chevron_left

メインカテゴリーを選択しなおす

cancel
娘が不登校だったときのこと https://note.com/mayakoyo/

今から10数年前の事になります。 娘が不登校になりました。 不登校から五月雨登校、、。 高校卒業まで苦しい、苦しい10年間でした。 今は大学生として元気に暮らしています。 ようやく振り返ってみようかなと思うようになりました。

おおたぼ
フォロー
住所
未設定
出身
未設定
ブログ村参加

2022/10/19

arrow_drop_down
  • 小学校二年生①

    小学校二年生になりクラス替え。 一年生の時に順調だった娘は楽しみにしていました。 母親である私としては かなり心配でした。 なんせ幼稚園の時に派手な登園拒否を おこしていますから。 本当は一年生の時の担任の先生に そのまま受け持って頂きたかった。 学校にお願いしようかなと思ったりも したのですが。 モンスター扱いされるのも嫌だし。。 娘にもさりげなく聞いてみたのですが 「次は若い男の先生がいいなあ。」なんて 無邪気に言っていましたし。 結果的に親としては何も対応することなく 新学年を迎えました。 クラス替えの結果、 新任の男性の先生が担任となりました。 仲良しのお友達

  • 母子登校を続けていた親子のこと②

    母子登校を続けていた娘さんは 中学生になってからはすっかり自立された ようで 県内でも有数の進学校へ進み とても偏差値の高い有名な大学へ入学したと 聞きました。 正直驚きました。 あれだけ毎日学校が怖いといっていた子が いつからしっかりと自立できるようになったのだろう? 周りから何を言われようと 耳を傾けずに娘に全てを捧げるような 子育ての仕方は側から見ていても正直 痛いと感じる時もありました。 けれども、おそらく娘さんのペースを しっかりと把握して。 しっかりと守りながら少しずつ。少しずつ。 前へ進んで行かれていたのでしょうね。 今振り返ってみると私に最も 足りていなか

  • 母子登校を続けていた親子のこと①

    私の娘は担任の先生のお陰で 元気に学校へ通う事ができたのですが 同じクラスのお友達は 担任の先生が原因で登校が難しくなり 毎日お母さんと一緒に登校して お母様はずっと教室の後ろで見守って いました。 お母様とは幼稚園も一緒でしたし ボランティアなども一緒にやっていて 顔見知りでしたので 時折学校などで会うと近況報告をし合う 仲だったのですが。 会うと、担任の先生の悪口ばかり 言っていました。(笑) 側からみていると正直に言って 過保護..?と思われても仕方のない 対応の仕方で。 「こういう時には、この子にはこういう対応を してください。」 と何かにつけて物申しておら

  • 不登校24万人 25%増!!

    ニュースによると、不登校のお子さんが 24万人。前年度から25%増だそうですね。 我が娘達は大きくなってしまっているので 今の学校事情はよくわからないのですが。 次女が不登校になって学校とやりとりを 重ねるたびに私の中で学校に不信感を 抱くようになってしまい 思い切って公立小学校へ働きに行ってみた 事があるんです。(笑) その時に、感じたことは 「ああ。学校は不登校生に対する知識は ないなあ。」 「こりゃ、相談しても無駄だな。」 という事です。 それは、まあ当然と言えば当然で そのかわりにスクールカウンセラーの 方がいらっしゃったりするのですが。 スクールカウセリングに通う

  • 小学校一年生②

    次女は担任の先生のおかげで 小学一年生は元気に通う事ができました。 しかしながら その担任の先生が原因で学校が苦手になって しまったお子さんもいらっしゃいました。 母子登校って言葉今でもあるのかな。 お母さんがお子さんと一緒に登校して 教室の後ろで見守っている事です。 お母さんも大変でしたでしょうし。 先生も大変でしたでしょうね。 そのお母さんはなかなか強い方で 毎日教室の後ろで見守りながら 先生の一挙一動に対して物申していたそうです。 結果的に、次女を学校へ迎えてくださった 担任の先生は翌年退職してしまいました。 理由は分かりませんが、、察しはつきました。

  • 小学校一年生

    入学式で大泣き、大暴れしてすっかり 問題児になってしまった次女。 これは先が思いやられるなあ。 と頭を抱えていたのですが 入学式の翌日からの登校班登校では 初めの2〜3日は泣きながら登校していましたが その後は学校がすっかり楽しくなってきたようで 毎日元気に登校していました。 今、振り返っても担任の先生との出会い だったと思います。 ベテランの女性の先生で とても優しく、とても厳しい先生でした。 今、振り返ってみれば入学式に次女が 暴れた理由も分かるんです。 以前にも書きましたが 幼稚園で暴れてしまって隔離?されていた時に 男性の先生に唾を吐いて殴られた事が あるそうです。

  • 幼稚園で登園拒否を起こした日

    幼稚園へ送って 「じゃあね。ばいばい」と言って 送り出そうとしたら いきなり 「嫌だ」と言い動かなくなりました。 その後、先生方が来てくださって 「一緒に行こう。」とか やさしい言葉をかけてくださったのですが 全くもって動こうとせず。 その日、私は友人と約束をしていて 時間がなく。 約束をキャンセルしようと 友人に連絡をとっても繋がらず。 どうにも時間がなくなってしまったので 「今日はお休みさせます。」 と言って次女を連れて帰りました。 ここから卒園式までの3ヶ月間 長い登園拒否が続きました。 後に 「ここで連れて帰ったから登園拒否を 長引かせたんだ。」 と幼稚園の先

  • 今の次女の事を少しだけ

    次女は小学生の時に不登校になりました。 そこから不登校→五月雨登校と 学校には馴染むこともなく 高校卒業を迎えました。 本人の希望で大学へは入学したものの 2週間で行かなくなり。 家族全員匙を投げたというか。 「ああ。やっぱりな。」という気持ちでした。 大学一年生で採れた単位は2単位でした。 当然退学しか道はなく。 と思っていたところ 二年生になっていきなり毎日通いだしました。 そして今、大学でも仲間ができ 4年生になり卒業研究に苦しんでいます。 卒業できるかどうかは分かりませんが とりあえず今は元気に大学生をしております。 ここから先、次女が不登校になってからの

  • 小学校の入学式②

    入学式の後、児童達は退場して 教室へ向かうはずだったのですが 次女は列から飛び出して 大泣きをしていたそうです。 「お母さん!お母さん!」と。 私を見つけると走り寄ってきて 私は次女を抱き上げで教室へ向かいました。 今思えば、怖かったんですよね。。 新しい環境が。 でも、私は次女の想いを汲み取っては あげられませんでした。 大勢の保護者の方が見ている中で 大泣きをして 教室へ入ってから説明会の間もずっと 私は次女を抱き上げていました。 「ああ、またか。」 「また、私はこの子のせいで恥ずかしい想いを させられている。」 怒りが込み上げてきて許せませんでした。 担任の先生

  • 小学校の入学式①

    雨の入学式でした。 あの日の私はかなりピリピリしていたと思います。 小学校はちゃんと行かせなくちゃ。 たくさんの保護者の方が来られる入学式で 暴れられたらどうしよう。 親である自分のプライドばかり気にしていましたね。 次女は緊張している様子でした。 今思えば不安だらけだったのだと 思います。 「学校は幼稚園とは違う」 「もう、お姉さんなんだからちゃんとしなくちゃね。」 何十回、いや、何百回も言い続けていたと 思います。 泣かれちゃ困る。暴れられたら困る。 私(親)が恥ずかしいから。 そんな感じだったのかな。 うろ覚えではありますが、親子で写真を 撮っ

  • 小学校の入学式までの春休み

    いよいよ小学校の入学式。 新しいランドセル。新しい環境。 幼稚園は最後までダメだったけれど。 小学校は絶対に大丈夫❗️ 小学校は何がなんでも行かせなきゃ💦 もう忘れてしまっていることも 多いのですが…。 おそらく幼稚園を卒業してから 小学校へ入学するまでの春休み期間。 私は、毎日次女にいろいろ言い聞かせて いたのだと思います。 「小学校楽しみだねー❗️」とか 「学校は何がなんでも行かなくてはならない」 とか。 今思い返すと 本当にダメ親ですね💦 なんだか我が娘2人を抱きしめたくなりました。 (もう大人なので逃げられると思いますが。) こんな親なのに元気に育ってくれ

  • 幼稚園の卒業式

    卒業式前3ヶ月、主人が送って行ったとき以外は 毎日大泣きして大暴れして幼稚園に 行きたくないと言っていた次女。 卒業式は元気に行きました。 「今日で終わり」 嬉しくて仕方がなかったようです。 私自身も「ああ。これでやっと終わるんだ。」 そんな気持ちでいっぱいでした。 幼稚園に行きたくないのは 「先生のせい。」だと思っていましたから。 ただ、次女との向き合い方には 当時から苦労していました。 長女は、全面的に私のことを 信頼していてなんでも言うことを聞く 「いい子」だったので尚更ですね。 当時から相談できるカウンセラーの方と 出会えていれば 後後ここまで次女を苦しめる事には

  • 大学入学したものの

    思うままに綴っていくので時系列が ぐちゃぐちゃで申し訳ありません💦 今日は大学入学直後のお話を少しだけ。 大学へ入学したものの2週間で行かなく なりました。 私としては、想定内というか….。 「ああ..やっぱりな。」という気持ちでした。 たくさんの批判を受けるかもしれませんが 敢えて書かせて頂くと…。 次女の高校は県内の中でも偏差値が 低い高校でした。 なので、最終学歴が「高卒」よりは 「大学中退」の方がまだ生きやすいだろう。 と思っての事でした。 もちろん入学するには沢山のお金が かかりましたし家族からも 「どうせ行かなくなるのにお金がもったいない」 と言われたり。

  • ご無沙汰しております。

    ご無沙汰してしまいました…。 もう10年も昔の話なのですが あの頃を思い出す事は今でも辛いです。 コロナによりオンラインで授業を 受けられる学校も増えたでしょうし 「不登校」の子供達も少しは生きやすい 世の中になったのでしょうか。。 そうあってほしいなと思います。 またブログ再開します。 どうぞよろしくお願い致します。 #不登校

  • 幼稚園は仕方がないとして、、

    卒園式までの3ヶ月。 「幼稚園へ行きたくない」と大暴れした3ヶ月間。 私の中の心配は幼稚園より 小学校でした。 けれども どこかで 「環境が変われば。」 「大きくなるに連れていろいろわかってくるから」 そんな淡い期待もありました。 小学校低学年で学校へ行かないなんて 言い張る子供がいるなんて思ってもいませんでした。 「幼稚園を卒業すれば全てクリアになる。」 そんな風に思っていたように思います。

  • 幼稚園に行きたくない日々

    幼稚園の時に担任の先生が原因で複数名の園児達が一斉に「幼稚園に行きたくない!!」と 登園拒否を起こしたのですが 最後まで行きたくないと大暴れしていたのは 次女だけでした。 連れて行っても教室には入られない状態で 男性の先生がついていてくれた事もあったようです。 後々次女から聞いた話ですが 嫌で嫌でついていてくれた男性の先生に 向かって唾を吐いたら 顔を叩かれたと言っていました。 その話を聞いたのは次女が中学生になってからです。 先生に向かって唾を吐くなんて決して してはならない事です。 叩かれても仕方がないよなあ。とは 思いますが 一言言ってほしかったなと

  • 不登校になった次女の幼少期

    上手く伝わらないかもしれませんが 赤ちゃんの時から育てにくさは感じていました。 例えば上の子は抱っこすれば全てオーライ!! だったのですが 次女は抱っこしても体をグッと逸らして 嫌がったりする事も多かったです。 私の言う事もなかなか聞いてもらえませんでした。 そんな時、私は怒鳴り散らし力づくで言う事を聞かせようとしていましたが なかなか思うようにはいきませんでした。 私が命令口調で何かをさせようとすると まず言う事は聞きませんでした。 幼稚園の時に一度「集団登園拒否」のような 事が起きました。 その時に複数名の子供達が 「幼稚園に行きたくない!!」と言って

  • 不登校は誰にでも起こりうる?

    「誰でも不登校になり得る可能性はある。」 そんな記事を読んだ事があります。 当時は私もそう思っていて。 「学校が悪い!」と思っていた事も ありましたが今はそうも思いません。 学校へ行きたくない。 そう思う事は誰にでもありますが 多少お休みしたりする事はあっても ほとんどのお子さんが普通に学校を卒業していくんですよね。 次女は何故不登校になってしまったか。 それは彼女に対する私の対応に問題がありました。 相性..と言ってもよいと思っています。 それは本当に難しくって後々カウンセラーの 方にも入って頂き親の対応をしっかりと教えて頂いたりもしました。 不登校カウン

  • クラス替えがあって。新しい担任に出会って

    小学校2年生の時にクラス崩壊しました。 それはそれはひどい状態だったようです。 進級して新しいクラスと新しい担任の先生。 次女はかなり期待していたようです。 結果、担任の先生はまたもや新しく赴任された 新任の若い男性の先生になってしまい...。 その時点で、次女はかなりショックを受けて しまったようです。 それでも毎日学校へ通っていました。 どこかで期待はしていたのではないかと 思います。 「また、新任の先生だけれども。また、若い男性の先生だけれども。」 けれども、次女の期待はあっという間に 失望に変化してしまいました。 次女は、当時とても身体が小さかったの

  • 不登校になった原因

  • 初めて学校へ行かなかった日は

    学校へ行かないと言ってお休みした日。 私は次女がいる所で学校へ電話をして 「学校へ行きたくないの一点張りで...。」 「今日は休ませます。」 そんな言い回しだったかと思います。 この対応は大失敗でした。 次女の前では 「具合が悪いのでお休みさせてください。」 と伝えて後々担任の先生にお伝えするべきでした。 もしかしたら、もしかしたらこの日の対応を しっかりしていればここまで不登校を長引かせることはなかったかもしれない。 と今でも思います。

  • ある朝学校へ行かないと言いました

    1歳違いの娘が2人います。 長女が小学校4年生、次女が小学校3年生の時の ある朝の出来事です。 長女が熱を出し学校をお休みする事になりました。 すると突然次女が「学校へ行かない」と言い出しました。 あの日の朝の事は鮮明に覚えています。 怒りました。怒鳴りました。 なだめ持ち上げなんとか学校へ行かせようとしました。 けれども次女は学校へ行きませんでした。 そこから我が家の長い長い不登校との 戦いが始まりました。

arrow_drop_down

ブログリーダー」を活用して、おおたぼさんをフォローしませんか?

ハンドル名
おおたぼさん
ブログタイトル
娘が不登校だったときのこと
フォロー
娘が不登校だったときのこと

にほんブログ村 カテゴリー一覧

商用