友達のひとりにSnow Manの熱心なファンがいる。なかでも目黒蓮さんがとても好きらしく、それなら絶対にお土産を買って行かなければ……! と私は胸に誓っていた。なぜなら彼が午後ティーのCMで訪れた場所にはスリランカのヌワラエリヤが含まれ、【午後の紅茶「紅茶の聖地」篇 60秒】を視聴してペドロ茶園を訪れていたと判明したから。
躁鬱の会社員です。お散歩と旅行と読書、思考の記録など。
実績・寄稿記事一覧: https://www.chinorandom.com/archive/category/%E5%A4%96%E9%83%A8%E5%AF%84%E7%A8%BF%E8%A8%98%E4%BA%8B
昔は窓の内側に、ごくうすい緑のカーテンがかかっていたはずで、でも先日行ったら取り外されていたようだった。懐かしく思い出す。木漏れ日を思わせるとても綺麗な、透ける緑色のカーテンを。そう、私が小さい頃にどこかの霊園の隅で見つけた、小さな雨蛙にそっくりな色の……。最近、窓際に座っているとかなりの頻度で、彼方よりカエルの鳴き声が聞こえてくる。この喫茶店に私がいた時は周囲にいないようだったが、家に帰ってぼんやりしていると、忘れた頃に外から響くのだ。
H・C・アンデルセンとヘンリエッテ・ウルフの友情 - 燃え盛る炎にも、逆巻く海にも、隔てられない場所で
アンデルセンはアメリカに行かなかった。1858年、ニューヨークへ渡るはずだった親友・ヘンリエッテの乗っていた蒸気船が大西洋で炎上し、乗客の大半が命を落としたことをきっかけに、恐怖をおぼえた彼はコツコツと練っていたアメリカ旅行の構想を全て反故にする。同年10月、アンデルセンは亡きヘンリエッテに追悼詩を捧げた。
大人になった私は、幼少期の脳裏に描いていた「ふつう」の人生も、あるとき憧れていた神話や伝説の人物のような、理想の人生も送っていない。必要に応じて必要なことをし、取り組めるときに好きなことをしている。……そもそもこの世界では、大人、をどのように定義できるだろう。単純に社会的な意味、ある共同体が定める成人年齢を迎えているという意味であれば、私もそれに当てはまる。心情的にどれほど抵抗感を抱いていたとしても、社会の集団は自分を大人であるとみなし、そのように扱う。
東京都は豊島区、巣鴨にある「とげぬき地蔵」。この名前をすっかり忘れてしまい、どうしてもどうしても思い出すことができなかったのだが、記憶の中の丘にはそれが「何か先端が鋭いもの、尖ったもの」に関係しているのだという確信だけが碑のようにそびえていた。おそらく、「とげぬき」の「とげ」から連想された要素だったのだろう、と思う。とげはちくちくするものだから。
鮨喫茶すすす - 薔薇庭園を通って神奈川近代文学館、喫茶室まで|横浜市・中区山手町
神奈川近代文学館の喫茶室として、2023年4月20日から新しいお店がオープンしたと聞いた。お知らせを読むと店名は「鮨喫茶すすす」というらしい。鮨(すし)喫茶……つまり、文学館内で「おすし」が食べられる、ということ……!? さっそくメニューの紙に視線を落とすと、まずは「文学作品から着想を得たお鮨」が2品、視界に入った。
圧倒的な「『無意味』という虚無のベーグル」を調理する方法は? - 映画《エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス》他
友達にすすめられて、ダニエル・クワンとダニエル・シャイナートが監督を務めた映画「エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス(Everything Everywhere All at Once)」を観てきた。略してエブエブと呼ばれている。同時に、その直前に手に取っていた本「ほの暗い永久から出でて 生と死を巡る対話」の内容と映画には自分の中で重なる部分がいくらかあると思い、帰ってきてからあれこれ考えた。
落ち着いたうす緑色のソファと、深緑色のテーブルが、店名の通り「田園」のある風景と共に桑の葉が茂る様子を思い起こさせた。蚕は桑を食む。七十二候のうち、夏の項目の中にも「蚕起食桑 (かいこおきてくわをはむ)」がある。5月の21日頃から数日間がそう言われるようになるので、時期はもう近い。目覚めたと思ったら、あっという間に永劫の眠りに落ちる、蚕の一生と私達の一生にはそこまで大きな差異があるだろうか。気が遠くなるほど長く紡がれてきた万象の歴史、すべてを俯瞰する観点からすれば、瞬く間に生まれては消えてしまうという点でどちらも変わらないものである。
百合といって、根ではなく花の方から真っ先に連想させられるものといえば、私にとっては夏目漱石の小説《夢十夜》の第一夜に登場する一文かもしれない。作中の「自分」によって、「真白な百合」が「鼻の先で骨に徹(こた)えるほど匂った。」と述べられる部分。骨にこたえるほど……。
紹介されました:東駒形の喫茶店「フローラ」さんを訪問した記事、店頭にて
ゲームをプレイしてその聖地巡礼に赴き、舞台の墨田区で巡り合った喫茶店の建物と、そこに集う人も含めた場の雰囲気にすっかり惚れ込んでしまったので、ブログに記録をつけた。実際に伺ったお話の詳細を回想しながら、写真も添付して。そうしたら該当記事を検索から発見してもらえただけでなく、驚いたことに記事全体を印刷&ファイリングまでしていただけたようで、現在では店頭で読めるようになっている。
「ブログリーダー」を活用して、千野さんをフォローしませんか?
友達のひとりにSnow Manの熱心なファンがいる。なかでも目黒蓮さんがとても好きらしく、それなら絶対にお土産を買って行かなければ……! と私は胸に誓っていた。なぜなら彼が午後ティーのCMで訪れた場所にはスリランカのヌワラエリヤが含まれ、【午後の紅茶「紅茶の聖地」篇 60秒】を視聴してペドロ茶園を訪れていたと判明したから。
物語の比較研究は「こんな遠く離れた場所にも共通点を持つものが……!」という驚きをいつも与えてくれるので楽しい。もちろんこの視点に拘泥しすぎると見えなくなる箇所が多くあり、学生時代に講師から指摘された文化への眼差しを念頭に置きつつ、ここではその話はしない。今回は特にマケドニアのおはなし〈テンテリナとおおかみ〉の終盤にも "(逃走時に)背後へ投げた粘土が沼地に、くしがいばらの藪に、石鹸が高い山になる" ……という描写があると知れて面白かった。民話〈三枚のお札〉や、『古事記』ではイザナギの逃走時にもみられるその展開を。
2024年6月~12月までのおおよそ半年間で触れる機会があった紅茶の記録。各種フレーバードやブレンドを除く、単一農園(シングルオリジン)の感想を格納します。当時から各種SNSに残しておいた写真をこちらにも。
キャンディ中心部にある古い、英国植民地時代に建てられたコロニアルスタイルの宿泊施設はクイーンズホテルという。個人的に好きな「偽物の自然」の風情ある人工池の周辺を歩き回っていると大通り沿いに見えてきて、外壁が白く、規模も大きいのでよく目立った。有名なエサラ・ペラヘラ祭の時期などは特に予約で溢れ、行列が見える部屋の値段も高騰するのだろう。
以下の文章は2023年1月15日発行、大阪大学感傷マゾ研究会様の会誌『青春ヘラver.6 〈情緒終末旅行〉』に寄稿したものです。 個人ブログでの公開が可能と告知されましたのでこちらに掲載いたします。 《白昼の歓楽街、取り残された街》 特定の種類の場所に旅行で赴くと、必ず、脳裏に浮かぶ出来事がある。 「おい、ハチがいるぞ」 後部座席の方から低い声が発され、陽が落ちた田舎道を走る路線バスの車内に、困惑の一点が落とされた。 「ハチがいる」 二回目。今度はさっきよりも、明瞭に響く声量で。 バスの乗客たちが、にわかに緊迫した空気を醸し出す。どこか危機感のにじむ、擦り切れた畳の表面のように、ささくれ立った…
何の変哲もない飛行機内の紅茶から、すでに旅への期待が高まっていく。いわゆるコロナ禍の影響をずっと受けていたため、国外へ足を運ぶのすら数年ぶり、という驚きがある。それでもだんだん思い出してきた。こうした旅は、たとえ頻繁でなくても、確かに自分の日常と人生の一部であったことを。願わくは、今後もそのようにあれますよう。
今回、食事と入浴を合わせた3時間滞在のプランで利用したのは、明治35(1902)年創業の元湯玉川館。現代ではドラマ『相棒』の撮影で使われたり、過去には漫画『のらくろ』の著者である田河水泡や童謡『夕焼小焼』の作詞を行った中村雨紅が逗留していたりと、時代を超えて多くの人々に親しまれている旅館のよう。
しばらく前からこちらの方と一緒に暮らしています。関節部分が球体で、透き通るような美しい瞳は着脱可能な頭部のつくり。黒いドレスとヘッドドレスを本体とは別途で購入しました。合わせようと思ってもあまり目が合わないところが最大の魅力で、まさしく「ここ」ではなく、より洗練された世界の方をいつも眺めているのだろうと感じさせる表情には畏敬の念を抱くしかありません。
ハーディング作品で最初に手に取ったのは『カッコーの歌』だった。英国幻想文学大賞受賞、そしてカーネギー賞の最終候補作。あらすじに惹かれたのか、表紙が印象に残ったのか……もう覚えていないけれど、とにかく仕事帰りに書店で購入していて、しばらく本棚で寝かせていた。そうしたらBlueskyのフォロワーさんが感想を呟いており、内容に心を掴まれたのですぐ読み始めることにしたのだった。結果、本当に好きな物語であったので本当に嬉しい。世界から弾かれた者たちを見つめ、慈しむ眼差しがあり、さらにまぎれもなく児童書の系譜に属する要素を持ったおはなし。
カルデスとペルシールの間に戦が起こった。放っておけば、美しき山々と魔法学院を擁する土地ショームナルド……山羊飼いやさすらい人たちの憩いの地も、間違いなく巻き込まれる戦だった。それを止めるため、通常であれば力のバランスを保つため人界にはかかわらない魔法使いの長老、アトリックス・ウルフはカルデスの陣地に赴いた。自ら王を説得するために。しかし彼の訴えはカルデス公から退けられる。ただ何かを得るための争いを正当だと思っている王に、それがどれほどの惨禍を生むのか説く、アトリックスの言葉は全く通じない。どころか「我々に手を貸してくれればショームナルドを荒らしはしない」と持ち掛けてきた王に対し、老魔法使いの怒りは爆発する。結果、雪の中に「闇の乗り手」が現れた。
// 前回「卵」の続き 風邪をひき始めた予感がする。普通の症状とは異なる頭痛がしていて、けれど発熱はない。 寝入りばなに私は特定の夢のことを思い出す。ビルの隅に産みつけられていた鳩の卵を見て思い出した、夢。それは、自分がかなり胴の太い大きな大きな蛇になって、ゆっくり鳥の卵を飲みこむというものだった。 世界には卵から生まれてくるものが無数にある中で、どうしてそれが鳥だと限定されているのかは分からない。けれど、鳥でなくてはならなかった。 夢のその卵には温かさがない。殻の内側にやがて雛となる材料を蓄えているとは思えないくらいに、重く、冷たい。土や石でできているみたいに。蛇は、巣の中にふたつ並んでいる…
2024年6月までのおおよそ半年間で触れる機会があった青茶や緑茶など、中国および台湾で産出されるお茶や、緑茶をベースに香りが付けられたフレーバードティーおよびハーブティーの記録。当時から各種SNSに残しておいた写真をこちらにも。紅茶以上に初心者の分野なので、手探りしながら道を進みつつ、またこれから新しいお茶に出会うのが楽しみ。
①に引き続き、こちらは第2弾。各種フレーバードティーや、色々な販売元が取り扱っているブレンド系の紅茶の感想を格納します。緑茶ベースのものは含まれませんので次回記事の更新をお待ちください……。当時から各種SNSに残しておいた写真をこちらにも掲載。
2024年6月までのおおよそ半年間で触れる機会があった紅茶の記録。各種フレーバードやブレンドを除く、単一農園(シングルオリジン)の感想を格納します。当時から各種SNSに残しておいた写真をこちらにも。振り返ってみると意外にもブレンド系を多く飲んでいたようで、本当に単一茶園の葉のみで構成されているものは少なめ。今後も引き続き、また徐々に手を伸ばしていければ、と思います。
ヘッセの『デミアン』が本棚にあるはずだと思ってしばらく探し、見つけられず、そんなはずはないと念のためkindleを確認したら電子版で持っていた。実際に紙で所持している同著者の作品は『車輪の下』と『シッダールタ』で、それらと混同していたらしい。卵に関して言及された部分を引用したかったのは、外で実際に卵を見つけたから。さほど大きくはない鳥の卵。巣の中に、ふたつ。場所は外出先のビルの一角であった。
もう絵を描く機会などあるまい。全くそういう気持ちになれないし、根本的に自分の生み出したものが好きになれない、とぼんやり思い、その話題から目を逸らし続けてかれこれ6年が経っていた。けれど今、私はああでもないこうでもないと言いながら鉛筆や筆を持ち、思い描いた像が画面上に実現しないと四苦八苦している。実のところ半年ほど前から。早朝や、会社から帰った後の余暇や、深夜や、休日の昼間などに。つまりはまた、絵を描き始めたということだ。
// JR高知駅に着いて、事前にメモしてあった店名のひとつを目指した。そこまでだいたい徒歩10分程度の距離らしい。 いわゆる純喫茶はこの駅の南側だと、はりまや橋停留所やその東西に多く集まっているようで、あまり足を動かしたくない人の場合はとさでんの路面電車を利用するのが便利なようだった。 私はとりあえず歩いてみる。南東の方に進むと江ノ口川が走り、平成橋を渡り切ったら右手の方角に「アンティック喫茶 ともしび」がある。 大きめの看板がビルの壁面に掲げてあるのでわかりやすい。 ドアを開くとカラカラ高い金属音が鳴る。入口のところから見える以上に店内は広くて、カウンターの他にソファが向かい合う席が複数あり…
昨年の中盤……特に夏の終わり頃から少しばかり調子を崩していて、生きるのが苦しく、心身の余力を温存するためにできるだけ引きこもり気味に過ごしていた。そうしたら、かなり快適だったはずなのにとても寂しくなってしまった。自分でもびっくりした。何にも邪魔されない場所で静かに過ごしていたいのに、それにもしばらくしたら飽きてやめたくなるなんて、贅沢だ。それでもこれが己の性格なのだからどうしようもなく、考えた末に他人に構ってもらう機会を2023年の終盤にかけては増やした。手当たり次第、既知のつながりのある人と連絡を取るようにしていた気がする。あとは外出先で初めて遭遇した誰かにも、あまり内向的にならずに話しかけてみた。結果、本当に満足のいく日々を過ごすことができて、無事に2024年の元旦を迎えられたので感謝するしかない。
でんわ☎でんわ 楕円形の看板を一瞥して中に入る。日曜日の午後1時、店主氏がひとり、カウンターにもお客さんがひとり、とても静かだった。段差を下りるとボックス状の席が点々とある。4つあるうち埋まっているのはこれまたひとつ。窓際に着席して鞄と上着を置けば、メニューがやってきた。どの喫茶店でも見られるような一通りの飲み物が揃っていて……悩み、今日は泡立つ海を飲もうと決めて片手を挙げた。ソーダ水にしよう。店主がカウンターの向こうに戻ってしばらくすると、プシュ、とボトルを開ける音が響く。あれが炭酸水だと想像して目を瞑る。浜に打ち寄せる波の泡を思わせる液体がグラスに注がれるとき、何色の、そしてどんな風味のシロップが、どのくらいの分量そこへ一緒に注がれるのか。店によって結果が大きく違う難問に頭を悩ませた。
ページを開いて眼で文字をひとつひとつ飲みこみ、噛み砕き、頭の中である一幅の画を織り上げているあいだ……実際の身体の周囲にある音も、色も、暑さも寒さすらも消え失せる瞬間が確かに訪れる。それを称して「本には魔力が宿る」と比喩されるのだが、図書館のそばで拾われた孤児で、今は書記として働くネペンテスが捕らえられた魔力というのは、実は単なる例えとは種類を異にする、ある特定の魔法らしかった。茨のような形をした、文字。綴られているのは、かつて世界を征服したとされる伝説上の人物「アクシスとケイン」の物語。
ヘッセの『デミアン』が本棚にあるはずだと思ってしばらく探し、見つけられず、そんなはずはないと念のためkindleを確認したら電子版で持っていた。実際に紙で所持している同著者の作品は『車輪の下』と『シッダールタ』で、それらと混同していたらしい。卵に関して言及された部分を引用したかったのは、外で実際に卵を見つけたから。さほど大きくはない鳥の卵。巣の中に、ふたつ。場所は外出先のビルの一角であった。
もう絵を描く機会などあるまい。全くそういう気持ちになれないし、根本的に自分の生み出したものが好きになれない、とぼんやり思い、その話題から目を逸らし続けてかれこれ6年が経っていた。けれど今、私はああでもないこうでもないと言いながら鉛筆や筆を持ち、思い描いた像が画面上に実現しないと四苦八苦している。実のところ半年ほど前から。早朝や、会社から帰った後の余暇や、深夜や、休日の昼間などに。つまりはまた、絵を描き始めたということだ。
// JR高知駅に着いて、事前にメモしてあった店名のひとつを目指した。そこまでだいたい徒歩10分程度の距離らしい。 いわゆる純喫茶はこの駅の南側だと、はりまや橋停留所やその東西に多く集まっているようで、あまり足を動かしたくない人の場合はとさでんの路面電車を利用するのが便利なようだった。 私はとりあえず歩いてみる。南東の方に進むと江ノ口川が走り、平成橋を渡り切ったら右手の方角に「アンティック喫茶 ともしび」がある。 大きめの看板がビルの壁面に掲げてあるのでわかりやすい。 ドアを開くとカラカラ高い金属音が鳴る。入口のところから見える以上に店内は広くて、カウンターの他にソファが向かい合う席が複数あり…