*小説『ザ・民間療法』を始めから読むこの前、お寺の住職に馬乗りになって施術しているのを見られて、とんでもないかんちがいをされてしまった。しかし患者に馬乗りになっているのを見てかんちがいするのは、実は人間だけではない。私が施術にうかがうお宅では、ペットを飼
『モナ・リザの左目』(非対称化する人類)の花山水清、初の小説<新連載> 人類史に残る新発見の軌跡とともに世界の民間療法と医療の実像に迫る! 毎回読み切り。3分で読めてクスッと笑えて知識も増える♪
この特異な現象が人体にもたらすインパクトはあまりに大きく、同時代の人間の多くには全容を把握することさえできなかった。そしてこの発見の重要性を訴えるMの発言は、社会からはことごとく排除されていく。ついに彼も老いと呼ばれる年齢を迎え、「このままでは神から託された預言が埋もれてしまう」と焦る。彼が見つけてきたもの、成し遂げたものとは何だったのか。果たしてその真実が正しく評価される日は訪れるのか。
オーロビルには広大な森の中心に、マトリマンディアと呼ばれる巨大な瞑想施設がある。ガスタンクを何倍も大きくしたような球形で、威容を誇る圧倒的な建物だ。
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インド人には菜食主義者、つまりベジタリアンが多いといわれる。確かにインド行きの空路の機内食にも、ベジかノンベジかの選択肢が用意されていた。当然、オーロビルでもゲストハウスで提供される食事は、ベジタリアン食が基本となっていた。
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第7話 インド編「サソリより痛いスコーピオン・アントの猛毒と激痛体験」
私が暮らしていたオーロビルでは、定住者たちはオロビリアンと呼ばれていた。彼らはここで、思いつく限りのさまざまな仕事に従事している。インセンスや藍染製品、アクセサリーを作って売る人、アンティーク家具を扱う人、本格的な宝石商から、ファッション・デザイナーやマッサージ師までいた。
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はるばるカルカッタから3日もかけて、オーロビルにたどりついたものの、私には現地に知り合いがいるわけではない。とりあえずすぐにでも泊まれそうな場所を探す。そこで最初に案内されたのは、フランス人が設計したゲストハウスだった。
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第5話 インド編「インド人と日本人の親切はこんなにちがう!」
インドに到着した私は、しばらく仏跡を散策して過ごしていた。日本から同行したグループが、いよいよサイババの元へ出発する段になって、そこで彼らとは別れた。「あなたにはサイババのところよりも、オーロビルのほうが向いている」
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世には「釣りバカ」と呼ばれる人種がいる。初めて竿を出したあたりで、いきなり大物を釣り上げてしまった人の成れの果てだ。最初に大物が釣れたのは、いわゆるビギナーズ・ラックである。たまたま運が良かっただけなのだ。だが、その感触が忘れられずにのめり込んでいく。私の場合は
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せっかく進学した美術大学で油絵科に籍を置いたものの、いつしか私のなかでは絵を描く情熱は消え失せていた。最低限の課題には取り組んでいたが、あとは可能な限り旅に出た。旅といっても1970年代といえば、ディスカバー・ジャパンの時代である。行き先は
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中学の時点で人体のからくりに触れたとはいえ、その後の私の興味は、絵を描くことに向かっていた。地元の進学校に入学した私は、その興味のまま、何となく美術クラブに入った。特に強い思い入れがあったわけではない。もともと絵を描くのも苦手だった。ところが
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あれは私が川釣りを覚え、黒曜石拾いに熱中していた中学生のころのことだった。学校から帰った私が、いつものように近くの河原に行く準備をしていると、それまで平静だった母が、「うっ」と胸を押さえてうずくまった。
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*小説『ザ・民間療法』を始めから読むこの前、お寺の住職に馬乗りになって施術しているのを見られて、とんでもないかんちがいをされてしまった。しかし患者に馬乗りになっているのを見てかんちがいするのは、実は人間だけではない。私が施術にうかがうお宅では、ペットを飼
*小説『ザ・民間療法』を始めから読む私は出張専門の整体業なので、いろいろな家に出かけていく。家の大きい・小さい、新しい・古いのちがいだけでなく、通される部屋もまちまちではあるが、古い家では圧倒的に仏間に通されることが多い。仏間というのは畳敷きの和室のせい
*小説『ザ・民間療法』を始めから読む先日、近藤くんに連れられて行った勉強会の内容には少しガッカリだった。それでも世の中には、まだまだ私の知らないスゴイ治療家がたくさんいるはずだ。テレビをつければ、ド派手なパフォーマンスを披露するスゴウデの治療家が登場する
*小説『ザ・民間療法』を始めから読む近藤くんに連れられて行った凸凹会で、「の」の字による腎臓病の治療法はマスターした。ここでは毎回ちがう病気をテーマにしているそうだから、腎臓病が「の」の字なら、流れとしては前回が心臓病か肝臓病あたりで、「へ」の字だったの
*小説『ザ・民間療法』を始めから読む近藤くんから電話があった。彼は私が特殊美術をやっていたころからの知り合いで、放送作家のかたわら治療院も経営しているという変わり種である。その彼が突然ぎっくり腰で動けなくなって、同じ治療家である私に助けを求めてきたのだ。
*小説『ザ・民間療法』を始めから読む最近、また腰の痛みがひどくなってきた。だれでも腰痛にはなるものだから、私だって腰が痛いときがあるのは当然だ。腰痛治療が仕事であっても関係ない。しかも今回は痛いのが腰だけじゃない。お尻から足にかけて痛みが広がって、し
*小説『ザ・民間療法』を始めから読むやっぱり健太くんのような重大疾患の人に施術するのは、私にはあまりにも荷が重すぎたのだ。それがわかっていたから無償で施術してきたのだが、これは健太くんだけではなかった。子育て中なのに膠原病になってしまった女性や、友人の
*小説『ザ・民間療法』を始めから読む健太くんの家に通い始めて、半年が過ぎようとしていた。言葉と知能はかなり前進したようだったけれど、歩行機能については全く進歩が見られない。脳性麻痺なのだから、歩けないのは当たり前かもしれない。それでも私の心のどこかには、
*小説『ザ・民間療法』を始めから読む私はいつも自炊している。1年のうち1000食は自炊しているだろう。経済的な理由だから、弁当や惣菜を買って家で食べるようなこともない。ところが出張整体の仕事だと、出先からそのまま次の場所に移動することが多い。するとなかな
*小説『ザ・民間療法』を始めから読む ある日のこと、いつものように健太くんの家に行くと、お母さんがいいづらそうに「実は…」と話を切り出した。隣町に、健太くんと同じ脳性麻痺の子供を抱えるお母さんがいて、健太くんが急にしゃべれるようになったことを、つい話して
*小説『ザ・民間療法』を始めから読む毎週日曜日に、脳性麻痺の健太くんの家に通うことに決めた。健太くんのトレーニングのためである。トレーニングといってもごく軽い動作なので、健太くんは遊びだと思っていることだろう。子供の扱いが苦手なはずの私が、なぜこんなこと
*小説『ザ・民間療法』を始めから読む助産師の酒井さんに連れられて、脳性麻痺の健太くんの家に行った私は、なぜ彼の背骨には、脊髄損傷の人のような緊張が現れていないのか、それを不思議に思った。これは全く予想外だったのである。そもそも脳性麻痺と脊髄損傷による麻痺
*小説『ザ・民間療法』を始めから読む開業して半年も過ぎると、だんだんと整体の仕事にも慣れてきた。もちろんまだまだ知らないことばかりで、毎日が勉強に次ぐ勉強だ。それでも学生のころとちがって勉強が全く苦にならない。知識はすぐ実践に反映されるので、そこに充実感
*小説『ザ・民間療法』を始めから読む最近また釣りを始めた。始めたといっても、月に1回も行けるわけではない。それでもふとした瞬間に、「今度は何を釣ろうか」と考えるだけで楽しい。もともと田舎育ちの私は、子供のころから近くの川で釣りをするのが好きだった。しか
*小説『ザ・民間療法』を始めから読む私にとって仕事の予約の電話は生命線である。できるだけ受け損ねないように、寝るときだっていつも手が届くところに電話を置いている。その日も夜中にグッスリと眠り込んでいるときに、突然、枕元の電話が鳴り響いた。深夜にかかって
*小説『ザ・民間療法』を始めから読む私の親しい友人である寺田さんは、ロック専門の音楽事務所をやっている。彼の紹介のおかげで、ロックミュージシャンたちからの予約も多くなっていた。音楽の好みとしては、私はロックよりも圧倒的に藤圭子のファンである。だが、私は
*小説『ザ・民間療法』を始めから読む私の整体は出張専門なので、いろいろなお宅に出かけていく。一人暮らしの小さなアパートから高級住宅街の豪邸、企業の会議室や高級ホテルにいたるまで、行き先はさまざまだった。友人の近野さんのおかげで(せいで)、私の患者には医
*小説『ザ・民間療法』を始めから読む考えてみると、人から人への「紹介」はおもしろいものだ。以前、タモリのお昼の番組に「ともだちの輪」というコーナーがあった。そこではその日のゲストが次のゲストを指名する。すると思いもよらない人同士のつながりが見られて、番
*小説『ザ・民間療法』を始めから読む整体の仕事を出張専門で開業した私は、紹介のおかげで予約がたくさん入るようになった。これなら仕事としてつづけられそうで、まずは一安心である。ところが整体と銘打っている以上、整体を提供しなくてはならない。これが予想以上につ
*小説『ザ・民間療法』を始めから読む整体の学校を卒業した私は、いよいよプロの整体師として開業することにした。とはいっても、ちゃんと場所を構えて看板を上げるようなゆとりなどない。不動産バブルは崩壊していたが、それでも東京都内の路面店となれば、べらぼうに家賃
オーロビルには広大な森の中心に、マトリマンディアと呼ばれる巨大な瞑想施設がある。ガスタンクを何倍も大きくしたような球形で、威容を誇る圧倒的な建物だ。
インド人には菜食主義者、つまりベジタリアンが多いといわれる。確かにインド行きの空路の機内食にも、ベジかノンベジかの選択肢が用意されていた。当然、オーロビルでもゲストハウスで提供される食事は、ベジタリアン食が基本となっていた。
私が暮らしていたオーロビルでは、定住者たちはオロビリアンと呼ばれていた。彼らはここで、思いつく限りのさまざまな仕事に従事している。インセンスや藍染製品、アクセサリーを作って売る人、アンティーク家具を扱う人、本格的な宝石商から、ファッション・デザイナーやマッサージ師までいた。
はるばるカルカッタから3日もかけて、オーロビルにたどりついたものの、私には現地に知り合いがいるわけではない。とりあえずすぐにでも泊まれそうな場所を探す。そこで最初に案内されたのは、フランス人が設計したゲストハウスだった。
インドに到着した私は、しばらく仏跡を散策して過ごしていた。日本から同行したグループが、いよいよサイババの元へ出発する段になって、そこで彼らとは別れた。「あなたにはサイババのところよりも、オーロビルのほうが向いている」
世には「釣りバカ」と呼ばれる人種がいる。初めて竿を出したあたりで、いきなり大物を釣り上げてしまった人の成れの果てだ。最初に大物が釣れたのは、いわゆるビギナーズ・ラックである。たまたま運が良かっただけなのだ。だが、その感触が忘れられずにのめり込んでいく。私の場合は
せっかく進学した美術大学で油絵科に籍を置いたものの、いつしか私のなかでは絵を描く情熱は消え失せていた。最低限の課題には取り組んでいたが、あとは可能な限り旅に出た。旅といっても1970年代といえば、ディスカバー・ジャパンの時代である。行き先は
中学の時点で人体のからくりに触れたとはいえ、その後の私の興味は、絵を描くことに向かっていた。地元の進学校に入学した私は、その興味のまま、何となく美術クラブに入った。特に強い思い入れがあったわけではない。もともと絵を描くのも苦手だった。ところが
あれは私が川釣りを覚え、黒曜石拾いに熱中していた中学生のころのことだった。学校から帰った私が、いつものように近くの河原に行く準備をしていると、それまで平静だった母が、「うっ」と胸を押さえてうずくまった。
『モナ・リザの左目』非対称化する人類(藤原書店)の著者である花山水清の最新作【小説『ザ・民間療法』】連載開始!