自分を知ろうとすればするほど、自分が陥っている罠が見えてきます。ものが見えるようになるのは悪いことではないのでしょう。自分が科学的・理性的・合理的な考え方や行動を批判するやり方にも、科学的・理性的・合理的な囲い込みや硬直した仕組みが隠れているとしたら、と
科学的・理性的・合理的なルールが支配する領域では割り切れないものが生まれるとき、人間はそれを芸術とか文学の領域に求めます。マルクス・ガブリエルが『なぜ世界は存在しないのか』で、宗教の次の最終章で芸術について語っているのも、人間にとって科学や合理性で割り切
勉強を始めるにあたって僕はまず、歴史を勉強することで、自分が、そして人類が何者で、どんな世界に生きているのかを考えることから始めようと思い、いくつかの本を参考にしながら人類史を振り返ったわけですが、振り返っているうちに、人類とか歴史は一括りにまとめられ
しかし、そうしたSF的な未来を想像するよりも、今起きつつある世の中の変化に、別の未来を想像してみる方が現実的だという気もします。それは、近代の進化の原理、資本主義の成長・拡大の原理とは違う、細流化の原理、分散・流動の原理です。 「人類史まとめ」の章でも紹介
近代の商取引は基本的に合法的な仕組みに則って行われます。国家間の同盟とか協力とか支援などもまあ同じです。国によって法律は違いますが、グローバル化した今の世界では、国際法や国際裁判所や国際機関もありますし、国家間の取り決めや行為はメディアが取り上げますか
近代の国民が生まれたとき、あるいは株式会社とか国家の官僚組織とか近代的な軍が生まれたとき、そこにはどんな力が働いて、どんな動きがあったんでしょうか? これまで科学的・理性的・合理的な考え方や仕組みが、どんな働きをするのか、戦争とか侵略とか支配とか、政治
こうして国家とか国民とか宗教とかにまつわる、人間の集合的な意識や行動を振り返るたびに、不思議だなと思うのは、そうした集団の枠組みが人間の意識をかなり束縛しているということです。 ほとんどの人は、争いを好まないものですし、家族や友達のあいだでは親切で愛情
近代以降の科学的・理性的・合理的な認識や思考は、あらゆるものを数学的、論理的にとらえます。それによっていろんなことが計算でき、計画でき、経済的な事業でも、社会的・政治的な活動でも、以前よりうまくいくようになりましたが、そこにはそれを意識し、考える人間が
そうした先駆的な文化とは別に、大多数の民にとっての世界は相変わらず、集団として考え行動する世界、精霊や神々や鬼や悪魔がそこら中にいる世界だったでしょう。イタリアの民俗学的な研究では、中世末期、近代の黎明期でも、キリスト教の支配とは別に、農民たちの間で古代
なんだかこういう言い方をしていると、自分も宗教的な活動家みたいな感じになってしまいますね。ユヴァル・ノア・ハラリの書き方を、ユダヤ教の預言者みたいだと言っておきながら、自分もキリスト教の伝道師みたいに「悔い改めよ」みたいなことを言ってしまっています。 近
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