chevron_left

メインカテゴリーを選択しなおす

cancel
八十八
フォロー
住所
未設定
出身
未設定
ブログ村参加

2022/08/15

arrow_drop_down
  • 歴史28 幕末――テンチュウ③

    天誅組が代官所を襲撃したのは午後4時ごろ。五條代官所の座敷には、代官の鈴木源内と妻のやえ、取次役の木村裕二郎。そして、病み上がりの源内に按摩をしていた嘉吉という男がいた。「ああ、嘉吉、もうよい。ずいぶんと楽になったわい。そなたは名人じゃ」「めっそうもございません。そこらの田舎按摩でございます」その時、遠くでドドンドンドンと太鼓の音。「木村、なんじゃ、あの太鼓は?」「秋祭りが近いゆえ、村人が俄の稽古をしているのでございましょう」しばらくして、表門の方で鉄砲の音が一発、二発・・・。刀を抜いた役人が「代官様。天誅組と申す者たちが攻めてまいりました。ご用意を!」源内は奥座敷へと逃げる。嘉吉は羽織を頭からかぶって震えている。木村は刀の柄に手をかけて庭に出た。役人が四、五人座敷に逃げて来た。その後ろから天誅組の池内源...歴史28幕末――テンチュウ③

  • 歴史28 幕末――テンチュウ②

    「みんながちゃんと集まってるのに、なんで来えへんかったんや」そう言うやいなや、コガキが私の頬っぺたを思い切りたたいた。涙もでなかった。クラスのみんなは「・・・!」。ただ幸いだったのは、その時もその後も誰も私を非難しなかったこと。たぶんその日は誰とも話さなかったように思う。話す気力もなかった。一人で下校して、庭の片隅に積んである風呂柴の上に座ってぼんやりしていた。前栽の樹々で庭は暗いのに、夕陽をうけた東の空はやけに明るかった。そこへ秋日の中をふらふらと春やんが歩いてきた。私を見つけて、「どないしたんや?えらい寂しそうやなあ」「・・・」「秋の日のヴィオロンのためいきの身にしみてひたぶるにうら悲し・・というやつか」春やんがわけのわからないことを言ったので、少しおかしかった。それで、その日あったことを春やんに話し...歴史28幕末――テンチュウ②

  • 歴史28 幕末――テンチュウ①

    昭和41年(1966)は台風の発生が多い年だった。6月の下旬から8号が大きな被害をもたらした。9月には今でも最高風速(85.3m/s)の記録を残す18号が宮古島に大被害をもたらし、下旬には24号、26号が続けて上陸して日本列島を襲った。その都度、学校は臨時休校になるので、小学生の私にとっては少しばかりうれしかった。ところが、それが私に大被害をもたらす。9月最後の学級会(ホームルーム)の時だった。20歳代後半くらいの担任のコガキが教室に入ってくるや、10月にある学級発表会について話し出した。普段なら、みんなで話し合って出し物を決めるのだが、休校続きで時間がなかったのだろう。勝手に話を進めて、最後には15分ほどの寸劇を参観に来た保護者に見せようと言う。普段なら「どんな劇にする?」とみんなで話し合うのだが、焦っ...歴史28幕末――テンチュウ①

  • ちょっといっぷく38 もへじ

    朝夕は寒いが、秋の日中は過ごしやすい\(^o^)/畑仕事もつい長くなる、といっても5時間だが(´。•ㅅ•。`)畑の話をするのではなく、顔文字の話である(^_-)-☆「顔文字とは,ネット上の非言語表現の一種で,文字と特殊記号のみからつくられた表現」と定義されている。その顔文字が考え出されたのは、「1986年6月20日に若林泰志が当時のパソコン通信『アスキーネット』の電子掲示板で使用したのが最初」と、作者の若林さん自らがホームページで書かれているので確かだ。その時の顔文字が(^_^)顔文字が日本で考え出されるのは「へへののもへじ」の伝統が生きているのだろう。「へへののもへじ」は江戸時代に生まれた。それより古いのに鎌倉時代の「ヘマムショ入道」というのがある。もっと古いのは平安時代の「葦手絵」という装飾文字。日本...ちょっといっぷく38もへじ

  • 畑――捨て苗

    お隣の畑に水菜が植えてある。その片隅に水菜が捨て苗されている。二宮尊徳にならって、「みな根を張ってるようやから、捨て苗をもろてかまへんか?」「ああ、持ってって!全部持ってって!」「そないようさんいらんわ。十本ほどでええねん」と言って一つかみ取ると30本ほどあった。水菜は多少枯れていようが、水をやるとすぐに根が付く。それもそのはず、肥料なしで、水だけで育つので「水菜」という名がついているのだ。京都の九条あたりで栽培されていたので「京菜」という別名もある。葉が細いので虫もつきにくい。とにかく手のかからない野菜である。日本で栽培されている野菜の種は150種ほど。その多くが外来種。日本原産の野菜で、確実なのはフキ・ミツバ・ウド・ワサビ・アシタバ・セリ・・・。そして、このミズナも数少ない日本原産の野菜。英語名も「M...畑――捨て苗

  • 畑――もったいない

    4・5月同様に、10月・11月は忙しい。夏野菜を撤去して、耕うん・畝立て、冬野菜を植える。秋野菜を収穫・撤去して、春野菜を植える。春夏秋冬がこの二ケ月に重なる。イチゴ、タマネギはすでに定植し終えて、今日はエンドウ、スナップ、絹さやを定植。スイカと並んで最も連作障害が起こりやすく、四、五年は同じ場所で栽培できないやっかいな野菜。毎年、植え場所に苦労する。そこで今年はめったに植えたことがない北の端っこの畝に。南にへこんだカーブになっているので北風で倒れる可能性が高い印象。まあその時はその時と、杭を立ててネットを張る。ネットを張るのはもっと後でもよいのだが、寒くてチメたい時にやるのは苦痛。どうせ張るのだから暖かいうちに。まいど毎度のグータラ農法。それに、「権兵衛が種蒔きゃ烏がほじくる」でカラス除けにもなる。ネッ...畑――もったいない

  • 畑――自然回帰

    10月の下旬に玉ネギを定植。それから三週間ほど経っているので、薄い人糞尿を施す。ニ月の中旬頃にもう一度下肥(しもごえ)をやる。これは明治40年に書かれた『家事農芸談』にある施肥方法。今はもちろん、化成肥料をパラパラと蒔く。ところが、この化成肥料が倍近く値上がりしてたまげている。思わず下肥にしようか・・・と思うが、水洗なのでそうはいかない。たまったものではないので、昔よくやっていた稲ワラ堆肥を作ることにした。バインダーで稲を刈った田んぼからワラを集めてきて、鶏糞と糠とボカシ堆肥をサンドイッチして積み重ねる。雨にあたるとシナッとなるので踏み固めて、ワラを追加して1メートルほどの高さにする予定。二、三ケ月して湯気が上がっていれば発酵している証拠。肥料の値上がりはとんだとばっちりだが、堆肥作りは思わぬ自然回帰。畑――自然回帰

arrow_drop_down

ブログリーダー」を活用して、八十八さんをフォローしませんか?

ハンドル名
八十八さん
ブログタイトル
河内国喜志村覚え書き
フォロー
河内国喜志村覚え書き

にほんブログ村 カテゴリー一覧

商用