chevron_left

メインカテゴリーを選択しなおす

cancel
moritareiko2000
フォロー
住所
未設定
出身
未設定
ブログ村参加

2022/08/16

arrow_drop_down
  • 60年代の映像アヴァンガルド

    60年代映像アヴァンガルドとは何だったのか1始めにここでは、1960から1970年代の松本俊夫を中心に、当時の前衛が如何に敗れ、現在の不安と共存する繁栄の時代に、どのように生き延びているのかを、技術の進歩と社会の変化を考えて再評価する。この50年を振り返って、社会の変化と技術の進歩が、アヴァンガルドの精神、美学を打ち砕いてきているからである。UTuberの時代から振り返ると、如何に幼いことを前衛として自己満足していたのかと当時のアヴァンガルドにたずさわった人間は自己批判が必要である。しかし、21世紀に入って、このような動きは見られない。2社会の変化2-1共産主義の破綻共産主義への夢が、幻想と判明し、先進国における反対体制は、持てる者の自己満足にすぎないことが分かった。2-2弁証法から妥協へ先進国の労働者を...60年代の映像アヴァンガルド

  • 大和絵の空間認識

    1始めに倭絵は独自の発展を遂げ、独特の空間認識を持つ風俗画となった。この空間認識を、源氏物語絵巻と南蛮屏風で分析する。2大和絵の空間2-1ユークリッド空間と写像大和絵では、実空間を3次元ユークリッド空間と認識し、ユークリッド平面(画面のこと)へ線形写像を行っている。ここで、あえて、3次元ユークリッド空間という用語を使うのは、1つの絵の同じ画面に過去と現在を描きこむ手法(3次元でない)や、本来見えないもの(あるものの後ろで通常は見えないもの)を1つの画面に描く事があるからである。特に、後期ビザンチン絵画では、細分化された画面に、複雑な三次元空間が創出されていると評価されることがあるが、数学的に見ると混乱以外の何物でもない。パンタナッサ修道院のフレスコ画「キリストのエルサレム入城」でみると、いたるところに異な...大和絵の空間認識

  • インドの美術概観

    1社会と美術の概観インド美術は、宗教の盛衰と、異民族による被征服の歴史とは切り離せない。インドの歴史はハラッパ・モヘンジョダロに始まるが、ここではヴェーダ―時代から始めることとする。2ヴェーダ―時代(BC1500~BC600)寒冷化と食糧不足によるインド・アーリア民族の大移動(侵略)で、インダス文明は終焉を迎え、インドにおけるアーリア人の支配が確立し、バラモン教の聖典ヴェーダ―が完成し、マハーバラタ等の神話が成立した。3宗教改革期(BC500~BC300)バラモン教の四姓制度が現実に合わなくなり、宗教改革の一環として、仏教・ジャイナ教が起こった。また、バラモン教も土俗の宗教を取り入れヒンズー教へと変化した。まだ、仏像は存在しなかった。4仏教興隆期(BC300~AD400)北西部ではギリシャや中央アジア民族...インドの美術概観

  • ブルッセルの美術館 1

    王立美術館は、グランプラザから、ブルッセルセントラル駅を通り越して、公園を登ると、数分で到達する。入り口は控えめだが、規模と内容はピカイチである。美術館は、大きく3つに分かれている。オールドマスターイタリア、北方ルネサンスの良い作品世紀末ドイツを中心とした1900年前後の表現主義を主体マグリット今となっては、古典となったが、マグリットを中心とする20世紀初頭のコンテンポラリー(現代の意味)アート、シュールレアリズム中心マグリットが素晴らしかった。第二次世界大戦前までの西洋現代美術の良い意味での、概念が確立できた。これから、ウイーンにも行くので、世紀末の意味がもっとはっきりわかると思う。ブルッセルの美術館1

  • アントワープの美術館 3 マイエル ヴァン デル ベルグ美術館

    ルーベンスハウスから歩いて数分のところにある。個人の邸宅を、彼の蒐集したび美術品、主として絵画を展示する美術館にしたものである。このため、入口が少しわかりずらい。個人の邸宅としては驚くほど立派である。日本の印籠、根付、薩摩焼が恥ずかしそうに展示されていた。訪問しても損はない美術館だと思う。アントワープの美術館3マイエルヴァンデルベルグ美術館

  • アントワープの美術館 2 ノートルダム大聖堂

    ノートルダム大聖堂を美術館と呼ぶのはおかしいが、アントワープ王立美術館の協力で、ギルドごとに祭壇画を飾るという試みをしている。多くの、異なった画家の祭壇画を見る良い機会であり、また、祭壇画の背面の絵をじっくりと見ることができるチャンスである。実際の展示方法は、副陣と本陣との間にある各大柱の前に祭壇画を置くという方式である。これは、中世のオリジナルな祈祷方式に戻すという試みである。各ギルドの祭壇画の中で、ルーベンスがひときわ目立った。これは、単に絵が大きいだけで無く、光の使い方が、劇的であることが大きい。個人的には、このような配置は大聖堂の、荘厳さを損なうように感じた。アントワープの美術館2ノートルダム大聖堂

  • アントワープの美術館1 ルーベンスハウス

    毎年、ヨーロッパの美術館巡りをしている。今回も、速報的に感想をまとめる。詳細は帰国後に投稿する予定です。ルーベンスハウスアントワープといえば、ルーベンスということで、ルーベンスハウスを訪ねました。アントワープセントラル駅から、目抜き通りを、ぶらぶら10分程度歩くとすぐに着きます。大きな工房で、庭も立派です。当時のギルド製の絵というものがわかります。展示は豊富で、解説書を無料で配布してくれるので、便利です。アムステルダムのレンブラントハウスと比べると教会から注文を受けるルーベンスの豊かさがわかります。アントワープの美術館1ルーベンスハウス

  • 中国の美術史概観

    1始めに中国の美術史を、王朝の区分に従い8つの時代に分ける。それぞれの時代の特色を一言で纏める。2先史時代から前/後漢造形技術の確立期。金属加工の蝋型鋳造法・彫金・象眼、陶芸の高温焼成・釉薬、漆器の技法等が確立した。書道では紙の発明と筆の進歩があった。絵画も発展を見たが、現存する作品は少ない。また、仏教がインドから伝わり仏教美術も生まれた。青銅器で曾候乙墓の編鐘は大きさと精巧さで類を見ず、青銅器の完成形である。3三国・南北時代芸術の芽生え。技法の確立と社会の生産性が高まりによる貴族層の誕生を遠因とし、作者を特定できる作品が生まれた。絵画の顧愷之と書の王義之は、芸術性を確立した。王義之には臨模本しかないが、現在も書の手本である。4唐各分野の芸術が花咲く。大唐帝国と呼ばれ、世界帝国としの繁栄、農業・商工業の隆...中国の美術史概観

  • 興福寺阿修羅像

    1)印象興福寺国宝館で本像を見た時、空がないと嘆く智恵子を見た。愁いを持ちながらも、きりりと未来を見つめる若い女性を感じた。極彩色の像が、時の作用(色褪せ)で精神性を得て、嘆きと祈りを具現化している。2)時代的背景仏教は鎮護国家の色合いが濃く、藤原氏に権力があり、興福寺は莫大な費用をかて、準国家的事業として営まれた。3)技術・技能的側面脱活乾漆像で、この技術は東晋に始まり、7世紀に唐から伝えられた(朝鮮では10世紀に始めての作例)。この技術の特色は、手間と費用が掛かるが、細かい細工が可能な点である。この技法の像の大部分は日本にしか残っていない。仏像の和様化に伴い写実主義が完成した奈良時代前期(8世紀)に作られた。4)鑑賞仏像が女性ということはあり得ないが、本像が光明皇后御願いにより作られ、皇后が深く仏教に...興福寺阿修羅像

  • 縄文火炎型土器

    1時代的背景火焔型土器は、5000年前頃(縄文中期)、信濃川流域に出現し、僅か500年で突然姿を消した。出現時は縄文海進が終わり、現在とほぼ同じ気候になり、消滅時は寒冷化が進んだ時である。遺跡数が最大に達した時(生活に余裕ができる)に出現し、遺跡数の減少(生活の困窮化)と共に消滅している。2技術的側面本土器の粘土は現在と大差なく、竪穴・横穴窯で十分に焼ける。即ち、縄文土器の歴史から見て、造形に手間はかかるが、少しの訓練で、誰でも制作可能といえる。ほぼ突然、信濃川流域のみで、独自に発展したものである。3鑑賞造形芸術品は単体でも素晴らしいが、その背景等の付加価値により、更に想像を膨らませる。自然の豊かさに依存し、アニミズム的に神・精霊を畏れる生活であった。畏れは写実的な土偶がないことで暗示される。食物は豊富に...縄文火炎型土器

arrow_drop_down

ブログリーダー」を活用して、moritareiko2000さんをフォローしませんか?

ハンドル名
moritareiko2000さん
ブログタイトル
Moritareiko2000の美術探訪
フォロー
Moritareiko2000の美術探訪

にほんブログ村 カテゴリー一覧

商用