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2022/12/12

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  • 日光道中粕壁宿・めがね橋(其のニ)

     公開日:2019/04/10・更新日:2023/07/24◆レンガの積み方アーチは、レンガ縦小口の三重巻き立てで、面壁や袖壁は、レンガの小口の段と長手の段を交互に積む「イギリス積み」と言われる積み方です。なお、レンガの積み方には、この他「フランス積み」というのがあるそうです。ちなみに、「イギリス積み」とは、レンガの小口(こぐち)を見せる小口(こぐち)積みと長手(ながて)の側を見せる長手積みを各段交互に積む方法。つまり、一段目はレンガを「横」(ながて)に長く並べ、その上の二段目はレンガを「縦」(こぐち)に積み、次の三段目は再び「横」に積む、以後これを繰り返す。つまり一段おきにレンガの向きが異なる積み方。一方、「フランス積み」とは、同じ段に小口と長手を交互に積む方法。同じ段で「縦→横→縦→横」と繰り返して積...日光道中粕壁宿・めがね橋(其のニ)

  • 日光道中粕壁宿・倉松落大口逆除「めがね橋」(其の一)

    公開日:2019/04/10•更新日:2023/07/24◆埼玉県指定文化財『めがね橋』市内・八丁目地内に市内15軒目の埼玉県指定文化財(有形文化財『建築物』)の通称「めがね橋(旧倉松落大口逆除(きゅうくらまつおとしおおくちさかよけ))と付(つけたり)倉松落大口逆除之碑(くらまつおとしおおくちさかよけのひ)」があります。「めがね橋」と言えば、長崎県長崎市の中島川に架かる国の重要文化財「眼鏡橋」が有名ですが、東武鉄道スカイツリーライン春日部駅東口から北東に歩いて1kmほどの住宅地にも「めがね橋」と呼ばれる「橋」があります。しかし、この橋、もともとは「橋」ではなく、洪水が水路に逆流するのを防ぐための樋門でした。正式名称は、前述の通り、倉松落大口逆除(くらまつおとしおおくちさかよけ)。この樋門は埼玉県を流...日光道中粕壁宿・倉松落大口逆除「めがね橋」(其の一)

  • 日光道中粕壁宿・夏祭り

    毎年の7月中旬に粕壁宿で盛大に夏祭りが行われています。今年、令和5年(2023)は7月15日(土)、16日(日)の2日間、春日部駅東口のかすかべ大通り(旧日光道中)で行われました。ポスター(16日)この3年、長引くコロナ禍で、中止を余儀なくさらていましたが、今年は4年ぶりの開催です。コロナ禍で皆さん暗い気持ちで過ごしてきたので、今年は大いに盛り上がりました。子ども神輿大勢の人、人、人和太鼓共演今年は来年になく気温が高く、加えて人の熱気で息苦しさを感じたので、御神輿パレードを見ることなく焼き鳥を買って早々に引き上げました。夏祭りが終わると本格的に夏になります。それにしてもこの暑さ、ちょっとバテ気味になりました。日光道中粕壁宿・夏祭り

  • 日光道中粕壁宿・命と財産を守る水塚(其の一)

    公開日:2019/11/06•更新日:2023/07/10◆8年前8年前の平成27年(2015)9月に、台風17・18号の影響で「平成27年9月関東・東北豪雨」と言われる豪雨災害が発生しました。特に茨城県常総市付近では鬼怒川の堤防が決壊し、常総市役所の本庁舎まで水に浸かるなど多くの家屋が全半壊する甚大な災害でした。車で近くを通る時に、いつも思い出しています。◆今年(令和5年)もそして、今年隣接する越谷市で予想を超えた大雨による浸水被害が発生しました。今日も早朝から九州地方に線状降水帯が停滞し、河川の氾濫の様子がテレビの画面越しに伝わってきます。毎年、9月、10時の台風シーズンには、さらに広範囲で被害が出て、大切な命や財産が失われてていきます。自然の猛威の前には人間はなす術もありません。ところで、「水...日光道中粕壁宿・命と財産を守る水塚(其の一)

  • 日光道中粕壁宿・樋堀大師堂(其の三)

    公開日:2019/06/1•更新日:2023/06/26◆客坊・宿坊?2019/5月31日、たまたま居合わせた墓石工事の方にお話を伺ったところ、「昔の正福寺は寺というよりもむしろ『坊』のような所だったと聞いている。また、大師堂の隣の墓地は共同墓地となっており、それぞれ檀家の寺院を持っている。キリスト教の墓石もある」とのことでした(実際がありました)。また、「この地域(樋堀)には、古くは源平合戦で敗れた平家、武田家などの落ち武者?が土着して農家になった家もあると聞いている」とも仰っていました。真偽のほどはわかりません。※坊とは、僧侶の住まいのこと。客坊、宿坊など。ということは、昔の正福寺は住職のいない最勝院の末寺、というよりもむしろ客坊・宿坊のような所だったのかも知れません。そのため、数日間も宿泊・逗留でき...日光道中粕壁宿・樋堀大師堂(其の三)

  • 日光道中粕壁宿・樋堀大師堂(其のニ)

    公開日:2019/06/01•更新日2023/06/20◆樋堀大師春日部市立東中学校の西方、県道宝珠花線から少し左に入ったところに大師堂が建っています。厄除樋堀大師堂これが目印少し入るとさらに進むと大きな案内板が見えます。厄除樋堀大師この場所には、その昔、新義真言宗最勝院の末寺で「白雲山正福寺」と云う寺院がありました。また、以前記事にした白山神社もかつてはこの境内にあったとされています。現在は、樋堀地区集会所と当時からの墓地、そして大師堂が残っています。厄除樋堀大師由来昔この地に新義真*ママ宗最勝院の末寺で白雲山正福寺という寺があった。この正福寺に文政の頃(一八一八年)一人の旅僧が弘法大師とほか二幅の画像を描いた掛軸を背負って来訪し数日宿泊したという。 旅僧が寺を去ろうとすると、急に足腰が痛み出発できなく...日光道中粕壁宿・樋堀大師堂(其のニ)

  • 日光道中粕壁宿・樋堀大師(其の一)

    公開日:2019/06/1•更新日:2023/06/12引き続き樋堀のことをご紹介します。樋堀地区は東武スカイツリーライン春日部駅の北東の地区です。そこには、知る人ぞ知る、お大師さんがあります。今回は、前振りとして少々豆知識を。◆関東三大師と関東の三大師通常、大師とは弘法大師のことを指し、関東三大師とは弘法大師を祀る関東厄除け三大師を指すが、関東の三大師という場合は、弘法大師ではなく厄除け大師とも呼ばれる元三大師を祀る寺院を指す場合も多い。(wikipedia)◆関東厄除け三大師関東厄除け三大師とは、一般的に真言宗の宗祖弘法大師(空海)を祀る寺院(真言宗)のうち、次の三寺院を指すと言われています。川崎大師(かわさきだいし)・神奈川県川崎市・金剛山金乗院平間寺(こんごうさん・きんじよういん・へいけんじ)西新...日光道中粕壁宿・樋堀大師(其の一)

  • 日光道中粕壁宿•樋堀の鎮守「白山神社」

    公開日:2019/05/28•更新日:2023/06/05…前編からの続き◆本殿は担がれて当社の創建は詳らかではありませんが、口碑によれば、もとは「正福寺」の境内に鎮座していました。そして、明治期の神仏分離令により、氏子一同で本殿を担いで、現在の地に運んで来たと言われています。その「本殿」は九〇㌢四方の神輿形のものであったそうです。社殿 もちろん担がれてきたものではありません。中に担がれてきた「本殿」があるのでしょうか。当社の南東200㍍ほどの所にある「正福寺」は、山号が白雲山という、粕壁宿の真言宗智山派最勝院の末寺でしたが、無住でもあり、神仏分離令により廃寺を余儀なくされました。その後、地元樋堀村の住民が「大師堂」と改めて再建し、今も崇めて護り続けています。また、近くにある牛島の藤で有名な「藤花園」も、...日光道中粕壁宿•樋堀の鎮守「白山神社」

  • 日光道中粕壁宿•樋堀の鎮守「白山神社」

    公開日:2019/05/28•更新日:2023/05/29久しぶりの更新です。今後は週一回程度の頻度で更新していく予定です。東武スカイツリーライン春日部駅東口から北東に1.2km程のところに「樋堀」(ひぼり)という地区があります。この樋堀地区は大落古利根川沿いの沖積地に位置し、直ぐ側には旧倉松落が流れていています。◆樋堀という地名「樋」とは用水の樋(とい)、堀とは用水路のことで、用水路の樋の意(『埼玉県地名誌』)。また、古くは、慶安2~3年(1649~50)の『田園簿』に、既にその名があり、村高は五一石余で全て畑であったことが記されています。『新編武蔵風土記稿』(巻之三十四・葛飾郡之十五・松伏領)には、◎樋堀村❲附持添新田❳樋堀村は江戸より行程九里余民家十六東西七町余南北二町余東は牛島村北は樋篭村南は古利...日光道中粕壁宿•樋堀の鎮守「白山神社」

  • 日光道中粕壁宿・八丁目という地名

    公開日:2021/01/24・更新日:2023/03/06◆珍しい地名かすかべにも、珍しい地名があります。それは「八丁目」という地名です。住所の表記は春日部市粕壁一丁目のように春日部市〇〇の後に〇丁目〇〇番〇〇と表記されるのが普通だと思っていましたが、この地域は春日部市ときて、いきなり八丁目〇〇番地。つまり八丁目が字なのです。信号にもその地名の由来については、その昔、この地域が川(多分大落古利根川)の氾濫で不作が続き、農民が困窮したため、願い出て、八丁(町)の年貢を免じられたことから「八丁免」転じて「八丁目」となったと言われています。これはあくまでも私見ですが、南北朝時代、春日部重行公が下河辺荘春日部郷の荘園の地頭職だった頃、この地域は、税負担を軽くする租税免除の地として認められた「免田寄人型荘園」だった...日光道中粕壁宿・八丁目という地名

  • 日光道中粕壁宿•白い猫発見!!

    先日、散歩がてら古利根川沿いを歩いていたら、何やら白いものがいるのを見かけました。何だろうと少し近づいてみると白い猫でした。全身真っ白、結構太っていて堂々と歩いていました。以前、粕壁神明社に白い猫が2頭いましたが、それとは少し違うようです。第一神明社の猫は保護団体に保護されたはずでいるわけありません、悠々と振り向きもせず、行ってしまいました。ノラちゃんなのか、飼い猫かわかりません。逃げ足が早いのであっというまでした。何処に行ってたのかなぁ、少し気になります。再び会えると嬉しいのですが。日光道中粕壁宿•白い猫発見!!

  • 火防せの神を祀る秋葉神社

    公開日:2019/04/26•更新日:2023/02/22前回からの続き…◆小さな秋葉神社春日部駅西口の南側300メートル程の地下道入り口のすぐ前にある神社が「秋葉神社」(秋葉社)です。地下道の前に秋葉神社の正面小さな神社です。説明板秋葉社の由緒 この神社は、秋葉社(あきばさま)と申し、火の神さま(かぐつちのかみ)と、水の神さま(みつはのめのかみ)の二神(ふたはしら)をお祀りしてあります。火の神さまは、わたくしたちに、火をわけてくださるために、いつもこれを護っていらせられますが、この神恩(おかげ)を忘れて、大切に取扱わないときは、神さまの御心(みこころ)にそむきますから、消えたり、または、禍(わざわい)と変わって火事をまねきます。不要(いらない)は(※ママ)火は、神さまへお返しするという心がけをもてば災難...火防せの神を祀る秋葉神社

  • 日光道中粕壁宿・秋葉神社跡の夫婦松

    公開日:2019/04/24・2023/02/18◆秋葉神社の夫婦松春日部駅西口にも歴史を感じられる場所があります。現在の「秋葉神社」は、春日部駅西口の南の地下道脇に鎮座していますが、もともとは春日部駅西口のすぐ近くにありました。そして、その「秋葉神社」があった跡地には、ご神木のイチョウの木が残っています。そのイチョウと松の木は、「秋葉神社の夫婦松」として市民にも親しまれています。右は松の木、左はイチョウの木 左側は松の根元右側はイチヨウの根元左側はイチョウの根元右側は松の根元上の方は別々の木石碑秋葉神社の夫婦松 天然記念物昭和63年7月25日市指定 秋葉信仰は、江戸時代の中頃、三河(現在の愛知県)の三尺坊という修験者が呪術により火災の厄を払ったことに始まり、その後、全国的な流行となったものといわれ、秋...日光道中粕壁宿・秋葉神社跡の夫婦松

  • かすかべのあま〜い生活・・・

    今月2月4日、民放地上波テレビ東京で放送された『出没!アド街ック天国」でスイーツ王国として埼玉県が紹介されました。↓↓スイーツ王国埼玉のあま〜いBEST10|2023年2月4日|出没!アド街ック天国:テレビ東京テレビ東京「出没!アド街ック天国|の公式サイト。2023年2月4日放送「スイーツ王国埼玉のあま〜いBEST10」の一覧です。スイーツ王国埼玉のあま〜いBEST10|2023年2月4日|出没!アド街ック天国:テレビ東京この番組、昔、キンキンこと愛川欽也さんがMCの頃は良く視ましたが、お亡くなりになってからはこの番組を視尊人はありません。イノッチこと井ノ原快彦さんごめんなさい。でも今回はかすかべのお店が数店、紹介されるとのことで、録画までして視ました。特に、カリスマパティシエのいるお店は↓↓カリスマパテ...かすかべのあま〜い生活・・・

  • 日光道中粕壁宿・幻の「梅田牛蒡」

    公開日:2019/09/16・公開日:2023/02/10女體神社の鳥居の脇にある門柱(社号標)の側に細い石碑が建っています。◆大正天皇即位に伴う大嘗祭御用達記念石碑左端にひっそりと建っています大嘗祭御用梅田牛蒡御買上記念大正四年十一月十四日この石碑は、大正天皇の即位に伴う大嘗祭に、当地で採れた牛蒡(ごぼう)がお買上になった「記念碑」です。えっ!なんで“ごぼう”なの?と思いますよね。実は、神社入口の説明板にもあるように、江戸時代から当地梅田は“ごぼう”の産地でした。江戸時代の料理本にも「梅田ごぼう」の名が載っていたそうです。◆梅田ごぼう『春日部市史』によると〜略〜『武蔵国郡村史』梅田村の項には、物産として米・大麦・大豆と並んで「牛房千五百本、牛房は、岩槻町に販く、多分の産出なしと雖も其名近郷に著し」と、ご...日光道中粕壁宿・幻の「梅田牛蒡」

  • 日光道中粕壁宿・梅田の「女體神社」境内

    公開日:2019/09/08・更新日:2023/02/06◆境内女體神社の境内は、あくまでも村の鎮守なので、あまり広くはありません。社殿の隣には、朱い鳥居と小さな富士塚が、そして様々な神さまが祀られています。富士塚富士塚の全景高さは1.8メートル富士講江戸時代に富士山(3,776メートル)を霊峰と仰ぐ信仰が広まった。これが「富士講」といわれる「代参講」である。「富士講」は戦国時代の行者、長谷川角行(はせがわ・かくぎょう)を伝説上の開祖として、富士山の麓、富士吉田市の浅間神社を本社としている「講」。江戸時代に流行し、中期以降は、食行身禄(じきぎょう・みろく)・小谷三志(こだに・さんし)らの優れた行者が江戸を中心に広めたため、埼玉・千葉などの関東周辺に広まった。代参の人たちは、先達と称される人に率いられ白装束...日光道中粕壁宿・梅田の「女體神社」境内

  • 日光道中粕壁宿・梅田の村社「女體神社」(後編)

     公開日:2019/09/04・2023/02/02…前編からの続き◆御祭神・産土神創造神で万物を生み出す女神、伊邪那美尊を産土神として祀ったことは、社名からもよくわかります。女體神社はそんな村の鎮守なのです。なお、産土神(うぶすなかみ、うぶすながみ、うぶしなのかみ、うぶのかみ)とは、日本の神の区分のひとつ。単に産土ともいう。産土神は、神道において、その者が生まれた土地の守護神を指す。その者を生まれる前から死んだ後まで守護する神とされており、他所に移住しても一生を通じ守護してくれると信じられている。(Wikipedia)織部という人は梅田地区に住んでいたようですが、単に「織部」という人なのか、「◯◯織部」なのか、「織部◯◯」なのか、口碑なのでもちろんわかりません。もしかしたら、織部司(おリベのつかさ)とい...日光道中粕壁宿・梅田の村社「女體神社」(後編)

  • 日光道中粕壁宿・梅田の村社「女體神社」(前編)

    公開日:2019/09/04・2023/01/28かすかべには、牛島地区と梅田地区の2ヶ所に女體神社があります。今回は、そのうちの一社、梅田の女體神社のことを…2023年正月古隅田川に架かる十文橋を渡った地域は、かつて「内牧村梅田」と呼ばれていたところです。十文橋から見た古隅田川明治22年(1889)4月1日、内牧村と梅田村のニヵ村が合併し、「南埼玉郡内牧村」となり、さらに昭和19年4月1日に粕壁町と内牧村が合併、「粕壁町」となりました。まずは地名のことから、◆梅田という地名この梅田という土地は、日光街道粕壁宿の北に位置し、周囲を大落古利根川と古隅田川に囲まれた低湿地であり、村の開発に当っては低湿地を埋め立て、耕作地にしていったといわれています(説明板にも)。◆「埋めた田」から「埋田」そして「梅田」に地名...日光道中粕壁宿・梅田の村社「女體神社」(前編)

  • 日光道中粕壁宿・渡るには渡銭が必要だった「十文橋」(後編)

    公開日:2019/03/18・更新日:2023/01/24◆梅田の地名十文橋を渡った地域は「内牧村梅田」と呼ばれるところですが、古利根川と古隅田川に挟まれた湿地帯のため、川の流域を埋めて耕作地にしたことから、埋めた田、すなわち埋田、転じて「梅田」となったという説と、もう少し上流の新方袋というところに、謡曲『隅田川』などで知られる「梅若伝説」があり、梅若の「梅」から梅田となった、という説があります。しかし、古来、日本の地名は、その土地の形状や、利用の目的、周りの環境などで命名されたものが多く、この土地もやはり“埋め田”だったのではないでしょうか。一方、この地域は、古利根川と古隅田川に挟まれた水はけの良い砂混じりの耕地と言う利点を活かして、牛蒡(ごぼう)、特に「梅田ごぼう」の産地として知られていました。なお、...日光道中粕壁宿・渡るには渡銭が必要だった「十文橋」(後編)

  • 日光道中粕壁宿・渡るには渡銭が必要だった「十文橋」(前編)

    公開日:2019/03/18・更新日:2829/01/23◆古道と古橋かすかべには、古くから、日光道中をはじめ、岩槻道や関宿道などの古道が通っていました。これらの古道は、いずれも当地と各地を結ぶ政治・文化・産業面で重要な役割を果たしてきました。そして、これらの道は、地域内で古利根川や古隅田川その他多くの用水排水路に交差しているため、渡河のためには、水嵩が少ない時期以外には、何らかの渡河の手段が必要でした。往古は、簡易な丸木橋が架けられ、その後、時代とともにより堅固な橋に架け替えられてきました。と言うことで、◆十文橋今回のかすかべ古橋物語は「十文橋」、この橋にもいろいろ歴史がありました。橋名のプレート正しくは、橋名板(きょうめいばん)と言うそうです。下記に詳しく。ひらがな表記この橋も(じゅうもんばし)ではな...日光道中粕壁宿・渡るには渡銭が必要だった「十文橋」(前編)

  • 日光道中粕壁宿・粕壁神明社の気紛れな"にゃんこ”たち・・・

    公開日:2020/10/24・更新日:2023/01/16昨年末にも書きましたが、毎年12月14日は、年の瀬の風物詩「粕壁神明社の酉の市」が行われ粕壁宿が賑わいます。◆白き住人たち2年半ほど前、「粕壁神明社」の隣に食品スーパーがあり、買物のついでに、神明社の境内を覗いて見ると、白いネコがいることに気がつきました。2020/09/04最初の目撃は、2020年9月4日。このように白いネコが2匹。兄弟?それとも親子?どちらが親ネコかはわかりません。とにかく警戒心が強く、子ネコ?の方が先に逃げて見えなくなりました。残ったのは親ネコ?親ネコ?2020/09/04さてと?2020/09/04この粕壁神明社は、門などは特にありませんでの、今まで、何度も買い物ついでに境内に入ったことがありますが、不思議なことにネコの存在...日光道中粕壁宿・粕壁神明社の気紛れな"にゃんこ”たち・・・

  • 日光道中粕壁宿・粕壁神明社の石碑・石造物(後編)

    公開日:2020/10/28・更新日:2023/01/12◆石塔・石碑痘神一番手前左側の石塔には、よく見ると「痘神」(とうがみ、もがさがみ?・読み方はわかりませんが)と刻まれています。「痘神」の「痘」(とう、もがさ)とは、かつて世界で最も流行し、恐れられた疫病の一つ「天然痘(てんねんとう)」のことです。また、痘神は疱瘡神(ほうそうがみ)とも言われ、疫病神の一種で、疱瘡(天然痘)をもたらすと信じられていました。そして、当時の人々は、病気の原因とされる疫病神を痘神(疱瘡神)として祀ることで、感染者の病状が平癒するようにお祈りしたと言われています。現代の疫病・新型コロナウイルス感染症は、瞬く間に世界中に広がりパンデミックを引き起こしました。現在も日本のみならず、欧米諸国で大きな波となって猛威を奮っています。交通...日光道中粕壁宿・粕壁神明社の石碑・石造物(後編)

  • 日光道中粕壁宿・粕壁神明社の石碑・石造物(前編)

    公開日:2020/10/28・更新日:2023/01/08◆粕壁神明社この記事を公開した2年前の秋頃、粕壁神明社の境内に白い“にゃんこ"(野良猫?)が二匹いました。と言っても、いつも会えるとは限りません。そんな時は、今日はいないのかぁ、と何となく寂しく感じます。どこに行ったのかな?ともしかしたら、と思い、拝殿前の門扉の隙間から覗いて見ると、、、「いたーっ」拝殿の上の右端に何やら白いものが。お昼寝中のようです。やはりここの住人(猫)なんでしょうか?それとも不法侵入者(野良ネコ)?そして、さらに右の方に目を移すと何やら高いものがチラッと……ん石碑?改めて、「三峯神社」の祠の裏から見てみると、何やら石碑らしきものが見えました。さらに近寄ってみると間違いなく石碑です。何回もこの神明社の境内に入りましたが、迂闊にも...日光道中粕壁宿・粕壁神明社の石碑・石造物(前編)

  • 日光道中粕壁宿・八坂香取稲荷合社(余話)

    ◆八坂香取稲荷合社ここ数年、初詣は八丁目にある八坂香取稲荷合社に行っています。今年も元旦に初詣に行きました。この合社(神社)は永享己酉年(1429)に下総国一宮香取神宮を勧請したと伝えられています。以後約七百年もの間、地元八丁目村の鎮守産土神として人々の信仰を集めてきました。初詣風景2023年元旦その八坂香取稲荷合社には、意外に知られていない面白いものがあります。まずは、◆水準点一の鳥居と手水石の間に何やら石が埋まっているのに気づきました。石ころ?何度も行っているのに全く気づきませんでした。寄ってみると三角点か水準点?早速調べてみると、地図記号からどうやら「水準点」のようです。↓↓全国の三角点など測量基準点一覧マップ日本国内の測量基準点(三角点、水準点、電子基準点と多角点)約12万件をマップに表示地図蔵 ...日光道中粕壁宿・八坂香取稲荷合社(余話)

  • 日光道中粕壁宿・八坂香取稲荷合社(後編)

    公開日:2018/12/31•更新日:2022/1231◆一の鳥居以前は朱い鳥居でしたが2年ほど前に塗り替えられ、今は現在は、濃いワインレッド? この一の鳥居は、明治21年(1888)の建立で、笠木(かさぎ)が反って、反増(そりまし)があり、また、台輪(だいわ)、額束(がくつか)が付き、足は4本。この形の鳥居を両部鳥居(りょうぶとりい)と呼ぶそうです。安芸の宮島の厳島神社の鳥居に似ています。◆ニの鳥居また、奥のコンクリート製の鳥居は、昭和26年(1951)の建立。付属品がなく極めてシンプルな靖国鳥居(やすくにとりい)の形です。そういえば名前のように、東京・九段の靖国神社の大鳥居に似ています(規模は全く違いますが)。◆狛犬そして、狛犬。立派な狛犬です。下のほうに子供(?)の狛犬がいます。面白いですね。阿形(...日光道中粕壁宿・八坂香取稲荷合社(後編)

  • 日光道中粕壁宿・八坂香取稲荷合社(前編)

    公開日:2018/12/31・更新日:2022/1228◆除夜の鐘?粕壁宿の大落古利根川に架かる「新町橋」を渡ると、毎年大晦日の夜、12時近くに、除夜の鐘の音ではなく、「トントコトントコ」という軽やかな太鼓の音と威勢のよい掛け声が聞こえてきます。「えっ何?、えっもしかしてお神輿?」、そうですそのお神輿なのです。太鼓とお神輿の威勢の良い掛け声は、かすかべ大通りを高層マンションの交差点を右折し、新町橋を渡り、次の信号の先にある地元の氏神さま「八坂香取稲荷合社」から出る大きな神輿の担ぎ手の声。◆八坂香取稲荷神社鳥居拝殿本殿◆由緒社名に合社とあるのは、八坂、香取、稲荷の三神(はしら)が一緒に相殿(合殿)されていることから合社とされています。この神社は、室町時代の永享(えいきょう)元己酉年(1429)に下総国一宮...日光道中粕壁宿・八坂香取稲荷合社(前編)

  • 日光道中粕壁宿・大落古利根川の主役が帰ってきた・・・

    以前下記(【過去記事】)の記事を書きましたが、日光道中の粕壁宿に沿って流れる大落古利根川の主役は、市鳥になっているユリカモメです。在原業平の伊勢物語に登場する都鳥とも言われています。コロナ禍以前は、12月初旬から2月にかけて沢山のユリカモメが渡って来ていましたが、コロナウィルスの感染拡大が始まった2020年初頭からパッタリ渡って来なくなりました。大落古利根川の冬の風物詩でしたので、もうこのまま飛来しないのか、と少し寂しく感じていました。今年こそ、来年こそと待ち侘びていた矢先、たまたま古利根公園場橋を通ったら、何と欄干に白い鳥が2羽止まっていました。でも2羽だけなんです。お帰りなさい!君たちは先遣隊?あとから多くの仲間たちが来るのかな、折しも、東武動物公園で鳥のインフルエンザが確認されたそうなので、君たちは...日光道中粕壁宿・大落古利根川の主役が帰ってきた・・・

  • 日光道中粕壁宿・粕壁神明社(余話)

    ◆いつもの余談※あくまでも自分の考えです。この粕壁神明社(神明神社)のご祭神は天照大神ということです。天照大神は、皇祖神とされ、伊勢神宮内宮の主祭神です。平安時代の初め頃までは、貴族など上流階級の限られた人しか参拝できませんでした。その後、伊勢神宮は財政難に陥り、打開策として神職の御師(おんし)を全国に派遣し、伊勢信仰の普及に努めました。そして、江戸時代中期頃には、一般庶民の間にも「一生に一度はお伊勢参り」などと庶民の信仰を集めてきました。※御師(おんし)とは、伊勢神宮に仕える神職で伊勢参りを広めるのに、大きな役割を果たしたとされる。御師は各地でお札を配り、お得意先を勧誘。道中の手配や宿泊、神楽奉納も請け負った。言わば、現在の旅行会社やガイドの草分け的な存在であった。その「営業」範囲は、北は津軽、南は、九...日光道中粕壁宿・粕壁神明社(余話)

  • 日光道中粕壁宿・粕壁神明社の酉の市

    ◆神明社の「酉の市」毎年、新穀感謝祭の日の12月14日(固定)に「酉の市」が行われます。さいたま市の大宮氷川神社の「十日市」に続く「酉の市」で、「おかめ市」の通称でも知られています。コロナ禍の前は、毎年一万人ほどの人出でがあると言われていました。今年、2022年は、一昨日の水曜日。午前中から風が強い日でしたが、行動制限のない年末でしたので、お子さんたちの賑やか声が聞こえる「酉の市」でした。夕暮れ時の神明通り久しぶりに賑やかさその前に感染対策縁起物の福熊手いよいよ獅子頭?今や粕壁宿の年の瀨の風物詩、今年はコロナ前のように夜遅くまで威勢の良い掛け声が神社周辺に飛び交っていたようです。続く…  日光道中粕壁宿・粕壁神明社の酉の市

  • 日光道中粕壁宿・粕壁神明社

    公開日:2019/12/16•更新日:2022/12/12日◆12月14日12月14日は、忠臣蔵の赤穂浪士討ち入りの日ですが、ここかすかべでは「酉の市」が立つ日として知られています。東武スカイツリーラインの春日部駅東口から数分の所、食品スーパーの隣に鎮座している小さな神社「神明社(神明神社)」がその舞台。◆粕壁神明社(神明神社)神明鳥居昭和42年5月建立◆ご祭神・由緒ご祭神は天照大神(あまてらすおおみかみ)。鎮座年月日などは不詳とのことですが、境内の説明板によると粕壁神明社の歴史当社の御祭神は天照大神(あまてらすおおみかみ)です。天明年間(1781ー89年)に地元の豪族九里四郎兵衛が竹藪(たけやぶ)の土中から厨子(ずし)に入った神体と鏡が出てきたので、祠を建てて祀ったのが始まりであるという。当社は、七月二...日光道中粕壁宿・粕壁神明社

  • 日光道中粕壁宿・仲藏院(後編)

    公開日:2021/10/12・更新日:2022/12/08◆境内境内に入ってすぐ左側に、様々な石碑が並んでいます。そして、右手の茂みの中には、小さな仏像があります。「南無興教大師」像です。五輪塔本堂古い本堂は、宝永年間に消失しており、この本堂は江戸時代に建てられたものです。なお、門前の案内板には、ご本尊は、正観世音菩薩坐像と十一面観世音菩薩立像で、特に十一面観世音菩薩立像は、恵心僧都(えしんそうず)作の秘仏と書かれています。出来れば拝観したいと思いますが、何しろ「秘仏」ですから難しいでしょうね。供養塔青面金剛美松観音美松観音の裏、松が塀を超えて隣の「八坂香取稲荷合社」の方まで張り出しています。そして、◆芭蕉翁の書簡郷土家の須賀芳郎氏は、「ふるさと春日部『春日部の寺院/幸松地区/仲藏院』」に、この仲藏院には...日光道中粕壁宿・仲藏院(後編)

  • 日光道中粕壁宿・仲藏院(前編)

    公開日:2021/10/08・更新日:2022/11/04神林山仲藏院日光街道の新町橋を渡り、少し歩き、八丁目新町地区の八坂香取稲荷合社に隣接して真言宗智山派の寺院「神林山仲藏院」があります。隣接と言っても元々江戸時代までは同じ敷地に仲藏院と神社(合社)があったとされています。その後、明治時代の「神仏分離令」により別々になりました。左前方・八坂香取稲荷合社右前方・仲藏院仲藏院門前門前右には仲藏院の由緒沿革が書かれた案内版が設置されていますが、約40年経っており、かなり古くなっています。何れは書き換えられることもあるとは思いますが、とりあえず文字起こししてみました。由緒・沿革一、真言宗智山派神林山仲藏院  一、創立開基秀宥大和上(四百二十四年前)(永禄元年正月戦国時代)一、本尊 正観音菩薩坐像 十一面観音菩...日光道中粕壁宿・仲藏院(前編)

  • 日光道中粕壁宿・彫刻を見てみよう!『滝と噴水(トテ馬車)』

    ◆橋上のギャラリー大落古利根川に架かる古利根公園橋は、その名の通り、橋の上に公園がある橋で、春日部市の市制30周年にあたる昭和59年(1984)に完成しました。その橋上には、青銅(ブロンズ)製の単身の人物像の彫刻が5体あり、「彫刻のある街づくり」初期の平成2年から3年にかけて設置されました。その他にも、市制30周年記念として設置された彫刻「春陽」、さらに古利根川東岸の岸壁には「滝と噴水(トテ馬車)」(雨宮一正作)の絵などが刻まれています。今やかすかべの風景にすっかり溶け込んで、彫刻がある「橋上のギャラリー」として市民に親しまれています。◆滝と噴水(トテ馬車)作者雨宮一正(あまみや・いっせい)1934年長野県生まれ、1963年東京藝術大学彫刻科卒。その後、フランスへ留学、ハンガリーなどヨーロッパ各国を回り制...日光道中粕壁宿・彫刻を見てみよう!『滝と噴水(トテ馬車)』

  • 日光道中粕壁宿・彫刻を見てみよう!『春陽』

    ◆橋上のギャラリー大落古利根川に架かる古利根公園橋は、その名の通り、橋の上に公園がある橋で、春日部市の市制30周年にあたる昭和59年(1984)に完成しました。その橋上には、青銅(ブロンズ)製の単身の人物像の彫刻が5体あり、「彫刻のある街づくり」初期の平成2年から3年にかけて設置されました。その他にも、市制30周年記念として設置された彫刻「春陽」、さらに古利根川東岸の岸壁には「滝と噴水(トテ馬車)」(雨宮一正作)の絵などが刻まれています。今やかすかべの風景にすっかり溶け込んで、彫刻がある「橋上のギャラリー」として市民に親しまれています。◆彫刻『春陽』作者齋藤馨(さいとう・かおる)1934年、埼玉県加須市出身、久喜市在住。詳しくは、Aboutof齋藤彫刻工房ホームページ齋藤彫刻工房ホームページ 設置年月昭和...日光道中粕壁宿・彫刻を見てみよう!『春陽』

  • 日光道中粕壁宿・彫刻を見てみよう(5)『ジーンズ・夏』

    公開日:2020/12/12・更新日:2022/11/22◆橋上のギャラリー大落古利根川に架かる古利根公園橋は、その名の通り、橋の上に公園がある橋で、春日部市の市制30周年にあたる昭和59年(1984)に完成しました。その橋上には、青銅(ブロンズ)製の単身の人物像の彫刻が5体あり、「彫刻のある街づくり」初期の平成2年から3年にかけて設置されました。その他にも、市制30周年記念として設置された彫刻「春陽」、さらに古利根川東岸の岸壁には「滝と噴水(トテ馬車)」(雨宮一正作)の絵などが刻まれています。今やかすかべの風景にすっかり溶け込んで、彫刻がある「橋上のギャラリー」として市民に親しまれています。◆彫刻『ジーンズ・夏』※番号は「彫刻のある街づくり」で設置された彫刻からの通し番号。ジーンズの硬い木綿と肉体とが織...日光道中粕壁宿・彫刻を見てみよう(5)『ジーンズ・夏』

  • 日光道中粕壁宿・彫刻を見てみよう!(4)『夏』

    公開日:2021/11/18・更新日:2022/11/18◆橋の上のギャラリー大落古利根川に架かる「古利根公園橋」は、その名の通り、橋の上に公園がある橋で、春日部市の市制30周年にあたる昭和59年(1984)に完成しました。その橋上には、青銅(ブロンズ)製の単身の人物像が5体あり、「彫刻のある街づくり」初期の平成2年から3年にかけて設置れました。その他にも、市制30周年記念として設置された彫刻、斎藤馨作『春陽』、さらに大落古利根川東岸の岸壁には雨宮一正作『滝と噴水(トテ馬車)』 の絵などが刻まれています。今やかすかべの風景にすっかり溶け込んで、彫刻がある「橋上のギャラリー」として市民に親しまれています。◆彫刻『夏』 角度を変えて橋の上のギャラリー台座作品名『夏』6※番号は「彫刻のある街づくり」で設置された...日光道中粕壁宿・彫刻を見てみよう!(4)『夏』

  • 日光道中粕壁宿・彫刻を見てみよう!(3)『思い出』

    公開日:2021/10/04・更新日:2022/11/14◆橋上のギャラリー大落利根川に架かる「古利根公園橋」は、その名の通り、橋の上に公園がある橋で、春日部市の市制30周年にあたる昭和59年(1984)に完成しました。その橋上には、青銅(ブロンズ)製の単身の人物像が5体あり、「彫刻のある街づくり」初期の平成2年から3年にかけて設置れました。その他にも、市制30周年記念として設置された彫刻、斎藤馨作『春陽』、さらに大落古利根川東岸の岸壁には雨宮一正作『滝と噴水(トテ馬車)』などの絵が刻まれています。今やかすかべの風景にすっかり溶け込んで、彫刻がある「橋上のギャラリー」として市民に親しまれています。◆彫刻『思い出』3作品名『思い出』5※番号は「彫刻のある街づくり」で設置された彫刻からの通し番号。作品寸法(高...日光道中粕壁宿・彫刻を見てみよう!(3)『思い出』

  • 日光道中粕壁宿・彫刻を見てみよう!(2)『茉莉花(まつりか)』

    公開日:2020/03/14・更新日:2022/11/10◆橋上のギャラリー大落古利根川に架かる古利根公園橋は、全国でも珍しい橋の上に公園がある橋で、春日部市市制30周年にあたる昭和59年(1984)に完成しました。その橋上にある彫刻は、全てが青銅(ブロンズ)製の単身の人物像で「彫刻のある街づくり」初期の平成2年から3年にかけて設置されました。今やかすかべの風景にすっかり溶け込んで、彫刻がある橋上のギャラリーとして市民に親しまれています。その他にも、市制30周年記念として設置された彫刻「春陽」、さらに古利根川東岸の岸壁には「滝と噴水(トテ馬車)」の絵が刻まれています。今回は、古利根公園橋にある彫刻をご紹介します。彫刻『茉莉花(まつりか)』※番号があるのは「彫刻のある街づくり」で設置された彫刻からの通し...日光道中粕壁宿・彫刻を見てみよう!(2)『茉莉花(まつりか)』

  • 日光道中粕壁宿・彫刻を見てみよう!(1)『フォーム』

    公開日:2021/12/20・更新日:2022/11/06橋の上のギャラリー大落古利根川に架かる「古利根公園橋」は、その名の通り、橋の上に公園がある橋で、春日部市の市制30周年にあたる昭和59年(1984)に完成しました。その橋上には、青銅(ブロンズ)製の単身の人物像が5体あり、「彫刻のある街づくり」初期の平成2年から3年にかけて設置れました。その他にも、市制30周年記念として設置された彫刻、斎藤馨作『春陽』、さらに大落古利根川東岸の岸壁には雨宮一正作『滝と噴水(トテ馬車)』 の絵などが刻まれています。今やかすかべの風景にすっかり溶け込んで、彫刻がある「橋上のギャラリー」として市民に親しまれています。 彫刻『フォーム』台座には、設置年月:1991年3月制作:1977年 S.Chinoの文字がみえます。橋の...日光道中粕壁宿・彫刻を見てみよう!(1)『フォーム』

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