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  • 俄――鶴の恩返し

    次の俄は、祭り前に相方と一杯飲んでいて、大まかなあらすじだけ決めて、台本なしでやった俄である。ちょっと下ネタかかっているので、町内でやった〈辻俄=神社以外でする俄〉だ。やった後に村の子どもが「おっちゃん、今日のが一番おもしろかった」と言ってくれた。【登場人物】与兵(男性)・鶴(女性)与ああ今日も一日終わったわい。一人さみしくメシでも食て寝るとするかい。ウラから「ヨヒョウどん。いたはりますか」の声がする与だれじゃ、鶴が女装して出て来る。与こんな夕方に。あんたはどなたはんで?鶴へい、昼間助けてもろた鶴でございます。与ああ、あの時の、しかし、なんでまた?鶴助けてもろたお礼にヨヒョウどんのお世話をしたくて参りました。与あんたみたいなべっぴんさんがわしのお世話を。そら、ありがたいこっちゃ。ほな、さっそく寝まひょか。...俄――鶴の恩返し

  • 俄――明治以降の俄

    明治に入り、大阪船場の御霊神社や座摩神社を中心に大和屋宝楽、信濃家尾半、初春亭新玉、初春亭二玉(後の鶴家団九郎)、三玉(後の鶴家団十郎)らが俄を競い合っていた。明治11年(1878)には、中村雁治郎らも舞台に立った大阪弁天座で四本立ての合同公演が行われ、以後の十年間は大阪俄の最後の隆盛期であった。その一方で、文明開化の波が演劇界にも押し寄せてきた。東京に端を発した演劇改良運動が大阪にも波及してきたのだ。渋沢栄一、外山正一をはじめ、名だたる政治家、経済人、文学者らが演劇改良会を結成し、歌舞伎を標的にして、貴人や外国人が見るにふさわしい道徳的な筋書きにし、作り話をやめることなどが申し渡された。歌舞伎を拠り所としていた俄師たちはと惑わざるを得なかった。歌舞伎が大きく変わりつつある一方で、歌舞伎と異なる現代劇の新...俄――明治以降の俄

    地域タグ:大阪府

  • 歴史34 昭和――春やん恋しぐれ④

    小春もわしも若かった。よう働いたし楽しかった。せやけど、それも三年ほどや・・・。二十歳になった昭和12年の5月頃に徴兵検査の通知がきよった。身体に悪いところはなかったから甲種の合格や。それを機に、小春を喜志に連れて帰って祝言をあげた。村の中の親戚の家を小春の実家に見たてて、白無垢の着物に文金高島田で我が家まで歩いて嫁入りや。橘小春見たさに近隣の村から人が仰山集まってきて、えらい騒ぎあった。昭和12年の7月に日中事変が始まると、すぐに入隊通知がきて法円坂の歩兵第八連隊に入営した。「またも負けたか八連隊、それでは勲章九連隊」と言われた連隊や。(京都の歩兵第9連隊を「勲章をくれんたい(もらえませんよ)」という九州弁の洒落でもわかるように、九州の連隊のやっかみや。他所の連隊は「突撃」かけられたら突撃して玉砕するけ...歴史34昭和――春やん恋しぐれ④

    地域タグ:大阪府

  • 歴史34 昭和――春やん恋しぐれ③

    わしが17(歳)の時や。小学校のそばに喜楽座という芝居小屋が出来た。いろんな一座が入れ替わりで興行をうつのやが、年に数回、小泉劇団というのがやってきた。その劇団に橘小春という可愛らしい子がいてな、村の若い者は芝居見に行くのやなしに、小春ちゃんを見に行ってたようなもんあった。時々、村の素人も出演させてくれはってな、わしも早ようから俄や村芝居に出てたんで何回か出演させてもろうた。いうても、町娘にちょっかいだすチンピラみたいな役あった。それでもな、「つべこべぬかさんとわいに付いてこんかい!」と言うて、一瞬でも小春ちゃんの手を握れんのが嬉しかった。小春ちゃんは、わしより二つ上で、よう似た歳あったさかいに、いつしか仲ようなった。そんなんで、ある日、楽屋で小春ちゃんと話をしている時に、今回の興行が終わったら大阪に帰る...歴史34昭和――春やん恋しぐれ③

    地域タグ:大阪府

  • 歴史34 昭和――春やん恋しぐれ②

    聖天坂駅、駅というより停留場といった方がいいほど小さな駅を降りると、すぐに広い道がある。踏切を渡ってニ、三分ほど歩いたところにアパートがあった。アパートというよりは二階建ての離れを借家にしたようなもので、一階と二階の二部屋しかなかった。人一人がやっと通れるような階段を上るとすぐにドアがあって、入るとすぐに六畳の畳の間があった。合鍵を持っていた居候のTが先に帰っていた。バンドをするというだけあって、すらりとした長身で恰好よかった。野菜を適当に切って、エーちゃんと私とTとFの四人ですき焼きをつついた。クーラーはなかったが、窓を開ければ涼しい風が入り、大阪市内だからか蚊もいなかった。ぐっすりと寝て、翌朝の8時くらいに四人でアパートを出た。線路沿いに北に向かって松虫通りを少し通って左に曲がると聖天下という簡素な住...歴史34昭和――春やん恋しぐれ②

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  • 歴史34 昭和――春やん恋しぐれ①

    大学2年生の長い夏休みだった。アルバイトはしていなかった。その代わり、朝8時半ごろ家を出て阿倍野に行く。阿倍野筋の旭屋書店の下にあるパチンコ屋がアルバイトのようなものだった。10時の開店前に並んでいると高校の同級生が、たいがい五、六人いた。パチプロのエーちゃんというのがいて、ハンカチを預ける。ドアが開いて軍艦マーチがけたたましく鳴る中を台探し。エーちゃんが目ぼしい台を見つけて、預けたハンカチを台の上に置いてくれる。まだ一発ずつはじいて打つ手打ちの時代だった。一時間半ほどすると1500発で終了になる。一発2円の頃だったので3000円だが、2割引かれて2500円前後。二台目に挑戦している途中に食事時。「食事中」の札を貼ってもらって皆で昼食。豪華にいくならKYKの豚カツ定食350円。腹いっぱいならアポロの下の熊...歴史34昭和――春やん恋しぐれ①

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  • ちょっといっぷく43 験かつぎ

    江戸の浮世絵師歌川広重の「魚づくし」から「験(げん)」の良い絵。さて、魚の名は?左上の狂歌には、「あたたかいなたのしほかせふくからにつほみもひらく梅の折枝数寿垣」「ふぐ」はわかるのだが、もう一匹がわからない。答えは出世魚の「ぶり」の別名、といってもわからない。関西では成長におうじてブリの名を、ツバス・ハマチ・メジロ・ブリ・・・という。これでもわからない。関東では、ワカシ・イナダ・ワラサ・ブリ・・・という。というわけで、「いなだ」が正解。「暖かい灘の潮風吹くからに蕾も開く梅の折れ枝」ところで、なぜ「験」に「担ぐ」という動詞を付けたのか?「験を付ける」「縁起を付ける」とした方がぴったりだと思うのだが。そこで調べてみると、本来、担いでいたのは神主さんが御祓いをする時の「御幣」だった。昔は、祭りや祝い事なので、縁...ちょっといっぷく43験かつぎ

  • ちょっといっぷく42 初春

    年末年始は都々逸でしっとりと。[正月準備]裏を出そうか表を出そかおしめ飾りは裏を出せ[大晦日]除夜の鐘の音幾つを聞いて後の一つでおめでとう[元旦]初湯の都々逸松竹梅よ熱きゃうめます(梅松)ぬるきゃ焚け(竹)[初夢]むすぶ初夢ついお宝で女房うっかりふくの神ちょっといっぷく42初春

  • ちょっといっぷく41――ためし

    問次の文章の傍線部を漢字で書きなさい(答えは後ろに)。年末の運ためしにジャンボ宝くじを連番で10枚。しかし、6等300円のみ。ああ、バッサリとためし斬りに遭ったような思い。ならば、「年の始めのためしとて、終なき世のめでたさを・・・」の歌にもあるように、初夢宝くじで今年の運ためしを・・・と思ったが、宝くじで当たったためしがないのだからやめておこう!今年はじっくりと腰を据えて、ためしに、よくためしてから、ためしていこう!。歳をとると一年が短い。人生の結果(未来)にまっしぐらに進んでいるから、時間の経過を速く感じる。若い時は一年が長い。これからの未来を見つめ、結果を求めようとしているから、時間の経過を長く感じる。そこで考えた。歳をとった今の自分は若いころに求めた結果で、これからは、のんびりと実験検討しながら、も...ちょっといっぷく41――ためし

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