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日々これ好日 https://shirane3193.hatenablog.com/

57歳で早期退職。再就職研修中に脳腫瘍・悪性リンパ腫に罹患。治療終了して自分を取り囲む総てのものの見方が変わっていた。普通の日々の中に喜びがある。スローでストレスのない生活をしていこう、と考えている。そんな日々で思う事を書いています。

杜幸
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2023/03/09

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  • 天空の月

    まもなく中秋の名月だな。しっかり見よう、そんなふうに三日ほど前から思っていた。写真に撮ろうと一眼に300㎜の望遠レンズをつけて準備をしておいた。昨日も一昨日も南西の空に高く丸い月が出ていたが少しだけ欠けていた。明日は期待できるな、と思った。 仕事は夕方から21時までだった。帰宅してシャワーを浴び夕食だった。録画していたテレビを見てニュース番組を流していた。ふと気づいた。あれ、月はどうなったのだろうか。 慌てて一眼レフを抱えてベランダに出た。しかし月明りはなかった。何故だろう、今日に限って曇り空だった。十五夜お月様を見て跳ねる年齢でもないのだった。只の天空の出来事に過ぎないのだった。何故か期待し…

  • 神父様とのお話・エデンの園

    神父様。牧師様。はて違いは何だろう。ドリフターズでいかりや長介が扮していたのはどちらだろう。結婚式を教会であげたなら彼はこう言っただろう。「辞める時も健やかなる時も彼・彼女を愛しますか」と。とても素敵な言葉だと思う。黒い道衣を着て教え示してくださるお方。神父様にせよ牧師様にせよ、自分を含めた多くの日本人にはそんな印象を持っているのではないか。 機会があり、ある神父様とお話しすることが出来た。僕は自らの悩みを話した。信者でもない自分に神父様は真摯に対応してくださった。少しだけ明るい光が射した。あとは世間話になった。 人間とは罪深いのです。と言われた。エデンの園を考えてみてください。神様が作ったそ…

  • 恋文

    「あなたのことが好きなんです。お付き合いしてください」。 文字数はわずか二十五字程度しかない。短くして心を動かすものだった。 恋文とは甘酸っぱい。中学生だった。ある日背の高い女子がやってきて教室の隅で手渡してくれたのが白い封筒だった。「サチコさんからよ」と云うのだった。彼女は使者だった。本能的に胸がときめき僕はそれを握ってトイレの個室へ行った。ドキドキと胸は張り裂けそうだった。 それはサチコさんからの恋文だった。彼女はテニス部の選手なのに色白で小柄。くりくりとよく動く目をしていた。自分には無縁だな、そんな高嶺の花だったので驚いた。 中学生の自分には「付き合う」の具体的な意味がわからなかったのだ…

  • 本籍と戸籍

    他界した父の戸籍を取り寄せる必要があった。生まれてから逝去するまでの全てという事だった。区役所に行けばすぐ済むだろうと思っていた。父の住んでいた区の役所では本籍地は何処かをまず聞かれた。わからないと取れないという。父の本籍地など知るわけがない。すると、住民票を取るようにと言われた。そして、同じ町に本籍があると知った。その番地は父の家だった。 その場で端末で情報を見てくれれば良いのにそうも行かないのは個人情報の保護だろう。手数料を払って住民票を手にした。何のことはない、父も母も本籍地は彼らの家にしていた。そうかな?、と思っていた通りで、手数料は無駄な出資となった。 必要な書類は生まれてから物故す…

  • クリームシチュー

    常に平穏な心を保ちたい。何があっても激さず怒らず、気落ちもしない。喜怒哀楽で喜と楽だけあればどんなに人生は過ごしやすいだろうか。怒は周囲を破壊的に巻き込むし、哀は自分の首を真綿で締める。いずれもネガティブこの上ない感情だ。 どうやら僕は喜怒哀楽が激しい人間のようだ。自分でそう思うのだから傍から見ればもっとそうなのだろう。重なる不幸、見えない将来、何一つ終えられない宿題。思い通りにいかない事、こんなはずではなかったという後悔。総てにやる気を失っている。どれも放り投げてしまえばどれほど気楽だろうと思う。しかし一人で生きているわけではない。怒と哀に包まれている時など周りの人間は不愉快だろう。 (つま…

  • 今夜はお鍋に

    スーパーマーケットに買い物に行く頻度は出来るだけ下げたいと思っている。行くとどうしても目につくものに手を出してしまう。お菓子など最たるものだろう。一回の買い物で数日分の食材を買いたいところだが、あいにくと買ったものをしっかり消費できないことも多い。冷蔵庫の中で寿命を迎えるかわいそうな食材たちを見ると心が痛む。どちらが良いのか、さじ加減が難しい。 加えてこの半年、全ての食材が微妙あるいは大胆に値上げしているのを見るとため息が出る。買い物に行くにもガソリン代がかかる。その値段も又高値を更新するばかりだ。 スーパーの店内で、さて今夜と明日昼夜、何を作るか・・と考えながら歩いていた。野菜は半額シールが…

  • 手抜きも悪くない

    週に一度は楽をしよう。そう決めてからしばらく経つ。楽をする、とはリラックスするという事で、簡単に言うと近場の銭湯に行く事だ。夏場はシャワーばかり。自宅の風呂とて体洗いに1分、湯船に2分。合計3分もかからずに出てくるのだからまったくカラスの行水なのだ。しかし近場の銭湯に行くと15分くらいかけてゆっくりと入浴する。すると体は随分と癒される。銭湯と言っても温泉や炭酸泉もある。 そんな週一度の贅沢をすると、体は伸びきってしまいとても夕食など作る気がしなくなるのだった。あらためてスーパーで食材を買ってレジに並ぶ気もしない。まぁ今日は良いか、と家内と話をしてお弁当屋に行く事も多い。10分も待っていると出来…

  • 腕試し

    すっかり忘れていた頃に郵便受けに封書が届いていた。ああ、そういえば結果発表の時期だったな、と思いだした。前回は何の通知も来なかった。今回は茶色い封筒が来た。なんだろうと封を開けた。 国語は好きだったが作文は苦手だった。夏休みの宿題にはいつも作文があったので後回しにしていた。第二学期始業式が近づくころに慌てて書き出すのだから印象は悪くなるばかりだった。大学受験では数学・物理・化学がさっぱりわからずはやばやと文系私立に的を絞った。興味を持った大学の入試には小論文という科目があった。頭を悩ませた。塾には小論文講座がなかったのだろうか、これは通信教育で勉強を始めた。しかし提出した解答用紙に徹底的に朱筆…

  • 厄除け大師のお守り

    今年は還暦だった。知っていたので新春に厄除けにいったのは栃木の佐野市だった。街のお大師様は関東三大厄除け大師と言われるらしい。ならば隣町の川崎大師でも良かったのだがわざわざ佐野市迄行ったのはサイクリングと佐野ラーメンを目的にしていたからだった。言ってみれば佐野厄除け大師は「ついで」だったかもしれない。 長閑な渡良瀬遊水地を自転車で走り、佐野でラーメンを食べ足利のワイナリーまで走るサイクリングだった。しかしついでにせよ佐野厄除け大師は流石に混んでいた。善男善女が厄無き一年を願い行列を作っていた。さすがにお札は辞めたがそこでお守りを買った。厄除け・身体安全。500円にしては欲張りだった。 鈴のつい…

  • ケーキのような化粧箱

    こんなことで家族四人が顔を合わせるのも皮肉だった。顔を合わせた誰もが目に涙を浮かべていた。気落ちしないようにと娘はケーキの箱を持ってきた。苺のケーキが入っていた。その箱を見て妻は涙ぐんだ。ああ、我が家に来たときもこんな箱だったな、と。そこから四人は多くの思い出話をして、話の節々で笑いそして肩を震わせた。 彼を見つけたのは僕だった。とある店の中でひときわ元気だった。福岡生まれか。こんなところまでトラックで来たのだろか、怖かったろうに。さらに札を見て驚いた。僕と同じ誕生日だった。左右の手のひらをボウルのように広げるとその中に彼はふわりと納まった。とても暖かく命の匂いがした。これからは我が家が安住の…

  • ストローの空袋

    ストローの空袋がある。それを指に絡めたり折ったり丸めたり。一体どんな時だろう。例えば片思いの女性と二人でお茶をしている。彼は眼の前の素敵な女性に好意を伝えたい。しかし彼女はつまらなさそうな顔をしている。何とか場をもたせたい。失望させたくない、そんな時、彼はストローの袋を手に取るだろう。別に彼は指先の細かさをアピールしたいわけではない。アイスコーヒーはとうに空になっている。話の端緒を懸命に探している。出てこない。もどかしさから逃げたいのだ。 先日隣町のレストランで娘夫婦に加え、旦那様のお母様も見えての食事会があった。新幹線で一時間半ほど西の都市に住まわれるお母様とお会いしたのは、娘夫婦の結婚式以…

  • 入力 - 出力 ≦ ゼロ

    子供のころから肥満体だった。結婚後数年間にかけてはさらに膨張した。流石にヤバイ、と甘い清涼飲料やスナックを控えたら少しは減った。しかし概ねBMIは27あたりだった。BMI25が正常体と肥満体のしきいとなる。自分の場合それは体重68.5キロになる。 BMI24あたりまで下がったことがあった。それは2年前のガン治療入院生活だった。治療中も無理ない範囲で理学療法士さんによる体のリハビリは続いた。筋肉が衰えぬよう、理学療法士さんのメニューに加え自分は1階から7階の病室まで毎日階段で登っていた。実際筋力が落ちたという感覚はなかった。しかしBMIがそこまで下がったのはやはり食事なのだろう。 入院生活で食事…

  • 全てを超えるもの

    「旧・東ドイツのエリアはこことは違う」そう言っていたのはドイツで働いていた頃の現地人社員だった。東西ドイツが統一され20年以上も経っていたが実際多くの旧・西ドイツ市民には統一後の税金が旧東ドイツの復興や格差是正に使われたと不満が多かったようだ。会社の人達もそんな話をしていた。 それは別として自分が憧れていた街は何故が東ドイツに多かった。ザクセンの古都・ドレスデン、ライプツィヒ。いずれにも素敵なオーケストラがありバッハゆかりの地だ。ワイマールやアイゼナハなどにも惹かれていた。ドレスデンでは憧れのシュターツカペレ・ドレスデンの演奏会に酔った。ライプツィヒの聖トーマス教会でバッハの墓に触れ、頭の中に…

  • 耳年増

    他人の話を聞く事で知識だけが先行する頭でっかちの人。そんな人を耳年増と呼ぶのだろうと思っていた。しかしそれは勘違いだった。広辞苑はこう書いているいる。「(若い女性が)他人の話を聞く事で、経験はないが充分な知識を得ている事。多く、性的な知識についていう」と。なるほど女性の話で、性的な話題についての使い方らしい。 自分は男性で、話題は性的なものでもない。となると耳年増という単語は自分には当てはまらない。しかし聞くともなく耳に届いてくる話には反応するし記憶に残ってしまう。オヤジの耳年増だ。それは職場での話題だ。 - △〇さんのご家族は誰が面倒を見るかでもめているのよ。長男は妹にやってもらいたい。妹は…

  • 縮んだ海馬

    自分の脳の画像などなかなか見る機会はない。幸か不幸か脳腫瘍になったおかげで摘出前と摘出後から今日まで、病院には自分の脳のCT画像が時系列に保存されている。何時まで経っても取れないふらつき感。疲労は何だろう。神経内科の医師に脳の画像を見てもらった。 「随分と大きな腫瘍があったのですね。取った後は潰瘍のようでしたが今は空洞になっていますね。これだけ取ればふらつきも致し方ないでしょう。」 そんなコメントを頂いた。妻が脳外科医から聞いた話では3x4センチ程度の腫瘍だったという。小ぶりな鶏卵サイズだろう。それがすっぽりと頭の中から消えたのだから正常を維持するのも難しいと納得した。脳を摘出したお陰か自分の…

  • 使わなかった輪行袋

    山歩き会の会合の為に港区高輪のアウトドア店に行った。一階がアウトドアショップで地下に同店が経営するナチュラル・ダイニングカフェがある。一階で山道具などを見て気分を高め階下のダイニングでゆっくりと山の計画を練るのだった。 折角アウトドアの計画に行くのだからそこへの往来も愉しもう、と自分は自転車で行くことにした。横浜からその地までは片道20キロ程度だろう。自転車ならあっという間だった。しかし国道一号線を走るのは出来れば避けたかった。交通量が半端ない。自転車レーンもほとんどなくサイクリストはいつも緊張を強いられる。充分な幅をもって追い越していく車もあればぎりぎり10センチ程度を横を追い越す車もある。…

  • 晩夏

    木漏れ日なのに陽の光に力がなかった。しかしそれでも空が明るいのは何故だろう。ぼんやりと見上げて気がついた。 いくつかの広葉樹の葉が少し色づいているのだった。弱くなった光でも明るく色づいた葉の力を借りて辺りを明るくしているのだった。 もうそんな季節なのか。そういえば西向きに立っている職場に射す夕日も、いつしか午後六時には勢いを落としてしまい藍色の空に溶け込んでいる。夏至を過ぎ冬至にむけ確実に日が進んでいく。仕事の度に書く業務日誌の日付はどんどん重なっていく。当たり前の話だった。 広葉樹の下を歩いていると色々な事が頭に浮かび。そこは地元の県立公園で大きな池と谷があり緑に覆われている。子供たちが小さ…

  • 大きな背中

    信用金庫に行った。街の中にある小さな支店でも駅前に立つ都市銀行や地方銀行とは違い、信用金庫は比較的空いている。いつもはATMだがカウンターまで行ったのは、先日世を去った父親の預金口座を締めるためだった。 受付で応対してくれた女性担当者さんは父の死と施設にいる母のことを聞くと目を丸くした。お二人で揃って良く見えてましたから、とのことだった。地元の為の金融機関とはそういうことだろう。 何処の銀行でもそうだろう。ここもまた、窓口5カ所程度のカウンターが横に並び、その奥に、机椅子がカウンターに平行して数列並んでいるのだった。 カウンターでの処理を奥のテーブルに回し、そこで確認して、又戻す。そんなやり取…

  • 横浜鶴見・点描

    横浜市の一番東に位置する鶴見という土地に住んだ期間は幼稚園から小1まで、そして大学四年から、6年間の海外転勤を除き今日まで。40年を越えていた。街は随分と変わった。ずっとJR線を挟んでの末吉台地と呼ばれる西側の高台に住んでいる。昭和40年代初めの鶴見・末吉台地はまだまだ長閑な丘陵地で、川崎市上空には飛行船が飛んでいた。「日立キドカラー」と書かれていた。東に目をやると海岸の工業地帯から常に黙々と煙が上がっていた。 学生時代の酒屋の配達のアルバイト、リタイヤ後のご老人を載せてのデイサービスのパート運転手。その守備範囲は馴染みの末吉台地だった。概ね鶴見区の末吉台地の道路と地形は頭に染みついているが知…

  • 墨田の川で罪滅ぼし

    ずっと申し訳ないと思うことがあった。それはもう五十年近く心に残っている。贖罪すべきだった。時折それは、自分の行動意欲の邪魔になってきた。 悪戯だった。悪戯と言うよりも集団いじめというべきかもしれない。中学一年生。体に第二次性徴が起きる頃。体育の授業での着替え。誰かが着替え中のクラスメイトのズボンと下着を一気に脱がしてしまい成長の早い証を皆で見て、笑うのだった。その輪の中に僕もいた。笑いにはなにがあったのか。成長への畏怖か。憧れか。抵抗もせずに恥じる姿への畏敬だったのか。 高校生の頃。体操部所属の秀才が居た。大人しい美男子だった。何がきっかけだったのか、自分を含む何人かで、彼を「わざと無視しよう…

  • 主砲の沈黙

    軍艦の大砲が戦争を左右したのは日露戦争までだろうか。太平洋戦争では46センチ主砲を備えた史上最大の戦艦大和も武蔵も、4連主砲塔のプリンス・オブ・ウェールズも、また12本の36センチ砲を載せたアリゾナもその威力を見せずして海の底に沈んだ。大艦巨砲主義はとうに終わった。今の戦いは大砲によらない。ヨーロッパ東部で未だ続いている不幸な戦争も榴弾砲や野砲の打ち合いよりも衛星や情報戦で敵を探りドローンでの地道な攻撃に移行しているようだ。 戦争はあらぬ話だが、しかし打ち上げ花火のように主砲がドカンドカンと打つと気持ち良い。野球の話だ。 野球好きな娘夫婦の誘いもあり家内と四人で横浜スタジアムにでかけた。地元球…

  • スズムシ

    近所のスーパーに出かけた。見たことのある高齢の女性が手押しカートに頼ってゆっくりと歩いていた。隣には彼女の息子さんと思しき男性が付き添っていた。 少し昔の記憶を紐解いて思い出した。僕は彼女を週に数度車に乗せていたのだった。彼女は自分が勤務している施設の高齢者デイサービスの利用者のNさんだった。彼女の家は階段の坂道の途中にあった。迎えに行くと坂の下で介護職の職員が降りて階段を登っていく。しばらくして背中を丸めて階段を介護職員に支えながら下りて来ては車に乗り込むのだった。 自分の仕事は送迎ばかりではなく、空いた時間を用いて利用者さんとレクリエーションすることもあった。学生の頃に覚えた下手くそな麻雀…

  • 満ち潮

    川辺に座り込んでしばらく波を見ていた。護岸工事でセメントの堤防ばかりの都会の川にしては貝殻の堆積した天然の浜があるのも不思議だった。風がある日でもないのに水面に波が立っていた。川は流れるものでゆっくりたゆたうものでもないかもしれない。いやそれは上流や中流の話だろう。ここ、河口付近でのこの波はなぜか上流に向いているのだった。 数日前の楽しかった夕べを思い出していた。六人で卓を囲んでいた。気楽な焼き鳥屋だった。枝豆と焼き鳥が運ばれてきて中生やハイボール、ホッピーなどの空きジョッキや空きコップが新しいものに変わっていくたびに六人の笑い声も大きくなった。傍から見ればただの酔っぱらい集団だっただろう。 …

  • 自分試し 日光・女峰山

    脳腫瘍を摘出し化学治療を終えた時、山は遥かに遠い存在に思えた。 実際体はふらつき頭に痺れは残った。今もそれは概ね変わらない。しかし山やサイクリングといった体を使う趣味への思いは強く少しづつ試してきた。登り残していた山形の朝日連峰など気合のいる山に挑戦して少しづつ自信を取り戻していた。73座目の百名山である朝日岳に立ち、少し自信が出来た。今年の夏は例年よりも更に暑くそのせいか自分の体力も気力もどん底だった。こんなものではないはずだ、自分を試し、まだ出来る、と言いたかった。 長く気になり登り残していたのは日光の女峰山だった。日光の最前線に立つ2480メートルの高峰だった。登れたら自分にとって23座…

  • 火中の栗

    アクション・ムービーを映画館で見よう、そう妻と話していた。何作も続いているスパイものの最新作。テレビで流れる予告編では主人公がバイクにまたがりアクセル全開で尾根道を駆け上がりそのまま岩山の頂上からダイブする、という相変わらず固唾をのむシーンだった。敵を追っているのか、逃走しているのか・・。余り映画を見るほうではないが、これはスリルとスピードが楽しめるので映画館で見るのに相応しい。そういえば前作は有楽町で見たね、と話したのだった。 浜松町は芝大門に美味しい四川料理の店がある。かつて当地に会社の事務所がありいつもそこでランチメニューを食べたり、夜にはビールと紹興酒だった。休日の昼、眠たそうな芝大門…

  • 1600字の壁

    クリアファイルに入れたコピー紙の束が出てきた。入院中に行動療法士さんから与えられた課題用紙。新聞のコラムを毎日書き写してください。横書きコラムは縦書きにして、縦書きコラムは横書きにして書き写すのですよ…。それは脳外科手術をした自分にとって不可欠な、高次脳機能のリハビリだった。 写経の様にコラムを一心不乱に書き写すのが宿題だがやはり内容は熟読する。毎朝6時には起床して点滴棒に頼りながら廊下で理学療法士さんのメニューの体操後、デイルームに行きコラム書き写しだった。そのうち行動療法士さんからの課題に飽き足らなくなった。コラムをその場で英訳して身振り手振りを交えて声高に演説してみよう。そう、ビル・ゲイ…

  • 迷い道

    どこかで道を間違えたのだろうか。会社を早期退職し第2の人生が始まろうとする辺りから自分の周りには予期せぬ出来事が起きてくる。肉親の死、自身の病、そんな風に大切な人も自分も少しづつ世を去りあるいは病になっていく。どこかで足を外し違った道と気づかずに歩き進めてしまい、もう戻れなくなったのだろうか?幸せの青い鳥は手の隙間からどこかへとんでいってしまったのだろうか?これが自分のせいならば神はなんという無慈悲な罰を与えるのだろう。 わからない。全く分からない。ただ、うろたえている。それが最近の自分の日々だった。嫌な気持ちを引き延ばしてみる。薄くなった記憶の生地の隙間からある光景を思い出した。山登りの風景…

  • 日めくりカレンダー

    年齢が50歳だとする。日めくりカレンダーを重ねたなら365を乗ずるので18,250枚になる。高さはいかほどなのだろう。一万円札の厚さは約0.1mmという。仮に日めくりカレンダーと一万円札が同じ厚みとし、それを積み上げていけば50歳とは1,825㎜、つまり182.5センチの高さになるということだろう。60歳になると更に365日増えるのだから3.65センチ増える事になる。すると185センチか。いずれにせよ60歳を迎えるとそんな「紙の塔」はちょっと背の高い男性よりも高くなる。これはなかなかすごい話だな、とつまらない計算をしながら考えた。 そんな事に考えが及んだのは、中学校の同窓会に参加したからだった…

  • 呼び込み

    繁華街で目的の店に行く。するとたいてい寄ってくるのは「呼び込み」氏だった。「店はもうお決まりでしたか?」「今ならハッピーアワーですよ」と。結構わずらわしいのがだ、ビールもハイボールも安くなるハッピーアワーなら悪くない。話を聞いて店に入ることもある。 「オニイサン遊んでいきませんか?」「いい娘、いますよ」。「3500円ポッキリ、氏名料なしよ」…。これらの呼び込みは後ろ髪惹かれつつ黙殺する。それで済むはずがない。一桁違う金額を請求されそうだ。 呼び込み氏も今は余りしつこくやれないらしい。警察による摘発も多いそうだ。「迷惑防止条例」が厳しくなったのだろうか。 自分が勤務する地元の方のための施設でボラ…

  • 目覚めよ 悔い改めよ

    ある旋律が頭の中に鳴り目が覚めた。まだ早朝だった。 その旋律には覚えがあった。しかし題名が分からなかった。今は便利なものでスマホ相手にそのメロディを口ずさめばたちどころに曲名が動画サイトの映像とともに出てくる。ははあなるほど、と思った。もう30年近く前だろうか、同僚が所属していた会社のオーケストラの演奏会を聴きに行く機会があった。その時の演目だったはずだ。また、CDもあったはずだった。 スマホに出てきた映像はヘルベルト・フォン・カラヤンとベルリン・フィルだった。チープなスマホの音でも圧倒された。これだったのか、確かに嫌いではなかったがずっと脳裏に埋まっていた音楽だった。探したがもうCDはなかっ…

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