令和7年1月29日は、JRグループの累計日数が国鉄を超えた節目の日。JRは昭和62(1987)年4月1日発足から現在も続いているが、前身の国鉄は昭和24(1949)年6月1日から昭和62(1987)年3月31日までの38年間、のべ13,819日。更に歴史を遡ると国鉄の前は運輸省...
今年の10月14日「鉄道の日」は鉄道開業150年となることからJRグループでは今年度を「鉄道開業150年キャンペーン」と位置付けている。昭和47年の鉄道開業100年では記録映画や梅小路蒸気機関車館の開館等、SLブームの追い風もあり大いに盛り上がった記憶がある。それから半世紀、国鉄...
4月21日から運行開始された新京成「ふなっしートレイン」、ふなっしー生誕10周年を記念したというこの列車、運行は12月末頃というのもユニーク。運行は新京成線にとどまらず京成千葉線 千葉中央まで運用されるので目にする機会は多い。更にファンにとってありがたいのは運行時刻がHPから確認...
今回の車両は車長17m車の荷物車クモニ13形。昭和61年度に除籍になるまで大井工場(現東京総合車両センター)で構内入換用の牽引車として残されていたもの。山手線の電留線を利用した撮影会での一コマだが、民営化を前にファン向けのイベントとして試行錯誤していた時期だったこともあって興味深...
都営5500形電車はステンレス車体に「歌舞伎の隈取」をイメージしたデザインが盛り込まれているのが特徴。遠方からみると窓周りの黒と側扉のローズピンクは良きアクセントになっており、他の「ステンレス地に帯」電車に比べると存在感は際立っている。今のステンレス車はビードやコルゲートのないフ...
今回の作品は元東急の初代5000形のトップナンバー車。東急電鉄から転じた上田交通(現上田電鉄)からの引退に際し、古巣の「東急電鉄・東急車輛レールファンクラブ」から惜別のヘッドマークを装着して運行されたときのもの。形はどうあれこのような引退のセレモニーは車両への敬意が伝わってきたも...
今回の作品は「佐倉チューリップフェスタ2022」会場からみた京成本線を行く上野行「モーニングライナー208号」。京成佐倉8:58発の同列車は撮影しやすい光線状態の下を行くこと、線路沿いの道路の交通量も少ない時間帯という事もあって狙いどころでもある。ネックはアクセスする路線バスとの...
今回の作品は偕楽園臨時駅付近を行く「安中貨物」、「北斗星」塗装のJR東日本 田端運転所のEF81 79号機が牽引しているのは平成10(1998)年当時JR貨物の仕業を受託していたため。その田端区も今年度から尾久車両センターに統合され同区の機関車は令和6(2024)年に全廃になる...
国鉄時代、団体列車の花形だった「お座敷」列車。客車から気動車、電車へと拡大していたが、気がつくとJR東日本485系「華」、JR北海道キハ183 6000番台に残るのみとなった。新たな新造車も誕生していない事からJRでは畳敷き+座椅子の「和式」スタイルが消えていく可能性は高そうだ。...
この本は1994年11月にJTBより発刊されたもので、写真は広田尚敬、真島満秀両氏、エッセイは和久峻三、高田 宏、松尾定行の各氏、技術講座は大木茂氏という充実ぶりだった。その大木氏の記事の一部抜粋してみる。 ●安全を再確認しよう 言うまでもなく、鉄道の撮影は危険と隣り合わせに...
SNS上では「撮り鉄」に関するトラブルは甘い蜜のようで、事が起こると待ってましたとばかり「評論」が 繰り返される風潮はウンザリさせられる。釈迦に説法ではないが鉄道撮影は「好きな車両を好きなように撮る」趣味だが、それは安全の確保が前提になっていればこそ。押し合いへし合いは論外で、...
マイマイガという蛾は10年周期で大発生するという。それを実際、目の前にしたのは昭和63(1988)年7月 函館本線216.6キロ付近の撮影ポイントでのこと。そこには至るところにマイマイガの毛虫が蠢いていた。「この虫には毒毛があるから注意してください。」と先に位置取りしていた方か...
今回の作品は青信号で動き出す路面電車、人の往来を300ミリレンズで狙ったもの。イメージとおりの構図を得るために横断歩道から離れているのは、被写体を大きく見せるためには近寄るより、引いて望遠で「切り取る」方が効果があるため。付け加えると向きは前後だけではなく横もあるということ。時...
今回の作品は平成12(2000)年のJR青梅線 鳩ノ巣駅。現在は左部に植えられていた桜の木が伐採され景観が一変しているのには唖然とするばかりだ。行き交う列車はオレンジ色の103系から201系を経てE233系へ代替わりした一方で、駅を取り巻く環境は平成28(2016)年には無人駅へ...
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令和7年1月29日は、JRグループの累計日数が国鉄を超えた節目の日。JRは昭和62(1987)年4月1日発足から現在も続いているが、前身の国鉄は昭和24(1949)年6月1日から昭和62(1987)年3月31日までの38年間、のべ13,819日。更に歴史を遡ると国鉄の前は運輸省...
6月10日にJR東日本からリリースされた「夜行特急」構想には驚かされた。「ひたち」「ときわ」用E657系10両を種車に全個室グリーン席へ改造するというが「寝台車」でないことがミソ。イメージとして「サロンエクスプレス東京(14系700番台)」+「カシオペア(E26系)」+「サフィー...
今回は京成カラーに衣替えした元新京成8800形。今のところ唯一の新塗装編成なので沿線にはカメラマンが・・・ところが誰もいない。コンサバ的なカラーリングは、良くも無く、悪くも無くという評価が分かれるが、以外と8800形に似合っているように思うのは私だけだろうか。 ...
今回の作品は元新京成N800形をコンデジ(GR-DⅡ)のスクエアサイズで撮ったもの。引き付けながらカメラを軽く動かしている。カメラの液晶モニター越しに見ただけではわからなかったが、PCに取り込んでみるとそこそこのクオリティが出ているのには驚いた。京成カラーになる前のピンク列車の勇...
今回は京成上野駅でのスナップ。相変わらずチケット購入の列は続くが、気になるのは次発13:00発のスカイライナーに間に合うのかということ。こういう時、頼りになるのはスマホ情報か動物的カンで乗変?要は臨機応変、融通が効くかどうか。旅先のトラブルやハプニングも時が経てば笑い話になる。 ...
今回は長期ストックしていた荷物に残されていたスライドで、小岩菖蒲園で撮影したもの。 なぜボツ扱いにしたのか、今の視点で振り返ってみると・・・わからない。当時は菖蒲にピントを合わせた方が良かったという判断だったのだろうが、とにかく救い出せた事に感謝だ。更に驚いた事は、決して良好な保...
行先表示がLED表示になって多言語による案内が増えてきた。今回の京成上野駅は日本語、英語、中国語、韓国語と忙しく表示が変わっているが、JR東海では日本語と英語のみの表示に留まっている。会社方針の違いといえばそれまでだが、インバウンド需要に対してのサービスのあり方として興味深いとこ...
今回はオールドカメラと期限切れネガネガカラーの組み合わせ。デジタルが一世風靡している昨今ではある意味「風変わりな」アプローチでの作品。カメラはYASHICA35 f2.8という レンジファインダー機でレンズは45ミリF2.8。聞くところによると木村伊兵衛氏がアサヒカメラ誌上で「レ...
いすみ鉄道の4/14付HPでキハ52形気動車が引退することがリリースされた。JR西日本 大糸線からいすみ鉄道へ転入した老雄キハ52、振り返ってみれば東日本大震災が発生した2011年のGWから運行開始して昨年まで「全般検査を迎えない」よう休車をかけて延命してきたいすみ鉄道の企業努力...
「鉄道ジャーナル」最終号、最後までジャーナルらしさを貫いたのは見事だった。久々に手にした印象は文字が多いなあ・・・だったが。 締めくくりはN700S にほんブログ村 鉄道は大勢の人が利 用す る公共の交通機関。そこでは安全性が第一に求められる。 撮影は鉄道...
京阪本線 古川橋駅に下車すると飛び込んで来たのが木製の腰掛。素材も然ることながら、とにかく長い。座ると腰の収まりがいいので、自然とお行儀良くなるという訳だ。こういう発見は気持ちに余裕ガあってこそ。あくせくしていては見落としてしまう。 この腰掛の満席状態を見たくなる ...
今回のJR東日本415系1500番台は、国鉄末期の軽量ステンレス車体、ボルスタレス空気バネ台車等一見211系風だがメカ類は415系というユニークな車。その中でも民営化後に製造された最終ロット(1524-1531)では交流60Hz区間に入線しないことから主変圧器を50Hz専用へ変更...
3月のダイヤ改正でひっそりとフェードアウトしたのが横須賀・総武快速線のE217系。サヨナラ運転や惜別イベントも無く運用から離脱するのが近年の流行なのだろうか。大袈裟なセレモニーで見送られるより、普段着のまま去っていく。そういう去り方も悪くない。 伝統のセミクロス席もE217系で終...
3月のダイヤ改正で函館本線 函館―長万部間からキハ40形気動車の運行が終了した。国鉄末期(1977~82)から、道内各地に酷寒地仕様車(100番台)150両が投入され普通列車の体質改善に貢献したが経年による陳腐化、老朽化は如何ともしがたいというところだろう。今回の作品は、平成22...
忘れられていた作品たち。これらは2010年デジタル一眼レフの習熟運転を兼ねてカバンに忍ばせていたカメラで撮ったもの。地元の人からは見慣れた車両も関東人からは眩しく、これ地域の特性と思えば興味がわいてくる。一撮影終えてから仕事モードに。この当時、作品の出来如何は良き動機付けとなって...
陸上自衛隊松戸駐屯地の桜並木は、新京成時代から有名なスポット。だが令和6年と7年を比べてみると一目瞭然、花のボリューム感は枝の伐採によって失われているではないか。これはしたり。昨年、記録して良かった・・・。 R7.3.31撮影 R6.4.10撮影 にほんブログ村 鉄道は大勢の...
JR東日本からE26系客車が6月に引退することがPRされた。上野-札幌間の寝台特急「カシオペア」として運行されていたのが平成28(2016)年3月まで、以後は団体臨時列車「カシオペアクルーズ」「カシオペア紀行」のツアー列車として東日本管内を周遊していた。引退理由は車輌老朽化もさる...
3月20日過ぎに見頃を迎えた河津桜を観れるとは、こいつぁ春から縁起がいい。背景の電車は「いつもの」がいい。そのオチは「E231系」。これでいい。 「列車」と「電車」でいうと通勤形は後者、 国鉄時代は「国電」。 今、総合...
全廃が伝えられていたJR東日本の電機のうち、EF64が1両、EF81が4両がダイヤ改正後も残るという噂が飛び込んできた。「役目が残っている」という理由だそうだが、具体的には首都圏向けの新製電車の回送、廃車の回送,そして「カシオペア紀行」等の団体列車牽引が主になると推測される。双頭...
宗谷本線の抜海駅が15日のダイヤ改正で廃止される。鉄道ファンからは利尻富士が眺める252.5キロポスト付近の駅として有名だが、1日の乗降人員は1名程度では廃止も止むなしというところだろう。残念なのがJR側がこの駅のホーロー製駅名票を撤去していること。そこには廃止予定駅から看板類等...
今回はJR鹿島線屈指のビューポイント、霞ヶ浦の北浦橋梁を行く特急「あやめ」。ここは全長1295.8mの橋をどうまとめるかが構図つくりのポイントとなるが、やはり橋を渡る長大編成列車を狙いたい、となるとターゲットは鹿島臨海鉄道 神栖方面からの通称「鹿島貨物」になる。ちなみに最短2両の...
JR北鎌倉駅から円覚寺に向かう参道は避暑地の雰囲気があった。今回の作品は、踏切にスカ色113系が来るまで数本待って撮ったもの。全てが自然体。其の雰囲気が伝わるだろうか。 踏切待ち にほんブログ村 鉄道は大勢の人が利 用す る公共の交通機関。そこでは安全性が第一...
今回は2000年3月31日に引退したJR東日本「スーパーエクスプレス レインボー」のFINAL列車。レインボーには二台の専用機がいるが、この日ばかりは下り先頭にロイヤルエンジンEF5861号機が立った。レインボー実働13年間の中で大きな環境変化は新幹線開業。主たる運用線区だった奥...
今回のキハ40の3連は函館本線 銀山駅で撮ったもので今の「ニセコライナー」のきっかけとなる快速「マリンライナー」編成。長らく道内を網羅したキハ40にも世代交代の波は確実に広がっており、4/1現在JR北海道でキハ40の運用が残るのは、宗谷本線、函館本線(函館付近のみ)、日高本線、...
今回はサロ180-1001、181系直系最後のグリーン車サロ180-101号車を耐寒耐雪改造1000番台化したもので101番時代は「あさま」「あずさ」、1001番では「とき」に使用された。外観上の特徴として181系と485系には125mmの車高差があり「とき」3MG化に際しては車...
今回はオロ14 701,昭和58(1983)年に14系座席車からの改造で誕生した欧風客車「サロンエクスプレス東京」のコンパートメント車。車内は 6人用個室5室 が設けられており「お座敷世代」の次の「ミドル層」をターゲットにした車両だった。晩年は ジョイフルトレインの整理で「お座敷...
今回は「発掘ネガ」からの1枚。昭和52(1977)年の上野駅10番ホームの光景だが気になったのが半分写っている隣の451系で普通や国電の発着の11番ホームになぜ急行という?から。調べてみると9時台に上り急行「ときわ1号」/下り急行「ときわ4号」が11番ホームから発着することがわか...
PRによると合併後の新京成線は「松戸線」となり、4月以降車両は順次京成カラーに模様替え、駅ナンバリングも京成の続番になるという。合併後のシナジー効果に期待というところだ。 キャラクターもありがとう にほんブログ村 鉄道は大勢の人が利 用す る公共の交通機関。そこでは安全性が第...
今回は103系1000番台のモハ103 1001。地下線乗入対策車の1000番台としては113系1000番台に次いでのもので、超多段式制御器CS40と自然通風式抵抗器の採用が特徴だった。地下鉄千代田線での運用はトンネル内放熱の問題から、15年程で電機子チョッパ車203系に置き換え...
今回の作品は平成4(1992)年8月、豊肥本線でのキハ185系特急「あそ」。同年7月にJR四国から20両が転入して一ヶ月後の作品。以来30年、使い勝手のよさもあって九州に馴染んでいるキハ185系もその間エンジン機関、車内アコモ更新がなされ現在も豊肥本線・久大本線系統特急、三角線「...
今回は上野発青森行の特急 鳥海。昭和57年上越新幹線開業に際して青森行特急「いなほ」の列車名を改称したもので、下り列車は上野発10:30、上越、信越、羽越、奥羽各線を経由し青森には21:13着という10時間超えの長距離列車として新幹線上野開業までの運行だった。あらためて検証して...
今回はJR東海キハ85系の中間車キロハ84形。名前のとおりグリーン席と普通席との合造車で高山線「ひだ」用として製造され、グリーン席は定員32名確保のためシートは2+2配置となっている。後に「南紀」用に誕生したキロ85形では1+2配置とグレードが上がったが定員は30名に抑えられた。...
今回は鹿児島本線時代の肥後二見~上田浦間をいく475系普通列車。この区間、九州新幹線開業によって第三セクター肥薩おれんじ鉄道に継承されているが、電化区間でありながら旅客列車は気動車によって運行されている。電化設備はここを貨物列車が通過するために維持されている形態は、西九州新幹線開...
今回は、函館山線の蘭島~余市間をいくキハ56+キハ27。国鉄時代は北海道内急行列車が行き来した函館山線も北海道新幹線札幌延伸によっての発展的廃線、バス転換というシナリオで進んでいた。ところが小樽~余市間でいえば乗務員不足に起因するところのバス転換が赤信号。更には新幹線工事の年単位...
今回の作品は、閉鎖された貿易センタービルの展望台から旧芝離宮恩賜公園を見たもの。JR浜松町駅近隣という立地の良さは、さながら都会のオアシスのようだ。手前の新幹線0系は 「こだま」。この当時(1994)は0系、100系から300系へ移行期。いよいよ270km/h「のぞみ」時代に変わ...
西武秩父線と秩父鉄道の接続駅は西武秩父駅と御花畑駅。両駅の位置関係は目と鼻の先で、新101系電車が停車しているのが西武秩父駅。一見逆走に見えるライオンズカラーの4000系が進入するのが御花畑駅2番線。池袋から寄居・長瀞方面への直通列車は西武秩父駅には停車せず渡り線を経由し乗降駅は...
国鉄時代の修学旅行用車両は、155、159、167系電車が知られているが、キハ58系列でも32両が修学旅行用(800番台)として製造されている。主に東北・九州に配置された事から都市部には縁の無かった車両だが、今回のように一般車と混成されて上京する例がみられた。列車は上野7:10発...
時はGW真っ只中、公共交通も年末年始、お盆と並ぶ恰好の書き入れ時。この時期には多くの臨時列車が増発される中、ファンの関心事は「どの車両が使われるか」ということ。注目はJR東日本の元「踊り子」の185系電車。他は元「あずさ」「かいじ」のE257系、「いなほ」のE653系、西日本68...
初めて津軽海峡を渡ったのは昭和63(1988)年。2月に青函連絡船で函館往復、GWに青函トンネルを急行「はまなす」で通過して「一本列島」を実感した。今回の作品は乗車した「はまなす」牽引のDD51形を客車から撮ったもの。連絡船を介さず青函を列車移動できたことは感慨深かった。当時東京...
国鉄特急のヘッドマークのフォントは旧「こだま」以降、国鉄書体と称される特太ゴジックをべースとした文字マークが標準だった。ところが昭和44(1969)年に信越特急「あさま」編成が田町電車区から長野運転所へ移管して以降、今回の丸ゴジックをベースにしたフォントのヘッドマークが登場、国鉄...