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躁鬱の会社員です。お散歩と旅行と読書、思考の記録など。

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千野
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2022/01/28

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  • デイルマーク王国史4部作〈1〉Cart and Cwidder 感想|ダイアナ・ウィン・ジョーンズ作品 - イギリス文学

    ダイアナ・ウィン・ジョーンズ著《Dalemark Quartet》4部作。先日、その第1巻である〈Cart and Cwidder (1975)〉の原著、電子版を買って読んだ。過去に創元推理文庫から「デイルマーク王国史」として日本語訳が刊行されていたのだが、残念ながら現在は絶版で手に入らなかったので。この巻は田村美佐子氏によって「詩人(うたびと)たちの旅」と翻訳されている。デイルマークにおける詩人(singer)とは、馬に引かせた荷車に乗って各領地を渡り歩く、吟遊詩人の呼称だった。

  • 小野不由美「緑の我が家 Home, Green Home」家という空間に入り込んでくるもの|ほぼ500文字の感想

    かつてはある種の聖域のようであったが、もはや安全の象徴ではなくなった、家という場所。それは18世紀、エティエンヌ・ロベールソンが幻灯機 [ラテルナ・マギカ] を用いて行った公演の、広告に書かれた文言を思わせる。彼は持ち運べる機械で室内の壁に亡霊(主に故人となった政界の著名人など)の姿を映し出すパフォーマンスを行っていた。まさに、幽霊は「いついかなるときにも、誰の家にも」現れるようになったのだ。しかし、それは機械によって壁に映し出される像の話。小説「緑の我が家」の中で切実に家を求める少年、浩志にとって、彼の現実に侵入しそれを脅かす存在は幻などではありえない。

  • 《落下の王国 / The Fall (2006)》- 録画して何度も鑑賞している映画

    2020年12月8日に地上波の番組「映画天国」内で放送された、落下の王国(2006)。原題はThe Fallといい、ターセム・シン氏を監督に据えて制作された、インド・イギリス・アメリカの合作映画だ。 これを放映時に録画して以来、休みの日になると飽かずに繰り返し鑑賞している。何度みてもよい。石岡瑛子氏の手がけたすばらしい衣装デザイン、CGではなく実際にふさわしいロケ地を探し出して画面に収めた労力、構図に演出など、落下の王国の「映像美」や「芸術性」を賞賛する紹介文が巷には溢れている。私の通っていた高校の、造形概論の授業でも取り上げられていた。使用されていた音楽の数々も耳に残り、特にベートーヴェンの「交響曲 第7番 イ長調 作品92/第2楽章」は、しばらく頭から離れなくなるだろう。そんな上記の点も卓越していて印象的だったのだが、個人的には全編をまっすぐに貫く純度の高いストーリーにこそ心を打たれたし、メインの登場人物2人が交わす眼差しの温度が終盤にかけて徐々に変わっていくのを見守っていると涙が止まらない。とても美しい映画なのだ。決して、その視覚的な美のみにとどまらず。

  • 【宿泊記録】街道を往く旅人の幻影と馬籠宿、但馬屋 - 囲炉裏がある明治30年築の建物|岐阜県・中津川市

    入ってすぐに迎えられるのが囲炉裏のある場所で、受付の脇には昔の電話、奥の壁の方には振り子のついた時計も掛けられていた。ここは明治28年の大火のあと、同30年に再建された建物。床板も柱も、壁も、うすく茶色い飴を刷いたみたいに艶があった。光っているのに、眩しいような感じがしない。不思議な落ち着きがある。日々の煙で燻され、加えて人の手で丁寧に磨かれ、そうして時代を重ねてきた故の深みなのだとこの日の道中で教えてもらったのを思い出す。

  • ジャック・ロンドン「白い牙 (White Fang)」環境は性格に影響する、認めたくなくても|ほぼ500文字の感想

    環境によって生物の性格が形成されることに、反感のような念を抱いていた時期があったのを思い出した。例えば「あんな風に育ったのは周りが良くなかった」という言説が、とても嫌いだったのだ。そのものが持っているはずの本性、また本質、とでも呼べる何かの存在を、ずいぶん信捧していた気がする……高潔なものはいつ、いかなるときでも高潔で、その反対も然り……と、信じたかったのかもしれない。今はもう、そう考えてはいない。

  • 冬、早朝の格技場の床はとても冷たい

    // 寒い時期に朝、目を覚ますと、掛け布団に覆われていない首から上が冷え切っている。 耳とか、鼻とか、とにかく顔の周辺だけが柔らかな石のように冷たい。これから向かう学校の、美術室に置いてあるゲーテの石膏デスマスクをぼんやり脳裏に浮かべた。思慮深そうで、どこかしょんぼりしているような印象も受ける、あの死に顔を。 厚いカーテンを引き開けてみても部屋の暗さは変わらない。深夜ではなく、早朝に見る街灯の光は、もう間もなく消えると分かっているものだから殊更に寂しい気もした。 夜が明けてしまうのは寂しい。昔はあまり、そう考えてはいなかったけれど。 中学生時代、剣道部に所属していた。 もともと、小学4年生から…

  • 「夏目漱石が "I love you" を『月が綺麗ですね』と訳した」という伝説には典拠となるものがない - 曖昧なまま広まらないでほしい文豪エピソード

    「夏目漱石が、英語における "I love you" を『月が綺麗ですね』と日本語に訳した」という言説には、出典がない。現時点でどこにも見つかっていない。どこにも証拠がない事柄を、さも「真実」であるかのように吹聴するのは、果たしてよいことだろうか。私は漱石先生とその作品が好きな側の人間であり、ことの真偽がどうでもいいとは欠片も思わないため、いい加減にしてくださいと言いたくなる場面が多々ある。

  • ベンの家(旧フェレ邸)- 家、は身近にある最も奇妙な博物館|神戸北野異人館 日帰り一人旅

    寒冷な土地に行くほどそこに住む恒温動物の体が大きくなる傾向、ベルクマンの法則と、餌の豊富な熱帯地方でのびのび育った色鮮やかな虫たちのことなど、いまいち方向性の定まらない考え事をしながら眠ったら、あるときとんでもなく奇怪な夢を見てしまった。その内容自体は憶えていないのに、妙にはっきりした「奇怪だった」という感想だけが何日か経っても胸に残っている。印象だけを取り上げればこの邸宅内部の展示物がまさにそういう雰囲気で、剝製という、もとは生物だったものがずらりと並んでいる異様さの他、脈絡があるようでないような展示の形態が上の夢と似ている気もした。

  • 辻仁成「海峡の光」と青函連絡船|ほぼ500文字の感想

    昔、青函連絡船として運行していた八甲田丸。青森旅行の際、現在はメモリアルシップとして保存されているその船内を見学することができたので、小説「海峡の光」を読み返した。作中では、八甲田丸と同じ連絡船だった羊蹄丸の様子が、連絡船すべての終航の象徴として描かれていた。

  • ラインの館(旧ドレウェル邸)- 燐寸の火と硝子の向こうの家|神戸北野異人館 日帰り一人旅

    ブレーメンを目指した動物達のうち、ロバが覗き込んだ強盗の家を思い出す。外と内の差異を、他の時期よりもずっと強く意識する。冬はとても寒いので。自分がヨーロッパの隅で過ごした幾度かのクリスマスも脳裏に浮かんだ。だいたいは家族のいる場所に帰ってその夜を過ごすのが習わしだから、人が出払ってがらんとした寮は実に静かなものだった。自分以外にも残っている何人かの学生と集まって、食べるものを作ったり、談話室で映画を鑑賞したりしたのは面白い時間だった。

  • 新幹線に紐付けられたお弁当とお酒|ほぼ500文字の回想

    先日に秋田新幹線の車内で食べたのは、大館の株式会社 花膳が提供している弁当『鶏めし』。お酒は由利本荘、齋彌酒造店が製造元の『雪の茅舎 奥伝山廃』だった。マストドン(Masodon)に掲載した文章です。

  • 英国館(旧フデセック邸)- 気狂い茶会、言葉遊びと単なる徘徊|神戸北野異人館 日帰り一人旅

    大きなお屋敷の脇や裏を通る細い道では、きちんと黒猫の気持ちになって歩くのが通行の際のルール。背筋を伸ばし、心持ち爪先の方に体重をかけて、できるだけ軽やかに……まがりなりにも黒猫なのだから、決してよろめいたりはしないものだ。たとえ途中で、小さな階段をいくつか上り下りしなければならなかったとしても。道の舗装が甘くても。坂の上からラインの館の横を通り抜けると、おそらくこの界隈で最も行き交う人間の数が多い道路に出る。山麓線、北野通り。向かいの集合住宅だった洋館長屋(仏蘭西館)の横に、クリーム色の壁をした英国館(旧フデセック邸)が建っていて、首を伸ばしながら近付くと開け放たれたままにしてある扉が目に入った。入館料を払う。

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