chevron_left

メインカテゴリーを選択しなおす

cancel
arrow_drop_down
  • 余命宣告

    通院での治療継続の最中、11月の終わり近く息苦しさと強い倦怠感で動けなくなり、救急車で搬送された。肺炎を起こしているとの事で、1週間の入院で落ち着き、退院して2-3日後、今度は夜中に咳き込み、喀血した。またもや救急搬送で入院。この時ばかりはあまりの苦しさに覚悟を決めたほどだった。実際、家族は余命3ヶ月と覚悟を決めるように言われたらしい。12月に入り、止血の為のカテーテルでの抗がん剤直接散布、腫瘍に圧迫されて細くなった血管にカテーテルでステントを挿入手術と、バタバタした中で大晦日を迎えた。病院で年越しとは初めての経験だが、自分としては、このまま死んでいくつもりはない。どれだけ痛みに耐え、苦しみに耐えなければいけないのかと自問する日々ではあるが、せめてあともうひと花咲かせたいと思っている。という事で、私の新年...余命宣告

  • 生存報告

    今年一月に還暦を迎えて以降、記事を全く更新してこなかった。逝ったか?と思われているかもしれないが、それも仕方ない。結論から言うと、今だに生存している。昨年苦しみながらも年を越して還暦となって以降、それまでの抗がん剤があまり効いていないという事で、いわゆる免疫系から殺細胞系に薬を変えた。2月より入院。副作用は主に高熱で、その後肺炎を起こし、抗生物質投与で腸内の善玉菌が減少、悪玉菌の中でも感染力の高いものが増加したことで1週間の隔離。高熱が治まってきたと思ったら、今度は耐え難い激痛。これも1週間ほど続き、入院1ヶ月ほどでかなり疲弊した。それほどの苦痛を強いられた割には、抗がん剤の効き目はなく、反って投与前よりも悪化していた。3月にはもう5月以降迄持つかどうかとまで言われていた。抗がん剤を変え、3月半ばから投与...生存報告

  • 還暦

    還暦

  • 新生

    新生

  • Greetings

    Greetings

  • 「苦」の一字

    今年を漢字一文字でと言えば、迷いもなく「苦」の一字である。手術ができるという事で、少しは前向きな想いで新年を迎えたが、手術後の合併症などで恐ろしく体力を奪われた。痛みでもうだめかと思い、苦しみでもうだめかと思い、何とか退院した後も、様々な症状が出て、穏やかに過ごせた日々は本当にわずかだった。苦しみながら永らえるよりは、短くとも穏やかに過ごしたいという願いも虚しく、少し楽になるとまた苦しいという日々を繰り返し、もう早12月。ガンの発見後、苦しみながら一年を生き延びたことになる。年内に3回目の抗ガン剤投与。本当に幸いなのは副作用に苦しめられることが今のところほとんどないという事だ。顔色や肌つやが良くなったと周りから言われるが、自分ではそれほどの変化を感じていない。ただ、手術後ずっと嗄れ声になって息も続かず、か...「苦」の一字

  • 経過

    抗がん剤投与前は、もう限りがないほど副作用について説明され、全部出るとすれば満身創痍で身動きすらできなくなるじゃないかと言いたくなるほどだった。吐き気に嘔吐、食欲不振に胃腸障害、口内炎、発熱、めまい、倦怠感、筋肉痛、肝臓・膵臓・腎臓の機能障害、皮膚の重度のただれ等々。まあ全ての症状が出るわけではないだろうが、どれが出るのかと思えばロシアンルーレット的な不安が付きまとっていた。投与後1日経ち、2日経ち3日経ちとする中、想像していたような強い副作用は出ず、人によっては1週間とか3週間で出る場合もあるとのことで、今度はどんな症状がではなく、いつ頃出てくるのかの不安となった。明日で投与後1週間となるが、今のところ拍子抜けするほど副作用はない。多少の倦怠感はあるものの、辛いと感じるほどでもない。抗がん剤との相性が良...経過

  • 入院

    11月1日から入院、2日に抗がん剤の投与。今日4日現在、特に強い副作用は出ていないが、人によっては投与翌日からとか、1週間後とかまちまちらしい。1月の手術のための入院と違って、今回の入院は憂鬱だった。昔からいわゆる外科的な外傷よりも内科的な内傷に弱い。唯一ありがたいのは、外傷がないので気兼ねなくシャワーを浴びられることだ。今のところ、かなり辛いと感じるほどの副作用は出ていないが、それでもそれなりに倦怠感や不快感はある。これがさらに強くなるのか、このまま済んでくれるのか、それを思うだけでも、また気が重い。考えれば、今よりも辛い状況の時も多かったが、仕事をしている間はそれほど苦にはしていなかった。入院というのは、当然ながらその雰囲気からして、気が紛れるどころか、余計に気を揉むことになる。娑婆に戻るまで、「仕方...入院

  • 再発

    ここ何年か、春と秋がすっ飛ばされているように思える。急に暖かくというより暑くなったり、涼しいを越えて急に寒くなったりと、身体が対応しきれない気候が続く。1月の手術後、肺炎、膿胸と合併症を起こし、何とか退院できたもののどこかしら不調続きで、楽に感じることは本当にまれだった。梅雨に猛暑と、大きな試練の季節を乗り越えて、過ごしやすくなってきたこの季節。退院後、初めて楽に感じる体調の良さに、ようやく身体の芯の力を取り戻しつつあるなと実感していた。その矢先、経過観察に多少の変化が見られ、精密検査の結果は再発の診断。今度は、抗がん剤治療のために入院、通院という段取りになる。昨年同様、保険やら仕事の段取りやら、手続き関係と準備でバタバタしているが、どうも他人事のように感じている。手術を受けるときも、その後も、自分の身で...再発

  • 残暑

    お盆が過ぎて、さすがに朝夕が秋めいてきたかと思いきや、また寝苦しいほど残暑が厳しい。とはいえ、季節は中秋、お彼岸も近い。そういえば日も短くなってきた。こうしてまた季節は巡っていく。あとどれくらいこの季節の巡りを見送れるのか。55歳の時に、10年の計を立てた。断酒も13年、安定期の頃だ。それはそのまま、10年は問題なく生きるという上での計である。60を目前にして、この5年間の計は何とか思い通りの事を達成できたかと思う。そして次の5年。これは本当にわからない。その日によって、まだ数年は大丈夫と思える日もあれば、今日か明日かもしれないと覚悟するような日もある。毎日を、それこそ規則正しく過ごしていても、その日によって大きな変動がある。願うのは、苦しむことのない穏やか日々で、それがどれだけ続くかは問題ではない。欲を...残暑

  • 秋風

    お盆を過ぎても蒸し暑い日々が続いていたが、今年は3年ぶりに花火大会が開催された。さすがに中止、中止の鬱憤が溜まっていたのか、見物客も多く、花火の内容も、以前とは比べようもないほど豪華だった。とはいえ、ドンドンと雷鳴のように響き渡る音を聞きながら、いつものように玄関側で花火見物ということはしないで、テレビのライブ映像を観ていた。玄関を出て、下を見下ろせば、堤防に集まった大勢の見物客。淀川の上流側を見れば、毎年眺めてきた花火が打ち上がっている。本当に久し振りだなと思ったのも刹那、幼くして病気で逝った近所の女の子の姿がフラッシュバックした。その子は弱った体で、最後にこの花火を見て、その年に逝った。元気で明るかった子が、声も出せないほどになって、最後に見た花火はその瞳にどう映ったのだろう。あれから13年。まさか花...秋風

  • 盆明け

    蒸し暑さに辟易していた時期も過ぎ、さすがに盆も明けると朝夕が過ごしやすくなってきた。帰省した息子も、例年よりは少しゆっくりと過ごして、穏やかなお盆休みとなった。盆が過ぎれば、若い秋を感じ始める。と、もう今年もバタバタと過ぎていくに違いない。月に一度の検診も今のところ変わりないようだが、体調は日毎に異なる。覚悟はしていたものの、正直、手術がこれほど生命を消耗させるとは思わなかった。なんだか10年も一気に老けたような感慨である。枯れた身で、明日をあきらめ、今日を生きる。そういえば、10年前にも同じような事を考えていた。もう一花咲かせたいと。この10年、一花も、二花も咲かせることができた。だが本当の意味でいよいよの時となった今、願わくば最後の一花を咲かせたい。残りの命を燃やし尽くすほどの輝きに、自分で自分がまぶ...盆明け

  • 半年

    術後半年が経った。再挿入のドレインが取れて、退院してからは、5ヶ月を過ぎたことになる。ここのところの蒸し暑さには、辟易している。7月の検診が済んだ後は、嬉しくなるほど体調が楽な日が続き、このまま順調にと期待していたが、咽返るような猛暑と湿気に包まれた熱帯夜で、一気に体調が悪くなってしまった。職場ではもちろんエアコンを稼働しているが、自宅では殆どエアコンを使わない。まずは一年の季節の巡りを乗り越えていかないと、自分自身でも何をどう気を付けて対処していけばいいのかがわからない。朝、目覚めるときに体調の確認をすることが習慣となってきた。胃のもたれはないか、お腹の痛みはないか、息苦しさはないか、喉や施術部の痛みはないか、不快さはないか、腰の痛みはないか。何の症状もないということは殆どないが、どれだけの症状が重なっ...半年

  • 夏は来ぬ

    空梅雨の6月、戻り梅雨とゲリラ豪雨の7月。おしなべれば、水不足の心配もなくなり、良かったのだろうが、極端な豪雨は、かえって被災や損害につながる。ある程度まんべんなくと願うが、極端なことをしているのはいつも人間で、自然にだけ穏やかにというのは筋違いというものだ。蒸し暑さにも少しずつ慣れてはきたが、週のうち半分は中の上、半分は中の下というところか。蝉の声も喧しくなり、陽射しが戻ってくれば夏本番であろう。とはいえ、来月はもうお盆となり、夏とはこんなに短かったのかと痛感させられる。シオカラトンボに短い夏の訪れを見、アキアカネに夏の終わりを見る。いや、それは終わりではなく、巡るということだ。巡る季節とともに、巡る命を生きていく。夏は来ぬ

  • ホッチキス

    何の予兆もなく、突然何かが引っ掛かったように咳き込むことがあるのだが、ある日、咳き込んだ後に口中に異物を感じた。出してみると、Bの形状をした針金のようなものだった。歯科で治療してもらった時のものが外れたのかと思ったが、ここ何ヶ月もそんな治療をした覚えはない。よく見ると、Bの形状は、明らかにホッチキスの針のようになっている。ということは、手術の時に縫合したステープルということだ。数日、一つ、また一つと咳き込むたびに出てきていたが、ついに、縫合部がそのままいくつものステープルとともに出てきた。縫合部の傷が治り、今度はステープルを異物とみなし、排出できる部位のところは、痰などとともに排出しようとしているのだそうだ。外面の切開した傷は随分きれいに治ってきた。内面もそれなりに回復しつつあるようだ。今更ながら、内部も...ホッチキス

  • 禁煙一年

    梅雨入りしてしばらくは晴天の日があったりしていたが、今日から本格的に雨の季節となるようだ。気圧が低い、気温が高い、蒸し暑い。術後初めての梅雨の季節は最悪である。慢性的に息苦しい。とはいえ、昨年の様に咳で夜も眠れない状況に比べれば、まだましかとも思う。夏至と言えば、たまたまだが禁煙を始めた日が昨年の今日。まる一年が経ったことになる。いわゆる禁断症状を様々に想定して、それに対応する準備もしていたのだが、焦がれる様な喫煙欲求もなく、禁煙ガムやニコチンゼロのヴェイパー等、存外に早く必要もなくなり、大半を無駄にした。もちろん夢で喫煙したこともあったし、ふとタバコが欲しくなる場面もあったが、その欲求を力づくでねじ伏せるようなことはなかった。割合い冷静に、ああ、こういう時に欲しくなってたんだなと、その機会や動機付けを分...禁煙一年

  • 17年

    また無事に節目の時を迎え、断酒17年となった。という記事になるところだが、無事も何も、断酒どころでもない一年だった。昨年の6月に比べれば、一気に10年ほど老けたような感覚と外観である。鏡を見ていると、その日によって精悍さが見て取れる日もあれば、死相かと思う日もある。体調は不調なのが普通になってきて、少しでも楽な面があれば、それがとてもありがたい。もう本当に、断酒などどうでもよくなっているし、何年継続しているという事自体、虚しくさえ感じる。ただ、黙って私の断酒を見守り続けてきてくれた人達には、心からの感謝しかない。遠い、近いはあっても、先にあると思っていた死が、今はすぐ隣にある。これはある意味、生きる醍醐味でもあろう。臨終只今に在りそのつもりで、今を生きる。気張らず、弛まず、ありのまま、そのままの自分でいら...17年

  • 身支度

    終活という事ではないのだが、死というものの覚悟を決めざるを得なくなってから、少しずつ身の回りの整理を始めている。断捨離など、私には特別な事ではなく、何でも新しいものが必要となった時には、古いものを捨てている。いざとなれば、すべて捨ててしまえばよい。ところが、家内は古いものも取っておくタイプなので、新しいものを買えばその分、ものが増えていく。勝手に捨てると怒るので、放っておくと、限りなくものが増えていく。一番、整理しやすいのは引っ越しである。これまでも引っ越しの度にかなりの量を処分してきたが、現在の住まいはもう20年以上になるので、たまに収納等を確認するととんでもない量のものであふれている。こうなると、早い目に終の棲家を決めて、引っ越しを検討する方が早いように思う。目先の課題として、早々に考えねばなるまい。身支度

  • 他人任せ

    手術の事である。こればかりは、自分で何ができるわけでもなく、まな板の鯉同様、先生に任せて、自分は眠るだけである。手術室へ向かうと術着の先生が待っていた。診察の時の白衣姿よりも何だか頼もしく見えた。手術台に乗って、横向きになって麻酔処置。ここに至るまでは、自分のことながら、まるで他人事のように考えていた。それは、自身の内にある不安と恐怖を誤魔化すための、自己防衛的な感覚であったかもしれない。それもそこまで。約8時間の手術の間、意識はもちろんなく、夢ひとつ見ず、まさに昏睡の状態だった。変な言い方だが、そのまま死んだとしてもそれに気づく事もないであろう。事実、8時間もの間、まるで意識作業と言えるものは何一つなかったのである。意識が戻ったのは、ICUへ移動する途中だった。麻酔でさほど大きな痛みは感じなかったが、これまで...他人任せ

  • 他慮

    他者への配慮という事である。2年以上のコロナ禍を踏まえながら、未だにマスク談議があるのは滑稽でしかない。ワクチンを打つ打たないはその人の自由である。だが、マスクを着けるのは、自身の為であると同時に他者への配慮であることは間違いない。制度化されていないから着けないのではなく、制度化されたから着けるのでもなく、自慮と他慮によって着けるのである。トンネル内での点灯は制度化されているが、点灯しないドライバーの大半は、点灯が面倒だ、自分は十分見えているといった、自慮でしかない。点灯は、自車と他車の存在を明らかにするもので自他共の為なのである。他者を巻き込まない、自己完結できることについては自慮でいいだろうが、巻き込む可能性のあることについては、むしろ他慮を第一とすべきである。普通、病気というものは自己完結なものであるが、...他慮

  • 長苦か短楽か

    経過としては順調なのかもしれないが、どうもその実感がない。その日の天気というか、気圧の変動に大きく左右され、時には、じっとしていても苦しい日もある。術後の感覚のない部位の範囲も少しずつ狭くなってきたが、それにはそれなりの絞られるような感覚と、電気が走るような痛みもある。さすがにかなり大きな手術だっただけに、一筋縄ではいかない。人間、細く長く生きるか、太く短く生きるかはその人の自由だが、苦しみながらも、長く生きて為すべきことがあればまだしも、そこまでして長らえようとする動機も気力もない。できれば、短くとも苦しまず、穏やかに過ごせる日々であって欲しいと心から願うのである。長苦か短楽か

  • 春来る

    新春にブログの引っ越しをして、新たな場所で再開ということになる。旧ブログでお世話になった皆様には、こちらでも宜しくお願いします。とはいえ、本当に不定期で、忘れたころに記事がアップされるということになるやもしれない。まあ、それもこれまでと変わらないスタイルということでご容赦願いたい。春来る

  • 初体験

    今回は初体験づくしでもあった。全身麻酔、手術、ICU、尿管、ドレインチューブ、越中フンドシ。若い看護師に尿管を抜いてもらい、痛みに耐えかねた時には、坐薬を入れてもらった。輸血にドレインの再挿入。還暦を前にこれほどの初体験をするとは、夢にも思わなかった。さてさて、少しは生き永らえる事になったであろうが、この先どうなることやら、想像もつかない。辛い初体験が多かった分、楽しい初体験が待っている事を期待したい。初体験

  • 経過

    手術は無事に終わり、その後順調だったのだが、軽い肺炎を起こし、せっかく抜けたドレインチューブを再度挿入して、炎症部に溜まった膿を出すことになった。天国から地獄とはこの事で、手術後に、痛みでもがき苦しみ、苦しさで身動きも取れず、いっそ殺してくれと思うまでの状況が二度ほどあった。今は落ち着いているが、おかげで退院は予定より大幅に延びて、今月一杯までかかりそうである。まあ、世間ではコロナの感染が急拡大している時でもあり、わざわざ焦って退院する必要もない。チューブに繋がれている以外では、普通の体調で、機械を押しながらリハビリにも励んでいる。季節においても、自身においても、早春を望みながら、今できることをとにかくもしていくのみである。経過

  • 新生

    昨年、咳と痰がしつこく続くので、コロナも落ち着いた11月になって受診した。禁煙しているからこそのデトックス状態なのかとも考えていたが、X線、CT検査をすれば一目瞭然の肺がんであった。それを確認するために入院して内視鏡検査、組織分析、そして肺がんの診断確定。となると、転移の有無の検査等で、12月は明け暮れた。幸い、転移は無く、手術が可能となったので術前検査なども終え、年明けの手術となった。会社も新体制としていく過程にあって、自身も来年の還暦を前に、新生の年となることは間違いない。ともあれ、命は天に任せ、治療は医者を信じ、生きるは、自身で決めていく。私が言うのも変な話だが、今年一年、ここを覗いてくださっている皆様がご健康であれと心から祈ってやまない。新生の年が始まったばかり。佳き一年としたいものである。新生

  • 乱麻

    ひと月近くのご無沙汰である。忘れていたわけではないし、話題がないわけでもなかったが、何となく書く気になれなかった。還暦をほぼ一年後に迎えるにあたって、身の振り方という事を考えている。これまでの経験則で、継続していくか。新たな挑戦で求められることに応えていくか。自分のやりたいことをやるか。いずれに振っても、それなりに大変なことに変わりはない。要するに、己の覚悟をどこに決めるかが定まっていないのである。だからこそ、ああでもないこうでもないと、どの振り方をとっても思い悩むことになる。乱麻を断つのは己の覚悟という快刀なのだが、それが鈍らなので足掻いている。乱麻

  • 食い溜め

    若い頃は食べられる時にガッツリ食べて、寝られる時にしっかり寝て、その後は寝食を忘れて勉強や仕事に没頭するという、食い溜め、寝溜めができた。年を取るにつれ、この食い溜め、寝溜めが出来なくなってくる。殊にコロナ禍で規則正しい生活が長くなってきた現在、その規則性が狂う事自体がしんどい。一日2食、6-7時間の睡眠。これが少しでも狂うと、露骨に体調に変調をきたす。言うなれば、いろいろな意味で柔軟性が失われてきているということだろう。そういえば、口いっぱいに頬張って食べるという事自体がもう長い間ない。頬も固くなって、頬張ること自体ができない。必要に足りる分を、こまめに補給しながら、省エネライフを継続していく。食い溜め

  • RATIO

    お酒もタバコも二十歳からという前提で言えば、飲酒歴は22年、喫煙歴は38年となる。断酒が16年であれば、飲酒歴の7割以上となり、存命中に断酒が飲酒歴を越える事も近い将来として見えてくる。ところが、喫煙歴を考えれば、これからいくら禁煙歴を伸ばそうが、それを越えることはあり得ない。これから38年。齢96である。そんなに生きたくもないし、そのつもりもない。アル中が力尽きるのは50代が多い。40代の頭で断酒に入ったのだから、個人的には、60代までは何とかとは思う。飲酒歴と断酒歴が並ぶのが6年後、64歳である。そして、遂に断酒歴が飲酒歴を越えるのが65歳。このあたりに、ひとつの大きな節目を今から見越しているのである。RATIO

  • Autumn Cherry

    AutumnCherry

arrow_drop_down

ブログリーダー」を活用して、jetlinksさんをフォローしませんか?

ハンドル名
jetlinksさん
ブログタイトル
ALQUIT DAYS
フォロー
ALQUIT DAYS

にほんブログ村 カテゴリー一覧

商用