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2022/02/27

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  • むさい人

    「むさい」という言葉がある。「爺むさい」は今もよく耳にする。「爺」は即むさいのであるが婆はむさくない。大変な違いである。意地悪婆さんが居るのに意地悪爺さんは居ない。男女で好対照を示すものは多い。「むさい」は①意地や欲が強くて、心がきたない。②きたならしい。きたなくて気味が悪い。不潔である。むさいに苦しいが付いて「むさ苦しい」まである。どうしてそうなるのか?女性は幾つになっても身綺麗にしているが、男性は社会生活を離れると、外見に無頓着になりがちである。それが「爺むささ」を招き寄せてしまうのである。先ず無精髭、そして鼻毛・耳毛の3点セット。頭髪も手入れをしなければ「むささ」を助長する。次にアウトフィット。現役時代、気を遣うのはスーツとゴルフウェアぐらいだった人が危ない。普段着はどうでも良いという人である。フォ...むさい人

  • 歴史ドラマ

    私たちは、歴史上の人物の伝記やその人が主人公として活躍する小説・を読み、映画やTVドラマを視て、その人物を敬慕したり親近感をもったりする。歴史上の人物は、著作によってつくられた被造物と見ることができる。作者は過去に実在した人物に仮託して自己を表現する。したがって、伝記や小説や原作が、主人公の人となりや業績を正しく伝えているかどうか、実際のところはわからない。評論とか創作というものには、創作者の人格が顕れるものだから、彼の価値観が作品に色濃く投影されるのは当然である。客観性があるようでないのが、歴史上の人物である。それは経てきた各時代の時代精神を反映した潤色や誇張が、多重に積み重なっているからである。歴史上の人物を考える時、本人が実際に書いたもの以外の史料は、史料批判という作業なしに信用できない。しかし、検...歴史ドラマ

  • 「同」というバイアス圧

    日本の社会には「同調圧力」という心理的なバイアス圧力がかかっていると言われている。同質を何にも増して大切にする空気が集団内に生ずる。思い付くままに挙げてみると、「同」を冠する言葉の多いことに愕く。同級・同窓・同期・同郷・同年・同胞・同根・同梱・同文・同期・同人・同心・同調・同族・同慶・同期・同系・同等・同腹・同感・同意・同行・同好・同類・同情・同化・同等・・・馬方みたいに、毎日「ドウドウ」を口にしていなければならない。「同」でなければ人に非らずと思っていないかと思うほど、日本語には「同」を冠する語が多い。対義語の「異」となると、ずっと少なく、社会的な違和感や忌避感が感じられる。私たちの社会は、古くから「異」を忌み嫌って来たようだ。異国・異人・異相・異端・異質・異類・異形・異教・・・どう考えても好もしく思わ...「同」というバイアス圧

  • 歩めば至る

    何かになることを夢見る。何かに成れば、両親・教師に報恩でき郷党や親戚・知人にも鼻が高い。先ずもってめでたい。だが成って安穏かというとそうでもない。成った結果,成った者同士の競う世界はますます苛烈になる。最期には必ず「成れの果て」の時が来る。成るも成らぬも、果てには気をつけなければいけない。果てというものは茫漠として,何も見えないからである。成って見定めることこそ,成る意味があると思う。議員に成って大臣に成って、これで事が成ったと呵呵大笑したら、瞬く間に成れの果てに達し、辞任させられ、もう2度と成ることはない。為せば成るで頑張って、成っても元の場所から一歩も進んでいなかったでは困る。それで早々に果てを体験するのは辛いものがあるだろう。成るも成らぬも、人は一歩でも二歩でも、進むことの方が大切だ。南ア深南部登山...歩めば至る

  • 迫る冬

    冬直前暖地とはいえ、日に日に冬は近づいている。①トチノキ近くの公園を歩いたら、クヌギの並木の列に一本だけ、トチノキが育っているのを見つけた。気候的に適地ではないからか葉が小さいが、健やかに育っているのは嬉しい。トチノキの紅葉は、コナラ,クヌギの中では、ひと際目立つ。②ススキ鉢植え栽培しているススキは、まだ穂が枯れない。ノコンギクの種を株元に蒔いて、来年を楽しみに待とう。今年は、ナンバンギセルを根絶できた上に、開花(穂)を初めて見ることができ、欣快この上ない。③マルベリーマルベリー(クワ)の実が成っているが、これは食べられるのだろうか?迫る冬

  • 発想というもの

    世の中には、発想の豊かな人がいる反面、発想の乏しい人もいる。発想力は天賦のもので、後天的に発想力を強化したりどうこうできないものだが、社会生活の上ではあまり重要視されて来なかった。実社会で発想が重視されないのは、人の発想は多様すぎて分類も整理もできず、客観的に評価できないこととにある。発想はあくまで個人に留まっていて、社会生活に直接係ることがないからだろう。社会生活というものは定例化された制度や慣例のもとで成り立っているので、新規の発想が求められることは殆どない。統治機構は前例踏襲が基本だから、個人の発想を調和を掻き乱すものと見てそれを嫌う。特に儒教的封建社会のわが国では、その傾向が強かった。発想は,専ら個人に留まる。個性を個性たらしめるものこそ、その人の発想である。発想の違いが、他者との違いを明瞭にする...発想というもの

  • 残念なこと

    この国は、明治の文明開化以来、西欧の先進社会に追いつき、西欧人と同格の人類と認められようと切望し、西欧の近代文明をゼロから瞬く間に学び、産業を振興させ、生活文化を向上させて来た。明治政府は、欧米人に、彼らと同等同格に認められることを一途に願い、それは悲願でもあった。それを目的に国家を運営したのである。欧化して、白人先進国グループに列することが、明治の功業を成した人々の悲願であったとなると、何をしても悲願が先立ち、滑稽になるのは致し方がない。その滑稽の極が鹿鳴館だった。ロシアと戦い陸戦で敵に勝る多大な人的犠牲を出しながら戦い抜いたのも、我が国の応援団についた欧米列強に認められたいがためである。幸運にも勝って、目出度く彼らに認められ、国際的なデビューを果たした。しかし、目的のための苦節というものは、必ず達成し...残念なこと

  • 干し柿に空っ風

    今月16日あたりから、当地の冬の常態「空っ風」が吹き始めた。毎年木枯らしが報じられる頃になると強い北西風が吹き始める。晴天日数が多く風が強いことは、天然乾燥にはもってこいである。先日投稿した柿干し架台の横木の下にもう一段横木を増設し、吊るす柿を増やした。吊るし柿の数を増やすと、それだけカラスやヒヨドリの目を惹くことになり、昼間は監視していなければならない。これは老人にしか向かない仕事である。最低でも2週間、禁足させられたようなものである。干し柿に空っ風

  • 述懐のとき

    人の弁舌のタイプは、大雑把に言って寡黙と多弁の2つに分かれる。生まれつき人と話すことが嫌いな人、人前で話すことが苦手な人が居る反面、話好きな人、饒舌な人は多い。中には、しょっちゅう喋っていないと落ち着けない、強迫観念的なお喋りも居る。好奇心が強い博覧強記の、話題に事欠かない話したがり屋も多い。世の中は人で出来上がっているから、意見を述べることと意見を聴くこと、つまり話し合うことが大切である。話し合うと言っても、その内容は、その場面と対話者・参加者の組み合わせにより様々に変化するから無限の広がりがある。現実の社会生活では、話し合いは物事の進捗をスムースにする。誰でも職に従事している間は、話し相手に事欠かないだろう。ローマの兵士の退役年齢が50歳だったというから、人は概ね60歳(還暦)ぐらいから話し合いが減る...述懐のとき

  • 好奇心と人間性

    以前のエントリーで、好奇心が猿を進化させ、人間に導いたという論題に触れた。人類にとって、好奇心が動物から人間へのアクセレーターだったとすると、人間らしさとは、絶えざる好奇心に負うていると考えることができる。事実かどうか、現実に照らし考えてみたい。人間になった今日でも、私たちの脳には、人間に成る前の永い動物の時代に形成された脳、旧い大脳皮質がある。これを包みこむように覆っているのが、人間になって以降に形成された知的な精神活動を司る脳で、新しい大脳皮質といわれる組織である。饅頭の餡の部分を旧い大脳皮質、薄い皮の部分が新しい大脳皮質とイメージすると分かり易い。私たちの脳は、進化の過程で動物の時代に獲得形成した旧い脳の機質と、人間に成ることで形成された新しい脳の機質を併存させているらしい。常には古い皮質は新しい皮...好奇心と人間性

  • 体熱の倹約

    列島各地から雪の便り、愈々厳しい寒期が始まる。防寒・保温に熱心な高齢者がついうっかりしていることに、皮膚から蒸散する水蒸気が凝結ふる水分の体熱冷却作用がある。これを軽視したり無頓着な人は多い。皮膚から出る水分には先ず汗がある。過剰な体熱が産生されると、それを冷却するために、私たちには発汗作用が備わっている。汗は体の積極的な冷却作用である。見過ごしがちなのは、水蒸気が飽和して凝結した凝結水(condensedwater)である。皮膚の表面で常時吸収と放出を繰り返している。凝結水由来の水分も、気化放出する時には体熱を奪う。気温が下がることは、体熱低下の主要因だから、誰もが保温に気を配る。それで十分かというと、そうではない。保温していても、皮膚表面からは常に一定量の水分が放出されているから、体熱は奪われている...体熱の倹約

  • ずいき(芋がら)

    芋がらを炊いてもらった。好物である。ちょっと毒気のあるサトイモの葉柄「ずいき」は、日本のソウルフードのひとつでないかと思う。何十本ものサトイモの葉柄の皮をピーラーで剥いたのは老生、これが面倒である。天日で干して刻んだのは老妻。翁嫗夫婦の共同作業で、芋がらが漸く調理できる状態になる。街のスーパーでは売っていないが、山里の道の駅などでは今でも見かけることもある。農山村では、大昔から食べられていた食材である。だが、同年配の飲み会で訊いてみたら、その名も味も知る人はいなかった。この芋がらを水で戻し、油で炒め、油揚げと共にだし汁で煮含ませた「ずいき煮」は、「ゼンマイの煮浸し」に似て、野菜嫌いの私には美味しい逸品である。初老になって初めて口にし、忽ち好物になった。遠い縄文の時代を想わせる食材である。救荒食でも戦時の携...ずいき(芋がら)

  • 生活文化

    私たちの生活文化は、風土・民族性・生業・経済・歴史・宗教などの影響を色濃く受けて成り立つものである。生活文化の違いが、人間同士の親交を妨げたり、家庭の平穏を乱したり、ハラスメントやイジメなどの原因となるをことがある。それは個人間の関係にとどまらず、国際関係にまで及ぶこともある。私たちが、自分と同質なものを親和的に受け入れ、異質なものに排他的なのは、自然の本性であると思う。それでも、異質なものに関心を抱く好奇心の強い人々というものは一定数居て、異質な人々との交流の接点が絶えないのは、心強いものがある。異質な人々に出会ったら、先ず生活文化の違いに配慮し、その変異を尊重し、割り切ることが大切である。生活文化の違いに寛容であることは、大人として大切な対応である。日本は戦前まで、文化人類学を重んじて来なかった。異民...生活文化

  • 鉢屋柿

    娘夫婦が飛騨旅行の土産に「鉢屋柿」を届けてくれた。干し柿用の柿として名声が高いが、当地ではほとんど産しない。早速干し柿づくりに取り掛かった。老生、興味のあることには、滅法仕事が早い。180cm4cm角のホワイトウッド3本をホームセンターで購入、門の形に組み、ベランダに立てた。ヘタ元のT型枝に紐をつけ女房殿に渡す。殿はその皮を剥く。剥いた柿を熱湯に浸けては返すその傍から、亭主が紐を結び、柿を横木にぶら下げる。滅多にない夫婦の共同作業、珍しく息が合って、叱声を聴かずに済んだ。目的が一致しているということは、こうも仕事が捗るものか。カラスを警戒してこれから約3週間、干し柿は日に日に熟成、甘くなるだろう。鉢屋柿

  • 伝統

    私たちは幸いにも、祖先が海洋中の八つの島に住みクニを定めたおかげで、有史以来、異民族に征服支配されたこともなく、同一民族の安定社会で固有の伝統を守り続けて来られた。そのおかげで、国中何処へ行っても、伝統がその地の文化を支えている。まさにわが国は伝統国家という名称が相応しい。伝統を重んじるということは、好いことと私たちは考える。だが、血の滲むような努力をして守って来たわけでもなく、庶民が粘り強く異民族や権力と闘い抜いて勝ち取ったものでもない。長いものに巻かれる民族の性癖で、権威と大勢に逆らわず、代々前例を踏襲し続けて来た結果である。民族が生来改革や革新を好まない気質だったことが、結果として多様な伝統を今日まで保たせていたということである。新規のことをするよりも、前例慣習に従う方が楽なのである。伝統を保守する...伝統

  • 点る灯

    男性というものは、幾つになってもマドンナが居ると、かつて当ブログに記事投稿した。マドンナ-道々の枝折男というもの、老若問わず胸の裡にマドンナの面影を宿しているものらしい。本人が否定しても、基準?に照らしてみると大抵マドンナということになる。マドンナとは?基準1...gooblogフーテンの寅さんよろしく、マドンナを胸中に秘めている男性は多い。記事でも書いたが、マドンナは男性に通弊の浮気癖とは無関係である。聖女視など、滅多にあることではない。老生の年配でも、男性はマドンナに会うと、その日1日が心楽しく、足腰の痛みを忘れ、人にも細君にも優しくなり、孫に小遣いをはずむ、典型的好々爺となる。先月、老生図らずもマドンナに邂逅、しかもあろうことか、そのマドンナに褒められてしまったものだから、すっかり嬉しくなって舞い上...点る灯

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