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躁鬱の会社員です。お散歩と旅行と読書、思考の記録など。

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千野
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2022/01/28

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  • 夏目漱石と〈莞爾 vs 苦笑〉のフォトグラフ:随筆「硝子戸の中」より

    夏目漱石は大正4年に「ニコニコ倶楽部」という雑誌社からの取材を受けていた。とはいっても写真を1枚提供しただけのことだが、それが疑惑の1枚となった。この「ニコニコ倶楽部」は「ニコニコ主義」なるものを提唱していたらしく、発行していた月刊雑誌の名前も、案の定『ニコニコ』という。

  • 火の国・火の山

    「あづま菊いけて置きけり火の国に住みける君の帰りくるかね」上の手紙と同じ明治三十三年の6月中旬、子規が漱石に寄せた書簡に記されていたもの。差出人の住所は下谷区上根岸町(現在の東京都台東区)。そして、受取人の住所は熊本市北千反畑、旧文学精舎跡になっている。明治29年から熊本大学第五高等学校に勤務していた漱石が、現地で住んだいくつかの家のひとつがそこだった。彼は勤務期間の4年間で何度も引越しをしており、旧文学精舎跡は6つあった居宅のうちの5つ目である。私がじっと見ていたのは、子規の句に使われている「火の国」という言葉。

  • アンナ・カヴァン「氷」極寒の世界の裏側でインドリ達が奏でる無垢な歌|ほぼ500文字の感想

    アンナ・カヴァンの《氷》(山田和子訳)を読んでいた。白い魔にほぼ閉ざされた世界の物語といえば、カヴァンと同じ英国出身の作家・セローの「極北」が私には身近だけれど、その趣は全然違う。いや、そもそも……と《氷》の内容を回想した。原題も"Ice"なので言葉から受ける印象は邦訳でも変わらず、それなのに読後の胸に残ったものといえば、雪原や氷山ではなく「赤道地帯のジャングルとインドリ」なのだから面白い。

  • ローカル鉄道・上信電鉄~上州富岡で降車し製糸場へ|ほぼ500文字の回想

    どうやら上信電鉄、かつては実際に下仁田から長野(現在の佐久市あたり)まで延線を行う計画が存在していたようだった。そのため電化へと舵を切った際、明治期には「上野(こうずけ)鉄道」だった社名が、大正10年に「上信電気鉄道」へと変更されている。現在の「上信電鉄」は、昭和39年の社名変更時から使われている名前。それにしても、高崎も上州富岡も暑かった。かなり。比較的慣れていそうな現地の方々も同じように暑がっていた。私はここから富岡製糸場に向かう。

  • 太宰治《津軽》をきっかけに津軽半島を縦断した秋の記憶、龍飛崎をめざして|青森県旅行・回想(1)

    昨年の秋、ふと太宰治の「津軽」を手に取ってから、実際の津軽地方に足を運んでみたい気持ちが強まった。それで間を置かず(つまり衝動の熱が変質してしまう前)に行ってみた。羽田から青森へ飛ぶとなんと1時間半程度で着いてしまう。青森空港のガラス壁に、黒石市の名産品、こけし(同市に「津軽こけし館」も存在する)をモチーフにした図柄が装飾として採用されていた。「津軽」は紀行文のような体裁を取っているが、読んでみると虚実入り交じる内容と、かなり大幅に手を加え再構成されているのであろう、旅行自体や途中の出来事の流れに意識が向く(にもかかわらず、本文の最後「私は虚飾を行わなかった」とわざわざ書かれているのもそれらしい)。作家が手掛けるものならむしろそうあってほしいと私は思っていて、反対に何か、より現実に即したものを読みたいのならば、情報ができるだけ正確に記された別の資料を当たるべきなのだ。

  • 運命が決定される前の抽象的なケーキについて|ほぼ500文字の回想

    先週の話。9月の京都文フリで出る合同誌へ寄稿する文章、その提出期限がジリジリ迫っていて、しかしこれは確実に終わるだろう……と目途は立った。ような、気がした。気がしたから退勤後に、最寄り駅から少し離れた洋菓子店へと足を延ばした。珍しくケーキが食べたかったので。すると店は臨時休業していた。残念だけれどケーキは食べられなかった。魂の半分抜けた目で張り紙を読んでいると、雨水が沁みたのか、靴下が妙に冷たく感じられた気がする。

  • 【本紹介】「明治大正昭和 化け込み婦人記者奮闘記」著者が当時の “はみ出し者” たちへと向ける敬愛

    「日本の新聞黎明期。女だからと侮られ、回ってくるのは雑用ばかり。婦人記者たちは己の体一つで、変装潜入ルポ〈化け込み記事〉へと向かっていった——」明日発売される書籍で、自分が日頃抱いている関心と重なるものをお送りいただいたため、ここで紹介する。

  • 揚輝荘北園に建つ「伴華楼」の再訪記録 - 設計・鈴木禎次は夏目漱石と相婿の関係にあたる|名古屋の近代建築

    // 前に来たときと同じく季節は冬。けれど、当時の名古屋は雨だった。 確か小雨で、歩きながら傘は差していなかったような気がする。そこかしこに小さな屋根はあっても全身が湿るから、広い庭園に長居するのは憚られて、早々に南園の聴松閣内部へ避難してしまっていたのを思い出した。だから、こうして気の済むまで伴華楼の周囲をうろうろしていられたのは新鮮。1月下旬のとある日はよく晴れていた。 伴華楼(ばんがろう/bungalow)は、揚輝荘の敷地内にある建物のひとつ。大正15年に起工し、昭和4年に完成した。 現存しているのはこれと「聴松閣」「座敷(聴松閣横)」「白雲橋」また敷地内に最初に建造された茶室である「三…

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