(20)ササン朝ペルシャと東ローマ帝国
祖国から離散したユダヤ人たちは何処に身を寄せたのだろうか。その頃の周辺国はどんな状況だったのだろうか。南側のエジプトはクレオパトラとアントニウスがローマ軍に敗れて以来、ローマ帝国の支配下にあった。しかし首都のアレクサンドリアはユダヤ教とユダヤ文化の中心地であり、その後のキリスト教文化もどこより発達していた。東のシリアやメソポタミア方面はセレウコス朝を倒したパルティア王国が支配していた。遊牧民のパルティアはユーフラテス川を境として、度々攻めてくるローマ軍を退けていた。そのパルティアを224年、アケメネス朝ペルシャの故地イラン高原から起こったササン朝ペルシャが滅ぼし、隆盛を取り戻していた。キリスト教を公認したコンスタンティヌス大帝は帝国を拡大し、黒海に面するビザンティウムに都を移し、自らの名に因んで、コンスタンティ...(20)ササン朝ペルシャと東ローマ帝国
2021/05/25 15:51