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真理を求めるあなたに https://blog.goo.ne.jp/susudanmadu

福音のイロハから順番に紹介していきたいです。<br>また、聖書の御言葉の深い味わいを共有できたらと願っています。

susudanmadu
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2022/10/25

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  • 知識は人をたかぶらせ愛は徳を高める

    銘形先生神は隠すお方です。神は隠すお方なので、神のご計画が悟れないのは仕方のないことではあります。けれど、本当に神を愛し、神の御心と本意を知りたいと願うならば、それこそ、熱心に全身全霊を賭して求める筈です。御霊がすべてを教えてくださいます。私たちに神の真意を悟らせてくださるのは、キリストの御霊だけです。盲目になっている者の目が開かれたのは、イェシュアの息が吹き込まれて後、御霊が内住してくださったからです。そのことを信じて、受け止めた者には、キリストの御霊が働き出されると思います。【[ヨハネの手紙第一2:27]しかし、あなたがたのうちには、御子から受けた注ぎの油がとどまっているので、だれかに教えてもらう必要はありません。その注ぎの油が、すべてについてあなたがたに教えてくれます。それは真理であって偽りではあり...知識は人をたかぶらせ愛は徳を高める

  • 知識はひとをたかぶらせる

    神は隠すお方です。神は隠すお方なので、神のご計画が悟れないのは仕方のないことではあります。けれど、本当に神を愛し、神の御心と本意を知りたいと願うならば、それこそ、熱心に全身全霊を賭して求める筈です。御霊がすべてを教えてくださいます。私たちに神の真意を悟らせてくださるのは、キリストの御霊だけです。盲目になっている者の目が開かれたのは、イェシュアの息が吹き込まれて後、御霊が内住してくださったからです。そのことを信じて、受け止めた者には、キリストの御霊が働き出されると思います。【[ヨハネの手紙第一2:27]しかし、あなたがたのうちには、御子から受けた注ぎの油がとどまっているので、だれかに教えてもらう必要はありません。その注ぎの油が、すべてについてあなたがたに教えてくれます。それは真理であって偽りではありませんか...知識はひとをたかぶらせる

  • 受胎告知

    [マタイの福音書1:18,19,20,21,22,23,24,25]イエス・キリストの誕生は次のようであった。母マリアはヨセフと婚約していたが、二人がまだ一緒にならないうちに、聖霊によって身ごもっていることが分かった。夫のヨセフは正しい人で、マリアをさらし者にしたくなかったので、ひそかに離縁しようと思った。彼がこのことを思い巡らしていたところ、見よ、主の使いが夢に現れて言った。「ダビデの子ヨセフよ、恐れずにマリアをあなたの妻として迎えなさい。その胎に宿っている子は聖霊によるのです。マリアは男の子を産みます。その名をイエスとつけなさい。この方がご自分の民をその罪からお救いになるのです。」このすべての出来事は、主が預言者を通して語られたことが成就するためであった。「見よ、処女が身ごもっている。そして...受胎告知

  • 知識は人をたかぶらせる

    神は隠すお方です。神は隠すお方なので、神のご計画が悟れないのは仕方のないことではあります。けれど、本当に神を愛し、神の御心と本意を知りたいと願うならば、それこそ、熱心に全身全霊を賭して求める筈です。御霊がすべてを教えてくださいます。私たちに神の真意を悟らせてくださるのは、キリストの御霊だけです。盲目になっている者の目が開かれたのは、イェシュアの息が吹き込まれて後、御霊が内住してくださったからです。そのことを信じて、受け止めた者には、キリストの御霊が働き出されると思います。【[ヨハネの手紙第一2:27]しかし、あなたがたのうちには、御子から受けた注ぎの油がとどまっているので、だれかに教えてもらう必要はありません。その注ぎの油が、すべてについてあなたがたに教えてくれます。それは真理であって偽りではありませんか...知識は人をたかぶらせる

  • 実(5)

    さて、次に、もう一つの関連語であるָשַׁאב(シャーアヴ)「水を汲む」を見てみます。この言葉の初出箇所は、やはり、創世記です。【新改訳聖書2017】創世記24章11節彼は夕暮れ時、水を汲む女たちが出て来るころ、町の外の井戸のそばにらくだを伏させた。これは、イサクの花嫁探しの箇所です。アブラハムからイサクの妻を探し出して連れてくるように言いつけられたしもべは、アブラハムの出身地へと向かいました。しもべは、贈り物を携えて、その地へ赴いたのですが、イサクの花嫁探しの為の旅路で休んだところが、井戸のそばだったのです。イェシュアの花嫁である私たちもイェシュアという泉から「水を汲む」ことになるのです。「水を汲む」(シャーアヴ)という言葉から連想されるのは、サマリヤの女に語られたイェシュアの言葉です。【新改訳聖書20...実(5)

  • 実(4)

    【新改訳聖書2017】創世記4章17節カインは【主】の前から出て行って、エデンの東、ノデの地に住んだ。重大な罪を犯したカインが、主から離れてノデの地に住んだことが記されています。この後の節で、神様がどれ程カインの罪を嘆いておられるかが分かります。【新改訳聖書2017】創世記4章10節主は言われた。「いったい、あなたは何ということをしたのか。声がする。あなたの弟の血が、その大地から私に向かって叫んでいる。」神から離れたところに住んだカイン、神に背を向けてしまったカインに神が痛みを感じておられたことが伝わってきます。「いったい、あなたは何ということをしたのか。」この言葉の中にはイェシュアの受肉から昇天、着座までの一連の贖いの出来事が備えられていることに対する神の深い感慨と嘆息の御心が隠されています。また、「あ...実(4)

  • 実(3)

    【新改訳聖書2017】マタイの福音書7章17,18節良い木はみな良い実を結び、悪い木は悪い実を結びます。良い木が悪い実を結ぶことはできず、また、悪い木が良い実を結ぶこともできません。このように、「実を結ぶ」のは、良い実を結ぶこともあれば、劣悪な実を結ぶこともあるのです。そして、良い木であられるイェシュアにとどまっている者だけが良い実を結ばせるのですね。【新改訳聖書2017】ヨハネの福音書15章4節わたしにとどまりなさい。わたしもあなたがたの中にとどまります。枝がぶどうの木にとどまっていなければ、自分では実を結ぶことができないのと同じように、あなたがたもわたしにとどまっていなければ、実を結ぶことはできません。次の御言葉にも注目したいと思います。【新改訳聖書2017】ローマ人への手紙7章5,...実(3)

  • 実(2)

    実(パーラー(ָפָּרה)は、「多く実らす,繁殖する」の意味で詩篇128篇3節に次のように使われています。あなたの妻は家の奥でたわわに実るぶどうの木のようだ。あなたの子どもちは食卓を囲むときまるでオリーブの若木のようだ。更に箴言31章31節では名詞の「実」(ペリー)が、次のように使われています。彼女の手が稼いだ実を彼女に与え、そのわざを町囲みの中でほめたたえよ。これは箴言の一番最後の章ですが、賢い妻の在り方について綿々とと書き連ねてあります。さも、「このような妻になりなさい」との勧めのように受け取られがちですが、果たしてそうでしょうか。「はじめに」で、私が申し上げましたように、これは、自分の努力で成し遂げることではなく、まさに「御霊の実」なのではないでしょうか。神のうちにあって歩むならば、自然とそのよう...実(2)

  • 実(1)

    第一テサロニケ5章17節に「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべてのことにおいて感謝しなさい。」とありますが、意識的に(魂で)喜びなさいと言っているわけではないと思います。気になって、さらに御言葉を探ってみました。ガラテヤ人への手紙5章22、23節には「御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制です。」とあります。このことから、「喜び」は人の努力や意思で生み出すものではなく、御霊によって湧き出るものなのだと分かりました。「実」について、もっと深く知りたくなりました。そこで今回は、פְּרִי(ペリー)「実」の動詞であるפָּרָה、(パーラー)「多く実らす,繁殖する」について調べてみようと思います。1.初出箇所先ずפָּרָה、(パーラー)「多く実らす,繁殖する」の初出箇所を見...実(1)

  • 座る、歩く、立つ

    今日は、主の御もとに「座る、とどまる、住む」(ヤーシャヴיָשַׁב)ということについて考えてみたいと思います。私がこの言葉に関心を持ったのは、以下の御言葉に惹かれたからです。[ルカの福音書10:39]彼女にはマリアという姉妹がいたが、主の足もとに座って、主のことばに聞き入っていた。マリアは、イェシュアの足もとに「座って」(ヤーシャヴיָשַׁב)主のことばに聞き入っていると書いてあります。マリアが、イェシュアの足もとに座っていたというところに着目して、キリストにとどまるとは、イェシュアの足もとに座ることなのではないかと思いました。マリアの霊性はダビデの霊性にも通じる「ただ一つのこと」を求めたことに表れています。続く42節では、イェシュアからこう言われています。【新改訳2017】ルカの福音書10章4...座る、歩く、立つ

  • 裁きについて

    数年前、私は黙示録を学んでいて、われわれキリスト者が受けるキリストの御座のさばきと非信仰者が受ける白い御座のさばきとは別々の時点で行われることを知り、キリストの「さばき」(ディーンדִּין)について大いに関心を持つようになりました。ところで、私の一番好きな御言葉は詩篇73章25,26節です。【新改訳聖書2017】詩篇73篇25,26節あなたのほかに天では私にだれがいるでしょう。地では私はだれをも望みません。この身も心も尽き果てるでしょう。しかし神は私の心の岩とこしえに私が受ける割り当ての地。善きお方はイェシュアだけ、誰よりも麗しく愛しいお方はイェシュアです。私の原動力はイェシュアです。無くてはならないお方はイェシュアのみです。それが端的に表されているこの御言葉に私の想いが重なります。さて、こ...裁きについて

  • 通るべき道

    先日、私が学んでいるクラスで聞いたお話です。「聖所の入り口」と「聖所と至聖所との間」に二つの垂れ幕があって、素材はいずれも同じですが、デザインが異なっています。「聖所と至聖所とを仕切っている垂れ幕」には、「聖所の入り口の幕」にはない「ケルビム」が織り込まれています。アダムとイブがエデンの園を追い出された時に二つのケルビムがそこを守ったという記述が創世記3章24節にありますが、垂れ幕に織り込まれているケルビムは、そのことと関連があるのです。創世記3章章24節に書かれているケルビムは神様のプロセスを通らないと、エデンの園に入ることも、命の木に手を伸ばして食べることもと言うことを示すためでした。[ヘブル人への手紙10章19~20節]19こういうわけで、兄弟たち。私たちはイエスの血によって大胆に聖所に入ることがで...通るべき道

  • 置く

    「造る」にも4種類のヘブル語があったように、「置く」にも複数のヘブル語があります。前回は、「スィーム」שִׂיםを見てきましたが、他に「シート」שִׁיתにも「置く」という意味があります。前者は614回で後者は86回です。[創世記3:15]わたしは敵意を、おまえと女の間に、おまえの子孫と女の子孫の間に置く。彼はおまえの頭を打ち、おまえは彼のかかとを打つ。3章15節の「置いた」(シート)は、「蛇の子孫」と「女の子孫」との間に神が深い意図をもって敵意を期間限定で置かれたというニュアンスです。蛇の子孫とはサタンに属する者、つまり、アダム系列に属する民のことで、女の子孫とはイェシュアに属する者、つまり、最後のアダム系列に属する者という意味です。キリストによって新しく生まれていない者は、皆、サタンに属してしまいます...置く

  • のろい

    [創世記3:16]女にはこう言われた。「わたしは、あなたの苦しみとうめきを大いに増す。あなたは苦しんで子を産む。また、あなたは夫を恋い慕うが、彼はあなたを支配することになる。」【新改訳チェーン式バイブル】の脚注を見ると、「女への刑罰は二重である。第一は出産の苦しみであり、第二は夫への隷属である。」とあります。つまり16節を女に対する刑罰だと説明しています。16節のみならず、17~19節までもが、「人は自分の蒔いたものを刈り取ることになる」という意味で、「女」と「人」が食べてはならない善悪の知識の木から食べたことに対する刑罰として解釈されているのです。これが福音派の中心的な解釈です。果たして16節はそのような意味なのでしょうか。文脈を考えるなら、15節には福音が告げられていました。その流れで16節を理...のろい

  • 産みの苦しみ

    [創世記3:16]女にはこう言われた。「わたしは、あなたの苦しみとうめきを大いに増す。あなたは苦しんで子を産む。また、あなたは夫を恋い慕うが、彼はあなたを支配することになる。」【新改訳チェーン式バイブル】の脚注を見ると、「女への刑罰は二重である。第一は出産の苦しみであり、第二は夫への隷属である。」とあります。つまり16節を女に対する刑罰だと説明しています。16節のみならず、17~19節までもが、「人は自分の蒔いたものを刈り取ることになる」という意味で、「女」と「人」が食べてはならない善悪の知識の木から食べたことに対する刑罰として解釈されているのです。これが福音派の中心的な解釈です。果たして16節はそのような意味なのでしょうか。文脈を考えるなら、15節には福音が告げられていました。その流れで16節...産みの苦しみ

  • 男と女

    [創世記2章23節]人は言った。「これこそついに私の骨からの骨、私の肉からの肉。これを女と名づけよう男から取られたのだから。」「女」は「霊」を意味する「男」の「あばら骨」によって造り上げられました。人はこの親密な関係を「男」(イーシュאִישׁ)「女」(イッシャーאִשָּׁה)と言い表しました。この二つの語彙をよく観察すると、不思議な関係が見えてきます。ここで質問です。二つの語彙の中に、相手にあって自分には無い文字といえば何でしようか。男(イーシュ)の場合は「ヘー(ה)」女(イッシャー)の場合は「ヨッド(י)」です。男と女が一体となるところに「ヤー」(יָה)が存在します。この「ヤー」(יָה)は神聖四文字(יהוה)を省略したもので、固有名詞の【主】を意味します。אִשָּׁה&אִישׁもし「イーシ...男と女

  • 造る

    創世記の学びに戻りましょう。創世記1~2章には、神が①〜④であることが記されているのでしたね。①創造者一天と地(神と人が共に住む家)を創造する「バーラーבָּרָא」②制作者一大空を造る「アーサーעָשָׂה」③陶器師一人を形造る「ヤーツァルיָצַר」④建築家一女に造り上げる(「バーナー(בָּנָה)=建て上げる)創世記1章1節では「天と地」を創造された(「バーラー」בָּרָא)「創造者」である一方、1章6節では「水と水を分けてその間に大空」を造った(「アーサー」עָשָׂה)「制作者(作成者)」にたとえられます。それぞれその働きは異なっていますが、その主体は神(神である主)です。特に、聖書の創造は「無からの創造」というよりは、「混沌荒涼」とした世界を「夕があり、朝があった」にたとえられるように、全...造る

  • ひとり

    今までの復習をしておきたいと思います。(1)神である主が地における大地のちりで人を形造り、その鼻からいのちの息を吹き込むことで、人は生きるものとされました。主と人は顔と顔を合わせています。そのとき、地と天はつながったのです。(2)神である主はその人を「エデンの園」に置かれ、そこに見るからに好ましく、食べるのに良いすべての木を、そして園の中央にいのちの木を、また善悪の知識の木を生えさせました。それだけでなく、そこに一つの川が湧き出て、園を潤していました。木と川は人が食べ飲みするたとえです。「木」は神(キリスト)のことばを、「川」はいのちの水の流れである聖霊を象徴しています。(3)神である主は人をエデンの園に連れて来て、そこに置かれました。その行為には、「結婚」と「安息」の概念が含まれていました。(4)さら...ひとり

  • 善悪の木

    2章16節では、人に対するはじめての命令が語られます。今回はこの命令が意味することを取り上げます。[創世記2章16~17節]16神である【主】は人に命じられた。「あなたは園のどの木からでも思いのまま食べてよい。17しかし、善悪の知識の木からは、食べてはならない。その木から食べるとき、あなたは必ず死ぬ。」16~17節は、原文では、主が「命じた」という表現になっています。主が人間に初めて「命じた」箇所です。「命じられた」は、ヘブル語で「ツァーヴァー」(צָוָה)ですが、これが、正確に訳されていないのです。日本語訳では、16節は、命令というよりも、許容的な表現になっています。「あなたは園のどの木からでも思いのまま食べてよい。」このように、柔らかい表現に変わってしまっています。けれども、新共同訳は原文に忠実に...善悪の木

  • 刻印

    [イザヤ書49:15,16]「女が自分の乳飲み子を忘れるだろうか。自分の胎の子をあわれまないだろうか。たとえ女たちが忘れても、このわたしは、あなたを忘れない。見よ、わたしは手のひらにあなたを刻んだ。父なる神という呼び名が聖書の中に書かれているのは、よく目にしますけれども、母に例えている箇所はそんなに多くはない気がします。刻印が押されているとは凄いことだと思います。それは決して消えないのではないでしょうか。けれども、私たちも神の愛が聖霊をもって証印されているように思います。証印されているからには決してなくならないし、消せないものだと思います。神の愛が私たちの内に証印されていると同時に神の手にも私たちの名が刻印されているという事は何と大きな恵みだと思わされました。しかも、刻印ということは、キリストの十字架上の...刻印

  • あばら骨

    【新改訳2017】創世記2章21節神である【主】は、深い眠りを人に下された。それで、人は眠った。主は彼のあばら骨の一つを取り、そのところを肉でふさがれた。【聖書協会共同訳】そこで、神である主は人を深い眠りに落とされた。人が眠り込むと、そのあばら骨の一つを取り、そこを肉で閉ざされた。「取る」について21節には、多くの新しい語彙が登場します。「取る」「ラーカハ」(לָקַח)は、すでに15節で「連れて来る」という意味で使われており、21,22,23節でも繰り返されます。「ラーカハ」は「めとる(娶る)、召す」という意味があります。人に「ふさわしい助け手」を造るための神の行為として使われています。「眠り」についてなぜ、神が人を深い眠りに落とさなければならなかったのでしょうか。「深い眠り」と訳された語彙は「タルデー...あばら骨

  • 祈り、そして、御国

    聖書で初めて「祈り」が出くるのが次の箇所です。【[創世記4:25,26]アダムは再び妻を知った。彼女は男の子を産み、その子をセツと名づけた。カインがアベルを殺したので、彼女は「神が、アベルの代わりに別の子孫を私に授けてくださいました」と言った。セツにもまた、男の子が生まれた。セツは彼の名をエノシュと呼んだ。そのころ、人々は主の名を呼ぶことを始めた。】主の名を呼ぶということは、祈ったということと同じなのではないでしょうか。すばらしい祭司であったアベルが殺されてしまったのでその代わりにセツが与えられました。「セツ」はアベルの代わりに「置かれる」という意味です。セツの子が「エノシュ」(אֱנוֹשׁ)です。「弱い」という意味です。そのころ「人々は主の名を呼び始めた」とあります。それまではしていなかったのでしょ...祈り、そして、御国

  • 生えさせた

    [創世記2章9節]神である主は、その土地に、見るからに好ましく、食べるのに良いすべての木を、そして、園の中央にいのちの木を、また善悪の知識の木を生えさせた。①「見るからに好ましい木」②「食べるのに良い木」③「いのちの木」④「善悪の知識の木」ここに登場するのは、すべて「木」(エーツעֵץ)です。これは人が食べるための「木」であり、「木」(エーツעֵץ)は「神のことば」の象徴です。これは、人が食べるための木であり、私たちが目にする樹木ではありません。神の言葉を意味します。「生えさせた」(ツァーマハצָמַח)冒頭にある「生えさせた」は今回で二度目です(2:5)。9節の中心となる語彙です。つまり神である主は、エデンの園に人が食べる木を生えさせたのです。「生える」の「ツァーマハ」(צָמַח)が名詞で使われるとき...生えさせた

  • エデン

    今日は、先ず最初に、「エデンの園」について見ていきましょう。[創世記2章8節]神である主は東の方のエデンに園を設け、そこにご自分が形造った人を置かれた。「エデンの園」はヘブル語で「ガン・ベエーデン」גַּןֹבְּעֵתֶןと言います。「ガン・ベエーデン」גַּןֹבְּעֵתֶןは「エデンにある園」の意味で、ニつの言葉からなっています。「エーデン」עֵתֶןとは「楽しみのある贅沢な所」であり、「良いものがたくさんあってそれを思いのまま食べてよい所」であり、しかも「豊かな水のある所」です。創世記2章にある「エデンの園」は「幕屋」「神殿」「教会」(キリストのからだ)「メシア王国」、そして究極的には黙示録21~22章にある「新しいエルサレム」へと展開します。「園」(「ガン」גַן)は「囲われたとこ...エデン

  • 愛こそ全て

    最近、私は、キリストの愛に勝るものはないと感じています。様々な方が各々の意見と考えをもって自己主張する時、混乱があり分裂があります。けれども、愛は解釈や意見の相違を超えてすべてを覆い、すべてを結ぶ鍵なのだと思うのです。聖書の根本的な基軸となるイエスキリストの受難と復活、そして再臨の希望、御国の希望を外して異端的な教えを奉じてくる場合を除いて、妥協でもなく、調子を合わせるわけでもなく愛はすべての違いを超えてすべての信徒(エクレシア)を結び合わせる帯なのだと思います。聖書にもそう書いてありますね。1Jn3:14わたしたちは、兄弟を愛しているので、死からいのちへ移ってきたことを、知っている。愛さない者は、死のうちにとどまっている。1Jn4:8愛さない者は、神を知らない。神は愛である。1Jn4:20「神を愛してい...愛こそ全て

  • 恐れに取り憑かれていませんか

    [詩篇125:1]主に信頼する人々はシオンの山のようだ。揺るぐことなくとこしえにながらえる。[マタイの福音書14:27]イエスはすぐに彼らに話しかけ、「しっかりしなさい。わたしだ。恐れることはない」と言われた。人生の海をわたる私たちは、たとえ暗やみに行く手をさえぎられたり、暴風に襲われたりするようなことがあっても、イエスが波の上を歩いて私たちに近づき「わたしです」と声をかけて下さるなら、何を恐れることがありましょう。この世の試練の波にもまれ、自分の信仰の弱さを悟って、謙虚に、弟子たちがしたように、イエスの足もとにひれ伏して、主を拝することができたら、どんなに幸いでしょうか。0.ハレスビー@自分が不安が強く恐れやすいものですけれども、イエス様が「恐れることないよ、わたしがここにいるでしょ」と言ってくださって...恐れに取り憑かれていませんか

  • 矢内原忠雄さんの解釈

    【[ルカの福音書10:25,26,27,28,29,30,31,32,33,34,35,36,37]さて、ある律法の専門家が立ち上がり、イエスを試みようとして言った。「先生。何をしたら、永遠のいのちを受け継ぐことができるでしょうか。」イエスは彼に言われた。「律法には何と書いてありますか。あなたはどう読んでいますか。」すると彼は答えた。「『あなたは心を尽くし、いのちを尽くし、力を尽くし、知性を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい』、また『あなたの隣人を自分自身のように愛しなさい』とあります。」イエスは言われた。「あなたの答えは正しい。それを実行しなさい。そうすれば、いのちを得ます。」しかし彼は、自分が正しいことを示そうとしてイエスに言った。「では、私の隣人とはだれですか。」イエスは答えられた。「ある人が、エ...矢内原忠雄さんの解釈

  • 私の理解

    ルカの福音書10:25,26,27,28,29,30,31,32,33,34,35,36,37]さて、ある律法の専門家が立ち上がり、イエスを試みようとして言った。「先生。何をしたら、永遠のいのちを受け継ぐことができるでしょうか。」イエスは彼に言われた。「律法には何と書いてありますか。あなたはどう読んでいますか。」すると彼は答えた。「『あなたは心を尽くし、いのちを尽くし、力を尽くし、知性を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい』、また『あなたの隣人を自分自身のように愛しなさい』とあります。」イエスは言われた。「あなたの答えは正しい。それを実行しなさい。そうすれば、いのちを得ます。」しかし彼は、自分が正しいことを示そうとしてイエスに言った。「では、私の隣人とはだれですか。」イエスは答えられた。「ある人が、エルサ...私の理解

  • 家庭集会

    [ルカの福音書10:25,26,27,28,29,30,31,32,33,34,35,36,37]さて、ある律法の専門家が立ち上がり、イエスを試みようとして言った。「先生。何をしたら、永遠のいのちを受け継ぐことができるでしょうか。」イエスは彼に言われた。「律法には何と書いてありますか。あなたはどう読んでいますか。」すると彼は答えた。「『あなたは心を尽くし、いのちを尽くし、力を尽くし、知性を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい』、また『あなたの隣人を自分自身のように愛しなさい』とあります。」イエスは言われた。「あなたの答えは正しい。それを実行しなさい。そうすれば、いのちを得ます。」しかし彼は、自分が正しいことを示そうとしてイエスに言った。「では、私の隣人とはだれですか。」イエスは答えられた。「ある人が、エ...家庭集会

  • 御国について

    [マタイの福音書3:2]「悔い改めなさい。天の御国が近づいたから」と言った。これは、バプテスマのヨハネの言葉ですね。イエス様が公的な働きを始められる前の道備えをする為に宣言されました。[マタイの福音書4:17]この時からイエスは宣教を開始し、「悔い改めなさい。天の御国が近づいたから」と言われた。マルコの福音書では、「時が満ちた」と書かれています。歴史の中で、この時にイエスが宣教を開始されることを神はご計画されていて、多くの預言者によって、イエスの到来を預言してこられました。遂に、その主なる神が人として来られたのです。そして、開口一番に語られたのが、「悔い改めなさい、天の御国が近づいたから。」でした。「悔い改めなさい」とは、神の方向に向きを変えなさいという意味です。そして、御国とは、神のご支...御国について

  • 2021/10/23 プリスキラ

    2021-10-2307:22:00プリスキラ本日はこの箇所から黙想しました牧師の書斎を参照しました指揮者のために。ダビデの賛歌。歌1神よ。あなたの御前には静けさがあり、シオンには賛美があります。あなたに誓いが果たされますように。2祈りを聞かれる方よ。みもとにすべての肉なる者が参ります。3咎が私を圧倒しています。しかし、あなたは、私たちのそむきの罪を赦してくださいます。4幸いなことよ。あなたが選び、近寄せられた人、あなたの大庭に住むその人は。私たちは、あなたの家、あなたの聖なる宮の良いもので満ち足りるでしょう。5私たちの救いの神よ。あなたは、恐ろしい事柄をもって、義のうちに私たちに答えられます。あなたは、地のすべての果て果て、遠い大海の、信頼の的です。6あなたは、御力によって山々を堅く建て、力を帯びておら...2021/10/23プリスキラ

  • 2023/12/4 プリスキラ

    【[コリント人への手紙第二13:8,9,11]私たちは、真理に逆らっては何もすることができませんが、真理のためならできます。私たちは、自分は弱くても、あなたがたが強ければ喜びます。あなたがたが完全な者になること、このことも私たちは祈っています。最後に兄弟たち、喜びなさい。完全になりなさい。慰めを受けなさい。思いを一つにしなさい。平和を保ちなさい。そうすれば、愛と平和の神はあなたがたとともにいてくださいます。完全になるとは、どういうことでしょう。皆さんで考えてみましょう。私たちは、この地上では完全になることはできないのに、このように完全になりなさいと命ぜられているのは、何故でしょうか。それは、イエス様の義の衣を着る時にだけ、イエス様の影に隠れて、イエス様の中に逃げ込む時にだけ、父なる神様は不完全な私を見るの...2023/12/4プリスキラ

  • 2023/7/12 プリスキラ

    [マルコの福音書8:34,35]それから、群衆を弟子たちと一緒に呼び寄せて、彼らに言われた。「だれでもわたしに従って来たければ、自分を捨て、自分の十字架を負って、わたしに従って来なさい。自分のいのちを救おうと思う者はそれを失い、わたしと福音のためにいのちを失う者は、それを救うのです。[ヨハネの福音書12:25]自分のいのちを愛する者はそれを失い、この世で自分のいのちを憎む者は、それを保って永遠のいのちに至ります。@原文で読むと、3番目の「いのち」は「霊」であり、あとの2つが「魂」であって、その人自身を表しています。クリスチャンとして、私たちの生活の標準は決して善悪ではなく十字架です。十字架の原則が私たちの行いの原則です。クリスチャンは正しいか間違っているかではなく、十字架の原則と御父の完全の原則によって、...2023/7/12プリスキラ

  • 2023/11/27

    2023-11-2713:13:25プリスキラ[コリント人への手紙第二13:8,9,11]私たちは、真理に逆らっては何もすることができませんが、真理のためならできます。私たちは、自分は弱くても、あなたがたが強ければ喜びます。あなたがたが完全な者になること、このことも私たちは祈っています。最後に兄弟たち、喜びなさい。完全になりなさい。慰めを受けなさい。思いを一つにしなさい。平和を保ちなさい。そうすれば、愛と平和の神はあなたがたとともにいてくださいます。また、今日は、欲張って、もう一つのテーマについて、考えてみたいと思います。今、世界中に注目されているイスラエルについての予言を見てみたいと思います。創世記には、イスラエルを祝福する者は祝福されると書かれていますが、イスラエルを祝福するとは、具体的には、イスラ...2023/11/27

  • 2023/7/12

    【ヤコブの手紙4:6】神は、さらに豊かな恵みを与えてくださる」と。それで、こう言われています。「神は高ぶる者には敵対し、へりくだった者には恵みを与える。」サタンは食い尽くすべきものを探し求めているのですが、神の御手の下にへりくだっていけば、神の時に高くしてくださるのです。思い患いはあっても、(経験や感覚によって絶対に思い煩いはあるのですが、そうではあっても、)イエス様の人格に対する信頼ゆえに、ひたすら信じていくことができるわけですね。暫くの苦しみの時を経て、(苦しみはあると書いてあるわけですから、必ず苦しみはあるのですが、)神様ご自身が、後に、私たちをを堅く立たせてくださるのです。私たちがすべきことは只一つ、力強い神の御手の下にへりくだることなのですが、でも、これがなかなかできないのです。へりくだるとは、...2023/7/12

  • 2023/5/6 プリスキラ

    以下、ソルトさんメッセージより[マタイの福音書5:1,2,3,4]その群衆を見て、イエスは山に登られた。そして腰を下ろされると、みもとに弟子たちが来た。そこでイエスは口を開き、彼らに教え始められた。「心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人たちのものだからです。悲しむ者は幸いです。その人たちは慰められるからです。ユダヤ人はラビが重要なことをお話になる時は腰をかけてお話になります。それと同じように、とても重要なことを話す時はイエス様は腰かけて話します。それを見ていた群衆たちはこれからイエスはとても重要なことを言うぞと身構えていたに違いありません。教え始められたと書いてありますが原文ではそれは何回も何回も語られたという意味になります。マタイはそのイエスが何回も何回も語られたことを編集してまとめてここに書いてい...2023/5/6プリスキラ

  • 2023/4/15 プリスキラ

    2023-04-1512:34:24以下、牧師の書斎より抜粋引用[雅歌1:2,3]あの方が私に口づけしてくださったらよいのに。あなたの愛は、ぶどう酒にまさって麗しく、あなたの香油は香り芳しく、あなたの名は、注がれた香油のよう。そのため、おとめたちはあなたを愛しています。●雅歌での「口づけ」は、父親が放蕩息子を抱いて口づけ(ルカ15:20)したのとは異なります。その口づけは赦しと受容のしるしです。また、イスカリオテのユダがイェシュアにした「口づけ」とも異なります(マタイ26:49)。そもそも「口づけ」するとは、花婿と花嫁が顔と顔を合わせてする行為です。「口づけ」は個人的な愛を表すものです。そのような関係を花嫁は持ちたいと願っているのです。それは神のみおしえ、あるいは花婿をとおして語られる神のことばの真意が直...2023/4/15プリスキラ

  • 2023/3/6 プリスキラ

    以下、ソルトさんメッセージよりキリストは私たちの罪のために十字架で死んでくださいました。3日目によみがえりました。今はは天に上って大祭司となって、私たちのために執り成しをしてくださっています。そしてこの方は、後に栄光の王として地上に戻って来られます。この希望に私たちは生きています。【いつも喜んでいなさい】人の喜びとクリスチャンの喜びは何が違うのでしょうか。大体このような人たちの喜びと言うのは、体に関すること、お金に関すること、地位に関すること、名声に関することです。健康だったら喜ぶことができる。でも、健康じゃなくなったら、病気になったら、喜ぶことができない。富が蓄積されてくると嬉しい。だから、富がなくなると嬉しさがなくなる。有名になると嬉しい。評価されると嬉しい。だから評価されなくなると悲しくなるのです。...2023/3/6プリスキラ

  • 2022/10/01 プリスキラ

    2022-10-0113:41:37プリスキラ[ヨハネの手紙第一5:4,5]神から生まれた者はみな、世に勝つからです。私たちの信仰、これこそ、世に打ち勝った勝利です。世に勝つ者とはだれでしょう。イエスを神の御子と信じる者ではありませんか。[ヨハネの福音書16:11]さばきについてとは、この世を支配する者がさばかれたからです。[ヨハネの福音書18:36]イエスは答えられた。「わたしの国はこの世のものではありません。もしこの世のものであったら、わたしのしもべたちが、わたしをユダヤ人に渡さないように戦ったでしょう。しかし、事実、わたしの国はこの世のものではありません。」[コリント人への手紙第二4:4]彼らの場合は、この世の神が、信じない者たちの思いを暗くし、神のかたちであるキリストの栄光に関わる福音の光を、輝か...2022/10/01プリスキラ

  • 2022/09/03 プリスキラ

    [詩篇42:2]私のたましいは神を生ける神を求めて渇いています。いつになれば私は行って神の御前に出られるのでしょうか。[詩篇63:1]神よあなたは私の神。私はあなたを切に求めます。水のない衰え果てた乾いた地で私のたましいはあなたに渇き私の身もあなたをあえぎ求めます。この二つの詩には、共通点があります。二つともダビデの詩であり、二つの詩とも、ダビデがあまりにも心が辛く、大変な困難の中に居た時に謳った詩だということです。詩篇42篇は、ダビデからサウル王から不条理な濡れ衣を着せられ、命辛々逃げ惑わなければならなかった時に書いた詩であり、詩篇63篇は、もっと悲惨な状況です。息子アブサロムが権力に目がくらみ、父ダビデの首元に短刀を突きつけるかのようにクーデターを起こし、何もかも捨てて逃亡しなければならなくなった悲惨...2022/09/03プリスキラ

  • 2022/5/18プリスキラ

    [詩篇21:13]主よあなたの御力のゆえにあなたがあがめられますように。大いなる御力を私たちは歌いほめ歌います。最近の話を証し、この御言葉に行き着いたことを話したインドネシア語の勉強を1年間続けたけど、達成できなくても、無駄に感じても、神の国と義を求め、イェシュアを求め、永遠に変わらないものを第一に求めることの大事さに気が付いたことを伝えた2022/5/18プリスキラ

  • 2022/07/09 プリスキラ

    2022-07-0917:51:37プリスキラ今日の箇所は[ローマ人への手紙7:24,25、8:1〜7]【私は本当にみじめな人間です。だれがこの死のからだから、私を救い出してくれるのでしょうか。私たちの主イエス・キリストを通して、神に感謝します。こうして、この私は、心では神の律法に仕え、肉では罪の律法に仕えているのです。こういうわけで、今や、キリスト・イエスにある者が罪に定められることは決してありません。なぜなら、キリスト・イエスにあるいのちの御霊の律法が、罪と死の律法からあなたを解放したからです。肉によって弱くなったため、律法にできなくなったことを、神はしてくださいました。神はご自分の御子を、罪深い肉と同じような形で、罪のきよめのために遣わし、肉において罪を処罰されたのです。それは、肉に従わず御霊に従っ...2022/07/09プリスキラ

  • 2022/04/23 プリスキラ

    2022-04-2315:24:37プリスキラ以下、アンドリューマーレ―の著書「キリストのように」」より、抜粋私はキリストと共に十字架につけられました。もはや私が生きているのではなくキリストが私のうちに生きておられるのです。(ガラテヤ2-20)私私には私たちの主イエスキリストの十字架以外に誇りとするものが決してあってはなりません。この十字架によって世界は私に対して十字架につけられ、私の世界に対して十字架につけられたのです。(ガラテヤ6-14)キリストはいつも弟子であることの証拠として十字架を負うことを語られました。三つの箇所(マタイ1-38、16-24、ルカ14-27)に「誰でも私についてきたいと思うなら自分を捨て自分の十字架を負い、そして私についてきなさい」という言葉が繰り返して出てきます。十字架を負...2022/04/23プリスキラ

  • 2021/12/04

    2021-12-0409:45:07プリスキラ———聖書の節(回復訳)———ピリピ1:21なぜなら、わたしにとって生きることはキリストでありローマ8:2なぜなら、命の霊の法則が、キリスト・イエスの中で、罪と死の法則から、わたしを解放したからです。———務めの言———クリスチャンの命とは何でしょうか?クリスチャンの命とは、すなわちキリストです。キリストがわたしたちの中に生きておられるとはどういう意味でしょうか?それは、キリストがわたしたちの命となって、わたしたちに代わって生きてくださることです。わたしたちは主の力に頼って生きるというのではなく、主がわたしたちに代わって生きてくださるのです。これはわたしたちが享受することができる一つの嗣業です。神はキリストをわたしたちの命として与えられました。クリスチャン生活...2021/12/04

  • 2021/07/31 プリスキラ

    赦し2021-07-3121:47:41 プリスキラの会【(ヨハネ福音書20:23)あなたがたがだれかの罪を赦すなら、その人の罪は赦されます。赦さずに残すなら、そのまま残ります。」】【(マタイの福音書18:21,22)そのとき、ペテロがみもとに来て言った。「主よ。兄弟が私に対して罪を犯した場合、何回赦すべきでしょうか。七回まででしょうか。」イエスは言われた。「わたしは七回までとは言いません。七回を七十倍するまでです。】【([マタイの福音書5:46)自分を愛してくれる人を愛したとしても、あなたがたに何の報いがあるでしょうか。取税人でも同じことをしているではありませんか。】[(コロサイ人への手紙3:13,14,15,16,17,18,19,20,21,22,23,24,25)互いに忍耐し合い、だれかがほかの人...2021/07/31プリスキラ

  • 2021/06/25 プリスキラ

    2021-06-2517:01:37 プリスキラの会[第一コリント12章]さて、兄弟たち。御霊の賜物については、私はあなたがたに知らずにいてほしくありません。ご存じのとおり、あなたがたが異教徒であったときには、誘われるまま、ものを言えない偶像のところに引かれて行きました。ですから、あなたがたに次のことを教えておきます。神の御霊によって語る者はだれも「イエスは、のろわれよ」と言うことはなく、また、聖霊によるのでなければ、だれも「イエスは主です」と言うことはできません。さて、賜物はいろいろありますが、与える方は同じ御霊です。奉仕はいろいろありますが、仕える相手は同じ主です。働きはいろいろありますが、同じ神がすべての人の中で、すべての働きをなさいます。皆の益となるために、一人ひとりに御霊の現れが与えられているの...2021/06/25プリスキラ

  • 2021/05/22

    2021-05-2214:47:28プリスキラ[ヨハネの福音書10:1,2,3,4,5,6,7,8,9,10,11,12,13,14,15,16,17,18]「まことに、まことに、あなたがたに言います。羊たちの囲いに、門から入らず、ほかのところを乗り越えて来る者は、盗人であり強盗です。しかし、門から入るのは羊たちの牧者です。門番は牧者のために門を開き、羊たちはその声を聞き分けます。牧者は自分の羊たちを、それぞれ名を呼んで連れ出します。羊たちをみな外に出すと、牧者はその先頭に立って行き、羊たちはついて行きます。彼の声を知っているからです。しかし、ほかの人には決してついて行かず、逃げて行きます。ほかの人たちの声は知らないからです。」イエスはこの比喩を彼らに話されたが、彼らは、イエスが話されたことが何のことなの...2021/05/22

  • 2021/04/16 プリスキラ

    2021-04-1606:06:27 プリスキラの会「今の物差しで将来が図れるわけでもない、自分もこの先どうなるか分からないし、具体的なビジョンを見せられるわけでもない。でも、今まで導いてくださったように神が用意してくださっているのかなあという期待はある。将来が具体的に見えないからこそ日々求めたり祈ったりしながら、より確かだと思うことを選択していかれるのかなと思う。神の計画はそもそも人知を超えているから、思った通りにならないことがむしろ確かな幸福に繋がったりする、今思ってることが全てじゃないし。神の愛は交わりの中に現れるので、信じる者同士が、交わりを保ち、お茶を飲んだり聖書を開いて集まったり、語り合たtりするのは本当に大事だと思う。人知を超えた愛、神は個々の人の名を呼んで、顔を判別し、日常を顧みてくださっ...2021/04/16プリスキラ

  • 2021/03/12プリスキラ

    2021-03-1221:14:00 プリスキラの会本日の聖書箇所(コロサイ人への手紙1:13,14,15,16,17,18,19,20)【御父は、私たちを暗闇の力から救い出して、愛する御子のご支配の中に移してくださいました。この御子にあって、私たちは、贖い、すなわち罪の赦しを得ているのです。御子は、見えない神のかたちであり、すべての造られたものより先に生まれた方です。なぜなら、天と地にあるすべてのものは、見えるものも見えないものも、王座であれ主権であれ、支配であれ権威であれ、御子にあって造られたからです。万物は御子によって造られ、御子のために造られました。御子は万物に先立って存在し、万物は御子にあって成り立っています。また、御子はそのからだである教会のかしらです。御子は初めであり、死者の中から最初に生ま...2021/03/12プリスキラ

  • 2021/02/09 プリスキラ

    2021-02-0919:02:39 プリスキラの会(コリント人への手紙第二12:9、10)「しかし主は、「わたしの恵みはあなたに十分である。わたしの力は弱さのうちに完全に現れるからである」と言われました。ですから私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう。ですから私は、キリストのゆえに、弱さ、侮辱、苦悩、迫害、困難を喜んでいます。というのは、私が弱いときにこそ、私は強いからです。」私はとかく心配性でマイナス思考で困ります。先日も、母の施設から今日明日どうなってもおかしくないと告げられたら、明日にでも死んでしまうかもしれない、お葬式とかなったら集まりどころではないから中止って早まって決断しました。そんな失敗をしても、神様はちゃんとお前の力じゃないよ、成すのは神ご自身だ...2021/02/09プリスキラ

  • 着なさい

    「思春期の葛藤と困難に対して」思春期の子供の葛藤と困難に対して、親としてどのように対処したら良いのでしょうか。自分に対しても友達に対しても、非常に批判的になり、それが残酷性をおびることもあります。〜友達からの心無い言葉や扱いに対して、親が子供にしてあげられることはそんなに多くはありませんが、子供が対人関係で困難にぶつかった時に、自分でうまく対処する準備をする為に、自信と自尊心を築けるように子供と接することはできます。(『見つけた子育ての喜び』バーバラバウマンより抜粋引用)次の御言葉黙想して、親として、子供にどのように接することが望ましいでしょうか。[コロサイ人への手紙3:12,13,14]ですから、あなたがたは神に選ばれた者、聖なる者、愛されている者として、深い慈愛の心、親切、謙遜、柔和、寛容を着なさい。...着なさい

  • 霊とたましい

    前回の学びで、本来、神は人に息を吹きかけて生きる者としたのですけれど、サタンによって霊的な機能不全に陥らせられて、そこで、神と断絶してしまったことを学びました。霊の機能が死んでしまい、神と共に生きることができなくなっしまったので、イェシュアが人となって来る必要があったのでしたね。イェシュアが霊を吹き込んでくださって、人と神が共に生きることを回復しくださったのですね。これがキリストにある新創造です。そのようなわけで、人は内なる霊が再生され、人は神と交わる機能が回復されることとなったのです。「新しい人」の概念は聖書に散りばめられています。[コリント人への手紙第二5:17]ですから、だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。[ロー...霊とたましい

  • 2024/02/20

    [ヨブ記42:5,6]私はあなたのことを耳で聞いていました。しかし今、私の目があなたを見ました。それで、私は自分を蔑み、悔いています。ちりと灰の中で。高慢になりかねない私達ですが、どこから救われたのかに思いを馳せるならば、高慢になれるはずはないですよね。私たちはともすると自分は救われていて救われていない人よりも高いところにいる、自分は特別だ、自分は救われていない人とは違うんだというような、高みにいるような意識がありますけれども、そもそも救われたのは恵みによるものですし、どんなところから救い出されたかを思い起こすならば、本当に高慢になることなんてできませんね。ヨブは苦しみを負って、不条理理不尽なところに置かれたところから神様に出会いました。どんなところにいても、どんなに不条理で理不尽に思える苦境の中にい...2024/02/20

  • 主を自らの喜びとせよ

    [詩篇37:1,2,3,4,5,7,8,9]悪を行う者に腹を立てるな。不正を行う者にねたみを起こすな。彼らは草のようにたちまちしおれ青草のように枯れるのだから。主に信頼し善を行え。地に住み誠実を養え。主を自らの喜びとせよ。主はあなたの心の願いをかなえてくださる。あなたの道を主にゆだねよ。主に信頼せよ。主が成し遂げてくださる。主の前に静まり耐え忍んで主を待て。その道が栄えている者や悪意を遂げようとする者に腹を立てるな。怒ることをやめ憤りを捨てよ。腹を立てるな。それはただ悪への道だ。悪を行う者は断ち切られ主を待ち望む者彼らが地を受け継ぐからだ。「主を信頼し、善を行え」といっても、どんな風に?と思ったけれど、前の節には悪を行う者に腹を立てるな、不法を行う者に妬みを起こすなって書いてあるので悪をもって悪に返すなっ...主を自らの喜びとせよ

  • 解放

    2024/2/18ファミリーバイブルクラス[イザヤ書40:31]しかし、主を待ち望む者は新しく力を得、鷲のように、翼を広げて上ることができる。走っても力衰えず、歩いても疲れない。クリスチャンの歩みにおいて最も必要なものの一つは、神との交わりです。人に与えるためには、まず神から与えられなければなりません。なぜなら人の飢えを満たし、その渇きを潤すものを、私たちは何一つ持っていないからです。神との交わりは、私たちがその務めを果たす力を与えてくれるのです。J・R・ミラー[ローマ人への手紙7:24,258:1,2]私は本当にみじめな人間です。だれがこの死のからだから、私を救い出してくれるのでしょうか。私たちの主イエス・キリストを通して、神に感謝します。こうして、この私は、心では神の律法に仕え、肉では罪の律法に仕...解放

  • 伝道活動

    【[ルカの福音書10:17,18,19,20]さて、七十二人が喜んで帰って来て言った。「主よ。あなたの御名を用いると、悪霊どもでさえ私たちに服従します。」イエスは彼らに言われた。「サタンが稲妻のように天から落ちるのを、わたしは見ました。確かにわたしはあなたがたに、蛇やサソリを踏みつけ、敵のあらゆる力に打ち勝つ権威を授けました。ですから、あなたがたに害を加えるものは何一つありません。しかし、霊どもがあなたがたに服従することを喜ぶのではなく、あなたがたの名が天に書き記されていることを喜びなさい。」】1.弟子たちが伝道活動の一部しか報告しなかったのは何故でしょう。弟子たちは、この世の物差しでしか考えていなかった。力と力の関係が世の中の考え方です。世の中はすべてが力の戦いです。それと変わらない価値観で弟子たちは行...伝道活動

  • 主の愛

    私が苦しみの果てに悶え苦しんでいる時主に目を向けるなら解放されるばかりか溢れるような愛を注いでくださる痛みと恨みと悪意と恐れと思い煩いに取り憑かれて身悶えしている時パウロの言葉が迫ってきた私はなんという惨めな者かこの私を罪の深みから救い出してくださるのはイエス様だけだと実際に罪の縄目から解放されたことを体験しイエス様の愛が内側に溢れ出したなら今まで以上にイエス様を愛さずにはいられない私はどうしたらいいのだろうと思いが堂々巡りして、迷い道を彷徨い疲れ果ていた時、「お前は何もしなくて良いわたしがなんとかするから」とイエス様が言ってくださった私は思う自分は、なんという惨めな人間かというどん底の無力感に苛まれないとイエス様の愛は降り注がないのかもしれない自分には自分を救う何の手立てもないことを思い知る時自分でそん...主の愛

  • 1月ファミリーバイブルクラスの記録

    [詩篇71:20]あなたは私を多くの苦難とわざわいとにあわせられましたが私を再び生き返らせ地の深みから再び引き上げてくださいます。[ピリピ人への手紙1:9]私はこう祈っています。あなたがたの愛が、知識とあらゆる識別力によって、いよいよ豊かになり、[テモテへの手紙第一2:4]神は、すべての人が救われて、真理を知るようになることを望んでおられます。神様が苦しみをを与えるときに意味もなく与えるのではないということを感じた。神に立ち返る、それが、苦しみに合わせられたことの意味なんじゃないかと思った。神の国と義を第一に求めることの大切さに気づかせるために苦しみが起こされるんじゃないかと思った。次の御言葉の「真理を知るようになること」とあるけれども、これも同じような意味なんじゃないかと思った。真理はイエス様の事ですよ...1月ファミリーバイブルクラスの記録

  • わたしにとどまりなさい

    [ヨハネの福音書15:9,10,11,12,13,14,15]父がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを愛しました。わたしの愛にとどまりなさい。わたしがわたしの父の戒めを守って、父の愛にとどまっているのと同じように、あなたがたもわたしの戒めを守るなら、わたしの愛にとどまっているのです。わたしの喜びがあなたがたのうちにあり、あなたがたが喜びで満ちあふれるようになるために、わたしはこれらのことをあなたがたに話しました。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合うこと、これがわたしの戒めです。人が自分の友のためにいのちを捨てること、これよりも大きな愛はだれも持っていません。わたしが命じることを行うなら、あなたがたはわたしの友です。わたしはもう、あなたがたをしもべとは呼びません。しもべなら主...わたしにとどまりなさい

  • 2月プリスキラ土曜日クラス

    【[ルカの福音書22:55,56,57,58,59,60,61,62]人々が中庭の真ん中に火をたいて、座り込んでいたので、ペテロも中に交じって腰を下ろした。すると、ある召使いの女が、明かりの近くに座っているペテロを目にし、じっと見つめて言った。「この人も、イエスと一緒にいました。」しかし、ペテロはそれを否定して、「いや、私はその人を知らない」と言った。しばらくして、ほかの男が彼を見て言った。「あなたも彼らの仲間だ。」しかし、ペテロは「いや、違う」と言った。それから一時間ほどたつと、また別の男が強く主張した。「確かにこの人も彼と一緒だった。ガリラヤ人だから。」しかしペテロは、「あなたの言っていることは分からない」と言った。するとすぐ、彼がまだ話しているうちに、鶏が鳴いた。主は振り向いてペテロを見つめられた。...2月プリスキラ土曜日クラス

  • イエス様の眼差し

    【[ルカの福音書22:55,56,57,58,59,60,61,62]人々が中庭の真ん中に火をたいて、座り込んでいたので、ペテロも中に交じって腰を下ろした。すると、ある召使いの女が、明かりの近くに座っているペテロを目にし、じっと見つめて言った。「この人も、イエスと一緒にいました。」しかし、ペテロはそれを否定して、「いや、私はその人を知らない」と言った。しばらくして、ほかの男が彼を見て言った。「あなたも彼らの仲間だ。」しかし、ペテロは「いや、違う」と言った。それから一時間ほどたつと、また別の男が強く主張した。「確かにこの人も彼と一緒だった。ガリラヤ人だから。」しかしペテロは、「あなたの言っていることは分からない」と言った。するとすぐ、彼がまだ話しているうちに、鶏が鳴いた。主は振り向いてペテロを見つめられた。...イエス様の眼差し

  • 聖霊の顕現

    【[エペソ人への手紙4:4,5,6,7]あなたがたが召された、その召しの望みが一つであったのと同じように、からだは一つ、御霊は一つです。主はひとり、信仰は一つ、バプテスマは一つです。すべてのものの上にあり、すべてのものを貫き、すべてのもののうちにおられる、すべてのものの父である神はただひとりです。しかし、私たちは一人ひとり、キリストの賜物の量りにしたがって恵みを与えられました。】この御言葉にあるように、神もキリストも御霊も一つですが神はそれぞれに分け与えておられます。御霊も色々な顕われがあります。昨日は、説明が行き届かず、誤解を与えてしまったかもしれません。私の説明ではなく、ウオッチマンニーのキリスト者の標準という最も信頼のおける著書の中からの説明をそのまま載せたいと思います。ウオッチマンニーは、@「聖霊...聖霊の顕現

  • あわれみの器

    造るという言葉には、4種類あります。①創造者一天と地(神と人が共に住む家)を創造する「バーラーבָּרָא」②制作者一大空を造る「アーサーעָשָׂה」③陶器師一人を形造る「ヤーツァルיָצַר」④建築家一女に造り上げる(「バーナー(בָּנָה)=建て上げる)初回時に、1つ目の①「創造する」(バーラー)について語ました。バーラーというヘブル語の中に、父、御子、御霊が表されていることをお話ししました。忘れてしまった方は後で、前の原稿を読んでみてくださいね。今日は、この中の3番目の「形造った」「ヤーツァル」(יָצַר)という言葉について考えてみたいと思います。意味は、「造る、形造る、骨組みを造る、予定される、あらかじめ定められる」などです。この言葉が最初に使われているのは創世記2章7節です。[...あわれみの器

  • 苦難

    ファミリーバイブルクラス2024年1月21日[詩篇119:67〜75]を読んでみましょう。苦しみの意味を考えてみましょう。また、経験などシェアできることがあれば、シェアしてみてくださいね。【神の祝福を受けるという事は、決して人間的に見て、ラッキーな出来事が連続することではありません。順風満帆の日々を送ることでもありません。もっと複雑です。望まぬ出来事に直面し、悲しみや苦しみの道を通ることもあります。私たちが出会う様々な出来事には全てを見通しておられる御方からの具体的なメッセージが含まれているのです。私たちが神を信じ、具体的に御心を求めて生きているにもかかわらず、大きな人生の選択において自分が強く願っていることに深く思い込んでいる事と異なる展開になっていたとしたら、そこにはまず間違いなく神様からのメッセー...苦難

  • 神の名前(追記)

    yushi兄弟に教えていただいたことを記録しておきます。聖書って素晴らしいですね。原語で読むと神様の奥深さに驚嘆します。↓昨日はありがとうございました。いろんなご意見がでて、みことばをいろんな角度から味わえるから感謝ですね。昨日、私がお話ししたことをメモっておきます。①神さまの固有の名前יהוהは、旧約聖書にみだりに唱えてはいけないということが書かれてあるので、ユダヤ人は代わりに主アドナイという読み方をしてきました。その結果、יהוהの読み方がわからなくなりました。現在では、多分ヤハウェという読み方が正しいのではないかと言われています。このיהוהヤハウェということばは、היהハヤー、あるというbe動詞の変化形ではないかと言われています。神さまはご自分の名前は「わたしはある」とおっしゃられています。わたし...神の名前(追記)

  • 神のお名前

    聖書は、自分の側からの視点で読むならば神様の意図を汲み取ることは難しいです。聖書は神様がご自身を啓示している書なので、神のご計画と御心を知るべく、神の側からの視点で読むべきものですね。神は霊なので御霊によって神の意図を尋ね求めて読むことが大事ですね。神のご計画と御心に人がどのように取り込まれていくかを見ていかないと読み間違えてしまいます。例えば、夫婦や親子の間で、物事を判断する時に、頑なに自分の思いや考えを握り締めていると見誤ってしまうことがありますね。もし、視点を変えて、相手の立場や思いに目を向けると、違った見方ができるようになりますね。でも、この場合は、相手も欠けと罪を持った人間ですから、相手の考え方や思いが絶対に正しいわけじゃないです。けれども、天にいらっしゃる神様の御心とご判断には、間違いがあ...神のお名前

  • 神の名前

    聖書は、自分の側からの視点で読むならば神様の意図を汲み取ることは難しいです。聖書は神様がご自身を啓示している書なので、神のご計画と御心を知るべく、神の側からの視点で読むべきものですね。神は霊なので御霊によって神の意図を尋ね求めて読むことが大事ですね。神のご計画と御心に人がどのように取り込まれていくかを見ていかないと読み間違えてしまいます。例えば、夫婦や親子の間で、物事を判断する時に、頑なに自分の思いや考えを握り締めていると見誤ってしまうことがありますね。もし、視点を変えて、相手の立場や思いに目を向けると、違った見方ができるようになりますね。でも、この場合は、相手も欠けと罪を持った人間ですから、相手の考え方や思いが絶対に正しいわけじゃないです。けれども、天にいらっしゃる神様の御心とご判断には、間違いがありま...神の名前

  • 救いについて

    今日は、先ず、【救い】とは何かについて考えてみたいと思います。[ローマ人への手紙10:9,10]なぜなら、もしあなたの口でイエスを主と告白し、あなたの心で神はイエスを死者の中からよみがえらせたと信じるなら、あなたは救われるからです。人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われるのです。救いとは何から救われることを言うのでしょうか。贖いとは、罪を精算していただくことですが救いとは、神の裁きである永遠の滅びから救われることであり、神との断絶から救われることですよね。では、救われている時、人はどのような状態になるのでしょうか。[ペテロの手紙第一1:8,9]あなたがたはイエス・キリストを見たことはないけれども愛しており、今見てはいないけれども信じており、ことばに尽くせない、栄えに満ちた喜びに躍っています。あなた...救いについて

  • イスラエルを祝福する者は

    今日は、イスラエルについて考えて見たいと思いますメシア王国、更には新天新地において、主の完全な統治が為される時こそ全てが完全になるときです。でも、今は、まだ、不完全な中に置かれています。主の再臨に関連して、今、世界中に注目されているイスラエルについての預言を見てみたいと思います。イエラエルに注目が向いていますが歴史の中で、確実に聖書の預言は成就しています。一番大きな預言は、キリストが世にこられること、誕生することです。イザヤ書53章に明確にイエス様のことが預言されていますね。また、イエス様が苦しみの中で十字架につけられること銀30枚で売られること衣が分けられることなども旧約聖書で預言されています。キュロス王が、バビロンをペルシャが制圧した時に、イスラエルの民を元の地に帰還させ、神殿を再建するように命じるこ...イスラエルを祝福する者は

  • 完全になるとは

    【[コリント人への手紙第二13:8,9,11]私たちは、真理に逆らっては何もすることができませんが、真理のためならできます。私たちは、自分は弱くても、あなたがたが強ければ喜びます。あなたがたが完全な者になること、このことも私たちは祈っています。最後に兄弟たち、喜びなさい。完全になりなさい。慰めを受けなさい。思いを一つにしなさい。平和を保ちなさい。そうすれば、愛と平和の神はあなたがたとともにいてくださいます。⭐️完全になるとは、どういうことでしょう。皆さんで考えてみましょう。私たちは、この地上では完全になることはできないのに、このように完全になりなさいと命ぜられているのは、何故でしょうかそれは、イエス様の義の衣を着る時にだけ、イエス様の影に隠れて、イエス様の中に逃げ込む時にだけ、父なる神様は不完全な私を見る...完全になるとは

  • 神のお取り扱いについて

    【ヤコブの手紙4:6】神は、さらに豊かな恵みを与えてくださる」と。それで、こう言われています。「神は高ぶる者には敵対し、へりくだった者には恵みを与える。」サタンは食い尽くすべきものを探し求めているのですが、神の御手の下にへりくだっていけば、神の時に高くしてくださるのです。思い患いはあっても、(経験や感覚によって絶対に思い煩いはあるのですが、そうではあっても、)イエス様の人格に対する信頼ゆえに、ひたすら信じていくことができるわけですね。暫くの苦しみの時を経て、(苦しみはあると書いてあるわけですから、必ず苦しみはあるのですが、)神様ご自身が、後に、私たちをを堅く立たせてくださるのです。私たちがすべきことは只一つ、力強い神の御手の下にへりくだることなのですが、でも、これがなかなかできないのです。へりくだるとは、...神のお取り扱いについて

  • 聖霊について

    今日は、アンドリューマーレーの「御霊の満たし」から抜粋引用して考えてみたいと思う。以下、本書よりキリストのご聖霊に関して2つのことが言えます。1つはキリストが世の罪を取り除く神の子羊であるということ。もう一つはキリストが聖霊と火をもってその弟子たちにバプテスマを施すものであるということです。この2つは全く分けることのできないものであって、教会がもし、血を礎石とし、聖霊を隅の首石として宣教するのでなければ、そのなすわざは効果なく、あげられた主もまた、教会によって栄光を受けられる事はないでしょう。1️⃣キリストが世の罪を取り除く神の子羊であるということ。→贖い、罪の赦し→ヨハネ20:22「聖霊を受けなさい」神の子として、聖霊を受け取っている、聖霊は内におられる。既に聖霊の宮である。2️⃣キリストが聖霊と火をも...聖霊について

  • 聖霊のバプテスマ⑨

    「栄えに満ちた喜び」(ロイドジョンズ著、地引網出版)もいよいよ終盤に差し掛かっている。続けて要約を記しておくが、私が最も大切にしている真理であり、全面的に同意する箇所だ。以下、要約私たちは、単に体験を探し求めるべきではない。また、単に力だけに関心を持つべきではない。大胆さに満ちて説教し、多くの人を回心させる力を多くの人が渇望してきた。また、人々は異言を話したがり、癒しなどの賜物を持ちたがる。彼らの関心事はすべてその現象や賜物にあって、いつもそれについて話題にする。この世のクリスチャンに可能とされる体験で、聖霊のバプテスマ以上のものはない。これを越えるものはただ一つある。それは栄光そのものである。ことばに尽くすことのできない栄えに満ちた喜びに踊っている。これは永遠の栄光の感触である。御霊は体験を与え、力を与...聖霊のバプテスマ⑨

  • 聖霊のバプテスマ⑧

    「栄えに満ちた喜び」(ロイドジョンズ著、地引網出版)から、更に学んでいきたい。以下、本書より要約聖霊のバプテスマは、本質的に力のバプテスマであり、証人となる力であり、および証言の力である。また、ことばに尽くすことのできない栄えに満ちた喜びを与えてくれるものである。更に、「天国に行くまではこれに勝るものはない。他の何よりも天国に近づく体験である。天国を前もって味わうことである。天国に行くまではそれを超えるものを決して知ることはないであろう。それは、信仰が通常の段階を越え、引き上げられることである。」(p82)そして、神の私たちにに対する満ち満ちた愛の豊かさを感じ、内側から神への愛が湧き上がるようになる。これらが、聖霊のバプテスマを受けた者に起きることであるが、聖霊のバプテスマは神の主権において与えられるもの...聖霊のバプテスマ⑧

  • 聖霊のバプテスマ⑦

    続けて「栄に満ちた喜び」(ロイドジョンズ著)からの学びです。[エペソ人への手紙1:13]このキリストにあって、あなたがたもまた、真理のことば、あなたがたの救いの福音を聞いてそれを信じたことにより、約束の聖霊によって証印を押されました。この御言葉の中の「聖霊の証印」は、エペソの多くの聖徒たちに特別に授けられたものであって、聖化と同一視すべきではないと筆者は考える。聖霊の証印とは、信じた後に、神との密接な歩みを続けてきた人々のために取っておかれているものだと考える。それは、すべてのクリスチャンに当てはまるものではないとしている。聖霊のバプテスマと聖霊の証印とは同じだと筆者は言いたいとしている。一方で、御霊の働きは、私たちを新生させ、キリストにつなぎ、主イエスの御体に接合し、結びつけ、キリストの御体にバプテスト...聖霊のバプテスマ⑦

  • 聖霊のバプテスマ⑥

    「栄えに満ちた喜び」(ロイドジョンズ著、地引網出版)から、更に学んでいきたい。以下、本書より要約聖霊のバプテスマは、本質的に力のバプテスマであり、証人となる力であり、および証言の力である。また、ことばに尽くすことのできない栄えに満ちた喜びを与えてくれるものである。更に、「天国に行くまではこれに勝るものはない。他の何よりも天国に近づく体験である。天国を前もって味わうことである。天国に行くまではそれを超えるものを決して知ることはないであろう。それは、信仰が通常の段階を越え、引き上げられることである。」(p82)そして、神の私たちにに対する満ち満ちた愛の豊かさを感じ、内側から神への愛が湧き上がるようになる。これらが、聖霊のバプテスマを受けた者に起きることであるが、聖霊のバプテスマは神の主権において与えられるもの...聖霊のバプテスマ⑥

  • 聖霊のバプテスマ⑤

    続けて、聖霊のバプテスマと聖化は直接の関係がないことの理由を記しておきたい。以下、「栄えに満ちた喜び」(ロイドジョンズ著、地引網出版)からの引用と要約第一テサロニケ5に、「御霊を消してはなりません。」とある。これは奨励の言葉であるが、奨励とは何をすべきか何をしてはならないかを告げている。そして、それは、新約聖書が聖化の教理を現す際の特徴的な表現方法である。聖霊のバプテスマは、私たちに起こることであり、求めること以外何もすることはできない。生み出すために何かするということはできない。それは、与えられるものであり、御霊の働きであり、活動である。クリスチャンで、それも立派なクリスチャンで、主を知り、その恵みによって成長し、聖化の面で進んでいても、いまだに聖霊のバプテスマを知らない場合もある。これは与えられるもの...聖霊のバプテスマ⑤

  • 聖霊のバプテスマ④

    「栄えに満ちた喜び」(ロイドジョンズ著、地引網出版)を読み続けていて目についた箇所を書き留めておきたい。(異言は素晴らしい賜物に違いないけれど)以下、本書より、抜粋引用、かつ、要約である。パウロは、「異言」という問題を特別視していた。コリントの教会では、それを持つ者は誰でもそれを見せびらかそうとしていた。パウロの言及する無秩序が教会生活に忍び込んでいたのである。コリントの問題は全員が異言を語りたがり、多くの人が一斉に語ろうとしたことであった。それは自己顕示欲になりやすく、利己心を助長する。この賜物ほど乱用されやすい賜物はおそらくないと言えるだろう。この賜物ほど私たちの肉の部分を魅了し、行き過ぎや乱用に陥りやすくするもにはない。それだけではなく、ある心理的状況下にある人々は、霊能者の影響を受けて異言を語るこ...聖霊のバプテスマ④

  • 聖霊のバプテスマ③

    続けて、「栄に満ちた喜び」(ロイドジョンズ著)地引網出版を参照しておきたいと思う。以下、本書より抜粋引用「新約時代、聖霊のバプテスマを受けたあと、彼らはその喜びや、彼らの心に注がれ、溢れ出た神の愛を証した。実際の感覚については多くを語らなかった。〜新約聖書に目をむけると、その中心を占めているのは主イエス・キリストであり、全てのものが主イエスを指し示していることに気づかざるをえない。新約聖書の中心は賜物ではない。それは、主イエスである。賜物は決して舞台の中央を占めるようには意図されていない。パウロは9つの異なる賜物を挙げている。そのいくつかは他のものよりも見栄えがした。彼らは調和を崩していたので、互いに妬み合うようになった。この競争意識が賜物の顕示傾向を生み出した。私たちはいまだに肉体を持ち、完全にされてい...聖霊のバプテスマ③

  • 聖霊のバプテスマ②

    「栄に満ちた喜び」(ロイドジョンズ)を再読しているので、気になった箇所を書き留めておきたい。以下、本書の9章、10章より、抜粋引用次に聖霊の奇跡的な賜物について書かれてある箇所を紹介してみたいと思う。これに関しては、御霊の主権という観点で考えるべきであって、完全に御霊の管理下にあるものである。聖書には、「御霊がみこころのままに、おのおのにそれぞれの賜物を分け与えてくださるのです。」とある。御霊が、いつ、どのように、誰に、どこでかを決定される。主イエスが支配し、主イエスが与えてくださる。聖霊のバプテスマそのものは大きな力で現れるかもしれないが、賜物が現れるとは限らない。それは、御霊に主権があるからだ。御霊は時に賜物を与え、同様に与えない選択をされる。私たちはそれに従わねばならない。聖霊のバプテスマ、力のバプ...聖霊のバプテスマ②

  • 栄え満ちた喜び

    ロイドジョンズ著作の「栄えに満ちた喜び」を再読している。著者によると、「聖霊のバプテスマとは、イエス様の主権と意思によって与えられるもので、イエス様の御業なのであるから、機械的に、または、行いの結果として受けられるものではない。」ということだ。そして、「それは、本質的に体験的なものであり、意識的なものである。」ということだ。この著書を読むのは、多分、3回目だと思うが、今も尚、新鮮で、読んでいて感動する。聖霊のバプテスマについて再確認し、改めて、この特権に与っていることに深く感謝するようになる。「通常は最初にキリストを信じた時に(新生した時に)、証印を押されることはない。それは、信じて神との緊密な歩みを保ってきた人々の為に取っておかれるものだからである。先ず第一にキリストのものでなければならない。すると、キ...栄え満ちた喜び

  • 義の奴隷 ②

    義の奴隷とは何なのでしょうか。キリストに捕らわれている状態ではないでしょうか。キリストの御霊に捕らわれる時、私たちは、ほはや、罪の支配下に置かれることなく、キリストにある自由人となったのです。キリストだけが、真理を指し示してくださるお方です【[ヨハネの福音書14:6]聖書新改訳2017イエスは彼に言われた。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれも父のみもとに行くことはできません。】そして、真理を知ることこそ、人を自由にします。人は誰でも、何かしらの観念に縛られて生きているものです。自分で勝手に作り上げた虚構を信じて縛られています。例えば、「神はいない、自分は独立独歩で、自分に力で生きなければならない」というような考えに縛られているかもしれません。または、「自分のよう...義の奴隷②

  • 義の僕

    キリストの贖いを信じて救われた者は、キリストのものになりました。私たちは、主のものです。【[ローマ人への手紙14:8]私たちは、生きるとすれば主のために生き、死ぬとすれば主のために死にます。ですから、生きるにしても、死ぬにしても、私たちは主のものです。】数々の罪は赦され、罪からは解放されましたが、私たちは、神のものとなったのです。【ローマ人への手紙6:17,18]聖書新改訳2017神に感謝します。あなたがたは、かつては罪の奴隷でしたが、伝えられた教えの規範に心から服従し、罪から解放されて、義の奴隷となりました。】神のものとなり、神の僕となるなんて、なんと不自由なんだろうと思われますか。私もかつては、そう感じていました。しかし、それは、誤解であり、神の僕となることは、全くの自由だったのです。罪からの自由こそ...義の僕

  • 義人はいない ②

    【[コリント人への手紙第二5:21]聖書新改訳2017神は、罪を知らない方を私たちのために罪とされました。それは、私たちがこの方にあって神の義となるためです。】私たちは、キリストによって義とされているにも関わらず、アダム由来の罪は根強く混在しているので、罪深い言動を取ってしまうこともあります。けれども、神様は、キリストにあって既に全ての人生の罪を赦してくださっています。実際、クリスチャンを見ても、全く潔く見えず、失望してしまうことも多いです。それでも、神様はキリストにあって、その人を義と見なしているのです。人ののものには期待せず、失望もせず、人そのものを見るのは感心しませんね。その人の中に住んでおられるキリストは絶対的に信頼できるお方なので、キリストご自身に期待すれば良いのです。私たち人間は、キリストの贖...義人はいない②

  • 義人はいない

    【[ローマ人への手紙3:10]聖書新改訳2017次のように書いてあるとおりです。「義人はいない。一人もいない。】この聖句をこれだけ取り出して、「世の中に義人など1人もいないから誰も信じられないよね」と解釈するのは無理があります。聖書は全て文脈で読むべきであって、この後に続く言葉は、人は律法(神の与えられた決まり事や命令)を完全に守ることは不可能なので、そこで、我らを愛して止まない神は、我らを救うために御子イエス・キリストを遣わされて、贖いを成就し、イエス・キリストを信じる者を義とされたことが書いてあるからです。けれども、やはり、この世で、本当に信じられるお方は神お一人であると言い切れるのだと思います。神とイエス・キリストは一つであって、神が人となって来られたのがイエス様です。そのイエス様が仰っています。【...義人はいない

  • 次第に弱くされる ②

    人はアダムによって神との繋がりを断ち切られて後、神に依存することを止めてしまいました。最初、人は神に依存するように造られていたのにも関わらず、アダムが罪に堕ちて以来、神から離れて独立して歩くようになったのです。神との繋がりは霊によるものでしたが、罪によって、霊的な機能はうしなわれ、神のことは見えなくなりました。神のご意志も理解できず、神のご命令も悟ることができなくなったのです。けれども、神の憐れみによって、イエス・キリストによる贖いの道が開かれ、人の霊的機能が回復してからは、神の御心を悟る能力も回復しました。にも関わらず、やはり、人間には、神に聞きながら歩くより、自身の力で歩こうとする思いが強いのです。そんな人間の性質を知っている神様は、ご自身の側に着いた新生した人をご自身の手に取り戻すべく、その人自身の...次第に弱くされる②

  • 次第に弱くされる

    私たちは、信仰を持ってしばらく時間が経っても、思うように理想の自分に近づかないことに気付くようになります。あれ、こんな筈じゃなかったのに、こんなことは予想していなかった、想定外だと、嘆くようになります。しかし、これが神の為さり方です。これが神の方法なのです。このように、自分の限界を知り、弱さを知り、脆さを知ることによって、正しいお方は神様だけだということを体験的にとことん経験させるのです。これが、神のやり方なのです。このようにして、私たちは、益々、神の助けを求めるようになり、助けられる経験を通して、益々、神を慕い求めるようになるのです。【[コリント人への手紙第二12:9]聖書新改訳2017しかし主は、「わたしの恵みはあなたに十分である。わたしの力は弱さのうちに完全に現れるからである」と言われました。ですか...次第に弱くされる

  • 律法は養育係 ⑤

    神様は聖なるお方、潔いお方、義なる神ですから、罪の片鱗さえも忌み嫌われます。ところが、律法を守ることによって義を果たせない人間を赦しへと導いてくださった方法は、キリストを信じることによったのです。【[ピリピ人への手紙3:9]聖書新改訳2017キリストにある者と認められるようになるためです。私は律法による自分の義ではなく、キリストを信じることによる義、すなわち、信仰に基づいて神から与えられる義を持つのです。】また、次の御言葉は、キリストは、罪を自覚した者を助け出すていう意味です。すべての人は神の目から見たら、義とはかけ離れた存在ですが、そのことに気付く時、また、イエスキリストを呼び求めた時に救われるのです【[マルコの福音書2:17]聖書新改訳2017これを聞いて、イエスは彼らにこう言われた。「医者を必要とす...律法は養育係⑤

  • 律法は養育係 ④

    【[ガラテヤ人への手紙3:24,25]聖書新改訳2017こうして、律法は私たちをキリストに導く養育係となりました。それは、私たちが信仰によって義と認められるためです。しかし、信仰が現れたので、私たちはもはや養育係の下にはいません。】養育係とは、どのようなことを意味しているのでしょうか。私達人間は、到底神の義に到達することはできないことに気付かせ、救われなければならない存在だという結論に至らせる為に律法は与えられたということです。律法の目的は人の罪の何であるかを見せるためです。神様は、最初から、与えた律法を人間が全うできるとは考えておられませんでした。義であり、聖であられる神様は、完全に御心に適う律法というものを提示した後、これを完全に守り行えない者だからこそ、人間には贖い主、救い主が必要であることを教えて...律法は養育係④

  • 律法は養育係 ③

    皆さんがキリストを神から与えられた救い主であることを信じて、救いを受け取ったのは、一生懸命に救いを受け取ろうと決心したり、必死に努力したりしたからではないですよね。それなのに、その後の信仰生活を送る歩みの中では、ともすると、内側に働く罪の力と必死に格闘したりしてしまいます。自分の無力さに気付く時、この弱さに打ち勝つ為に、また、自己制御できるように祈ったりします。でも、結果は、何も変わらないし、それどころか、自分自身に目を向けているなら、事態は益々悪い方に行ってしまいます。そんな時には、原点に帰ると良いのです。誰も聖霊が働かなければイエス・キリストを神の子であり救い主であると告白することはできません。聖霊がイエス・キリストが罪を取り除くために我らの為の贖いとなられたことを霊の目で見せてくださったのです(悟ら...律法は養育係③

  • 律法は養育係 ②

    律法学者たちの支配的な態度に対してイエス様は、このようにおっしゃいました。【[マタイの福音書23:4]聖書新改訳2017また彼らは、重くて負いきれない荷を束ねて人々の肩に載せるが、それを動かすのに自分は指一本貸そうともしません。】決して守り通せる筈もない律法を、何故、神様は与えたのでしょうか。人間には、努力や意志で良いことを成し遂げられないことを悟らせる為だったのです。そして、神の目に適った者とする為にキリストを送られたのです。【[ガラテヤ人への手紙3:24,25]聖書新改訳2017こうして、律法は私たちをキリストに導く養育係となりました。それは、私たちが信仰によって義と認められるためです。しかし、信仰が現れたので、私たちはもはや養育係の下にはいません。】律法は養育係②

  • 律法は養育係

    クリスチャンじゃない人には耳慣れない言葉だと思いますが旧約聖書には神様によって与えられた律法というものが書かれています。 これはモーセが神様から直接与えられたものです。 旧約時代の人々はそれを熱心に守ったのですが、次第に、そこには人間が付け加えた様々な教えや規範が混ざるようになりました。 このことの害悪をイエス様は指摘されました。 イエス様は律法を盾にとって、支配的だったパリサイ人たちに警鐘を鳴らしました。 例えば、以下のようにパリサイ人たちは、イエス様に楯ついてきたのでした。 [マルコの福音書2:18]聖書新改訳2017さて、ヨハネの弟子たちとパリサイ人たちは、断食をしていた。そこで、人々はイエスのもとに来て言った。「ヨハネの弟子たちやパリサイ人の弟子たちは断食をしているのに、なぜあなたの弟子たちは断食...律法は養育係

  • 新しい人 ⑤

    聖書を人間が書いた書として読むならば、神の意図からかけ離れたものになってしまいます。キリストが第二の人であるとか、最後のアダムであるとか、キリストを信じた人が新しい人になったとか、童話の世界にある御伽話のように感じるでしょう。聖書は、神の霊感によって、人が書かされた書です。このことが受け入れられない時、聖書はただの道徳訓戒の書でしかなくなってしまいます。【[コリント人への手紙第一 2:14]聖書新改訳2017生まれながらの人間は、神の御霊に属することを受け入れません。それらはその人には愚かなことであり、理解することができないのです。御霊に属することは御霊によって判断するものだからです。】では、聖霊を受けるにはどうしたらいいのでしょう。【[ルカの福音書11:13]聖書新改訳2017ですから、あなたがたは悪い...新しい人⑤

  • 新しい人 ④

    キリストを信じた人が、新しい人となったという事実に心を留めるなら、生き方が変わってきます。しかし、このことを理解するのは、頭で考えても分かりにくいですね。これは、キリストがこの地で歩まれていた時にも、同じように理解できずに悩まれていた方がいました。しかし、以下のイエス様の言葉は禅問答のようで、益々分かりにくく、混乱するのではないでしょうか。御霊によって生まれるとはどのようなことを言うのでしょうか。キリストを信じるなら、新しい人となるのですが、キリストを信じることにこそ、聖霊の助けが必須なのです。聖霊が私たちに罪を示してくださり、罪を悟ることができ、神を無視して生きていたところから向きを変えて罪を贖ってくださったキリストを信じる信仰へと導いてくださるのです。下記の御言葉の中に「水と御霊によって生まれる」と書...新しい人④

  • 新しい人 ③

    次の御言葉をじっくり味わってみてみましょう。次の御言葉によってキリストの十字架上の死が私たちをも含んでいたことを知ることになります。キリストが死んだ時に、キリストと共に私たちも死んだだと見なされているのです。また、キリストが死からよみがえった時、(復活した時)、私たちもキリストと共に包括的に共によみがえって、新しい人として生まれ変わったのです。その時には未だ私たちは生まれてもいないのにです。常識的に考えたら理解できないことです。でも、神の原理を私たちの常識的な物差しで考慮することは意味がありません。聖書とは、神から届けられた霊感によって神の意志とご計画が書かれている書です。このことが信じられない時、人は人間的な頭脳を駆使して理解しようとするのですが、これでは、本当に神の意図したことは見えてきません。聖書が...新しい人③

  • 新しい人 ②

    もし、私たちが、キリストによって霊が再生されることなく、「最初のアダム」に属しているならば、アダムにある全てのものが、その人の上に転嫁されることになり、意志に関係なく、「最初のアダム」のように行動してしまいます。同じように、もし、私たちが、キリストの贖いを受け取って、第二の人、つまり、新しい人となっているならば、キリストにある全てのものが与えられます。しかし、実際に、このことを本当に理解して体験しているキリスト者は少ないのではないでしょうか。聖書に書いてある神のお定めになったことを事実として知り、受け止めてこそ、初めて、体験的に実感できるようになります。キリストを信じて、罪の縄目から解放されても尚、新しい人になっているということを認められないのならば、神の目から見たら新しい人になっているのに、その自覚もな...新しい人②

  • 新しい人

    【[コリント人への手紙第二5:17]聖書新改訳2017ですから、だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。】「キリストのうちにあるなら」というのが鍵のようです。キリストの側に着くともいえると思いますが、やはり、御言葉にある通り、「キリストのうちにある」と言うのが一番正確ですね。私たちが誕生した時、全ての人は、「第一のアダムにあって」生まれてきました。これが人間としての肉の誕生です。イエス・キリストを知らずにイエス・キリストにある救いを受け取らずに一生を終えるなら、霊によって新しく生まれ変わることなく人生を終わらせます。けれども、イエス・キリストの十字架の贖いを自分のこととして受け取って、キリストにある者となったなら、その人は、新し...新しい人

  • 最後のアダムと第二の人 ③

    神はキリストによって全人類の罪を処理されました。全人類はアダムによって罪ある者とされましたが、キリストによって罪を贖われた者とされました。このことは、包括的な事実です。そう感じられなくても事実なのです。キリストの十字架の死によって生まれながらのアダムのいのちは終わらされ、最後のアダムとされました。キリストが復活されたことにより、肉によってではなく霊によって生まれた新しい人となったので、第二の人になりました。キリストの体験は私たちの体験となり、キリストにあって、彼の死と復活の両面において同一視されています。キリストが十字架につけられた時、私たちも一緒に十字架につけられたのです。私たちは、キリストと共に死んで、キリストとともに復活し、新しい人とされたのです。これは、神が定めた事実です。これは、「身代わりの死」...最後のアダムと第二の人③

  • 最後のアダムと第二の人 ②

    【[コリント人への手紙第一 15:45,46,47]聖書新改訳2017 こう書かれています。「最初の人アダムは生きるものとなった。」しかし、最後のアダムはいのちを与える御霊となりました。最初にあったのは、御霊のものではなく血肉のものです。御霊のものは後に来るのです。第一の人は地から出て、土で造られた人ですが、第二の人は天から出た方です。】 イエス・キリストは、聖書で「最後のアダム」では、「第二の人」と言われています。最初のアダムは、土で造られた人であり、それでも、神に似せて造られたのですが、(神と同じような創造性がありますよね)、「似せて」ということは、全く同じではないですが、あくまでも似せて造られたのです。残念なことに、サタンに騙され、罪が入り込み、その後、人間は生まれながらにして、神に繋がる霊は機能し...最後のアダムと第二の人②

  • 最後のアダムと第二の人 ①

    皆さんは、「第二のの人」とか「最後のアダム」という言葉を聞いたことがあるでしょうか。私は、信仰を持ったのは40年ほど前のことですが、その当初は、そんな言葉は聞いたことがなかったし、そもそも、福音の基礎も理解していなかったように思います。でも、実は、この福音の基礎の理解こそが、日々の歩みにおいて私たちを無意味な苦しみから解放してくださる神の知恵なのです。知っておくべき神の知恵を知らないでいると、私たちは何かに縛られて、苦しむことになります。イエス・キリストは、「最後のアダム」であり、「第二の人」なのです。これからしばらくこの御言葉の指し示す真理について考えてみたいと思います。この真理に目が開かれるならば、より一層、捕らわれているものから解放される筈です。[コリント人への手紙第一 15:45,46,47]聖書...最後のアダムと第二の人①

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