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躁鬱の会社員です。お散歩と旅行と読書、思考の記録など。

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千野
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2022/01/28

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  • 帰省をはじめとする世間の年末年始文化

    帰省というもの、大晦日の挨拶、年賀状の歴史など。 ◇ ◇ ◇ 高校時代にいわゆる満員電車で通学していた記憶はかなりの悪夢として若年期の記憶に刻まれており、その影響もあるのか、ラッシュという言葉(もちろん、入浴剤や化粧品を販売している会社の名前ではない)を聞くと反射的に神経の糸が張り詰める。糸が弦になり、なんともいえない不安を煽る感じの音が鳴る。だから年末年始に「帰省ラッシュ」と世間の混雑状況が話題にのぼるとき、まっさきに考えるのはそれをいかにして回避するか、だった。だから縁遠い。単純に駅でも空港でも、混んでいるところや混みそうなところには基本的に行かない。まぁ大きな楽しみとか……何らかの見返りがない限りは。

  • 【文学聖地&近代遺産】ごく個人的な物語を往来するための巡礼記録:2022年

    これまで1度も歩いたことのなかった土地の数々へ、2022年も足を運んだ。「足を運んだ」というよりか「足を使って自分の身体をせっせと遠方へ運んだ」とも表現できる。各種公共交通機関や、乗用車の力を借りながら。まぁ別にどちらでも意味は変わらない。いつもの虚無感はそのまま、でも、知的好奇心を満たせるように動けたのは有意義だった。いわば巡礼の記録。広義の推し活。

  • 深川駅のウロコダンゴ - 国鉄留萠線(留萌本線)の開通を記念し、大正2(1913)年から売られている和菓子|北海道一人旅・深川編

    外箱を裏返してこのお菓子の来歴を読んだ。どうやら、明治に開通した留萌(るもい)線がウロコダンゴの誕生する契機となったらしい。残念ながら赤字により、今後2023年から2026年にかけての段階的な廃線が決定している留萌本線だが、その始まりは明治43(1910)年の頃。現在の留萌本線と同じく、この深川駅を起点として、北西の果ての留萌まで鉄道が引かれていた。当時の漢字表記は「留萠線」。

  • 恩田陸「私の家では何も起こらない」古の聖なる丘のその上に|ほぼ500文字の感想

    先史時代からあるらしい丘の上に建つ、2階建ての館。この物語に登場した。そこで、土地に蓄積された過去の全ての記憶がデジャ・ビュとして現れ、「幽霊」に似た姿で観測される現象。聖地か墓地か不明だが、とにかく特別な場所だったのだろう、と作中で語られる丘の描写から私が連想したのは、先日訪れた青森県の小牧野遺跡だった。大規模な工事で作られた丘の上に、縄文時代の環状列石が残っている。偶然にも小説の著者の恩田陸は青森生まれの作家である。

  • ウクラン ポロンノ ウパシ アシ(ukuran poronno upas as)

    2022年12月中旬、15日からだいたい1週間程度の期間。この時期には珍しい、異例の寒波と大雪に見舞われていたのが北海道南部の函館だった。現地は通常なら師走半ばの降雪量が少ないとされる地域で、それにもかかわらず、平年の3倍を超えるほどの積雪が観測された。函館における異常な雪は、動きの遅い低気圧や、西高東低の冬型気圧配置、風の向き、いろいろな要因で引き起こされる可能性のある天候らしい。珍しいが、過去の記録を見てみると、実はここでの大雪観測記録は12月に集中しているのだと分かった。

  • 吸血鬼の館 - 東京都・台東区

    あるとき東京上野を適当に散策していて、それは面白い洋館の前を通りかかった。黒っぽい下見板張りの外壁、欄干がある古風な上げ下げ窓の白く塗られた窓枠、破風のところにあるもうひとつの気になる窓。屋根裏部屋でもあるのだろうか。そして入口上部、まるで林檎のように赤く魅惑的なランプ。夕方にこんなものがぼんやり点灯していたら蛾のごとく引き寄せられてしまう。

  • 赤屋根の「駅舎」- かつて太宰治も訪れた鉄道駅の建物、現在はレトロな喫茶店|青森県・五所川原市

    津軽五所川原から津軽中里までは、乗用車以外の貴重な移動手段として、津軽鉄道線が走っている。その芦野公園の駅舎に、昭和5(1930)年開業当時から残る貴重な建物が今でも使われているのだった。2014(平成26)年12月には国の有形文化財にも登録されるに至る。昭和19年、執筆のために改めて自身の出身地(金木)に近いこの土地を訪れた太宰治も、後の作品「津軽」の中で芦野公園駅に言及していた。「東京・上野の駅員が青森の芦野公園駅を知らず、30分ほど調べさせた末、金木町長がようやく切符を買えた」という逸話の紹介とともに……。

  • 【宿泊記録】潮と湯の香る浅虫温泉、辰巳館 - 半宵に星の流れる音を聞く|青森県・青森市

    浅虫温泉で泊まっていた旅館が、辰巳館。夕闇に輪郭を溶かす姿は、まるで海の生き物が住んでいるお城みたいだった。字の書かれた看板だけがあやしく魅力的に光って。また不思議と、払暁を迎えてから明るい場所で眺めてみても、同じようにそういう印象を抱く。要因は屋根の色だと思った。例えば私にとって赤銅寄りの赤や茶は、海と海辺の町を強く連想させる色彩で、一般に連想される青でも灰でもなかった。きっと水底にお城があるなら屋根はこの色に違いない。ちなみに、水中の深い場所へ行くほど、赤は視認しにくくなる。

  • 西行法師の人造人間と反魂の秘術

    西行は平安時代末期に生まれて鎌倉時代後期に没した武士、かつ著名な歌人であり、出家してからは僧侶でもあった。彼が親しかった友との別れを嘆いていたとき、偶然にも「鬼が人間の骨を集めて人を造った」旨の噂を耳にし、それで自分も真似をしてみたのだとか。人造人間を制作する方法は当然ながら奇怪なものだった。死人の骨を基礎として、砒霜という薬を塗ったり、藤の若葉の糸で骨をからげて洗ったり、色々な植物の葉を揉みこんだり灰にしてつけたり。その締めくくりが沈と香を焚く「反魂の秘術」だった。

  • ひるまの電飾がたたえた光は不自然で妖しい|イングランド北部・リーズ (Leeds)

    曇った空の下では、ものの姿が必要以上に強調されて、やけに「はっきり」と見える。色も形も。単純な光量の点では、雲が太陽を隠していない時よりも劣るはずなのに、ずっと明瞭に。とても不思議なことだった。暗闇とまた、全然違う。誤解を招くのを承知で言えば、よく見える、という意味においてのみ、たぶん鮮やかになるのだ。いろいろなものが。曇天それ自体に対して抱く印象とは、ほとんど反対に。だから曇りの日に外を出歩くのが苦手なのかもしれない。別段求めていないところまで、事物の表面が見え過ぎる点で。

  • ぼんやり米粒の骨を思った - 末廣酒造と蔵喫茶「杏」|会津若松・福島県

    実際の酒蔵で、本醸造酒と吟醸酒、大吟醸酒の違いについてなど、きちんと解説を聞いたのは初めてだった。これらは製法の他、精米歩合……という「磨き」の割合で呼称が定められている。特に大吟醸酒ともなると、場合により、それが40%以下になることもあるのだとか。40%以下だと要するに、元の形から6割以上が削られている状態を意味する。そんな風に磨かれて、表面がどこまでも平滑になった米粒を見せられたとき、なんとなく何かの骨を連想した。

  • 【万年筆インク】明治のいろ《新橋色》&大正浪漫《ノスタルジックハニー》|文房具で近代に思いを馳せる

    あるとき、好きな「近代の文化」を題材にしたインクが世の中にはあると知ってしまった。ブログに上のようなカテゴリーを設けている部分からも分かるように、私は明治・大正期の洋館をはじめとした建築物を訪問したり、近代化産業遺産が生まれた背景や、それらに関係する文化を調べたりするのが趣味の一環だった。

  • 山形日帰り一人旅(3) 夏は蒸し暑く、澄んだ緑の山寺 - 宝珠山立石寺

    山形県の宝珠山立石寺、通称「山寺」。これは蜃気楼みたいに細部が曖昧な姿をとり、過去の体験の主役ではなく背景として、自分の記憶に残っている。面白いことに、現地で邂逅した山寺の存在自体も、当時の私にとっては蜃気楼によく似たものだったと言える。訝しげに理由を問われれば、「見えているのに一向に辿り着けないところ」……だと返すほかない。文字通りに、そうだったから。

  • 皆、単純に忙しい、という事実 - 選ぶことと選ばれること

    成人したり、働き始めたりしてから新しく人と友達になるのは難しいと一般に言われる理由について、実際に成人してから親しくなった友達と話しながら考えていた。みんな、いつも自分のことで忙しい。あるいは「他の何かのために動く自分」のことで、忙しくしている。そういう世界に生きていると、たとえ名前が付けられなくても、誰かにとって大切な存在であれることは、価値という言葉では語れないほど奇跡じみていると思う。すなわち誰かの心の中の、重要な位置を自分が占める……ということ。もしかするとそこに元からあったかもしれないものを、自覚的に、あるいは無自覚のうちにも押しのけて。

  • 旅は「いつか静かにまどろむ時のため」だと認識した瞬間

    あとで回想をするために外に出る……というのは、要するにいちど触れたもの・見たこと・聞いたことを、その先いつになっても好きなときに脳裏へ呼び出せるようにする行為の基礎部分。記憶が薄れても、記録が消えない限りは細部を補足して、幻想のように喚起できる。映写機になれる。ただ、元より知らないものは目の前に顕現できないから、材料がいるのだ。色も、音も、味も、匂いも……1度は知らなければわからない。それが実際の体験により得られるから、体験としての旅行をする動機が、この材料集め。

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