6月23日に、下記にブログを引っ越しました。★楽天ブログ(河内のおっさんのブログ)※一行分かち書きしていた過去記事を散文に改め、写真は必要最低限に書き直して、毎日、一記事をアップしています。https://plaza.rakuten.co.jp/ottusanlando/★はてなブログ「河内国覚書帖」※gooブログの記事を、そのまま引っ越しました。新規の記事更新は、こちらでしています。https://f62xyq39w.hatenablog.com/ブログを引っ越ししました
「ほんまに、人情味のある、優しい、兄貴あった・・・」そう言って春やんは鼻をすすり、ちびりと酒もすすった。オトンは何も言わなかった。私は、勇ましくも、なんとも悲しい話で聞かなければよかったと思った。「そやから、本来ならば『篠ヶ峰』と彫った墓石にするものやが、陸軍歩兵何某と書かれた立派な墓に入ってしまいよった」「兄弟の中にひとりぐらい賢いやつがおらんとあかん。わしが中学校までやってもらえたのも兄貴のお陰や」とも言った。気をとり直したのかオトンが言った。「ほんで、春やん、今日はなにしに来たんや?」「ああ、そやそや。喜志の宮さんのお札と祝い箸を配りにきたんあった」「もう、そんな時期か・・・」「はやいなあ。来年は戦争も災いもない良いとしでありますようにやなあ」そう言ってお札と祝い箸をテーブルの上に置き、「ごっつぉは...歴史33大正――人情大相撲⑥
地域タグ:大阪府
「ほんでどないなったんや?」「死によった」「なんでや?」内地で半年ほど訓練した後に満州に派遣された。一年ほどした後の昭和6年(1931)9月18日に満州事変が起こったんや。後に記録班あった戦友から聞いた話やが、奉天北大営の攻撃、紅頂山兵営の攻撃を戦い、12月15日の馬家要塞の戦闘に先乗り部隊の軽機関銃手として従軍した。夕暮れ時、敵が攻撃をかけてきた。小高い丘から、しかも夕陽を背にしてるのを利用した奇襲攻撃や!こっちは先乗り部隊の百数十名の兵で、五倍ほどの大敵を相手の戦いあったそうや。兄貴は小隊長のところへ詰めより、「ここは敵と四つに組んでは勝ち目はなし。左右に換わって敵の横腹を攻めるのが得策。その頃には後方部隊も到着し、三方から攻撃が可能です。それまで私が敵を食い止めます」18歳のときの八朔相撲のお返しや...歴史33大正――人情大相撲⑤
地域タグ:大阪府
大坂相撲は春夏秋冬10日ずつの本場所に、東京相撲との対抗戦を加えた五場所を中心に興行していた。今の本場所といっしょで、一日一番の取り組みや。兄貴は千田川親方の許しを得て篠ヶ峰の四股名で土俵に上がり、序ノ口、序二段、三段目、幕下、十両と勝ち進んだ。一年後の22歳の夏場所では幕下の前頭八枚目まで出世しよった。それからは前頭あたりを勝ったり負けたりして、23歳の5月場所の新番付では前頭三枚目まで上がってた。そのときや、事件が起きたんは。「そのときや、事件が起きたんは」と繰り返して、春やんはぐびりと酒を飲んだ。そして、アテがなくなったのか、私が食べていた、その年発売されたポッキーを一本取って、トッポジージョのようにかじった。そして、「乙な味やなあ」と言って、ポッキーをもう一本取った。春やん、あかんで、僕のや。困っ...歴史33大正――人情大相撲④
地域タグ:大阪府
大碇の部屋に入ったその翌年や。兄貴は二十歳になっとった。三月から始まった興行から勝ち進んで、9月の道明寺天満宮の八朔相撲の時あった。このときは東の張出横綱まで上がってた。東西の正横綱が二人、張出横綱が二人やから番付では三番目や。下から勝ち抜いてきた大関とが一番目や。これを下手で投げ倒し、二番目の西の張出横綱を掬(すく)い投げ、三番目は西の横綱を首投げして、いよいよ結びの大一番、東の横綱との一戦になった。この一番をみなければ、男と生まれた甲斐がない。見に行かなければ先祖の位牌に申し訳があい立たんと、押すな押すなの人の声。押すなと言うたら押すのじゃない!そんなに押したら背中の握り飯や潰れて、梅干しゃ裸で風邪をひくやないかい!大入り満員札止めの中、呼び出しが、どとんとんとんと駆け上がって、西と東と読み上げる。名...歴史33大正――人情大相撲③
地域タグ:大阪府
村相撲は野外でやるんで冬場の興業はない。八卦の又の親分さんとこの仕事を手伝い、あとはひたすら稽古の毎日や。三か月余りたった3月25日羽曳野誉田八万能まつりの宮相撲が兄貴の初土俵あった。村相撲とはいえ、大きな興行ともなると、頭取が15名、相撲取りが700名、行司45名、世話人(スポンサー)100名という大所帯や!勝負は5人抜きの勝ち抜き戦やから朝から晩まで取り組みが続いた。朝の早よから大勢の人がひっきりなしに集まって来た。昔は、村相撲が庶民の一番の娯楽あったんや。まどろむ暇もあらばこそ決戦告げる暁の、5丈3尺櫓の上でドドンと鳴りだす一番太鼓。一番太鼓で目を覚まし、二番太鼓で身支度をし、三番太鼓で場所入りや。強いとはいえ力の世界。兄貴は番付け序の口からの取り組みあった。初の土俵の一人目は、立ち上がるなり張り手...歴史33大正――人情大相撲②
昭和40年代(1965~)のジャイアンツ(巨人)は強かった。長嶋・王のON砲に加えて川上監督が就任し、昭和40年から48年にかけて日本シリーズ9連覇(V9)を成し遂げた。もう一つ(一人)強かったのが大鵬だ。昭和36年11月場所で横綱に昇進してから昭和46年5月場所で引退するまで、優勝32回(6連覇2回)、45連勝などを記録した。「巨人・大鵬・卵焼き」という言葉が流行るほど、とにかく強かった。その年も巨人・大鵬は強かった。巨人は、二位の中日に13ゲーム差をつけて優勝。三位阪神とは25ゲーム差だった。日本シリーズでも4勝2敗で南海を下してV2優勝した。大鵬は、初場所こそ柏戸に負けたものの、その後6連覇を果たしている。その年の九州場所の千秋楽、14勝0敗の大鵬と10勝4敗の横綱柏戸との結びの一番をテレビで見てい...歴史33大正――人情大相撲①
地域タグ:大阪府
日清戦争(明治27年1894)・日露戦争(明治37年1904)に勝利した後、明治天皇が崩御1912年〈明治45年/大正元年〉7月30日)。大正時代になってすぐに第一次世界大戦が始まる。戦争は4年間にわたって続けられた。ロシア、フランス、イギリスなど連合国と、ドイツ、オーストリア、イタリアの三国同盟との戦争である。日本は日英同盟を理由に8月、ドイツに宣戦布告し、ドイツの植民地だった中国の青島に攻めこみ大国の仲間入りを果たす。主戦場から遠く離れた日本は、輸出が急増し空前の大戦景気(バブル)がおとずれる。大正時代を一口で言えば「甘く辛く、楽しく苦しい」が混在した時代だ。春やんがよく歌っていた『うめぼしのうた』である。♪二月三月花ざかり、うぐいす鳴いた春の日の楽しい時も夢のうち。五月六月実がなれば、枝からふるいお...歴史32大正――創立50周年③
地域タグ:富田林市
春やんが酒に酔ったとき、たまに歌うことがあった。♪国求(ま)ぎましし大国の神をまつりて幾千歳和邇の大池すめらぎの恵みたたえし喜志の古郷(さと)♪♪春北山に桜咲き秋石川に菊かおる茅原ひらけて稲の波中にそびゆる喜志の学びや♪忠と孝とは国の華つとめ励まんもろともに御祖(みおや)の勲(いさお)慕いつついざ起(た)ちゆかな学び子我ら爆弾の破片の入った目をしくしくさせて歌い終わると、破片の入った膝をさすりなから帰っていった。喜志村にある喜志小学校の戦前の歴史である。明治5年8月14日富田林村内の興正寺別院・妙慶寺の本堂で、富田林村・毛人谷村・新堂村・中野村・喜志村・新家村の6ヶ村連合により『河内国第27区郷学校(富田林郷学校)』が開校。※通学不便のため、新堂村は光盛寺・圓光寺に、喜志村は明尊寺(桜井)に富田林郷学校教...歴史32大正――創立50周年②
――日本の歴史を考えるときは〈神仏習合〉〈神仏分離〉〈神社合祀〉というのを頭に入れとかんとあかん――これもまた春やんがよく言っていた言葉である。明治という時代は神と仏の大転換期だった。古来の日本では、岩や海、大木、大岩など様々なところに宿る神(国津神・地祇)を信仰する自然崇拝があった。それと、大和朝廷が編纂した「古事記・日本書紀」の日本神話に出てくる神々(天津神・天神)を信仰する神道があった。そこに、中国から伝来した仏教が加わる。この時、仏像を巡り崇仏派(蘇我氏)と排仏派(物部氏)との争いはあったものの、しだいに、神道と仏教を同一と見なすようになる〈神仏習合〉。お寺の中に神社があり、神社に仏像を置きお経をあげても不思議でない生活が1000年も続いていた。ところが、明治政府は(神仏習合)を禁止し(明治3年)...歴史32大正――創立50周年①
地域タグ:富田林市
明治31年3月、柏原~古市間が河陽鉄道によって開業。翌年5月河南鉄道が事業を継承し古市から富田林、河内長野へと線路を延ばした。その河陽鉄道設立に際しての「河陽鉄道株式会社目論見書(明治26年)」なるものが国立公文書館に残っている。その中にある計画当初の路線図である。点線が鉄道。よく見ると現在のルートとは違う。東高野街道(一部は旧国道170号線)の東側を通っている。あるいは石川の堤防沿いに通す計画だったのかもしれない。だとすれば、川面の浜あたりに駅があったことになる。太子町や河南町、広瀬(羽曳野市)の人々の便もいいではないか。だのに・・・オジャン!そらそやなあ・・・洪水の時は危ないで!ちょっといっぷく40幻の駅
地域タグ:富田林市
明治時代の話や。明治という時代がきて日本は大きく変わった。江戸時代は、土地の持ち主は領主のお殿さんで、その下に広い土地を持つ庄屋はんがいて、それなりの土地を持つ本百姓。それと、庄屋の土地で働く水呑み百姓とに別れていた。それが明治になって地租改正というのがあって、お殿さんはが無くなった(廃藩置県)。土地はその土地の持ち主のものになったんや。ええこっちゃないかいと思うやろけど、広い土地を持つ庄屋はんが大地主になって、それなりの土地を持つ本百姓が自作農家。それと、庄屋の土地で働く水呑み百姓が小作農家と名前が変わっただけや。それどころか、米で払っていた年貢を税金、お金で払えということになったんや。米を作って年貢を払うて、残った米でしゃぶしゃぶのオカイさんすすってコーコかじって自給自足してたとこへ、税金を払えや。現...歴史31明治――大深の一寸③
地域タグ:富田林市
冬休みに入ったばかりのある日のことだった。野球をしようということになって、前の日から人数集めをして、朝の9時に墓の横にある田んぼに集合ということになっていた。川面には公園はなく、広い遊び場は田んぼしかなかった。墓の横の田んぼは稲の株を短く刈っていたし、真四角で野球するにはもってこいだった。友達ニ、三人で墓につづく細い道を歩いていると、焼き場の煙突から黄色い煙がうっすらと上がっている。「誰か死なはったんやな。見に行こか」ということになった。墓で走って転ぶと死ぬという言い伝えがあったので、ゆっくり歩いて阿弥陀堂に行き、裏の焼き場をのぞくと春やんと二人のオッチャンがいた。オンボ(隠亡)という一晩中、火の番をする役目で、年寄りが交代でやっていた。冷ましている途中だったのだろう。釜の火はほぼ消えていた。喪主からの接...歴史31明治――大深の一寸②
地域タグ:富田林市
――歴史を考える時は当時の地形・地理を頭に入れておかんとあかん――春やんがよく言っていた言葉である。地形の変化は海や川・湖などの水の影響が大きい。鎌倉時代までの大阪がそうだ。上町大地の半島より東側は河内湖(後に河内潟)だった。それが淀川や大和川が運ぶ堆積物によってゆっくりと縮小していった。そして、江戸時代の大和川の付け替え工事(1703年)によってまた大きく変化する。川面の浜の剣先舟の水運が盛んになったのも大和川の付け替え工事のお陰だ。川面は東を流れる石川によって大きく変化する。江戸時代の石川は西の河岸段丘沿いに流れていた。明治の中頃に河南橋の上流に堤防が築かれ、石川は東寄りに流れを変えた。新田開発が行われ「裏脇」と呼ぶ田畑ができた。そして、石川に河南橋が架けられて新道(府道美原太子線)が出来たことで、石...歴史31明治――大深の一寸①
地域タグ:富田林市
【登場人物】母・兄=直三・弟=兼松下手(右)から商人姿の兼松が登場。兼松久々に川面の浜に帰ってきたがな・・・、やっぱり故郷はええなあ。とはいえ、大阪に出て商売人になるんやと言うて、家飛び出してから十年。直三の兄貴も、オカンも怒ってるやろなあ・・・。上手(左)からオカンが登場。もうろくして気が付かない。母せがれ直三の船大工の腕も上がり、剣先船の注文がようさんくるようになった。ああ、けっこなこっちゃ、けっこなこっちゃ。言いながら兼松の前を行き過ぎる(左へ)。兼松も、も、もし。母は振り向いて兼松を見るが気が付かない。母はあー?兼松もしもし。母♪カメよ♪・・・あんた、カメさん!兼松ちゃうがな。わしや。母ワシかいな。兼松ちゃうがな。オレオレ、オレや。母(びっくりして)ワシやのうて詐欺(サギ)やがな!(しゃがみこんで...俄――浜の人情兄弟
地域タグ:富田林市
下手から佐助が登場。祭衣装。法被を前であわせにして紐で縛っている。佐助(くたびれた様子)ああ……今日も一日が終わった。明治になって世の中が変わったけど、わしの暮らしは相変わらずの貧乏やがな。神も仏もあるかいな。さあ、さあ、帰って屁ーこいて寝よ。舞台の下手で寝る。上手から神様が登場。白のシーツを頭からかぶり、腰で帯を結んでいる。神様おい、佐助。おい、佐助。佐助(眠そうに目をこすり、ハッと気づいて)なな、なんやお前!神様神さんや。佐助神さん?間男してるとこを丹那に見つかって逃げ出した男にしか見えん。神様あほ言うな。おまえが神も仏も無いと言うさかいに、出てきたったんや。佐助ほんまかいな。神様ほんまや。佐助、毎日精出して、正直に働いとるさかいに、ええ目、見さしたろ。佐助ええ目に……ほんまかいな。神様よう疑うやっち...俄――川面の渡し最後の日
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【補筆として】明治22年、川面の浜の上流に河南橋の元となる仮の橋が架けられた。同時に新道や河南橋東詰めから太子街道につながる道が開通する。仮の橋は幅1.8m、長さ200mで、途中に車のすれ違い用として幅3.6mの待避所が設けられていた。このことで川面の渡しは250年の歴史の幕を閉じることになる。渡し舟の運営は次のようなものだった。・舟の新設および修繕は川面住民の負担とし、喜志全村より多少の補助をする。・舟の使用および保管は、川面住民より、一定の期限を決め、舟仲間と称する四、五人に請け負わせる。・舟賃は舟仲間が、近隣各村の一戸につき「船米」と称して五合もしくは一升の米を徴収し、その中から舟仲間の受け負い料として一か年一石六斗を川面に納め、請負料とし、残りおよび臨時収入は舟仲間の所得とする。ただし喜志村から船...歴史30明治――川面の渡し②
地域タグ:富田林市
瓦当ての事件があってから三日ほど経った日。学校からの帰りに春やんの家の前を通ると、春やんが自転車のパンクを直していた。大工はもちろん機械や電気なども自分で修理する器用な人だった。「パンクしたんかいな」と言うと、「可難こっちゃ、ほれ見てみ!こんな釘が入とった」3センチほどの曲がり釘だった。修理は終わっていたのか、空気入れを押しながら、「ほんで、みな仲ようやってるか?」「そらそや、僕ら川面のわたしなんやから」「わたし(私)?私と違うて舟で川を渡る渡しやで!」「わかってるがな、戦艦大和ほどある船やろ!」「解ってるやないかい。可難奴っちゃなぁ」「そやそや、聞こ聞こ思てたんやけど、河南町にあったら河南橋でええねんけど、喜志にあるのに何んで河南橋というねん?」「そんなん、簡単なこっちゃ。ちょっと待っときや」と言って春...歴史30明治――川面の渡し①
地域タグ:富田林市
この船溜まりに止まっていた舟というのは、長さ20m、幅2mほどの刀みたいに細長い舟あったから「剣先舟」というてた。その剣先船が20台ほどここに止まってた。この辺りはなあ「川面の浜」というて船着き場あったんや。太子(町)や大ヶ塚・森屋などの河南町。千早赤阪村。石川の上流の富田林・甲田・錦織などで採れた米・木綿・酒・油・材木なんかがこの川面の浜に集まってくる。それを剣先舟に積んで石川を下り、大和川に入って大阪の難波まで運んでた。帰りは、塩・肥料(干鰯)・荒物・大豆(千早の高野豆腐製造用)なんかを積んで石川を上って川面の浜で下ろされたんや。ほれ、そこ(北側)に工場があるやろ。あの辺りには「みやでん(宮殿)」と呼ばれた、国会議事堂ほどもある問屋さんがあったんや。(そらウソやろと思ったが、誰も何も言わない)道を挟ん...歴史29明治――川面の浜②
地域タグ:富田林市
河南橋の近くにある建具屋さんの材木置き場の空き地で「瓦当て(かわらあて)」をしていた。10センチほどの割れた瓦を拾ってきて、地面に立てやすく、投げやすいようにコンクリートでこすって加工する。グッパーで二つのチームに分け、5、6メートルほど離れた二本の線を引き、攻撃側と守り側に別れる。守り側は線の上に瓦を立てる。攻撃側がそれを瓦で倒す。全部倒すことが出来れば次のフェーズ(段階)に移って攻撃が続けられるが、一つでも残れば攻守交替になるという遊びだ。フェーズは、足の甲から始まって、膝・股・腹・胸・肩・額・頭に瓦を乗せて当てるるという具合にグレードアップしていく。攻撃側が、片手をグーにして胸にひっつけ、その上に瓦を乗せて当てるフェーズになった。攻撃側のコウンチャンがトモヤンの瓦をねらって見事に倒した。「あかん。胸...歴史29明治――川面の浜①
地域タグ:富田林市
今ではどの家庭にも電気メーターがあるが、昭和前期にはよほど裕福な家庭にしかなかった。各家庭に電気はひかれていたが、当時の電気料金は「一戸一灯契約」という定額料金で、1世帯で1個の電球を使ってもいいですよという料金体系だったのだ。これに目をつけたのがパナソニック(松下電器)の松下幸之助。電球ソケットの横にもう一つソケットの付いた「二股ソケット」を開発して大ヒットする。このソケットのおかげで一家に一つだけソケット(コンセント)があることになる。これで充分。電化製品といえば扇風機と電気アイロン、ラジオしかなかった時代である。そんなある日の朝。ラジオの午前7時の時報のあと臨時ニュースが1分間放送された。「臨時ニュースを申し上げます。臨時ニュースを申し上げます。大本営陸海軍部、12月8日午前6時発表。帝国陸海軍は、...ちょっといっぷく39あの日
そら豆を植えた。中国特産の絹が西方に運ばれた道=シルクロードを通って、ヨーロッパから中国にそら豆が伝来した。絹を作るカイコ(蚕)の繭(まゆ)に実が似ていることから中国名は蚕豆。この蚕豆が日本に伝わり、実が上向き、空に向かって付くことから空豆。ちょっとした料亭では、「空」を空っぽ・空しいと読むのを嫌って天豆と呼んでいる。どうせ食べるなら天豆を食べたい。そこで我が家では空豆とは言わず天豆と言っている。天豆の横のワラは防寒・霜除け。春先にワラの上にぱらっと肥料を蒔いて土寄せ。ワラも土で埋めて畑の肥料にする。それまでは、畑仕事は休職。冬眠に入る。畑――冬眠
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6月23日に、下記にブログを引っ越しました。★楽天ブログ(河内のおっさんのブログ)※一行分かち書きしていた過去記事を散文に改め、写真は必要最低限に書き直して、毎日、一記事をアップしています。https://plaza.rakuten.co.jp/ottusanlando/★はてなブログ「河内国覚書帖」※gooブログの記事を、そのまま引っ越しました。新規の記事更新は、こちらでしています。https://f62xyq39w.hatenablog.com/ブログを引っ越ししました
「茶話135/野の花」で書いたネジバナ(モジズリ)が咲きだした。螺旋状にねじれて咲く、珍しい花だ。きれいなピンクの花を下から順に咲かせていくので花期が長い。右側は野朝顔。あまり大きくならないので、狭い我が家にはちょうどいい。左側はサツキ。本来なら、もう散っているのだが、まだ咲いている。春と夏が混在ししている。温暖化の影響で季節が揺らいでいる。花や野菜の旬がずれてきている。梅雨入りして一週間雨が続いたが、その後は連日の猛暑。朝の5時半に畑に行って、7時を過ぎると気温は30度近くになっている。これ以上は危険な状態。早々に帰って涼しいとこでじっとしているほかはない。とはいえ、何もしないのは勿体ないのでプログの引っ越し作業。◇すでに、ライブドアと楽天に引っ越し中だが、どうもしっくりこない。マンガ(コミック)や芸能...茶話208/まだまだ引っ越し中
去年の秋に植えて冬を越したエンドウ・玉ネギ・ニンニクの収穫。春先に植えたジャガイモ・キャベツ・レタスの収穫。ナス・トマト・オクラ・スイカなどの夏野菜の植え付け。里芋・薩摩芋・落花生などの秋野菜の植え付け。春の農事は春夏秋冬が一度にくる。なんとも忙しかったが、それもそろそろ終盤。梅雨入りまでに全て終えてしまおうと、四月から芽出しさせていたサツマイモを植えて終了。落花生の草抜きをしていると、雨がぽつぽつと降りだした。タマネギ・ニンニク干場で雨宿りしていると、ラジオで近畿・東海地方の梅雨入りのニュースが流れる。帰り支度してから、春の農事の名残を味わおうと畑を一周する。雑草捨て場の片隅に咲く朝顔。土手に咲いていたのを採取してきたもので、朝顔が野生化した野朝顔。500円玉ほどの花をつける。園芸種のような派手さはない...畑207/愛しき花たちよ
今日、六月九日は、旧暦の五月十三日。四百年余り前のこの日、平泉の金色堂(光堂)に拝観した松尾芭蕉が詠んだ句が、五月雨の降りのこしてや光堂五月雨(さみだれ)は、今時分に降る雨だから梅雨のことだ.。五月雨や上野の山も見あきたり/正岡子規明治三十四年、正岡子規の死の前年の作。身動きもままならない病床にあった子規は、降り続く五月雨と上野の山を毎日見て、うんざりとしていた。それだけに、五月雨の合間の五月晴れは嬉しかったのだろう。五月晴れを詠んだ句が実に多い。五月晴や窓をひらけば上野山見えそめて青雲うれし五月晴雨には、涙・別れ・災いというマイナスのイメージがつきまとう。しかし、心の中までじめじめしていたのでは身体のためにはよくない。心だけでも五月晴れでありたい。雨の中で唄ってる雨の中でひたすら唄う気分はもう最高さまた...茶話183/五月雨
ブログの引っ越しを取り合えず終えたが、レイアウトが思い通りにならないやら、タグ付けまで引き継いてくれないなど、どうもしっくりこない。gooブログは「誰でも簡単」が売り物だったが、その通り簡単だったとつくづく思う。そこで、ライブドアに加えて、もう一つ楽天にもブログを開いた。こちらは、引っ越しではなく、過去の記事のリメイク版にした。過去の記事を見直しして、一日一つを公開していく計画だ。gooに500以上の記事があるから、一年半ほどで完了させる計画だ。◇せっかくだから、一行分かち書き(一文一行)をやめて、普通の散文にした。一行分かち書きは、文のつながりが多少飛躍しても意味が解るという利点がある。そのかわり段落が定かでなくなるという欠点がある。それを補うために、写真を挿入していた。しかし、散文にすると段落が明確に...只今、ブログの引っ越し中
雨をはさんで8日間、実質作業6日間かけて600個のニンニクを収穫した。ニンニクは掘ってお終いではなく、根を切って、皮を剥いて、根の付け根を平らにしなければならない。ハサミやカッターナイフを使うのだが、毎日100個ともなると手が痛い。ニンニクのうま味成分といえばアリシンだが、アリシンには非常に強い殺菌力があり、皮膚の潤いを保つアミノ酸を破壊する。すると、皮膚の細胞が壊れて、火傷と同じような症状を起こしてしまうのだ。作業を終えて、家に帰ってオロナイン塗って、風呂に入ってからハンドクリームを塗っての毎日。ようやく、収穫し終えた。これでお終いというわけにはいかない。4個ずつ束ねて、紐で縛って、吊って、干して、乾燥させなければならない。そのためには、新しいビニールハウスを建てたので、要らなくなった古いハウスを干場に...畑206/至福のグルメ
ニンニクの葉がだいぶんと黄色くなってきた。さて、今日は、のんびりと気楽にニンニクを掘るとするか。去年、種ニンニクが安い所をネットで見つけたので買った。一袋(1K)が1100円。4袋セットだと3200円。歳をとっても貧乏根性の治らないジジイだから、必然的に4袋セットを買った。一袋に10個入っているから、一個で10片取れるとして……、一袋で100片の種が取れる。4袋だから、しめて400個で、ちょうどいい数になる。そう思っていたら、届いてびっくり下谷(したや)の広徳寺で、一袋に15個入っていたつまり、4袋で600個……。どうしよう?貧乏根性の抜けないジジイは、600個を植えたのである。ビニールマルチが剥がしやすいように、葉っぱの下で茎を切る。マルチを剥がして、しばらく土を乾かす。土が白くなってきたら、シャベルを...畑205/貧乏爺(ジジイ)
我が町会の地車(だんじり)が、9・10日に2025大阪・関西万博に出展された。その間、出演者連絡用のライングループに楽しそうな写真が投稿されてくる。本来なら、新しく買ったカメラで、自分も投稿していたのに……。神経痛で行くことができなくなった。YouTubeでも、今回の万博で目玉の総木造造りの大屋根リング(外径675m・高さ12m)の中を、賑やかに曳行されていく地車が投稿される。本来なら、その中に自分がいたのに……。見るまいとするのだが、自分が、その中にいるような気がして、ついつい見てしまう。神経痛の痛みをかばいながら、ひょっこりひょっこり歩いている自分が居りはしないかと……。ひょっとしたら、地車の上で、「河内俄の口上」を上げている自分が居りはしまいかと……。しかしである。その間、くよくよ、いじいじしていた...畑204/2025万博
我が町会の地車(だんじり)が、富田林を代表して、今日9日からから11日まで万博の「大阪の祭り」に出演する。本当は、今日、それに付いて行って、今頃はその記事を書いている予定だった。しかし、前回書いた「爺の悲劇」に見舞われたので欠席にした。万博会場には、ゆっくりと休憩できる場所が少ないそうだ。痛みはだいぶん楽になったが、まだ軽く咳をするだけで痛みが背中を走る。万博のガイドブックを買ったのに……。背中に神経痛を抱えた人間が行ったのでは、みんなに迷惑をかけるだけだ。新しいカメラを買ったのに……。行ったところで、自分だって苦痛だし面白くない。若いときだったら、「これくらいの痛みは酒を飲んだらなおるわい」という気概が有った。今でも、そんな気概は有る。しかし、体力が無いので、気概が長続きしなくなった。すぐに、なよなよと...茶話182/おいおい
玄関先に、鉢に植えたクサフジがきれいな花を咲かせている〈茶話137/藤の花〉。どこにでも見かける雑草だが、クサフジの紫の花と、傍にあるオレンジのメダカと一緒に写真を撮れば、ブログの記事になりそうだ。クサフジの鉢をメダカの水槽の前に持ってきてパチリ!おお、こりゃ、いい写真が撮れたわい!爺(じじい)が、一人で悦にいっている。しかし、これが爺の悲劇の始まりだった。爺の足下に、薩摩芋にカビが生えたのを干しているのが有った。爺はその存在を忘れていたのだ。爺が立ち上がって右足を一歩進めた所に有った薩摩芋を踏んでしまった。芋はコロコロと前に転げる。その上にある爺の右足も、どんどんと前に進む。しかし、爺の上半身は後ろに取り残されたたままだ。オイオイ!マテマテ!爺は、必然的に後ろに倒れてしまった。ギャアッッッッ!爺の左の背...茶話181/爺の悲劇
前回書いたごとく、例年より10日ほど早く周囲で田植えが始まった。持ち主が水稲栽培業者に委託している田んぼだ。我が家が貸している隣の田んぼにも水が張られた。これで東西南北四方を水で囲まれたことになる。どこからでも水を汲むことができるので水やりが楽になった。ナス・トマト・キュウリ・ピーマン・トウガラシ・スイカの夏野菜の苗を定植する。畝の準備はすでに完了しているし、自家消費用で四、五株ずつだから、たいして時間をとらない。♪夏も近づく八十八夜野にも山にも若葉が茂る♪日向の作業で少し汗ばむ。若葉は茂っているが、季節はすでに夏!人参の間引き菜と食べられそうな豌豆を少し持って帰る。今日の昼食はかき揚げ丼に決まる。我が相方が「薩摩芋まだある?」と訊いてくる。それで、保存用のハッポースチロールの箱の蓋を久々に開けた。包んで...畑203/夏を待つ
この時期、週にニ、三回、総会屋やら会議やら行事やらがあって、畑仕事もままならない。それでも、夕方には畑へ行く。作業をしにいくのではなく、日に日にあふれていく緑を見に行くのだ。見に行くといっても、なんらかの意思がはたらいているのではなく、なんとなく出かけて、なんとなく眺めて、ぼぉーっとしているだけ。殊にこの季節の緑は気持ちが安らぐ。黄緑、萌黄、ライムグリーン。夏の濃い緑とは違って明るい緑。調和・平和・自然・安息・新鮮・健康・生命力……。心も体もポジティブにしてくれる。まだ四月だというのに、周りで田植えが始まった。例年より十日ほど早い。八月の下旬に稲刈りをして、刈り取った株から出た穂をもう一度刈り取って、二回採りするのだという。これも温暖化の影響なのだろう。春が短くなり、夏が長くなった。近くを通りかかった百姓...畑181/八十八夜の別れ霜
今までに三回、引っ越しをしている。一回目は24歳の時で、兄が結婚するというので実家を離れた。駅前にあるアパートで、憧れの独り暮らしが出来るというので嬉しかった。ところが、二年ほどして父が亡くなり、母屋には祖母と母の女二人なので、不用心だから実家に戻ることになった。独り暮らしを謳歌していたのに……ちょっと寂しい二回目の引っ越しだった。三回目は今住んでいる家に引っ越した。まだ結婚していなかったので、再びの独り暮らしで嬉しかった。医療費の負担が3割から2割になる歳になって、次に引っ越すのはあの世に逝くときだと思っていたら、ひょんなことから引っ越しをするはめになった。と言っても家を引っ越すのではない。ブログの引っ越しだ。gooブログが11月で閉鎖になる。半年後だから、ゆっくりと考えようと思っている時に、gooより...茶話180/お引越し
桜が咲いた。じゃが芋の芽も出そろった。Springhascomeである。大地の底で目覚まし時計が鳴ったかのように、草木が一斉に眠りから覚める。映像を早送りしたかのように、草木は日に日に緑を増していく。ようこそ春よWelcome。命の息吹く春がきた。この三日間、歩いた動いた働いた。表彰台の上で金メダルを歯で噛みたいほどに働いた。三月に芽出ししたトマトにナスにブロッコリー、レタスにピーマンを大きなポットに植え替えた。スイカにキュウリ、カボチャにマッカ。ダイコン、ニンジン、インゲン、ゴーヤ。夏野菜の種も蒔いた。芽が出て育った夏野菜の苗を植える畝も立てた。さあさ、いつでもWelcome!植えるcomeの春がきた。畑201/Welcome
昨日3日は、一粒の種が万倍に育つという「一粒万倍日」。加えて、黄金色の毛が金運をもたすという「寅の日」。もえ一つおまけに、太陽が隅々まで明るく照らしてくれて、すべての物事がうまくいくという「大明日」。こんな大吉日に、じっとしていては運を逃す。朝の早から畑へ行って、蒔いた蒔いた蒔きました。スイカにキュウリ、カボチャにマッカ。ダイコン、ニンジン、インゲン、ゴーヤ。縁起担いで、ソーリャソラソラお祭りだ!数日前に70歳をむかえた。「人生七十古来稀なり」。中国は盛唐期の詩人、杜甫の漢詩「曲江」の中の一句が「古希」の出典となった。朝(ちょう)より回(かへ)りて日日(ひび)春衣(しゅんい)を典(てん)し毎日江頭(こうとう)に酔いを尽くして帰る酒債は尋常行く処に有り人生七十古来稀(まれ)なり花を穿(うが)つ蝶々は深深(し...畑200/種まき
※①~③のつづきです。旅17から読んでください。備前の旅も四日目、大阪に帰る日だ。昼前に出ようと友人が言うので、それまで周匝の町をぶらぶらしてくるとウォーキングに出た。山沿いに町まで向かう。途中、道の真ん中に大きな樹がある。石碑があって、髭が生えたような文字から「南無妙法蓮華経」だと読み取れる。なにを祀っているのだろう?近くで80歳くらいのお爺さんが竹ほうきで落ち葉を掃除している。尋ねてみようと「おはようございます」と声をかける。「でぇれぇ、さみーに、どけーいなれる?」なんとなく解ったので、「町まで散歩です」と応える。「ほーけ。わちゃー、歳とって、なーんもできん厄っけー者じゃーと、みながそげーなことゆーて、えれーいらまかしょる。せーじゃけー、厄っけー者じゃー言われんよーに、ちーたー掃除ぐれえーしよお思ーち...旅20/老いの小文六の④
※①~②のつづきです。茶話179から読んでください。岡山県は、瀬戸内海と中国山地に囲まれ、温暖で晴れの日が多いことから「晴れの国」をキャッチフレーズにしている。なのだが、過去5度来たうちの半分以上が、晴れるはずなのに雨だった。だから、「晴れの国」ではなく「ハズの国」だと愚痴っていた。そこで、昨年の秋の旅からは天気予報に合わせて日程を組むことにした。今回も同様に日程を組んだので、見事な晴れの国の三日目となった。午前中は、昨日立てた畝に、私が持って来た里芋と菊芋を植えた。秋に来た時の楽しみにするためである。農作業を早々に切り上げて早い昼食をとる。スーパーで買った100円ラーメン。オジン二人の食事は実に質素だ。酒の肴を含めても、三日分でしめて3000円。しかし、なににも勝るご馳走である。昼食を終えて、すぐに家を...茶話181/老いの小文六の③
※①のつづきです。茶話179から読んでください。川岸に植えられているソメイヨシノはまだ蕾だが、家々の庭に植えられている他の品種は花を付けている。そんな桜を車窓から追いながら、和気から吉井川沿いを走り、4時頃に備前の国の友人宅に着く。荷物を下ろして庭に出る。半年ぶりに見る懐かしい山々。山際の冬木立が老人のハゲた頭の産毛のようで、山の端と空の境が定かではない。山桜が咲いているのだろうが、冬木と同化してよくわからない。少し歩くとサクランボの花が満開。これも桜に違いないと写真を撮る。ひゅーっと風が吹いて、ぶるっと震えたので家に戻る。我が嫁はんへの「到着こメール」に、さっきのサクランボの写真を添えて送る。友人と無事到着の乾杯をし、そのままオジン二人の家飲みの宴となる。翌朝、家々に引かれた防災無線の音楽で目が覚める。...茶話180/老いの小文六の②
今年こそ満開の桜を観に来いよと、備前の国に家を持つ友人が誘ってくれた。予報では26日が開花で、満開は四月の上旬。だが、四月は何かと所用があり日程が合わない。ならば、満開の桜は諦めて、せめて天気の良い日にと思い、三月の下旬に備前の旅に出ることになった。弥生も末の七日。昼前に、友人が堺の実家から車で迎えに来てくれた。備前の土産にと用意していたキャベツやレタスの苗を積み、いつも通り西国街道(山陽路)をひた走る。途中、明石の宿で弁当を買おうとするも、昼遅く、お握り二個と沢庵の入った弁当しかない。まあ、播磨の国の美味しい米を食すのも悪くはあるまいと購入する。ベンチに座って弁当に張られたシールを見る。播磨の米のはずだと思って買ったのに、製造は「京都府城陽市」とある。備前の旅は「~のはずなのに」が、なぜかよくある。桜が...茶話179/老いの小文六-①
明日、畑で何しようという目的と明日の天気で、何時に起きるかが決まる。毎度の猛暑で8時頃までしか動けない。やることがいっぱいあれば4時30分に起きて、5時から畑へ。あまりなければ6時に起きて、のんびりと畑へ。目が覚めて、外で雨音がしていれば、ゆっくりと寝る。この一週間、雨が降れば豪雨という日が三回。土の渇く間がなく、畑の中に入れなかった。ようやく今日になって梅雨前線が北上。さっそく5時に起きて畑へ。と言っても、まだ土が湿っているから畑には入らずに、土が固い通路や畔の草抜き。雑草は抜いても刈っても容赦なく生える。雨降り前に抜いて放ったらかしにしていた雑草なんぞは、もう生き返って根を伸ばしている。なんとまあ……と呆れるとともに、なんとも逞しいものよ……と感心する。♪生きる事がつらいとか苦しいだとか言う前に野に育...畑166/雑草
「命にかかわる暑さ」などと言われると、外出をせずに部屋でじっとしているしかない。戸を閉め切ってクーラーを利かし、外部と遮断された部屋の中で過ごす。炎天を来てクーラーに冷さるる/石塚友二クーラーのなかった昔は、北と南の縁側の戸を開け放って風通しをして、自然と一体になっていた。大の字に寝て涼しさよ淋しさよ/小林一茶今はクーラーによって受動的に冷やされるだが、昔は積極的に涼しさを求めた。自然にあるものを利用した簾(すだれ)と葦簀(よしず)で日差しを防いだ。水の蒸発で熱が奪われるのを利用して道に打ち水をした。軒先の吊りしのぶや風鈴に、目と耳で涼しさを感じた。そして、それらを風情として愛でた。それどころか、花火や舟遊びのように、涼しさを求めることを夏の行事にして、暑さをみんなで楽しんだ。日本人は、涼しさを皮膚だけで...茶話139/涼しい
あんなけ雨が続いたのに、もう一週間も雨が降らない。梅雨の大型連休。トマトなんぞは、わざと水をやらずに虐めてやった方が甘いのが出来る。しかし、花が咲き始めた落花生は水を欲しているのに、畝の土がカラカラに乾いて、可哀そうに元気がない。そこで久しぶりに「お浸し」。とはいえ、料理して食べるのではない。隣の田んぼから畑に水を入れて、畑を水浸しにするのだ。基本的に蒔種や定植、よほど葉がしなびている時にしか水はやらない。自然農法……などという洒落たものではない。邪魔くさいのだ。畝の間にたっぷりと水を入れて半日ほど放ったらかしに水攻めしてやると、畝に水がしみこんで真っ黒になる。野菜の葉っぱはしゃんとして元気になる。欠点は雑草も元気になることだ。が溜まる間、スイカをつるしあげる。とはいえ、こてんぱんに批難するのではない。網...畑165/なんとも物騒な
毎日、「危険」のアラートが出されて、もはや畑仕事は早朝しかできない。5時に起きて、畑へ行く。4月に植えたサツマイモから、ようやく植えることができるほどの苗が出来た。植え時期としては少し遅いができないことはない。昔は梅雨に入る6月に植えたものだ。それが今では、温室で苗を作るので、4月や5月と早くなっただけだ。季節感の無い世の中になったものだ植え終わって、やれやれと8時頃に帰る。朝食を済ませて、涼しければ、もう一度畑へ行くが、すでに30度に達している。毒炎焼くがごとく地は焦げ、命あっての物だねである。家の中でじっとしているしかないが、我が狭い寓居には居場所がない。庭に出て影の下で暇をつぶす。去年に作った「吊りしのぶ(62/しのぶ)」を吊るそうと針金で台を作る。さて、吊る段になって、コンクリートで固められた軒に...茶話138/天まで届け
南と西の田んぼの田植が終わった。これで東西南北を稲田に囲まれた「ぽつんと一軒畑」になる。なんとなく寂しいが、これでカラスがいなくなってくれればと期待している。逆に、我が畑に集中攻撃をかけてくるかもしれない。だが、畑全体に防鳥糸やネットを既に張り巡らせている。来るなら来てみろだ!田植がされている間は、農道を車が頻繁に移動するので、邪魔をしてはと畑に行くのを控える。その間は、我が0円花壇の手入れで暇をつぶす。写真の前列左から、去年作ったコケ玉(62/しのぶ)。コケだけでは殺風景なので、庭の片隅に生えていたウンランをトッピングしている。前列真ん中は道端にあったのを引っこ抜いてきたスミレ(畑158/アレする)。根っこだけでも芽を出す植物なので、すぐに定着した。前列右は庭の片隅に生えていたミツバ。マクドのコーラーの...畑164/喜びの共有
先週あたりから30度超えの日が続いて、畑活は朝夕の夏勤務。6時頃に畑へ。カラスのために余計なことをしなければならない。畑の四方と上に、防鳥糸を張り巡らせた。身長よりも低い所に糸が張ってあるので、頭が糸に引っかかる。畑に入る時は、麦わら帽子を脱いで、頭を下げなければならない。なんとも礼儀正しい畑である。実りだしたキュウリは、慇懃無礼なカラスの被害にはあっていないので、糸の効果はあるのだろう。8時に、近くの工場の始業のサイレンが鳴ると、我が畑活は終了。今年からの帰宅の儀式の始まり……。パーン!カラスを追い払うために、ロケット花火を一発撃ちあげる。パン、パン!百均で買った玩具のピストルを二発ぶっぱなす。高圧電線に留まって、「あのオッサン、早く帰らんのかな」と眺めている奴らが一斉に飛び立つ。ざまあみろ!青田を背景...畑163/めぐる季節の中で
カラスに全滅にされた落花生の種の蒔き直し。小さなトンネルを作って防鳥ネットで囲ったうえに、雨除けと保温のためのビニール。これだけ頑丈にすればカラスも手が出せまい。朝早くにビニールをめくって風通しを良くしてやる。家に帰って朝食して、再び畑へ行く。トンネルの辺りから二羽のカラスが飛び立つ。まさかと思って見ると、やられた!ええ?ここから口ばしを突っ込んだの?と疑うほどの隙間しかない。一羽がネットを持ち上げ、もう一羽が首を突っ込んで取り出したとしか考えられない。なんともエゲツナイカラスの学習能力!人間虐待!こうなりゃ最後の手段!家に帰って食パンを一枚取って来る。小さく切って、竹櫛に刺して、ハイどうぞ!君たちには、もうかなわないから仲よくしよう!中生(なかて)の玉ネギを抜いて乾かしておいて家に帰った。昼食終えて、畑...畑162/カッテにしやがれ!
例年なら、この時期はのんびりとしているのだが、落花生の苗200株全滅(前の記事)から、何かと仕事が増えて二週間休みなし。今日は、午前中に草抜きして、昼から小雨模様なので、やっとのんびり。白菜一玉800円から、ようやく価格が安くなってきた。そんな時期になって、ようやく我が家の白菜が食べごろに。これから、せっせと食べていかないと、この時期の白菜はすぐに花芽が出てくる(とう立ち)。だいたいにおいて、この時期、白菜はあまり食べないから、半分は友人にあげている。一方、こっちは、わざととう立ちさせた玉ネギ。普通なら、失敗作を人に見せたくないので引き抜いてしまう。だから、一度玉ネギの花を見たことがないので放ったらかしにしておいた。ネギ坊主のような花を咲かすのは想像できたが、1メートルほどの高さになるのは意外だ。ついてだ...畑161/楽しみの種を蒔く
落花生の発芽が悪く、根を傷めまいと、発芽前に200株を定植するという、苦肉の策の九二九作戦(畑159)。いつものように畝の左右にカラスの嫌がる防鳥糸を張る。自然相手の農作業は、人間の意思ではどうにもならないことが起こる。しかし、その都度、創意工夫して苦難を乗り越えて来た。それが、農耕民族であった日本人の勤勉、緻密さ、信頼感」、専門性などの世界に誇れる日本人の魅力になってきた。農民根性が大和魂になってきたのだ。次の日、いくつかは青々とした本葉を出しているはずだと、朝、意気揚々と畑へ。玉砕!やられた。全滅!カラスに……!引っこ抜いて豆の部分だけが食われている。防鳥糸が効かない!大和魂がくじけてくる。写真を撮ろうにも落花生の姿は無いし、撮る気力も無い。ナミダすら出無い!五種類を植えているので、残った種を数えて、...畑160/遂に8K88作戦!
5月8日に落花生を100個ほどビニールポットに種蒔きして今日で14日目。7~10日で発芽して出そろう予定が、本葉が出たのは一割ほど。一気に定植するのは辛どいので、日にち差をつけて一週間後に植えた100個は沈黙したまま。落花生は発芽に加湿を嫌うので水やりしなくとも発芽したが、二週間で発芽しないと、さすがにカラッカラ。そこで一発勝負の水やりをしたが、どうも芳しくない。胚軸(双葉の下の茎)と一本の本根は出ているはずだが、地温が上がらないために細い根が張ってくれななんで?こんなん初めて!一日の気温を1時間ごと測定気した気温を平均したものが平均気温。単純にいえば、最低気温と最高気温を+して2で÷ればいい。温暖化だ、夏日だと囃されているが、この時期は大陸からの冷気も入ってきて最低気温が低い。そこへきて、雨や曇りが多い...畑159/九二九作戦発令!
朝6時に目が覚めて畑へ。落花生はというと10個ほど本葉を出している。まあええかと少しだけ納得して、あとはひたすら草抜き。一昨日に雨が降って、今日あたりが抜きやすい。8時過ぎに家に帰って朝食。もう一度畑へ行こうと玄関に出て、ふと思い出した。そうだアレをしなければ。春先に、家の近くの道路の脇でアレを見つけた。なかなか綺麗な花をつけている。調べてみるとアリアケスミレらしい。5月になったら種を採取して、庭に蒔いてやろうと決めていた。見に行くと、すでに種を飛ばしているのもある。だが、大半の実はまだ下を向いている。実が上を向いているのが成熟している証拠。ばかーっと三つに割れて種を遠くへ飛ばす準備をしているやつだ。そいつを見つけて封筒に入れておく。今日中に割れて、一粒で30個ぐらいの種が採れる。割れるのを待っている間、...畑158/アレする!
落花生の種を蒔いて、三日ほどで胚軸(双葉から下の茎)が出て、その拍子に種が土をぷっくりと盛り上げた。いい調子、いい調子。胚軸から根が伸びてから、種が二つに割れて本葉が一斉に出る。種を蒔いて発芽がそろうと実に嬉しくなる……。……はずだったが、一週間経っても種が割れない。ここしばらく肌寒くて、平年気温より1℃ほど低い。そのために地温が上がらず、根が成長していないのだ。厄介なことになった。出来るだけ水やりはしたくなかったが、土がカラカラに乾いているので、少し湿らせないといけない。やむを得ず、指で土をちょいちょいと取って豆を露出させ、蒸れないようにして水をかけるしかない。それで一気に発芽してくれればよいが、落花生は、水分が多すぎると発芽を止めてしまうことがある。さあ、どうしよう?雨の日が多く、気温の変化が大きいた...畑157/勝負や!
見ているだけで腹が立ってくるので、エンドウを早々に撤去した。いつもならネットごと刈り取って、新しいネットに張り替える。しかし、カラスが枝をボキボキにして、まったく成長していないので、エンドウをネットから取り外して、ネットは再利用することにした。すっきりとした畑を見て、気持ちもすっきり。それに、今日は、カラスもどこかへ行ったのか、やけに少ない。なんとも気ままなカラスだと思っていると、隣の畑の方から、周波数の合っていないラジオのような音がする。なるほど、うちと同じように枝をボキボキにやられたので、カラス除けの超音波機かなにかを買ったのに違いない。どんなものかと、帰り際に見に行くと、ラジオのようなではなく、ラジオだった。わざと周波数をはずして鳴らしていたのだ。砂嵐の音の間にピーとかヒューとかの音が交じる。住宅地...畑156/音
負けた。カラスにエンドウを襲われて、防鳥糸を張ったが全く効果がない。カラスではなくハトだと思って、黒マルチの幟を立てて百姓一揆を起こした。しかし、効果があったのは最初だけで、ニ、三日するとエンドウの上に下りて、枝をボキボキにされた。近くの畑も同様の被害にあっていると言う。仲間と話をしているうちに、やはりカラスの仕業だという結論になった。カラスの脳の重さは鳥類の中でもずば抜けて重く、人間の7歳程度の知能があるという。人間の顔や服装も識別できる。近くの農小屋の屋根にカラスが留まっているのを見て、「あいつら何を考えとんやろか」と人間は思う。しかし、奴らは、じーっとこっちを見て、逆に人間を観察しているのだ。「このオジン、いつ帰るねん!帰ったらエンドウを喰いにいったるのに!」なんとも小癪な奴だ。そうこうしているうち...畑155/カラスの勝手
連休中に農水路の共同清掃(井路掘り)があった。昔は、田植えや害虫防除、稲刈りや脱穀など、仲間と共同ですることがたくさんあった。村のほとんどが専業百姓だから、仲間意識、ムラ意識があって運命共同体が形成されていた。今はもう、職業がてんでばらばらになって、井路掘りだけが残っているだけだ。利害が一致していれば運命共同体が形成されるが、利害がばらばらになっているのが現状だから、少しずつ井路掘りの参加者も減っていくだろう。井路掘りが終わると水の準備は完了、田植えが始まる。畑の周りもあっという間に水田に変わった。これでしばらくは水の心配をせずに済む。さあ、落花生の種を蒔くとするか。今年は、里芋の出荷をやめて、落花生が唯一の現金収入。いわば、命の落花生だ。ビニールポットに一粒ずつ蒔く。まずは100株蒔いて、あとの50株は...畑154/落花生
山々に立ち込めた薄絹の朝霞が少しずつ晴れ渡る。星の雫かと思うような露が草葉の上で朝陽に光る。ここちよい風が胸を撫でると、露の玉が地に落ちて、鈴々と楽の音を奏でて土に入っていく。なんともすがすがしい皐月の朝。名も知らぬ野の草が風に揺れる。現役時代は、五月の連休中も働いていた。こんな爽やかな季節こそ、畑でのんびりと野良仕事がしたい。それが理由で、定年前に仕事を辞めた。どうせ70歳くらいまでしか生きないのだから、年金なんて早くもらう方がいい。なんとも我がままだが、正解だったと思う。蜜柑の花が満開。ほんのりとジャスミンのような甘美な香りがただよってくる。16aある土地の3aほどで畑をしていたが、リタイアする前の年から畑を倍の6aにした。残りは業者に委託して稲作をしてもらっている。仕事を辞める時に、業者の社長に「米...畑153/立夏
今年、チャレンジする野菜は、岡山の友人からもらってきた山わさび。清流で栽培される「わさび(本わさび)」は、日本独特の食材だから英語でも「Wasabi」。畑で栽培される「山わさび(西洋わさび)」は、フィンランド原産で英語名は「Horseradish」。粉わさびやチューブのわさびは、ほとんど山わさびからつくられている。山わさびは本わさびより1.5倍も辛い。本わさびのような辛さの中に甘味はないが、舌がしびれるような刺激的な辛さが好みの人にはむいている。寒さには強いので鉢植えにして外に置いていたら、春になって虫食いだらけ。見るとアオムシがいっぱいついている。調べると、キャベツや白菜と同じアブラナ科だった。手で捕殺して、根を大きくするために露地植えにする。もう一つのチャレンジは「おくら」。なんとも日本語らしい名前だ...畑152/ひ弱に
今日は「夏も近づく八十八夜♪」。よくご存じの唱歌『茶つみ』だが、よくご存じでない二番の歌詞。♪日和つづきの今日此の頃を心のどかに摘みつつ歌ふ摘めよ摘め摘め摘まねばならぬ摘まにゃ日本の茶にならぬ♪末広がりの八が二つ重なる八十八夜に摘んだお茶は、不老長寿の縁起物として好まれる。縁起のいいのはお茶だけではない。「八」「十」「八」の3つの字を組み合わせると「米」という字になるため、百姓にとっても大切な日だった。この頃から田植えが、ぼちぼち始まる。そのために、農水路をきれいにして、川の水を流す準備をする。全国的に農水路を井手というようだが、我が村では井路(いじ)とよび、村中から人が集まり井路を掃除するのを「井路掘り」とよんでいる。今はコンクリートで固められているが、昔は、文字通りに井路を掘っていたのだ。今日は、その...畑151/88
ブドウがつぼみを着けだした。花が咲くのは中旬頃。それまでに、枝の先っぽのつぼみは摘んで、枝元のつぼみ一つ残す。咲きだした頃に、ジベレリンという植物ホルモン液に漬けると種無しブドウになる。孫に食べさせてやろうと、去年、初めてジベレリンに漬けた。みごと種無しになった。しかし、実も無くなった。花がすべて枯れてしまったのだ。だいたい、野菜や果物には種ができるものだ。それを無理やり薬で種を無くすのは、自然の摂理から外れるし、神への冒涜だ。ブドウたけでなく、種無しピーマンやスイカとかも出だしたが、野菜や果物は種があるから美味しい。種の有るブドウなんて、スーパーでは売っていない貴重品なのだ。だから、今年はジベレリン処理をしない。種のある大人の味を楽しむ。河川敷で掘り上げて来たネヂモジが大きくなった(茶話135/野の花)...畑150/種のネタ
朝方に雨が降った。五月は半分の日が雨だった。日月曜の連休の間に、頑張って夏野菜の畝立てを終えて正解だった。雨上がりのうちに畑へ。昨日植えた赤シソは、水を吸って元気だ。それはそうと、ハトに襲われたエンドウを守るための「百姓一揆」の結末を確かめなければ……。うーん?手薄だった東西の端がやられた。スナップはもはや全滅状態。うーん?思案の末に黒ビニールの幟(のぼり)を増やした。30年ほどエンドウを作っているが、こんなの初めて……。黒いビニールが立ち並ぶ、情けない情景を呆然と眺める……。遠くの山々が白いベールに覆われだしている。こんな時は雨になる。泣きたいのは、こつちやがな……。……思っているうちにポツリポツリと降り出した。ビニールトンネルの中に慌てて入って、椅子に座ってぼんやり……。羅生門の下で、一人で雨やみを待...畑149/雲外蒼天