翌日の朝早く、なんだか騒がしい音で目が覚めた。義兄と姉の声が聞こえる。 普段大きな声は誰も出さないので心配になり見に行くと、ドアが少し開いている。 そしてその奥の戸も開いていて姉が泣くような声で何やら言っていて.その横で義兄がなんとか姉を立たせようとしている?ように見える。 "どうしたの?" と聞くと、姉はギョッとしたように私を見ると "歩けないのよ!" と叫んだ。 姉は夜中に、平均して2回ほどトイレに行くのだが、1回目はなんとか行けたが、2回目行こうとした時、脚の痛みが強く義兄に支えてもらってやっとだったらしい。 拙い文を読んでいただいてありがとうございます。 ↓押して下さいますと励みになり…
”別れ“ のブログを書いてから1年経ってしまった。 こんなに長くあいだをあけるつもりはなかったのだが、色々な事があり、また、日記すら続いたことのない性格のためか、つい…ということになってしまった。 19年間一緒に暮らした猫が亡くなった。 あと2ヶ月で20歳だった。去年の春頃から時々失禁するようになり食欲もおちてきていた。 病院に行っても、人間でいうならもう90歳過ぎですからねと優しく言われ、泣くしかなかった。 数ヶ月そのような状態が続き9月に亡くなった。 よく返事をしてくれる猫で、なんでもわかっているみたいに思えた。 他の人には滅多に懐かなかった。なので姉夫婦と同居する時真っ先にそのことを心配…
M姉は退院した2ヶ月後に容態が急変し、再入院して一週間後に亡くなった。 姉の喫煙をあんなに怒っていたK姉もそれから2年後に亡くなった。 姉の健康を心配してのことだったのにその姉より早く逝ってしまった。 姉はその後、喫煙が原因なのかはわからないが肺がんが見つかり手術を受けた。 退院後も定期的に検診を受けていたが、その過程で今度は大腸がんが見つかり、それも手術した。 その頃にはもう私との同居生活は始まっていた。 そして3年前のある日、2階から降りてきた姉は、尿に血が混じっていたと言った。 『でもね、もう大丈夫よ、それきりで一回だけだったから』 と言う。 私は気になって姉を促し一緒に病院に行った。 …
姉はこの数年前に肺の病気で入院したことがあり、その時、煙草を吸っていたことがわかり 義兄も心配して、今後吸わない事を約束していた。 K姉にも、退院後はキッパリやめたと言っていたらしい。 姉が、いつから吸うようになったのかはわからないが 長年、他県にいて、数年に1回くらいしか会うことがなかった私達には、姉の煙草に対する執着はほんとうのところわからない。 コンビニでライターを買っていた姉を見てK姉はピン!ときたらしい。(探偵みたい) 姉はいつもとは違う口調で 『もう、ほんとにやめるわよ…』 と言った。 K姉は黙っていた。 私は、そんなに吸いたかったら吸えばいいんじゃ、ぐらいにしか思わなかった。 子…
車から降りた二女の姉(以下:K姉とする)は暫く車にもたれていた。 すると姉も、車から降りるとK姉に、大丈夫?とか言っていたようだがその後、コンビニに入って行った。 そしてK姉も数分後コンビニに入って行った。 二人は暫くして戻ってきたが、様子が変だった。 K姉が少し怒っているようで、その反対に、姉は珍しく焦っているような感じで、 どうかした? と私が聞くと、K姉は暫く黙っていたが “未だ煙草やめてなかったのよ!” と言った。 姉が唯一、頭が上がらないというか、それがこのK姉だった。 K姉は普段は声を荒げることも滅多にないし穏やかで優しい人だった。 しかし、たまに怒るととても怖いところがあった。 …
休憩室で過ごしたのは30分もなかったが 帰る時にまた、M姉がどうしても病院の玄関まで見送ると言うので一緒にエレベーターで下まで降りた。 そしてその後、私達が駐車場まで歩いて行く間も M姉は直ぐには病室に戻らなかったように見えた。 その帰り道は、今別れたばかりのM姉の病状を皆でポツポツ話すだけだった。 私も沈んだ気分のまま運転していた。 しかし、あるチェーン店の前を通りかかると突然姉が、そこの店のフライドポテトを買いたいと言った。 助手席に座っていた姉は、私が聞いていないと思ったのか 再度、今度は大きな声で “ここで買うから!“ と言いながらドライブスルーの入り口に向かうように私に言った。 私は…
”わざわざ来なくても良かったのに、もう直ぐ退院するんだから…“ M姉は、私達を見回しながらそう言った。 私はほぼ毎日ここには来ていたが、他の二人は初めてだった。 この時二女の姉も健康状態は良い方ではなく別の病院に通院していた。 なのでこの時、健康といえるのは私と長女である姉だけだった。 M姉はなんだかはしゃいでいるように見えた。 自分の病状と全く関係ないことを話し、特に姉にむかって、なんだか若返ってるねと笑いながら言った。 そう言われた姉はと言うと、とても居心地悪そうに見えた。 テーブルに触れないようにバッグを両手で抱き抱えるように持ち、またテーブルの上のものには一切手をつけていなかった。 こ…
姉は一つの食べ物が気に入ると何週間か、長い時は何ヶ月も同じ物を食べ続ける。 もう10年ほど前になるが直ぐ上の姉(三女 以下:M姉とする)が入院していた時、私と姉と二女である姉と3人で見舞いに行ったことがあった。 私は、このM姉と一番仲が良かった。 膀胱癌だった。 一応手術はしたものの、安心出来ない状況だった。 病室に入って行くと、私の後ろに更に二人の姉の姿があるのに気づいて、M姉は驚き、そして喜んだ。 元々、小柄で今度の病気で、更に小さくなったように見えるM姉は、急に元気になったかのように起き上がるとベッドから降りようとした。 休憩室に行こうと言う。 私達は “ここでいいよ、寝てて!” と皆ん…
兄弟、姉妹といっても必ずしも分かり合えるものでもないし、 太い絆で結ばれているわけでもないよ。 今まで生きてきた中で、何回かこんな言葉は聞いてきたことがある。 このことを、私はずっと 心の中では、いや、そんなことはないと否定してきた。 そう見えて根底の深いところでは 他人とは違う血の繋がった者だけにしかない強固な愛のようなものが 絶対にあるはずだと信じていた。 姉と 人生の終盤になってこうしてひとつ屋根の下で暮らすことになって より深く姉のことを私なりに知るようになって思うことは、 肉親への愛なんて、この人には初めから存在しなかったんじゃないかと感じてしまうことだ。
姉は食べ物の好き嫌いが驚くほど多い。 肉は一切食べない。もちろん、それらの加工食品のハム、ソーセージ等もだ。 魚介類も嫌いだと言う。 同居し始めた10日ほどは、引っ越しの片付けが大変だということで、私が姉達の分も作っていたが その時出したアジフライを、揚げたてだから美味しいと思ったのか その後、数回は自分でも作ってみたようだ。 義兄は肉を食べたくなったら自分で作るという。 一週間の献立はほぼ決まっていて 月曜日は蕎麦、火曜日は天ぷら、というように毎週同じメニューらしい。 お寿司も嫌いで、だからお刺身もダメだ。 野菜も嫌いで、葉物は殆どダメらしい。 芋類も嫌いで、唯一じゃが芋だけO K いったい…
母は19歳で結婚し、6人の子供を産んだ。 20歳で姉、そして、最後に38歳で私を産んだ。 結婚生活は、最初の7〜8年は順調だった様だが、その後は父の女性問題でかなり苦しんだ。 そんな母を姉は一番、非難していた。 さっさと別れず、それどころか子供ばかり産んでということらしかった。 私が生まれることを知った時は、本当に恥ずかしかったと言った。 母は大正生まれだ。 結婚した頃は避妊方法だってろくになかったろうし、ましてあの時代、働いたこともない母が何人もの子供を連れて離婚の決意をするのは容易ではなかったと思う。 姉は浮気をしていた父のことはあまり悪く言わない。 それより父にどんなに可愛がられていたか…
『どうなの、腰は?』と、2階から降りてきた姉が聞く。 「うん、もうだいぶいい」と私が答えると、 『良かったわねえ』と言いながら、直ぐに 『私もね○○の時○○して』と話が始まる。 それは自分も坐骨神経痛を経験したとかの話ではなく 数年前にちょっと腰が痛かった時があったのよ、とかいうものだが その話は延々と続き、私はキッチンのテーブルを拭いていた手を止めてジッと聞くことになる。 そんな時(もうそんな話しどうでもいいよ)と思っている意地悪?な自分がいる。 それを顔に出さないように「へえ、」とか「あらら」、とか相槌をうつ。 姉の癖というか、傾向というか、どんな話題でも全部、自分の話にもっていこうとする…
痛みの長期化に不安になり、やはり病院に行こう…と決心しかけた頃 なんだか足の痺れが弱くなっているような気がした。 そして今まで15分と座っていられなかったのが少しずつ延びてきた。 私は猫を飼っていて、朝一番にすることは、猫砂の掃除なのだが 屈んでするので腰に負担がかかりすぎているのか これが最も辛かった。 しかしそれも明らかに軽減しているのがわかった。 あのしつこい痛みが、薄れていっているのだ! 運動したからなのか、出来るだけ腰に負担がかからないように、注意して生活してきたからなのか いい結果をもたらしてくれた原因は、はっきりはわからないが 突然起こった、私のこの身体の異変は、約3週間と5日ほ…
その日は娘の車で数店舗を見て回った。 しかし これは良さそうと思って座ってみると、肘掛けの部分が少し低すぎたり、リクライニングの調整が手元で出来なかったり、すぐにクッションの部分がヘタリそうだったり、中々、希望のものがなかった。 そのうち見て回るのもくたびれてきて、痛みも強くなってきた気がした。 そんな私を見て娘も もう帰る? と気遣ってくれたが ここでなかったら諦めようと最後に行った店で 希望にほぼ近い椅子が、やっと見つかった。 それを車に積んで、部屋の中まで娘が運んでくれた。 その座椅子はいざ使ってみると、やはり大満足とはいかなかったが、今まで使用していたものより快適だった。 少し長い時間…
初めてのこの臀部の奥の痛みは、とても強く、家事が何も手につかないほどだった。 そんな私を心配してやって来た娘は 病院に行くように勧めるが、私は行きたくない。(病院嫌い) 娘から教えてもらってYouTubeも見た。 痛みが軽減する体操は様々な動画が上がっており、その中で自分がやれそうなのだけを少しずつやってみた。 普段から、歩くことが少ないので、それも原因かなと思った。車の免許を取って約50年余り、どこに行くのも車だった。今もそうだ。 そろそろ生活習慣を見直す時かもしれないと思った。 歩く方がじっとしているより痛みが軽くなる。 それで散歩を始めた。 と言っても20分くらいだが。 それから数日経っ…
少し前まで腰の調子が悪かった。 あのトイレの水漏れあたりからだ。屈んで床を何回も拭いたからかもしれないが。 右臀部の奥が重だるいというかそれに痛みも加わって、それがだんだん強くなっていった。 湿布を貼っても何の効果もなかった。 その内、右脚のふくらはぎが痺れた様な感覚になり 少し叩いてみたり、揉んでみたりしたがやはり 効果はなかった。 そして、座っているのもだんだんと辛くなっていった。 同じ姿勢でいられないのだ。 だから、夜は早めに寝ることにして横になった。 横になると痛みは無くなった。 こんな時ネットはありがたい。検索すると私とよく当てはまる症状が出て来て、どうやら坐骨神経痛らしかった。 あ…
昨日、白和えを作って姉に持って行ったら、今日はそのお返しなのか ぜんざいを作って来てくれた。 大きめのお椀にふっくら柔らかそうな小豆とこんがり焼いたお餅も入っていて、とても美味しそうだった。 お昼を済ませたばかりだったが "デザート欲しかったから嬉しい” と言って、私は受け取った。 すると『熱いうちに食べたら』と姉が勧めるのですぐに食べ始めると 『おいしい?』と聞いてくる。 “うん” と答えると、とても嬉しそうな表情になった。 私はこんな 姉を見ると本当に不思議な気持ちになる。 物心ついた時にはもう姉は嫁いで他県にいたし、たまに帰って来ても声をかけてくれる事は一切なく、私のことは完全無視だった…
週に2回、姉は買い物に出かける。 背中にはリュック、手にはマイバッグをいくつか持って。 往復30分ほどの近くのスーパーだったり、いわゆるデパ地下も大好きなので、そこにもよく行く。 歩いたり、バスに乗ったり。 シルバーカーとかそういうものは使わない。 帰って来たら2階に上がる前に必ず私の所にやって来て、 今日はいつもより○○に並んでる人が多かったとか、○○がまだ入荷してなかったとか話し始める。 時には、私の好きな物を買って来てくれたりもする。 背中のリュック、両手にぶら下げたいくつもの袋は、パンパンに膨らんでいて、さぞかし重いだろうと心配になるが、 その間ずっと立ったままで、数十分話すこともある…
姉は今日も元気に買い物に行った。 あと数カ月で89歳になる。 とても元気だ。 同居し始めの頃、80歳も過ぎているし、買い物も大変じゃないかなと思い、車で何回か一緒に出かけたことがあった。 しかし…4回目ぐらいで、もう止めようと思った。 とにかく…… 時間がかかりすぎるのだ。 よく行くそのスーパーは、家から15分くらいの所にあるのだが(徒歩で) 車で行っているにもかかわらず、買い物を終えて帰って来るまで毎回3時間以上かかるのだ。 店内では別行動で、私は大体、30〜40分くらいで買い物を済ませる。 姉は私よりは時間がかかるだろうと初めから予測していたので、少しぐらい待つのは想定内だった。 しかし、…
だが、唯一、姉がそういったことを一切気にしない人物がいる。 それが義兄だ。 例えば 真夏に外出先から帰宅した義兄が、シャワーも浴びずにそのまま数日過ごしても、姉は何とも思っていないようなのだ。 それがわかったのは、同居して初めての夏、義兄と話していて、汗の臭いが気になった。 そしてその後もそう感じることが多かったので、デリケートな話題だが、思い切って姉に聞いてみた。 すると、 『ああ、あの人ね、お風呂嫌いなのよ、3〜4日に1回くらいしか入らないの』と言う。 このことを、事もなげに話すのである。 (はぁ?? 確か. "ばい菌" がイヤでたまらなかったんだよね? 不潔が一番嫌なんだよね?)と呆れて…
"いつからあんな風になったんだろうねえ…" と亡くなった母がよく言っていた。 30年くらい前までは、甥の○○が訪ねた時とか泊めてくれてたし、普通だったよね… と二女の姉が言えば、 いやその時も”手を洗う様に何度も言ってきた”って聞いたぞ と兄が思い出して話したり そういえば その頃親しくしていた○○さんが、凄い潔癖症だったから、その影響を受けてしまったんじゃ? とか…色々な憶測が私たちの間で飛び交ったが 本当のところというか、原因? は誰にもわからなかった。 常に "ばい菌" が怖いので誰にも訪問されたくないし、訪問したくもないのだ。 諸事情により私と同居するようになったが、姉独特の生活スタイ…
引っ越しの当日、2t トラックにぎっしり詰め込まれた荷物を見て驚愕した。 その日は兄も手伝いのため来ていたが "80代で何でこんなに要るんだよ!” と 少し辛辣なことを言っていた。 もちろん、年齢に関係なく大切にしている家具はあるだろう しかし、一体この量はなに?! それから数日後、片付けは終わった。 そしてそれ以来、誰も姉達の部屋には入っていない。 というより絶対入れない。 何か頂き物や、手作りの物等、持って行っても 『あら!嬉しい!』と喜んではくれるが、ドアは最小限にしか開けない。 手を伸ばして受け取るという感じだ。 こんな姉の行為に私達兄弟はもう慣れっこになって 誰も驚かなくなっていた。…
姉夫婦と同居し始めて6年ほど経つが、私は一度も部屋の中に入ったことがない。 越して来るまでの2週間ほどは娘や義兄、そして私の3人で壁紙を貼り替えたり古い家具を捨てるために解体したり 畳の貼り替えを依頼したり、またお風呂のタイルを磨いたり等々 とにかく部屋を空っぽにしなければ姉達の家具は入れられないわけで それも一部屋だけではないので、予想以上に大変な作業だった。 そんな時、姉から電話があった。 引っ越しの片付けが 『どれだけしても終わらないし、腹が立ってもう死にそう!』 と言うものだった。 持って来るものはなるべく必要最低限のものだけにする。 ということを何回も繰り返し話し合ってきていたのだが…
義兄は買って帰ると数時間かかって修理してくれた。 その結果は…水漏れが止まった。 あれから一週間以上経つがなんともない。 嬉しい、本当に嬉しい! そして 反省した。 あの時 本当は(へ? また? 勘弁してよ~、プロがいい! もうプロに頼むんだから〜)と私は思ってしまっていたのだ。 しかし問題は解決した。 (天井のカビ問題は残っているが…) 嬉しかったので御礼に生姜焼きを作った。 2階に持って行くといつも通りドアを最小限に開けて トレーの上の生姜焼きを姉が受け取った。 にほんブログ村 にほんブログ村
もうこうなったら、プロの修理屋さんに頼むしかない! やっぱり素人では無理だったんだ! トイレは両方ともこの家を建てた時に取り付けたもので、40年ほど経っている。 下のトイレは、当時はまだ珍しかったウォシュレットで、上は普通のものだ。 この長い間、よく聞くトイレ詰まりとかは一度もなかった。ただ他のちょっとした故障で何回かは来てもらってると思う。 「とにかく、修理屋さんにきてもらうから!」 姉に言うと 『そうねえ…』 そうこうするうちに義兄が帰って来た。少し驚いた様子で色々調べていたが 今からホームセンターに行って来ると言う。 それは (今度こそハッキリと漏れた場所がわかった。 それに見合う部品が…
「早く雑巾持ってきて!」 濡れたシートを持ち上げながら私は叫んだ。 しかし、姉が持って来たのはこのシートに置かれていたパジャマの下の部分だった。 「なにこれ?」 『もうそれ捨てていいから使って』と姉。 使ってって・・こんなもんでこの水を吸収できるとでも?!! 「他にないの!」と言うと、 何かジッと考えてる。 多分、雑巾代わりになる捨ててもいいものは他になかったかしら? だろう…。 私が動いた方が早いと思ったので 急いで階下からタオル数枚を掴んで戻ると拭きまくった。 にほんブログ村 にほんブログ村
トイレのドアを開けると奥の方にはビニールシートが敷いてありその上にパジャマらしきものが置かれていた。 そしてシートを持ち上げると又も水浸しの床! いつのまにか姉がやって来て 『どうしたの? 』と。 「これ見てよ! 今度は下にまで漏れて天井はカビだらけだよ!」 大声で言ってしまった。 『おかしいわね、水音なんて全然聞こえてなかったのに 』と姉が言った。 え? そんなわけないでしょ! と思う。 しかしあくまでも 『今は聞こえてるけど、出てなかったのよ、私だってトイレの時はかならず注意してるし、用心の為にシートだって敷いてるんだから!』と譲らない。 言い争っている場合じゃない。早く拭かないと にほん…
2階のトイレと下のトイレは同じ位置にある。 2階のトイレの真下が下のトイレだ。 下のトイレの窓を閉めようとした時、桟の一部が濡れていることに気がついた。 その日は午前中雨だったので、そのせいかとも思ったが、何となく嫌な予感がした。 ゆっくり顔を上げると天井を見上げた。 そこには見慣れない変色してポツポツ黒ずんだものがいっぱい見えた。 カビだ・・・! そして履いていたスリッパもなんだか濡れているような気がして下を見ると 水が薄く溜まっていた。 当然、敷いていたマットも水浸しになっていた。 心の中で絶叫しながらありったけの雑巾をかき集め、拭いた。 そしてその後2階に駆け上がった。 にほんブログ村 …
その翌朝、下に降りて行こうとトイレの前を通ったとき、今度はハッキリと水の音が聞こえた。 タンクに手をやるとタンク自体も濡れていて持ち上げるとポタポタの落ちる速度も明らかに上がっている。 そして床はびっしょり! その後はまた前と同じ、義兄がもう一度修理することになった。 今度はパッキンを変えるとか…。 しかし、修理後は本当に直ったようで水漏れはなくなった。 この事に一抹の不安はあったが…やはりホッとした。 にほんブログ村 にほんブログ村
その後、このくらいなら直せるからと義兄が修理してくれた。 ホッとした。 しかし次の日、またトイレに入ると微かだが水の音、不安になってタンク内を見た。 だがポタポタなし、床も濡れていない…気のせいかとも思った。 姉が一番嫌いなものは、ばい菌だ。そして、「汚ないわよ!」というのが口癖だ。 毎日掃除ばかりしている。私とはキッチンもお風呂も別なので本当に助かった。 そんな姉なのでトイレ掃除も毎日してるし、もしも又水が漏れても直ぐに対処できるからと安心していた。 にほんブログ村 にほんブログ村
築40年あまりの古い家の2階に姉夫婦、下に私という感じで暮らしている。 私の寝室も2階にあるので厳密に上と下に分けているわけでもない。 トイレは2階にもあって私も時々使用する。 10日ほど前の明け方、2階のトイレに入ると水の音が聞こえた。 なんだろう? 耳を澄ますとタンクから聞こえているようで 少し持ち上げてみると水がポタポタと落ちている。 これ水漏れ?と思いタンクの下を見ると濡れている、それも便座の後ろまで。 驚いて急いで下から雑巾数枚持ってきて拭いた。
白、黄色、ピンクと次々に咲いていたチューリップも花びらを落としていく。 そして今日なんか汗ばむほどで春が来たと思ったのも束の間、もう初夏の気配だ。 6年ほど前から私は姉夫婦と同居している。 6人兄妹の一番上と下になる。 姉とは歳が18歳離れている。80代だ。 この6年間、色んなことがあったがなんとかやってこれた。 しかし数日前に発生した水トラブルには怒りを抑えることが出来ず口喧嘩になってしまった。 今までにもお互いが強い口調になったことは何回かある。 しかし今回ほどではなかった。
「ブログリーダー」を活用して、リス吉さんをフォローしませんか?