に着いています。(因みに「明治丸」には琉球王尚泰が那覇から東京へ乗船〈1879〉花房全権も利用〈1882〉)謝罪使一行は12月迄滞在します。特に、金玉均は1879年、1882年2~7月、上記の1882年9~12月、1883~1884年5月と度々来日。彼は「Independence→独立」と翻訳した福澤諭吉を師と仰ぎ、福沢から支援を受けました。。…

  • 壬午軍乱勃発で属邦・自主邦が明文に

    米朝修好通商条約締結2ヶ月後、清朝にとって朝鮮との関係が都合良く・良化する事件が発生します。1882/7/23 朝鮮壬午軍乱の勃発 反乱軍が王宮・日本公使館(1976設置)襲撃 日軍事顧問ら14名殺害される事件 07/29公使館から命からがら逃避した花房公使長崎帰還 即、外務卿井上馨に報告 日本政府は事後処理のため花房を全権に任命 居留民保護目的で軍艦派遣決定 08/03朝鮮派遣軍艦「天城」先遣隊として日本出航? 08/07清朝光緒帝「軍の派兵」命令 08/10清北洋艦隊が朝鮮済物浦に入港 清外交担当仁川着 増派要請後清朝軍漢城に向けて進軍 08/13朝鮮公使花房は日本海陸軍の護衛を仰ぎ全権と…

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