chevron_left

メインカテゴリーを選択しなおす

cancel
*mamaになりたい看護師えりぃの物語* https://note.com/eriiii1104

結婚7年目💍で不妊治療5年目🏥。 周囲に話すことのできない 治療中の心の葛藤や不安などを書き綴る現在進行形の物語。 いつか この物語が情報交換の場所になり、頑張っているあなたの心の拠り所になってくれることを願いながら🍀

えりぃ
フォロー
住所
未設定
出身
未設定
ブログ村参加

2023/02/25

arrow_drop_down
  • 第58章 はやく名前を呼びたくて

    出産の翌日、 口や鼻から 彼女には太すぎる管を入れられながら、目が見えていたら怖いだろうなぁ というほど沢山の機械に繋がった我が子に対面した。 希望の光に向かって生まれてきてくれた 我が子。 新生児集中治療室(NICU:neonatal intensive care unit)に入院している我が子は 身長30cmの体重496g。 ちいさく生まれたのは我が子が頑張った証。 だから ごめんね は言わないと決めた。 "生まれてきてくれてありがとう” お腹の中で育てられなかった4ヶ月より、我が子が頑張った6ヶ月を誇りに思おう! 我が子を目の前にして そんな風に感じた。 ベビちゃ

  • 第57章 1週間ぶりの安静解除

    妊娠22週と3日で突然の出血。 病院に駆け込み、そのまま入院の絶対安静。 23週と3日で我が子の生命をかけた帝王切開。ちいさな女の子を出産した。 入院から出産までの1週間、食事もトイレもベッドで寝たままの生活をした。 そんな私は、手術翌日から動いて良いと医師からの許可が出た。 看護師に見守られながら、ゆっくりゆっくり身体を起こす。 さすがに1週間の安静は身体に堪えたようだ。 起き上がった瞬間、世界が回った。 しばらく座っているとそれも治まり、ついに立ち上がる時がきた。 身体が鉛のように重く、足には力が入らずに震える。 体力・筋力がしっかり落ちることを実感した。 これに帝王切開の傷の痛

  • 第56章 My little baby

    みなさんは"リトルベビー”という言葉を知っていますか? リトルベビー(=低出生体重児)のことで、 本来の意味は「身体の機能が未熟な状態で生まれた赤ちゃん」です。 以前は早産児(在胎37週未満)あるいは小さく生まれた(出生体重2500g未満)赤ちゃんのことを「未熟児」呼んでいました。 現在は出生体重とmamaのお腹の中にいた期間(在胎期間)によって分類されるようになりました。 生まれたときの体重による分類では、 2500g未満を「低出生体重児」 1500g未満を「極低出生体重児」 1000g未満を「超低出生体重児」 と呼びます。 在胎期間による分類では、
在胎37週未満を「早産児

  • ■ご報告■

    *mamaになりたい看護師えりぃの物語*を 読んでくれているみなさまへ。 いつも応援ありがとうございます!(´▽`) 記事にも書かせて頂きましたが、 この度 "mamaになりたい看護師えりぃ”は "mamaになることが出来ました” 気付かれている方もいるかも知れませんが、このblogは、後追いで記事を書いていました。 本来の我が子の出産予定日は 本日、 2023年4月7日 でした。 私も、我が子を授かった時は 幸せな十月十日のマタニティライフを送り、緊張しながらも迎えた今日 元気なベビちゃんを産む と思っていました。 しかし、我が子を出産したのは 2022年12月12日 で

  • 第55章 生まれてきてくれてありがとう

    長年の不妊治療、やっと授かった我が子。 22週で出血し、救急外来ではいつ産まれても不思議ではないと言われた。 入院し、ベッドに寝たきり生活を1週間。 安静にしているのに出血とお腹の張りを繰り返し、ベビちゃんの生命が危険と言われながら迎えた23週。 死産の可能性が高いと説明されながらも、緊急帝王切開をすれば助かる可能性があると聞き、すぐに帝王切開を決めたのは23週と3日目のこと。 決断後の説明の主な内容。 私の出産は帝王切開。 通常の帝王切開は腰椎麻酔という腰から下のみ麻酔がかかる方法で行われる。 私の場合はベビちゃんにストレスを与えないようにと、母体の私もリラックスする必要があった。

  • 第54章 決断の朝

    私は妊娠22週3日目に大量出血をしてそのまま入院となった。 入院直後と翌日には医師から厳しい話もたくさん聞いた。 私に出来ること、それは絶対安静をしながら1日・1分・1秒でも長く ベビちゃんがお腹の中にいてくれるようにと祈ることしかなかった。 腕には点滴、トイレも尿に関しては管を入れてある。食事は少し背もたれを起こしてもいいと言う先生の許可はあったが おにぎりにしてもらって寝たまま食べた。 安静にしていれば そして、お腹の張りを感じた時に 深呼吸をしていきむことをしなければ、ベビちゃんを1秒でも長くお腹の中で守ることができる。 守り方がわかっていること、自分でも出来る事があること。

  • 第53章 この子を信じて

    私は分娩台の上で、子宮収縮を抑える点滴を始めても定期的にやってくるお腹の張り(陣痛らしい)を深呼吸で逃し、一睡も出来ないまま22週と4日目を迎えた。 朝になると、いろんな科の医師が様子をみに来てくれた。 1日かけてそれぞれの科から説明を受けた。 まずは産婦人科の医師から自分の身体とベビちゃんの状況について。 ベビちゃんは今 頭が下になっているため、子宮口が3cm開いている状態でも出てきていない。これ以上 開いてしまうとお産が始まってしまう。 1日でも長く今の状態を保ちたい。 しかし、羊膜がすでに膣の中にあるため感染徴候があったり胎盤が剥がれたり ベビちゃんにストレスがかかっていると

  • 第52章 絶対安静

    22週と3日目の夜、私は大出血をした。 何とか旦那と病院に向かい、無事に到着。 待合室で診察を待っていると、当直の産婦人科医が直接呼びに来た。 先生との電話の後かなりの出血になり、しかも鮮血(真っ赤な色)であること、お腹の痛みや張りは今のところないことを伝え診察室に向かった。 そのまま診察台に座るために下着をおろす。 "まじかぁ" 下着を見た私は心の中でそう思った。 下着につけていた 多い日夜用 のナプキンをはるかにこえる出血量。 下着まで血に染まっていた。 家を出る前に新しく付け替えてきたから、2時間しか経っていない。 祈るような気持ちで診察台へ。 背もたれが倒れ、足が開く。

  • 第51章 22週の壁

    命を授かるということは奇跡の連続だと思う。 妊娠することも奇跡。 無事に生まれてくることも奇跡。 すくすく育つことも奇跡。 そう感じるのは、出産までにいくつもの壁があるからだ。 胎嚢確認の"妊娠5~6週の壁” 心拍確認の"妊娠6~8週の壁” 心拍確認後の心停止、不妊治療卒業の"妊娠9週の壁” 自然流産の"妊娠12週の壁” 胎盤完成の"妊娠16週の壁” この"いくつもの壁”を乗り越えたベビちゃんを私は誇りに思う。 今後も、壁を乗り越えて 元気なベビちゃんに逢えるんだ と妊娠中の不安よりもこれからの楽しみの方が大きくなっていった。 そんな時、突如 私とベビちゃんの前に立ちはだか

  • 第50章 バースプランを考える

    "安定期に入りましたぁ” って妊娠発表する人 いっぱいいるけど いろいろあった私は、妊娠に安定なんてないと思っている。 "安定期”は医学用語ではない。 妊娠5ヶ月になると胎盤が完成し、流産のリスクが減り 悪阻が軽減し、母子ともに安定した状態になる。一般的に妊娠5ヶ月の妊娠16週からを安定期と呼んでいる。 不安になっているわけではない。 ただ、"安定期だぁ”って両手を広げて喜ぶ感じでもない。 妊婦健診では、妊娠に向けての話が進み始めた。 バースプランを考えることになった。 どんな出産にしたいかを事前に記入し、医者看護師 助産師と話しておくことで希望に近い出産が可能になる。 事前に

  • 第49章 戌の日

    いろいろあったが、妊娠16週を迎えることが出来た。 悪阻もなんとか落ち着いて、これからマタニティライフを楽しむぞ と思い始めた頃、 近くの神社で戌の日*¹の安産祈願のご祈祷を受けた。 当日は、旦那と私の両親も集まった。 世間はコロナ禍。 美味しい食事処には行かず、家で仕出し弁当を食べながら少しお話をして終わった。 みんながお刺身を食べているのを横目に見ながら、お肉の照り焼きを頬張る私。 「あなたお刺身好きなのにかわいそう」なんて言われたけど、安全第一。 食べたいものを我慢したり、飲み物に気を使ったり そんなことが出来るのもベビちゃんがお腹の中にいる間だけ。 幸せな時間だなぁ なんて思う

  • 第48章 にょろにょろ

    妊娠14週の終わり 気持ち悪くて仕方なかった悪阻が少しだけ落ち着いた頃、 "にょろにょろ”なのか"ぽこぽこ”なのか、 なんというか、腸の中のガスが動く感じを体感した。 聞くと、これが胎動らしい。 私の想像した胎動とは全く違い びっくりした。 胎動を感じ始めると、悪阻はどんどん軽くなり、食べたいと思うものも増えてきた。 ただ食べる量は明らかに減り、気が付くと体重はかなり落ちていた。 悪阻が軽くなって嬉しい反面、悪阻でベビちゃんの存在を確認していた私は少し不安になった。 そんな時、お腹に手を当てると "にょろにょろ”としてくれるベビちゃん。 それだけで安心した。 *☼*―――――*☼

  • 第47章 初めての妊婦健診

    不妊外来を卒業してから妊婦健診までの3週間、いろいろな事があった。 特に出血をしてからの1週間は、無事に妊婦健診を迎えられるか不安だった。 それでも私のメンタルを保つ事ができたのは、悪阻があったからだと思う。 今回は悪阻がひどく、体重はどんどん減っていた。 そんなつらい悪阻ですら、嬉しく感じる。 ベビちゃんがお腹にいる証拠だから。 そして迎えた初めての妊婦健診。 出血は止まってくれていた。 あとは自然に吸収されるのを待つことになった。 *☼*―――――*☼*―――――*☼*―――――*☼* ブログランキングに登録しました。 よろしければ ポチっと お願いしますm(_ _)

  • 第46章 突然の出血

    昨日、義両親に妊娠の報告をしたばかりだったのに。 朝、トイレに行くとおりものシートに血液が付いていた。 以前なら 今日は仕事からなぁ 次の休みに受診か とか 明日休み貰うか と 当日の朝に休みの連絡をするなんて考えられなかった。 でも、今の私はなんとしてでも守りたい生命がある。 迷うことなく職場に連絡。 休みを貰った。 そして病院に連絡して、受診した。 診察台に座り、経膣エコーが始まる。 ベビちゃんに何かあったらどうしよう… 心拍が確認できなかったら… 信じてる気持ちなんか、一瞬で崩れてしまう。 エコーを診ている医師の声が聞こえてきた。 "赤ちゃん 大丈夫ですよ” ホ

  • 第45章 妊娠の報告

    母子手帳を貰って初めて迎える日曜日。 私たち夫婦は、旦那の実家に向かった。 義両親は 孫の誕生はまだか といった内容の話は一切しなかった。 そういうプレッシャーを感じたこともない。 体外受精を決めたとき、1度だけ不妊で治療中であることを伝えた事がある。 その時も 私の身体が1番だから無理しないでね と言ってくれた。 その後の治療経過は伝えていない。 追求してこないが、授かったらきっと喜んでくれる。 そんな義両親に、喜びの後の悲しみを与えてはいけない。 そんな気がした。 だから、あの子の事も伝えていない。 報告のタイミングって難しい。 授かったら絶対に元気に産まれてくれる と分か

  • 第44章 念願の母子手帳

    妊婦反応の陽性 胎嚢の確認 心拍の確認ができ、無事に回数にカウント出来る妊娠となった。 妊娠初期は流産のリスクも高いため、母子手帳を貰うタイミングは医師に確認する。 私が母子手帳を貰ってもいいと許可が出たのは妊娠9週目だった。 やっと「妊娠届出書」が貰えた。 検診検査の助成券があるため、初回の妊婦健診には貰ってきて欲しいと。 地域により様々かも知れませんが、うちのところの保健センターは9時~11時しか母子手帳の交付が受けられない。 先輩に書類やを書いたり話を聞いたりと時間もかかると聞いた。 職場に半日の休みを貰い、念願の母子手帳の申請へ。 そしてついに、母子手帳を貰うことができた

  • 第43章 スイカ時々ゼリーたまにトマト

    心拍の確認後は割とすぐに悪阻*¹が始まった。 最初は乗り物酔いの様な 何だかスッキリしない程度だった。 徐々に症状は強くなり、食べられなくなった。 来る日も来る日もスイカやゼリーを食べ、調子がいい日はトマトを食べて過ごす日々。 寝起きは特につらい。 身体を起こすと吐き気に襲われた。 そして 私の場合、食べづわりと吐きづわりのダブルパンチ。 症状での区別がつかないため、食べてみて正解が分かる状態。 食べた結果、吐きづわりだった時はお手上げ。 それでも仕事は休めず、職場のスタッフに助けてもらいながら何とか勤務する。 新しい部署は 本当に私の身体を心配してくれ、申し訳ないほど協力して

  • 第42章 不妊外来の卒業

    心拍の確認が出来たあと 週に1回の受診を2回して、ついに迎えた不妊外来の卒業。 先生から 「次回から妊婦健診になるから、それまでに母子手帳を貰ってきてね」と。 この私が妊婦健診!?母子手帳!?と、すごく嬉しかった。 私の通う病院は、 婦人科外来 不妊外来と産科外来 助産師外来が背中合わせに1つのフロアにある。 不妊治療がうまく行かない日々、でも待合室では妊婦健診に来たお腹の大きい妊婦さんや乳児健診に来た赤ちゃん連れのmamaの姿がどうしても目に入る。 不妊治療を頑張っているこちら側の気持ちを知っている分、次から私 あちら側に座っていいんですか?という喜びと、素直に喜んではいけない

  • 第41章 心拍は確認できるのか

    胎嚢が確認できて10日後に心拍確認のための予約を取った。 "この子は大丈夫”と自信はあっても 根拠はなく、ふとした瞬間に不安になる。 ただ、私の行動はあの子の時とは変わっていた。 あの子の時は ちょっとお腹が痛いかも、ちょっとお腹が張るかも と気になることがある度にネットで調べていた。 すると、流産だのなんだのって悪いwordばかり目に入ってきて… 不安になって余計に症状が強くなる なんて事があった。 今回は それを一切やめ、 お腹を擦りながら "大丈夫だよ、mamaが守るからね” と話し掛けることにした。 看護師として こんなことを言うのはおかしいかもしれませんが、 "病は気

  • 第40章 胎嚢確認を前にして-記念日反応-

    妊娠の陽性判定から10日後に胎嚢確認のための予約を取った。 女性の勘?母親の勘?で "この子なら大丈夫” と感じた受精卵を移植した私は、説明し難い自信を持って 安心して楽しく日々を過ごしていた…はずだった。 しかし、予約日が近づくにつれ 何とも言えない不安に襲われた。 自分なりに理由は分かっている。 たぶん、記念日反応*¹だろう。 胎嚢確認の2日前は、天国のあの子を守れなかった日だから… この子は絶対に守る!! と強く思いながら、記念日反応と向き合う。 私の場合、腹痛やお腹の張りは まったくなく、いきなりの出血で流産してしまった。 トイレで下着をおろす度に、下着を直視できず

  • 39章 妊娠判定は…

    "この子にします!” と自分で決めた受精卵を移植して 本当に不思議なんですが、 "この子は大丈夫”としか思えなかった。 それでも判定日は緊張する。 今回は旦那も休みを取り、一緒に受診した。 (おそらく心配だったのでしょう) 判定は採血でホルモン値をみて行なわれる。 3週5日ではhCG 50、4週0日ではhCG 100 mIU/ml以上でしっかり着床したと判断できる。 妊娠判定のためのホルモン検査の結果は 129。 先生が、検査結果の紙を私たちに見せながら 「おめでとうね」 と言った。 私はホッとした。 そして お腹を擦りながら"ありがと”と伝えた。 でも私たちは知ってい

  • 第38章 この子にします!5回目の胚移植

    2回目の採卵で凍結できた受精卵は2個。 5回目の胚移植に向け 身体(ホルモン)を整え、無事に受精卵が着床しやすい ふわふわベッドの準備ができた。 私が通っている病院では胚移植をすると、この子を移植しましたと言って移植した受精卵の画像付きの紙を貰える。 今までしたことが無かったが、何故か5回目の移植前日はその紙をまとめたファイルをめくりながら、移植を翌日に控え、私は前回までの移植を思い返していた。 受精卵が2個しかないこともあり、もしかしたら、この受精卵を使い果たしてしまったら…漠然と不妊治療の辞めどきを考え始めたのかも知れない。 そして迎えた移植日。 先生が受精卵の画像を2つ並

  • 第37章 受精卵になるまで

    採卵した卵胞は、当日に準備した旦那の精子とシャーレの中で出逢う。 もし精子の動きに異常があったり、受精率が低かったら顕微授精*¹になる。 そして、受精して順調に細胞分裂した段階で凍結保存される。 ということは、4個 採卵 出来ていても、すべてが受精卵になるとは限らない。 前回の採卵では、7個 採卵し4個の受精卵の凍結が出来た。 今回はどうなるのか… 受精の結果は、採卵の翌日に電話で伝えられる。 無事に受精してくれることを祈りながら、一晩を過ごす。 翌日、病院から連絡が入った。 「2個の受精卵が出来ました」と。 すべてが受精卵になるとは限らない。 1個も受精卵にならない可能性

  • ■blogランキング1位■

    *mamaになりたい看護師えりぃの物語*を 読んでくれているみなさまへ。 いつも応援ありがとうございます!(´▽`) タイトルの通り、 にほんブログ村 赤ちゃん待ちブログ村ランキングにて1位になることができました! ランキングに登録して10日しか経っていないので ビックリです。 同時に えりぃの物語 が、えりぃと守ることの出来なかったあの子の物語 が、たくさんの方に読んで貰えている事に嬉しい気持ちでいっぱいです。 みなさまが この物語を読み、何かを心に感じて頂けたなら、きっと天国のあの子も喜びます。 そして、私の頑張るチカラになります。 よろしければ これからも応援よろしくお

  • 第36章 からっぽ

    無事に採卵が終わると30分くらい安静にして、診察室に呼ばれ いくつ採卵出来たか伝えられる。 すると信じ難い言葉が… 「4個 採れました」 ん?えっ? 20回以上も針で刺しませんでしたっけ? なんて思っていたら、 「卵胞が育ってくれてたから、たくさん採りましたが空砲*¹でした。いっぱい痛い思いしたのにごめんねぇ」と。 いや、先生が悪い訳じゃない。 卵巣過剰刺激症候群(OHSS: ovarian hyper stimulation syndrome)*²になってしまう程たくさんの卵胞が育った=今回はたくさん採れるだろうと 私が勝手に思い込んでいたのだが、15回程が無駄な痛みだったと

  • 第35章 2回目の採卵

    今回もやっぱり自分では注射が打てなかった。痛かったという経験がフラッシュバックして手が震える。 ここで 自分で何とかしようと頑張ってしまうと心が疲れてしまうことを知っている私は 旦那に協力して貰った。 私は"多嚢胞性卵巣症候群” 小さな卵胞たちが ここぞとばかりに育ってくれたんでしょう。 前回よりもお腹の張りが酷かった。 次に辛かった症状は 吐き気。 寝起きを含めて身体を横にしている状態から起き上がった後に吐き気がすごかった。 少し食欲がなくなった。 前回と違うことは卵巣過剰刺激症候群(OHSS: ovarian hyper stimulation syndrome)*¹になってし

  • 第34章 やっぱり子供が欲しいんだ!体外受精に向けて

    凍結保存された4個の受精卵をすべて移植した私は、今後の不妊治療の継続をどうしていくか旦那と話し合った。 旦那は「子供は欲しい。けど、注射したり薬を飲んだり辛い思いをするのがえりぃだから えりぃの気持ちを優先する」と。 私は「子供が欲しい。注射は痛いし嫌だけど頑張る。でも、自分で打てないと思うから協力して欲しい」と言った。 話し合った結果、2人でベビちゃんに逢えるように頑張ろうということになった。 "多嚢胞性卵巣症候群” 簡単に説明すると、卵巣の中にある未成熟な卵胞に対して"大きくなぁれ”とホルモンが働き、ある程度の大きさになると 排卵 する。 私の場合、この"大きくなぁれ”

  • 第33章 妊娠判定は…

    判定は採血でホルモン値をみて行なわれる。 3週5日ではhCG 50、4週0日ではhCG 100 mIU/ml以上でしっかり着床したと判断できる。 凍結した最後の受精卵を移植後、妊娠判定のためのホルモン検査の結果は Low 数字を言われるとばかり思っていた私は … なかなか理解が追いつかない。 ぁ、陰性ってことね!と分かった。 逆に清々しい気分。 20だの70だので1週間 不安に過ごし、化学的流産*¹と言われるよりスッキリしていた。 同時に、20だの70だので1週間 不安に過ごせた日々も当たり前じゃないんだなと思った。 胚移植をしたら、妊娠判定が陽性になるのは当たり前

  • 第32章 4回目の胚移植

    私は、7個の採卵に成功し 4個の受精卵を凍結していた。 今までに3回の胚移植をして、まだベビちゃんを授かることができない私は4回目の胚移植のためにホルモンのバランスを整えた。 胚移植に向けて身体の準備は順調で、移植の日も決まった。 そして迎えた移植の日。 毎回のことながら、シャーレに入った受精卵を見た瞬間、気持ちは既にmama。 絶対この子を守るんだと強い気持ちが湧いてくる。 判定は10日後。 ながいながい10日が始まった。 *☼*―――――*☼*―――――*☼*―――――*☼* ブログランキングに登録しました。 よろしければ ポチっと お願いしますm(_ _)m

  • 第31章 妊娠判定は…

    1度 流産を経験すると不安ばかり大きくなる。 トイレに行く度に出血していないか確認する日々。 判定は採血でホルモン値をみて行なわれる。 3週5日ではhCG 50、4週0日ではhCG 100 mIU/ml以上でしっかり着床したと判断できる。 私の結果はhCG 70。 先生には 「まだ分からないから1週間後にもう一度調べましょう」 と言われた。 1回目の20よりは高いけど、2回目の200より低い。 なんだか両手をあげて喜べない。 また長い1週間が始まった。 1週間後の結果はhCG60、化学的流産*¹だった。 *¹化学的流産 化学流産(化学的流産)とは、妊娠検査薬にて妊娠反応

  • 第30章 3回目の胚移植

    私は 3回目の胚移植に向けての治療を開始した。 ジェルタイプのホルモン剤を腕に塗り、採血でホルモン値の確認と超音波検査で卵巣の状態を確認。 移植する胚が潜り込みたくなるようなふわふわベッドが準備できたため、黄体ホルモン剤(内服薬と膣錠)の併用を開始して受精卵を着床しやすくする。 そして、順調にホルモンが整い、3回目の胚移植の日を迎えた。 シャーレに入った受精卵を見た瞬間、気持ちは既にmama。 絶対この子を守るんだと強い気持ちが湧いてくる。 判定は10日後。 ながいながい10日が始まった。 *☼*―――――*☼*―――――*☼*―――――*☼* ブログランキングに登録しま

  • 第29章 私が認めることで

    1回の妊娠にもカウントされない私の子ども。 世の中的には生命じゃないかもしれない私の子ども。 それでも、確かにお腹の中にいた私の子ども。 周りがなんと言おうと、私たち夫婦には子どもがいた。 私がそう思っているんだから、誰にも否定させない。 そうだ! あの子が頑張った5週間なんだ。 堂々と子どもがいたって言えばいい。 将来 もし子どもを授かることができたなら、 あなたにはお兄ちゃんかお姉ちゃんがいたんだよって言えばいい。 大切な人を亡くしたとき 姿かたちは消えてしまっても、存在がなくなることはない。私のおじいちゃんやおばあちゃんもそう。ずっと心の中で生き続けている。 同じように、あ

  • 第28章 どこからが生命なのか

    部署を異動し、スタッフに恵まれた私は不妊治療の継続を前向きに考え始めた。 でも、あと一歩を踏み出せないでいた。 それは、私の弱さから亡くしてしまった子としっかりお別れが出来なかったからだと思う。 出来なかったというか、仕方が分からなかった。 水子供養? 水子とは、流産や人工妊娠中絶により死亡した胎児のこと。 お腹の中の子は、妊娠7週までのことを「胎芽」、妊娠8以降で「胎児」と呼ばれる。 私が守りたい命を守れなかったのは、胎嚢確認の2日前だった。妊娠週数で数えると5週目に入った頃。 という事は、まだ「胎児」ではなく「胎芽」と呼ばれる時期。 私は考えた。 どこからが「生命」な

  • 第27章 180°変わった環境

    看護部長との話の後、すぐに私の異動が決まり紙面で発表された。 病棟のスタッフには「いなくならないで欲しい」「もっと一緒に働きたい」と言ってくれる先輩や後輩もいた。 異動の理由を聞くスタッフもいた。 若干の人間不信に陥っている私は、どこからどんな噂がまわり、嫌な事を言われるか分からなかった。 "不妊治療の成功率をあげたいから夜勤を辞めます”と答えを統一した。 "ここで働きたくないから”と言いたかったのをグッと抑えた。 2週間後、無事に新しい部署へ異動した。 新しい部署は優しく私を迎えいれてくれた。 スタッフの全員が、 「いつでも勤務変わるからね」 「体調つらかったら言ってね」 と言

  • 第26章 環境を変える決断

    私は 守りたい生命を 大切な生命を 自らの行動で、言葉で亡くしてしまった。 人のせいにするわけではないが 原因は職場、先輩にあると思った。 そんな職場に戻るつもりもなく、退職を考えていた。 休みが明けたら退職の意志を伝えよう。 と考えていたところ、休みに入って2日目に看護部長から連絡があった。 師長から報告があったのだろう。 話をするため、看護部長室に行った。 「今回の事は、看護部として配慮が足りなかった」と謝罪があった。 何を言われても、どんな話をしても大切な生命が戻ってくることはない。 退職の意志を伝えた。 看護部長は、まず部署異動という形でどうかと言った。 確かに、今後も

  • 第25章 それでも子供が欲しいんだ

    "流産”してから3日 私は仕事を休んだ。 旦那も職場が配慮してくれて休みになった。 胎嚢が身体の中にある時 つわりにが酷く、食べられるものはスイカかトマト、ゼリーだった。 それが胎嚢が身体の中から亡くなってしまった瞬間に つわりが無くなった。 それでも食事に手がつかなかった。 いや、食べたくなかった。 ご飯を食べて おいしい と感じてしまうのが怖かった。 何でも食べられると分かる事がつらかった。 もう妊娠していない という事実を実感してしまうから。 何も食べようとしない私を心配してか、私の好きな物を食卓に並べる旦那。 説得されてご飯を食べた。 こんな時でもご飯を食べてしまう自分に

  • 第24章 夫婦の絆

    大切な生命を守れなかった日、出血をした瞬間 旦那は夜勤のため家にいた。 トイレから泣きながら出てくる私。 慌てる旦那。 状況を話すと旦那はすぐに職場に連絡してくれた。 理解ある旦那の職場。仕事を休んでいいと言われたそうだ。 2人でいても結果は変わらない。 私は旦那に、大丈夫 仕事に行ってと言ったが 職場の上司から そんな時こそ傍にいてあげるべきだと言われたそう。 それから、本来 胎嚢を確認するはずだった2日後の受診日まで休みをくれた。 2日後 予定通りに病院を受診し、"流産”と診断された。 胎嚢が 私の身体の外にあるのだから分かっていた事。 受診日までの2日間 泣き尽くしたはずなのに

  • 第23章 守れなかった日

    先輩の中には、私が放射線をあびることを承諾するほか選択肢がないようだ。 後輩の前で揉めたくはない。 緊急の患者さんが来た場合、カテ室に行くことにした。 先輩の言葉を消化しきれないまま、その日の夜勤はすすんだ。 結局、緊急の患者さんは来なかった。 朝になっても気持ちがスッキリしなかった。 名前こそ伏せたが、師長に夜勤中のつらかった気持ちを伝えた。 が、業務的な対応だった。 日勤で、仲の良い後輩が来た。 私の顔を見るなり、「どうしたんですか?」と声を掛けてくれた。 私はつらい気持ちを話した。 一緒に働く先輩や後輩が妊娠した時には、 自分が不妊治療中で薬の副作用で気持ち悪い日も、身

  • 第22章 不妊治療で出来た子だから

    私はストレスを感じる事が少ない。 私は愚痴を言うより 聴く事が多い。 私は怒ってるより笑ってる方が好き。 だから自分のキャパを超えてしまったストレスの対処方法が分からなかった。 着床してくれたこの子を守りたい一心で"働き方を変えたい”と師長に伝えたときには、心がボロボロになっていた。 患者さんの前では笑っていられる けど、ナースステーションや休憩室はちゃんと笑っていられたか分からない。 看護部に相談すると言いながら進まない話。 ボロボロになりながらも仕事を続けていた。 循環器内科に働いていた。 救急外来は当直制だが、検査部の看護師は待機制のため、夜間に心筋梗

  • 第21章 心の変化と職場環境

    着床をした後は7日後の胎嚢が確認されるのを待つだけ。 この期間は1日がめちゃくちゃ長く感じた。 着床してくれたのは初めてで、一つ一つの体調の変化が気になり、ネットで調べては一喜一憂してしまう。 とにかく心が落ち着かなかった。 移植をした瞬間から気持ちはmamaだったけど、着床してくれたと分かると一層 気持ちが強くなった。 お腹に愛おしさを感じた。 身体的な変化は、眠気を感じたり、胸の張りを感じたり、だるさを感じた。 仕事以外は ほとんど寝てたかもしれない。 それから、匂いに敏感になった。 これが、仕事をするのに少しだけ大変だった。 配膳車の匂いがダメになり、

  • 第20章 妊娠判定は…

    "知ってる”と"知らない”、"経験したことがある”と"経験したことがない”では心の安定が全然違う。 2回目の胚移植から判定日までは、気持ち的に落ち着いて過ごすことが出来た。 いろいろ考え過ぎなかったのが良かったのか、お腹に違和感を感じることもなく判定日を迎えた。 判定は採血でホルモン値をみて行なわれる。 3週5日ではhCG 50、4週0日ではhCG 100 mIU/ml以上でしっかり着床したと判断できます。 1回目の結果はhCG 20で科学的流産だった。 2回目の結果は、、、hCG 200。 先生に 「おめでとう。平均の倍の数値

  • 第19章 2回目の胚移植

    1回目の胚移植が化学的流産という結果になった私は、落ち込む隙もない速さで2回目の胚移植準備に取りかかった。 1回リセットをしてから(月経が来てから)という病院もあるみたいですが、私が行っている病院は続けて出来るとのこと。 着床率も変わらないと言われ、年齢的にも早くベビちゃんに逢いたい私は、リセットを待たずにホルモン剤での治療を始めた。 身体の負担を感じることはなかった。 心は、、、やっぱり成功しなかった悲しみはある。 けど、今までの治療が長すぎてスムーズに行かないことが多すぎて、感情が麻痺してるのかもしれないと思うほど冷静だった。 順調にホルモンが整い、2回目の胚移植の日を迎えた

  • 第18章 妊娠判定は…

    妊娠判定までの10日間は、ものすごく長く感じた。 家事や日常生活で自然とお腹を守るようになった。 そして、毎日お腹のベビちゃんに話し掛ける。 初めての経験、ちょっとお腹に違和感を感じると不安になる。 ある日、ナプキンがうっすらピンクになった。 急いでネットで調べる。着床出血だの流産だのイロイロな情報に惑わされる。 不安でいっぱいになり、またお腹に違和感を感じる。 そんな日々を過ごしながら迎えた判定日。 判定は採血でホルモン値をみて行なわれる。 3週5日ではhCG 50、4週0日ではhCG 100 mIU/ml以上でしっかり着床したと判断できます。

  • 第17章 初めての胚移植

    薬のおかげでホルモンが整い、着床に必要なふわふわベッドの準備が出来た。 ついに移植日を迎えた。 その日は朝から何だかソワソワしながら病院に行き、処置台に乗った。 膣の中をガシガシ消毒されたあと、シャーレに入った受精卵が画面に映し出された。 その小さな小さな影を見た瞬間、スっと心が落ち着き、その後の処置は気持ち穏やかに受けることが出来た。 移植自体は5分程で終わった。 シャーレの中の受精卵をカテーテル(管)に吸い、その管を膣から子宮内膜まで持っていく。ふかふかベッドに受精卵をそっと置いて処置は終了。 あとは、私のベッドを受精卵が気持ちいいともぐり込んでくれるのを待つのみとなった。

  • 第16章 胚移植に向けて

    私の4つの受精卵は大切に凍結保存された。 ついに、凍結融解胚移植の予定が立った。 胚移植に向けて、身体(ホルモン)を整えていく。 規則的な月経のある女性の場合、 ①月経の約2週間前(28日周期の人なら月経2週間後くらい)に「排卵」が起こります。 ②この前後の時期に行為を行うと、排卵された卵子が精子と出逢い、「受精」、受精卵になります。 ③受精卵は4~6日かけて細胞分裂を繰り返しながら、卵管から子宮に移動します。 ④子宮内に入った受精卵は子宮内膜にもぐり込みます(=着床)。このとき、子宮内膜は受精卵が「着床」できるように、ふわふわのベッドのように厚くなっています。 ⑤受精卵ができてか

  • 第15章 4つの受精卵

    7個の採卵に成功した。 採卵出来る数はそれこそ育った卵胞の数によるため、かなりの個人差がある。 その後、シャーレの上で旦那の精子と出逢い細胞分裂を開始した。 順調に分裂して、凍結出来る受精卵は4個だった。 4個。欲を言えばもっと欲しかった。 でも、結婚して治療を始めようと産婦人科に行ったあの日から 採卵日まで4年が経とうとしていた。 この4年間、飲み薬の副作用である吐き気に悩み、ホルモン剤注射の痛みに泣き、毎回の診察台で卵胞が育たない事に落胆し続けた日々を考えたら"4つもありがとう”の気持ちでいっぱいだった。 不妊の原因っていろいろある。 "受精しなくてさ” "着床しなか

  • 第14章 初めての採卵

    体外受精に向けてゴナドトロピン(hMG-hCG)の注射量(単位)は一気に増えた。 薬剤注入時の痛みも強くなったけど 泣。 でも、さすが倍量! びくともしなかった私の卵胞がドンドン育ち始めた。 私は"多嚢胞性卵巣症候群” 小さな卵胞たちが ここぞとばかりに育ってくれたんでしょう 笑。 卵巣過剰刺激症候群(OHSS: ovarian hyper stimulation syndrome)*¹にならなくて良かった。 卵胞が育ってきた段階での身体の変化で私が1番辛かったのは お腹の張り。 今までに感じた事のない

  • 第13章 体外受精に向けて

    "多嚢胞性卵巣症候群”で卵胞が大きくならず、排卵しない私の身体はホルモン剤も効きにくく治療が難渋。 腹腔鏡手術で卵巣に複数の小さな穴を開ける手術(腹腔鏡下卵巣多孔術:LOD)を受け、ホルモン剤が効きやすくなる事に期待したけど 効果が出ないまま半年が過ぎた。 私は"体外受精”を希望した。 体外受精に向けてゴナドトロピン(hMG-hCG)の注射量(単位)は一気に増えた。 25単位くらいずつ調整*¹していたものが一気に倍量*²。 200単位を超えると薬剤注入時の痛みが強くなった。300単位を超えると、私は痛みが苦痛になり、150単位を2回打つ方が苦痛が少なかった。(針の数が足

  • 第12章 入院、そして手術

    "多嚢胞性卵巣症候群” 簡単に説明すると、卵巣の中にある未成熟な卵胞に対して"大きくなぁれ”とホルモンが働き、ある程度の大きさになると 排卵 する。 私の場合、この"大きくなぁれ”のホルモンがうまく伝わらず排卵しないため、排卵誘発剤の内服、ゴナドトロピン(hMG-hCG)療法という注射療法で排卵を促していた。 しかし、私の身体はホルモン剤が効きにくく治療が難渋。ある手術を提案された。 腹腔鏡手術で卵巣に複数の小さな穴を開ける手術(腹腔鏡下卵巣多孔術:LOD) 簡単に説明すると、 ホルモンを補充しても卵巣の中に未成熟な卵胞がギュウギュウに詰まっていると大きく

  • 第11章 不妊治療の再開

    甲状腺に腫瘍が見つかってからは、 甲状腺機能が亢進しているため 治療の結果が良い方向にいかないリスクが高いと、不妊治療のドクターストップがかかっていた。 甲状腺の腫瘍は原因不明の炎症を起こし、ホルモンをこれでもかくらい放出している。 顔つきは良性。しかし、良性だと手術適応にならない。だから、内服で炎症とホルモンの分泌を抑えなければいけなかった。 私は、子供が欲しいのに不妊治療ができず もどかしい日々を送っていた。 "なんかもう、どうでもいいや”と諦めかけたある日、甲状腺の機能が落ち着いたから不妊治療を再開しても良いと言って貰えた。 この時 不妊治療を

  • 第10章 不妊治療の中断

    ある日(コロナが流行るずっと前の話) 40℃近い熱とともに背中に激痛が走って夜間救急病院に受診した。 痛い場所から予測すると腎臓らしい。 翌日、腎臓内科の開業医に受診。水腎症になっていて、脱水予防の点滴と抗生剤の点滴の応急処置をしてもらった。 で、総合病院に紹介状を書いてもらい受診。疑わしきは結石。腎臓の出口とか尿管に結石があり、通り道を塞いでしまったために腎臓が腫れてしまったのかもと。エコーで結石が見つからず精密検査のため造影CTを撮った。 すると"腎臓より気になるところがある”と。 甲状腺に腫瘍が見つかった。 この頃 疲労感、息切れ、真夏のように汗が出

  • 第9章 不妊症の検査

    ここまで経時的に治療の流れを書いてきました。 そうそう、いろんな検査をしてきたのに紹介できてないなぁって。 今日は治療と並行して受けて来た検査について語らせてくださいね(^^) ①基礎体温 基礎体温表だけを見て排卵日を正確に知ることは難しいですが、排卵の有無や黄体機能を把握するのに役立ちます。
習慣化するまでは毎日続けるのが大変だと思いますが、朝 目覚めたら起き上がる前にベッドの中で婦人体温計を舌の下にはさみ、体温を測るだけなので、まだ基礎体温表をつけていない方はつけ始めましょう。 はじめての受診で基礎体温表を持っていくと、治療がスムーズに決まるかも知れません。 ②血液

  • 第8章 排卵のチャンス、タイミング法にこだわる夫

    どれくらいだろう。 無感情で注射を打たれた月日。 (私が頼んで打ってもらってるのだけど…) 1年くらいかな? いつものように期待もせず、診察台に乗り エコーで確認してもらった。 いつもは"うーん…”とため息混じりに声を出す先生が、 "ちょっと育ってるよ!”と言ったのだ。 2日後にもう一度受診することになった。 "頑張って育てた卵なんだし、次にいつ育つか分かんないから人工授精*¹とか体外受精*²がしたい” と言う私に対し "1回はタイミング法*³をしたい” と言う旦那。 食い違う意見。 しばらく続く沈黙… 1つ言っておく! ウチはレスだ。普段は求めて来ないくせに何が

  • 第7章 注射が怖くなった日

    "多嚢胞性卵巣症候群” 簡単に説明すると、卵巣の中にある未成熟な卵胞に対して"大きくなぁれ”とホルモンが働き、ある程度の大きさになると 排卵 する。 私の場合、この"大きくなぁれ”のホルモンがうまく伝わらず排卵しないため、排卵誘発剤を内服した。 びくとも反応しない私の卵胞。 ゴナドトロピン(hMG-hCG)療法という注射療法に変更し、自己注射をしていた。 インスリン注射みたいなペン型タイプでお腹(もも、二の腕でも可)に注射する。 しばらくは"こんなものか!ビビって損したな”くらいの感じで苦痛なく注射していた。 ある日、めちゃくちゃ痛い所に当たった。たまた

  • 第6章 夫婦のこと

    "多嚢胞性卵巣症候群” 私の不妊の原因。 私の身体は自力では排卵しない。 妊活解禁と共に明らかになった事実。 それでも、解禁になったのだから致しても問題はない。 それならばと、私から何とかそんな雰囲気に持っていく。 それに気付いた旦那が思いがけない言葉を口にした。 "でもさ、しても子供できないから意味ないじゃん” そう、私の身体は自力では排卵しない。 私の中では 致すこと=妊娠するための行為 ではなく 愛情表現の1つであり、その結果 授かれたらいいなぁ の行為だと思っていた。 だから 私は愛情を表現したい程の女性ではない 

  • 第5章 初めての不妊治療

    "多嚢胞性卵巣症候群” これが私の不妊の原因らしい。 簡単に説明すると、卵巣の中にある未成熟な卵胞に対して"大きくなぁれ”とホルモンが働き、ある程度の大きさになると 排卵 する。 私の場合、この"大きくなぁれ”のホルモンがうまく伝わらず、卵胞は未成熟のまま排卵もせずに大量に卵巣にあるらしい。 治療としては、 ①ピルで月経を促し ②月経5日目くらいから排卵誘発剤(クロミフェン)を内服 ③排卵日付近に受診し、排卵を確認する みんなが自分の身体で普通に出来ている事を全て薬に頼るなんて… 多嚢胞性卵巣症候群のうち だいたい50%くらいの人は排卵誘発剤の

  • 第4章 初めての診察台

    産婦人科の内診室にある1台の診察台。 背もたれが倒れると足が開くヤツ。 これに乗るのに抵抗があって病院から遠ざかっていた。 でも、結婚して子供が欲しいと考えた時 いつまでも逃げてはいられないと意を決して受診をすることにした。 不妊治療で有名な地元のクリニック。 問診票を書き、診察室に呼ばれ 月経不順を治して子供が欲しい事を伝えた。 医師は"不妊症と決まったわけではないが月経が不順な原因を検査をしてみましょう”と言った。 続けて、隣の部屋に案内された。 ついに ヤツに乗る時がきた。 下着を外し いざ戦場へ。 うん、思った程 恥ずかし

  • 第3章 不順だった月経

    確か初潮は12歳。 この頃は月に1回 月経*¹があったはず。 あれ?中学、高校と水泳の授業を休んだ記憶がない… ということは 既に月経不順だったのか。 私はこのくらい月経に無頓着だった。 当時の私は、月経なんて無ければなくて楽だし みんなが辛いと言っている腹痛も腰痛もないなんてラッキーとさえ思っていた。 20歳の時、市から子宮がん検診を受けてという券が来た。それでも産婦人科の診察台に抵抗があった私は 検診の予約を取れずにいた。 母親に、月経不順もあるからこれを機に治したら?と半強制的に受診させられた。 がん検診に続いて月経不順の治療が始まっ

arrow_drop_down

ブログリーダー」を活用して、えりぃさんをフォローしませんか?

ハンドル名
えりぃさん
ブログタイトル
*mamaになりたい看護師えりぃの物語*
フォロー
*mamaになりたい看護師えりぃの物語*

にほんブログ村 カテゴリー一覧

商用