chevron_left

メインカテゴリーを選択しなおす

cancel
そら
フォロー
住所
未設定
出身
未設定
ブログ村参加

2022/03/23

arrow_drop_down
  • いよいよかしら

    いよいよ恐れていたことが起こってきたみたい。母の具合が明らかに悪くなってきたわ。手術をした関係でたくさん食べれられないにも関わらず、食欲を失わなかった母が、余分な分を吐き出しながらでも、美味しい物を求めて食べ続けた母が、ここ数週間、あま

  • 記憶があいまい

    先日、父の家に泊まって来たわ。以前よりも足が安定したようで、動きやすくなったみたい。まだ歩行器が基本だけれど、杖でも少し歩いて見せてくれたわ。痛みも少なくなって過ごしやすくなったみたい。それでも日中、テレビを見るだけの生活だから、短期記憶が衰えてきている

  • 私たちの番

    最近の父の容態は、以前と比べて落ち着いていて、動かなかった右足にも力が入るようになり、歩行器がなくても数メートルなら歩けるようになったみたい。右手の痛みも取れて物を押さえて運ぶこともできるみたい。最後に会ったのは11月末。その時も少しは自立できていたけれど

  • それだけでも

    9月末に義母を、義父のいる老健に合流させて、ひとまずほっとしていた私たちだけれど、あれから少しずつふたりの様子に変化があったの。私たちが老健から帰った直後、義父は誤飲性肺炎と言われ、しばらく安静にしていたのだけれど、一旦熱も下がり、落ち着いたと思っていたの

  • あれから1年

    久しぶりにここへ戻って来れたわ。もう少し頻繁に書き綴りたかったのだけれど、日々、母の家と私の家の往復、母との思い出作りの旅や行事を繰り返しているうちに、あっという間に3か月が経ってしまったの。母は有難いことに、まだ元気に生きているの。また少し痩せてしまって

  • 着物の旅 2

    古都の小さな着物の旅が成功に終わって、何とかもう少し着物を着る機会を増やしてあげたいと思い、その後私は、Youtubeで着付けを勉強したの。特に帯の締め方。母にも一緒にYoutubeを見せて練習したの。何とか私も帯の太鼓結びができるようになり、母の着付けを手伝えるよう

  • 着物の旅

    最近の母は、着物も着るのよ。2回も着物でお出掛けしたの。私は車椅子を押すので、洋服だけれど。1度目は、タクシーで近郊の古都へ。母は自分で着物を着れるけれど、体力がなく、ずっと立っていられない。帯の結びも、弱弱しくなってしまったわ。私がまだ着付けを習っていな

  • ヒグラシを聞きに

    いろいろあって、なかなか書けなかったけれど、夏の終わり、恐らく最後の夏の終わり、母と箱根の温泉に行ったの。ヒグラシの声を聞きに。鳴いていなかったらどうしようかと思ったけれど、何とか鳴き声を聞くことができたわ。箱根湯本から登山電車で数駅。山中にある歴史ある

  • 義母、やっと老健に

    父の病状に気を揉みながらも、義実家のこともこなさなければならなくて、方々に気持ちを持っていかれる日々よ。先月末、義母のリハビリ病院退院、そのまま上の階にある老健に入所する為に、夫と新幹線に乗り、はるばる施設に行って手続きして来たわ。老健には義父がいるから

  • また救急車

    先日、また救急車を呼んだの。父の為に。まだ父の家に滞在していた兄弟から、メールと電話があったの。父がお腹が痛くて眠れず、一晩中苦しんでいるとのこと。また胆石を疑ったけれど、胆石の痛みとは違うみたい。熱もない。でもトイレとベッドを行ったり来たりで、吐き気も

  • 流れに身を任せて

    また心配事よ。この前、兄弟に聞いたの。父がテレビショッピングで、たまに買い物をしてるらしいって。貯金、そんなにないのに。去年、脳梗塞で入院する前は、料理もほとんどしないのに、高価なフライパンセット買ったり、まだ使える電子レンジがあるの

  • 今日も何とか

    最近、午前中がつらいの。朝起きてから、動悸がして、息が苦しいことがよくあるの。夢もたくさん見るわ。元々夢はよく見る方だけれど、最近の夢は、苦悩してる夢ばかり。崖から落ちようとしてたり、暗闇の中、彷徨っていたり。きっと今の精神状態を示して

  • 母の着物

    母の家の整理をしながら、たくさんの着物もどうしたものかと思っていたわ。若い頃、日本舞踊を習っていた母はかなりたくさんの着物や帯を持っているの。和箪笥ひとつ丸々と、つづら三つにびっしり。私はそれなりの行事か夏まつりでしか着物や浴衣を着たことはないか

  • 母の家の整理

    5月くらいから、母の家の整理をしているの。母がいつかまた見たいかもしれないって、書類や写真が入ったダンボール。何個も何個も部屋に積んであったけれど、全部捨てたり、まとめたりしたわ。残りの時間、少しでもすっきりした綺麗な部屋で落ち着いて快適に過ごしてもらいた

  • 困った人だから

    この夏は、父のことも大変だったわ。7月初旬、義母の転院手続きをした後、急いで新幹線で家に戻り、その翌日は電車で2時間半、父の入院先の病院に駆け付けたの。緊急招集よ。無事、胆嚢炎の治療は終わり、身体はかなり弱ってしまったものの、あとはリハビリで回復を促すしか

  • 後ろめたさもあるわ

    振り返ってみると、この夏はなかなか大変だったわ。母と過ごす合間を縫って、義母や父のことも調整しなければならなかったから。6月に腸閉塞で自宅近くの病院に入院した義母。その後、7月初旬に別のリハビリ病院に転院したの。そこは、義父のいる老健の下の階にある病院。3月

  • 夏の終わり

    毎日こんなに暑いのに、風が涼しく感じて、空が高く思えて、少しずつ秋の気配がして来たわ。もう夏が終わるのね。ずっと母を中心に過ごして来て、この夏も何とか一緒に生き延びることができたわ。本当はありがたいことなのに、思っていたよりも、ずっと多くの時間を変わらず

  • 哀しみと共存する力

    この前、久しぶりに母と病院へ行ったの。母は、悪化しても治療できない疾患2か所、騙し騙し投薬しながら症状を抑えている疾患が3箇所、2つの大学病院で計5つの診療科に通院しているの。通院する時は、全診療科、なるべく近い日程にしてもらって、母とホテルに数日泊まりなが

  • 母の望むこと

    先日、母と海釣りに行ったの。本当はもっと以前に行く予定だったけれど、その日はあいにくの雨。今回は満を持して、早起きして行ったわ。近くの島の堤防に。すでに数名の方が釣り始めていて、空も白々と明るくなっていたわ。餌も買って、仕掛けをセットして、釣り糸を垂らし

  • 哀悼の意

    近しい方が亡くなり、呆然とした中、元首相の惨事を知りました。国際ニュースを見るのが何よりも楽しみの私にとって、元首相がどれほど、日本の国益の為に尽力され、日本の地位を上げて下さったか、ひしひしと感じる歳月でした。海外の首脳陣と堂々と渡り合

  • 感謝を込めて

    大切な方が亡くなったの。本当に素晴らしい方でどう生きるべきかを教えて頂いた。母の闘病で苦しい中、その方も闘病されていて、それでも懸命に活躍して使命を全うされていた。病状が落ち着いて、もう大丈夫だと思っていたの。母よりずっとお若い方だから、まだゆったり人生

  • 青空、いつも心は

    若い頃、私は仕事でよく海外に行ったの。月の半分海外で過ごして、残り半分を日本で過ごして、そんな日々が何年も続いたわ。楽しい旅もあったし、つらい旅もあった。初めて行く場所ではいつも緊張して、それでも目にするもの口にするものが珍しく、その国のどんなことでも知

  • あっちもこっちもね

    義母の地域相談員の方から電話があったわ。早くも退院が見えて来たみたい。大ごとにならなくて本当によかったわ。今後どうされますかっていう話で、義母の希望を聞いてくださったそうなのだけれど、何と、義父がいる老健に戻りたいと言ってるそう。退院してから1か月。ずっと

  • 海辺の街

    いろいろあった半月だけれど、母との時間も楽しんだわ。母の住む街から電車で1時間。海辺の温泉地のマンションに部屋があるの。部屋の正面の窓一面に海が広がり、遠くに島も見えるの。母と私はずっと昔からその街が好きで、年に数回泊まっては、海辺の街を満喫したわ。1階に

  • びっくりしたわ

    私が母と父、二人の事で忙しくなってきたので、先週末、夫はひとりで義実家へと向かったわ。退院して3週間。義母の暮らしは少しずつ軌道に乗って来ていたの。ヘルパーさん週2回、ゴミ出しサポート週1回、デイサービス週2回、宅配夕食サービスが毎日1回、通常の買い物宅配が週

  • どちらも哀しいわね

    あれからまた、いろいろとあったわ。いろいろとあり過ぎて、カレンダー見ないと時系列が思い出せないくらい。6月初旬に、父の介護認定の区分変更の調査があったわ。当初、病院に認定員の方が訪れて下さるので、私たち家族の立ち会いは不要だと思っていたの。前回、脳梗塞時の

  • どこまで続くのかしら

    先日、義母を老健に迎えに行ったの。義母は退所直前まで、義父を老健にひとりにして、自分だけ帰ってくることに不満を漏らしていたけど、夫が直接迎えに行って、少しの間だけ義父と義母、夫の親子3人で話す時間を作ってもらい、何とか収めて帰って来たわ。義父はどこまで現状

  • 人生いろいろね

    本当は、母のことだけ書いていたいの。母と楽しく過ごしたこと、残りの時間を考えて涙していること、そんな日々を綴っていく為に始めたブログなの。そりゃ、義実家のことはいろいろと書くわ。正面切って失礼なことを言いたくないから、こうしてここで発散しているのだけれど

  • 叶えたいリスト

    GWにグランピングへ行ったの。母と夫と3人で。母は以前にも私たちと一緒に2回ほどキャンプに行ったことがあったけど、ここ数年は体力が衰えて来たので、とても連れて行く気になれなかったわ。でも母がもう一度、キャンプに行きたいって言って。どうしても叶えてあげたかった

  • 先が思いやられるわ

    さっき老健に電話して、義母に電話を繋いでもらったの。そして改めて義母に話したわ。今度迎えに行く日のこと、やはり義母のみの退院で、義父は引き続き老健に残ってもらうこと。義母が今の生活に慣れて、いろいろと身の周りのことが出来るようになったら改めて義父を迎えに

  • 仕方ないわね

    先日、老健にいる義母と電話で話したの。リハビリ施設から義父のいる老健に移り、私たちの片づけ&チュウ退治を待つ義母。ふたりが同じ老健にいて、ちょくちょく会えるようになったのは本当によかったと思うの。義母が腰の手術後、暫くリハビリ施設にいて

  • 二重生活

    しばらくの間、二重生活を送ることにしたの。これから先、母の病状がどういうスピードで進んでいくのかは、まだはっきりしない。そのうち分かりやすく症状に現れて、だんだんと最後が見えてくると思う。その瞬間瞬間、迷いながら、苦しみながらも病院や福祉関連の方々に相談

  • 母との旅

    しばらく書く気になれなくて、この前の通院から10日以上経ってしまったけれど、母の病状、数値だけでなく、はっきりとした段階まで悪化して来たみたい。半年前から分かってたことだけど、気持ちを騙し騙しここまでやって来て、とうとう来たのね、という感じだった。

  • やっと終わったわ

    不用品破棄も、チュウショックも相当なものだったけれど、それより大変だったのは、通帳・保険などの重要書類を全て救出して把握することだったの。一部の通帳・保険のありかは、ギリギリ心当たりがあったわ。それでも過酷だったの。まずは紙ゴミ、多過ぎよ

  • しっかりちゃっかり

    その後ほどなくして、義母と理学療法士さんがやって来たわ。若い女性の理学療法士さんは、シートで苦しむチュウを見てギョッとしてたけど、表情に出さないように必死に隠してたわ。えらいわ。さすがプロね。何で上から目線なのかしら、私。義母には、しっか

  • 慣れって怖いわ

    翌朝、ドキドキしながら玄関の扉を開けたの。かわいい声が聞こえたわ。鳥の鳴き声に似てると思ったわ。見るのは怖かったわ。でも好奇心が勝ってしまったの。恐る恐る仕掛けに近づくと、何枚かのシートに、合計15匹も横たわっていたの。横たわって苦しんでい

  • 出会ってからは

    2月中旬。私が実際に出会ってからの対処は早かったわ。あまりに衝撃が大きかったから。もう義両親がこの家で生活するのは無理だと思ったの。まずは家の権利書や通帳、保険類など重要書類を必死であっちこっち探し回ったわ。その間、チュウチュウ、ガサガサ。

  • 出会ってしまったの

    今回、この狂った物量の義実家を本格的に何とかしなければならないと決意したのには、大きな理由があるの。これがなかったら、ここまで潔く、隅々まで捨てまくることは無理だったわ。後から後から押し寄せる値札付きの大量の衣類を前に、とてもじゃないけど正

  • 狂ってたわ 2

    本当に疲れたわ。週末の二日間、また不用品処理業者さんに来てもらって、とうとう10tの不用品が運び出されたわ。2階二部屋の全貌を見たわ。服の詰まったゴミ袋の数々を階段上から滑り下ろして、玄関前の廊下がゴミ袋の山になり、それを運び出すこと数回、やっと元寝室の押し

  • 桜を見たの

    母と桜を見たの。近くの公園、車椅子を押して。公園の広場には桜の木がたくさんあったけど、満開には少し早かったみたい。蕾もいくつもあって、8分咲きくらいだったかしら。桜の木の下を何度もぐるぐる廻ったの。ソメイヨシノだけでなく、大島桜もあったわ。ピンクと白の花び

  • 狂ってたわ

    新幹線にて、義実家の狂ったようなモノ屋敷より帰宅中。(何かで見た言い方だけど、ゴ⚪屋敷よりマイルドで気に入ったわ。でも完全にゴ⚪屋敷よ!)義両親は去年の11月から長期入院&リハビリ施設に入居中。その間にどうしても家を劇的に片付けなければならない理由

  • ロマンスカー

    母の家から帰る途中のロマンスカーにて。母は、今年の秋に80歳。見た目は年相応の元気さで、誰にも闘病中なんて気づかれないんじゃないかしら。いいえ、勘がいい人は気づくかも。だって72kgの母が、数か月で56kgまで痩せたんですもの。でも元が太り過ぎだっ

  • はじめに

    2019年秋に病気が発覚した最愛の母。2020年早春、2021年初夏の2度の手術、つらい闘病生活を経て、2022年最後の日々を伴走します。物で埋め尽くされた義実家の大規模不用品破棄とその後の生活他、同時に降りかかる遠距離介護に押しつぶされそうな毎日でも、小さな楽しみ

arrow_drop_down

ブログリーダー」を活用して、そらさんをフォローしませんか?

ハンドル名
そらさん
ブログタイトル
青空、いつも心は介護。
フォロー
青空、いつも心は介護。

にほんブログ村 カテゴリー一覧

商用