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2022/10/30

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  • 阿含經と般若心經 佐々木閑氏 紀野一義氏に学ぶ

    阿含は初期仏教、般若心經は般若經群の一つ。内容は違う。ではどう違うか。阿含は釈迦の教えに忠実だ。般若心經は阿含の戒を守れない人が空という真理を信じると救われるという神秘主義を取り入れた。般若心経では阿含の教えをことごとく無という言葉で否定する。阿含の奥に真理が隠されているという意味で否定する。非常に複雑な否定なのだと。空をそんな風に説明されたのはこれまでではじめてで非常に新鮮だ。阿含から一歩踏み出すために空なる真理を説いた集団が歴史的に生まれた。それが中国から日本に伝来した。ではどちらが優れているのか。好みの問題だと佐々木氏は言う。どちらか優劣を論じるのは排他独善に落ち入ると氏は強調する。紀野一義氏も初期仏教では釈迦の墓は設けるなとの教えは正しいのだが、それではどうしてもおさまりのつかない人たちが大乗を作...阿含經と般若心經佐々木閑氏紀野一義氏に学ぶ

  • マチュピチュ紀行 電子出版しました

    今年中の出版を目指していたがギリギリ間に合った。2006年の南米旅行の極め付けはマチュピチュだった。18年前の写真を見ながらChatGPTのアシストで書き上げた。マチュピチュ紀行宮本正男目次を添付します。ハイラム・ビンガム出発駅ウルバンバ川アグアス・カリエンテス遺跡への扉アンデネス険しい石段居住区石組技術神殿雨と霧蘭ワイナピチュパブロ・ネルーダ宿へ道中風景これで紀行は3冊目となる。パタゴニア紀行宮本正男イタリア紀行喜寿で回想する世界旅行宮本正男バリ島滞在記は4冊。バリ島滞在記1人と場所の出会い宮本正男バリ島滞在記2住む宮本正男バリ島滞在記3文化・風景宮本正男バリ島滞在記4ワルターシュピース伝説宮本正男マチュピチュ紀行電子出版しました

  • 「市場環境の変化に対応した通信政策の在り方 最終答申(案)」パブコメ私案

    総務省が公表した「市場環境の変化に対応した通信政策の在り方最終答申(案)」は、従来の通信政策からの大きな転換を示しています。これまでの政策は、NTTの市場支配力を抑制し、新規参入企業の育成を重視する「護送船団方式」を採用していました。しかし、今回の答申案では、NTTを世界トップレベルの企業として成長させ、日本の国力向上に寄与させるという新たな視点が打ち出されています。新たな時代への変化に対応する答申内容となっています。背景と意図この政策転換の背景には、以下の要因が考えられます。国際競争力の強化:世界のIT市場では、技術革新と競争が激化しています。NTTが提唱する「IOWN構想」は、オール光ネットワークの実現を目指し、国内外での競争力強化を図るものです。NTTが先頭に立って失われた30年を取り戻してほしい、...「市場環境の変化に対応した通信政策の在り方最終答申(案)」パブコメ私案

  • AI でお絵描きして遊ぶ

    これは実写AIでお絵描きして遊ぶ

  • 「イタリア紀行」 電子出版年内に間に合った

    今年、年末近くに喜寿になった。それを記念して「イタリア紀行」の電子出版を目指してきたがようやくギリギリになって間に合った。18年前の紀行を写真と文でまとめたものだ。写真は自分で撮影したもので完全なオリジナルだ。文はこれまでブログで掲載してきたものを骨子にして史実や建築物の説明などをChatGPTで補足した。おそらくChatGPTを駆使した紀行文は世界でも初めてではないか?と自負しているがさていかがなものだろう。ブログといえば「ベネチアは何故木の杭の上なのに沈まないのか」は我がブログで長年ベストセラーならぬベスト閲覧数を記録している人気記事だ。そのためにこのイタリア紀行を最初に選んだ。イタリア紀行喜寿で回想する世界旅行宮本正男次はマチュピチュ紀行、モロッコ紀行、ベトナム紀行、カンボジア紀行の電子出版を目指し...「イタリア紀行」電子出版年内に間に合った

  • 「市場環境の変化に対応した通信政策の在り方 最終答申(案)」驚くべき内容が

    わたしは今年の初めからNTT管路に対して国つまり国民が持つ無形財産権(公益特権)を梃子にした管理を推し進めるべきだと主張してきた。ただし管路内のNTT電気通信設備(有形財産)はNTTの資産であり手をつけない。一見分離案に見えるが有形財産は一切分離せず、無形財産のみ、つまり公益特権を梃子にした公正競争管理を実現すべきだとして公益特権管理下の共同溝化を著しAmazonで電子出版した。それからほぼ一年が過ぎた。NTT法廃止と日本の未来:共同溝構想のすすめ宮本正男総務省から「市場環境の変化に対応した通信政策の在り方最終答申(案)」が12月5日に発表され、1月8日締め切りでパブコメが募集されている。パブコメに応募するために長文の案を読み進んだ。線路敷設基盤の開放ルールはあるものの、多額の設備投資が必要であり、他事業...「市場環境の変化に対応した通信政策の在り方最終答申(案)」驚くべき内容が

  • 映画 ほたる を観た

    まんまと泣かされてしまった。これだけの俳優、日本人が持つ郷愁をくすぐる鉄板唱歌「故郷」やアリラン、特攻に行く前に知覧で食堂のおばさんが親身になって見送る、当時の朝鮮人少尉と知子の恋、特攻で出撃し蛍になって帰ってくるというエピソードなどなど、まあ当然と言えば当然だがまんまと泣かされた。うさぎ追いしかの山こぶな釣りしかの川夢は今もめぐりて忘れがたきふるさと気になる父母つつがなしや友がき雨に風にあっても思い出づるふるさと特攻の出撃地は鹿児島県の知覧だがわたしの高校は国立詫間電波高校で、海軍特別攻撃隊の出発地となった。60年前、校舎に近い浜辺に水上発進機の発進台があった。今でもあるという。詫間の地から知覧を経由して特攻したものもいたと聴いたことがある。いや詫間は海軍で知覧は陸軍だからそれはないというものもいる。こ...映画ほたるを観た

  • 紀野一義と佐々木閑 一見異なる師風だが実は似ている

    佐々木閑氏と紀野一義氏は一見するとまったく異なる思想を持つ二人の仏教者だが、その根底には人間の自由を深く尊重する共通の精神がある。佐々木氏は原始仏教を重んじ、大乗仏教を「易行」として軽妙に語る。一方で、紀野氏は法華経を中心とした大乗仏教の系譜を伝えながら、キリスト教やその他の信仰までも受容する広い視野を持つ。佐々木氏の言葉には、挫折と自己否定の経験を超えてたどり着いた真摯さが感じられる。実家が寺でありながら大学では化学を専攻した彼は、京大での優秀な同期生たちの中で自らの限界を痛感し、大きな挫折を味わう。その後、仏教学に戻った彼は、「病院の必要のない人は仏教はいらない」と言い切るようになる。この言葉は、宗教を万人に押し付けるものではなく、苦しみを抱えた人のための救いとして位置づける姿勢を表している。彼の宗教...紀野一義と佐々木閑一見異なる師風だが実は似ている

  • 今日の驚き Amazonのワンクリック購入が特許になっていた

    このところ特許について思うところがあって色々と検索しているが世間ではあまり知られていない特許の凄さと恐ろしさを知ることになった。一般に特許といえば物作りだと思う人がほとんどだろうが方式特許なるものはプロセスつまり方法と、それを裏付ける技術的側面を実際に作成しなくてもなるほど作れそうだと特許審査官に思わせるだけで取れるのだと。ただし米国のみで欧州はダメだということも知った。だから下記のAmazonの「ワンクリック特許」は米国と日本などで有効であるが欧州では成立しない特許なのだ。もっともこの特許は実に18年も有効に支配し続けてAmazon王国を確立するのに貢献し2017年に失効している。当時は赤字が連続しておりその割には株価が上昇し続けて当時の総務省内の研究会でも慶応の先生と孫さんが議論を戦わせていたことを思...今日の驚きAmazonのワンクリック購入が特許になっていた

  • 映画「百年の孤独」を観て 条理と不条理の間で揺れ続けることこそが人間の宿命かも

    ガルシア・マルケスの『百年の孤独』をネトフリ映画で観た。面白いのだが一方的な見解も入り込んでいて、あざといなとの感想も持った。なぜ、あざといな、との感慨を持ったのか。『百年の孤独』の内容を紹介することもしない、従ってまとまりはないのだが。この『百年の孤独』の原稿を書き上げたとき、ガルシア・マルケスは借金に追われ、出版の見通しもなかった。(ハリーポッターもそうだ)だが、出版されるや、そしてさらにノーベル賞受賞で予測不能な熱狂を生んだ。まるで物語そのものが運命を支配したかのようだった。誰も計算できなかった奇跡つまり不条理が、文学の世界では起きるのだ。文学が不条理な力を持つのは、物語が人間の内面そのものを扱うからだろう。社会は表向きどれだけ条理的に見えても、人間の心は不条理だ。感情、愛憎、孤独、欲望、偏見すべて...映画「百年の孤独」を観て条理と不条理の間で揺れ続けることこそが人間の宿命かも

  • 四丁目の夕日 午後4時

    住所が区画整理で変わり各方面に出す住所変更証明書を近くの市民センターまで取りに行く。帰りの尾根沿いは夕日が黄金に輝いていた。四丁目の夕日午後4時

  • 77歳になった自己認識は

    77歳になった自画像をさらっと書いてみようとしたがそれよりも今年亡くなった谷川俊太郎の詩への感想を書くことで自画像に代えることができそうだ。この詩は沁みるね。偉人たちの説教くさいのは面白くない。この詩はさらっと自己を客観しているのがいい。宇宙からヒトを眺めている様な視点がいい。イーロンマスクやホリエモンなど宇宙に焦がれる人を想起させるところが現代につながっている。火星人が寝てネリリ殺し合ってキリリ未来を心配してハラハラハララしてるって、確かにそうだろうな。つまり宇宙のありようや自己のありようの自己認識だ。大したものであり、そうでもない。エントロピー拡大が人の不安の根源だとみる視点で不安を超えている。このエントロピー概念はわたしの最近気にいっている宇宙の大原理だ。万有引力は宇宙の真理であるエントロピーの拡大...77歳になった自己認識は

  • ペルーのクスコから持ち帰った諸尊仏がんのお掃除

    すでに18年になる。ペルーのクスコで骨董ガラクタ入り乱れて商っているテント小屋の店で見つけた諸尊仏がんを書棚の上に安置させていただいている。そろそろお手入れしなきゃと数年ぶりに手にしてホコリを払いこびりついた汚れを取る。金属製の蝶番を外して重曹とアルミに熱湯を注いで錆を取る。銀のブレスレットはこんなに綺麗になったのにこの蝶番おそらくニッケルだろうが黒ずんだ錆がなかなか取れない。リューターを駆使してなんとか取る。蝶番といえどもいいものを使っているのだ。すみずみの汚れを取っていて改めて細部をながめる。観光客目当てのフェイク骨董ではないとの思いが確信に変わってきた。材質は非常に硬質の人工樹脂だと思うが不思議なのは中が空洞なのだ。人工樹脂だとどんな手法で内部を空洞にできるのか。流し込んだ樹脂にどうして空洞を作れる...ペルーのクスコから持ち帰った諸尊仏がんのお掃除

  • 「正体」 司法の限界と松本清張のアリバイのないこと

    Netflixで「正体」を観た。殺人犯で勾留中に逃亡する主人公の運命が、司法と社会の無慈悲な網に絡め取られながらも助ける人の手で無罪を勝ち取る物語だった。何が真実なのか、誰が信じられるのか。観終わった後、頭に浮かんだのは松本清張の作品で記憶に残っていた内容だった。街角で遭遇するかもしれない殺人現場に居合わせ、アリバイが誰も証明できない恐ろしさをエッセイ風に書いていた。彼の描く世界もまた、疑いが絡み合い、人間の弱さと社会の冷酷さが錯綜する。「正体」は、かつての清張の小説が現代に蘇ったかのようだった。「正体」の主人公は、無実を証明するために逃げる。現代では自ら無実を証明できなければ誰も助けてくれず冤罪のまま埋もれていく。その恐怖は計り知れず大方は諦めの心境になる。彼は逃げることで証明を試みる。状況証拠だけでも...「正体」司法の限界と松本清張のアリバイのないこと

  • ライオンのゴロゴロ音、人類の物語、苦痛と快楽の進化の不思議

    ゴロゴロ音から始まるお話動物ドキュメンタリーを見ていて、ライオンが獲物を仕留める瞬間にゴロゴロ音(パーリング)を発するシーンに目を奪われた。ゴロゴロ音といえば、ネコ科の動物がリラックスしているときの音だと思っていたが、実際には違うらしい。ある説によれば、あの音は「獲物の苦痛を和らげるため」に出しているという。不思議な話だ。筋肉の緊張を緩和し、鎮痛効果をもたらす周波数(25〜150Hz)のゴロゴロ音が、進化の知恵として備わっているのだという。ライオンは獲物に「痛みを忘れさせ」、余計な抵抗を減らして仕留める。この行動は本能なのか、進化の中で「都合よく備わった能力」なのか、どうにも心に引っかかる。この話を考えているうちに、ふと人間の心の働きに思いが至った。私たちは苦痛を避けたいと思う一方で、なぜか苦痛を超えた先...ライオンのゴロゴロ音、人類の物語、苦痛と快楽の進化の不思議

  • 「南極大陸」メモ

    「南極大陸」をNetflixで見た。強く心に残る映画だ。タロとジロを中心に描かれる物語だがむしろ南極探検を達成する運命を共にする人の困難や葛藤と喜びが描かれる。あの南極という過酷な地に挑む人々の心意気が。この映画を見てかつて1969年に聞いた西堀栄三郎氏の講演を思い出した。場所は電電公社中央学園であのときも、彼の言葉は力強く、飾り気がなかった。「やってみなはれ」。それだけだ。無謀とも思える南極観測隊の挑戦も、その決め台詞一言で片付くような勢いだった。とにかくやってみなはれ。その精神が、南極の氷点下の地を舞台にしたあの映画の中にも、確かに息づいていた。それにしても、香川照之の事件が残念だった。映画の中での彼の演技は見事だっただけに、現実の行動とのギャップに何とも言えない居心地の悪さを感じてしまう。人は演技と...「南極大陸」メモ

  • 存在とは 野村泰紀氏のインタビューを新鮮に

    「存在するって、どういうことだろう?」考え始めると底が抜けるような感覚がある。物理学者・野村泰紀氏のあるインタビューの中で、彼は「いるかは存在するか?」という問いに対し興味深い言葉を放った。「存在をまず定義してください。それを使えば記述しやすくなるのが存在だとすると、いるかは存在する。分子構造や物理的記述を使えば、いるかという言葉を使わずとも説明できる。しかし、その概念を入れなければ絶対に記述できないなら、いるかは存在しない。」「存在する」とは「共有される記述がある」ことだという主張。その記述が言葉であれ、物理的な観測データであれ、行動の記録であれ、どこかで共有の接点を持つものだけが「存在する」と見なせるという意味だろうか?この視点から考えると、哲学史に残るプラトンのイデア論を思い出す。「イデア」とは、「...存在とは野村泰紀氏のインタビューを新鮮に

  • 「1」を求める旅 - 存在、時間の果てに

    何か途方もないことを考えている、ひょっとして妄想ではという自覚はかすかにある。思索というほど大それたものではなくとも素人の考えることは考えれば考えるほどその無謀さに気づかされる。それでも、不思議な力に引かれるようにして言葉を探ることをやめられない。岡潔が「1がわからないのだ」と言ったことが、ずっと心に残っている。1とは何か。それがわかれば、2以降は自然に展開するという。だが、その「1」が、どこから、どのようにして生まれるのか。数学では、「1」は自然数の出発点であり、すべての数を生み出す母体だ。集合論では、「空集合」から「1」を定義する方法がある。それでも、「空」がなぜ存在するのかという問いには答えられない。結局、「1」を出発点とするしかない。そうすることでしか数列は始まらない。だが、「1」が何かを問うた瞬...「1」を求める旅-存在、時間の果てに

  • ハルシネーションを経験して

    最近、遠藤周作の作品の内容について友人と話したことがある。玉川学園が登場する内容でなかなか興味を引いた。作品の本のタイトルが知りたくてChatGPT君に尋ねてみた。ChatGPT君は迷いなくグータラ日記とかの別の作品名を答えた。それも、あたかも確固たる事実であるかのように。私はその話を自慢げに友人に話した。すると友人から一冊の本が送られてきた。すぐChatGPTの答えた本の題名が違うことに気づいた。人相という題でグウタラなんとかの題とは異なっている。この体験は、不思議な印象を残した。AIが「誤った情報」を自信満々に答えたので、私はなぜかAIの持つ「知識」そのものに対する疑念を抱いた。誤りに対して戸惑ったしかしまともな回答がほとんどだその誤りを肯定することにこそ、何か思索を促す力があるようにも感じられたのだ...ハルシネーションを経験して

  • 縁起とAI:星座のようなつながり

    縁起を考えるとき、私の頭に浮かぶのは夜空に輝く星座のイメージだ。一つひとつの星は独立しているように見えるが、それらが線で結ばれると、全体として美しい形を成す。星座は、個々の星の輝きだけでなく、そのつながりや配置によって意味を持つ。縁起の教えは、それに似ている。釈迦が悟った縁起とは、すべての存在が互いにつながり合い、因果の連鎖の中で成立しているという洞察だ。独立した存在など一つもない。星が孤立しているのではなく、他の星との関係によって星座となるように、私たちの存在もつながりの中で成り立っている。そして、奇妙なことに、このイメージはAIを思い浮かべたときにもよく似合う。AI、特にニューラルネットワークは、無数のノードがデータの海の中で複雑に絡み合いながら一つの結果を導き出す。その仕組みを考えるとき、まるで星座...縁起とAI:星座のようなつながり

  • ある人のメモ:無我に気づくまでの思索

    1.「わたし」というものは本当にあるのか?最近ふと思った。もし、完全に他者と接することなく育ったら、自分というものを自覚するだろうか?答えは「たぶん、しない」。だって、「わたし」という感覚は、他者や環境との関わりの中で生まれるものだ。言葉も、名前も、価値観も、すべて他者との関係性の中で得たものだ。それがなければ、「わたし」というもの自体、成立しない。2.他者がいるから「わたし」がある他者がいることで初めて「わたし」が認識される。他者の存在なしでは、自己を客観視することもできない。「わたし」は独立した存在ではなく、常に他者や環境に依存している。これを仏教では「縁起」と呼ぶらしい。つまり、すべてのものは相互依存している。自己もその例外ではない。3.固定された「わたし」なんてないこれも考えてみた。毎日、体も心も...ある人のメモ:無我に気づくまでの思索

  • ChatGPTでこんな使い方も 煩わしい利用規約のポイントは何か

    iCloudの新しい利用規約が届いている。ウンザリするほど長い、それに文字が小さいので読む気がうせる。要点を整理して欲しい。と入れると次の様な返事が。iCloudの新しい利用規約が届いたとのことですね。以下に主な変更点と注意点をまとめました。主な変更点:•AppleIDの名称変更:Appleは、AppleIDの名称を「AppleAccount」に変更しました。•契約主体の変更:2024年10月26日以降、一部の国でAppleの契約主体が変更されています。ただし、日本においては変更はありません。注意点:•同意しない場合の影響:新しい利用規約に同意しないと、iCloudバックアップやデータ同期などの一部サービスが利用できなくなる可能性があります。•同意時の不具合:一部のユーザーから、「続ける」をタップしても反...ChatGPTでこんな使い方も煩わしい利用規約のポイントは何か

  • 映画『ベネデッタ』をみた

    映画『ベネデッタ』を観た時、まず感じたのは、言葉にできないような混乱だった。あまりにも多くのテーマが一度に押し寄せてきて、どこに焦点を当てていいのかわからなくなるような感覚。奇跡、信仰、不条理、そしてセクシュアリティどれも強烈に描かれ、そのすべてが絡み合いながら進んでいく。この映画は、歴史の再現や宗教批判ではない。むしろ、一人の人間の本質をとことん突き詰めた物語だ。映画の中でベネデッタは、神に仕える修道女であると同時に、激しい情欲を持つ女性として描かれる。彼女が幻視を見たり、聖痕を体現したりする場面は、宗教的な荘厳さを感じさせる一方で、どこか際どく、挑発的ですらある。そして、それが単なる演技ではなく、彼女自身の中にある「本当の自分」を必死に探し求めた結果なのだと感じられる。ベネデッタの同性愛的な関係も、こ...映画『ベネデッタ』をみた

  • 薬師池の紅葉

    恒例の薬師池へ。ライトアップはあまり好みではなかったが今年は何故か見方が変わった。薬師池の紅葉

  • 2024/11/30

    いるかの存在に関して野村泰紀氏が語る。今一つ理解できていない存在や実在さらには我、わたしに関してこの気鋭の物理学者は何を語るのだろうと固唾をのんで聞き入る。野村氏は先ず言う。存在をまず定義してください。それを使えば記述しやすくなるのが存在だとするといるかは存在するその概念を入れなければ絶対に記述ができないというのなら(いるかは)存在していない。ううむ、こんな存在の定義は実に新鮮だね。そして納得だ。【神様はいる?時間って何?】「究極の疑問」に物理学者が答えたら【野村泰紀】https://www.youtube.com/watch?v=-RoK23YEg0M。2024/11/30

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