chevron_left

メインカテゴリーを選択しなおす

cancel
chinorandom https://www.chinorandom.com/

躁鬱の会社員です。お散歩と旅行と読書、思考の記録など。

実績・寄稿記事一覧: https://www.chinorandom.com/archive/category/%E5%A4%96%E9%83%A8%E5%AF%84%E7%A8%BF%E8%A8%98%E4%BA%8B

千野
フォロー
住所
未設定
出身
未設定
ブログ村参加

2022/01/28

arrow_drop_down
  • 緑色のミルクセーキ、甘いコーヒー、氷入りのオレンジエード:D・W・ジョーンズ《九年目の魔法 (Fire and Hemlock)》

    物語の中には単に美味しそうなだけではなく、妙に気になる、あるいは場面や状況も含めて印象的に描かれた食べ物や飲み物がよくある。周囲からすすめられて原著と日本語訳両方を手に取った、ダイアナ・ウィン・ジョーンズの小説「九年目の魔法(Fire and Hemlock)」にも、数々の心に残る飲食物が登場していた。刻々と近付く万聖節の、あるいはケルトのサウィン(万霊節)の前夜祭であるハロウィーンは「こちらの世界」と「向こうの世界」を繋ぐ門が開く日だと言われている。

  • 綺麗なガラスのドアノブは、なぜ20世紀前半に多く製造されたのか|大正~昭和初期の建築内で宝石採掘

    飴玉。氷。寒天。それらに似ていて食欲をそそる、異常に美味しそうなもの。食欲というか「触欲」かもしれない。触りたくもなるので。国内に残る大正~昭和初期に建てられた邸宅などの建築物を巡っていて、ときどき出会うガラスのドアノブは、だいたい透明だった。その形状は多様だが、宝石のカットに例えるとファセットが6か、8か、12の切子面になっていたり、オーバルのように角がなくなめらかな円形か楕円形をしていたりするものもある。前者が多く、後者は結構稀な気がした。

  • 姿をくらます主体《円環の廃墟》J・L・ボルヘス、合わせ鏡の無限回廊《木乃伊》中島敦|小説メモ

    最近ボルヘスの「円環の廃墟」を読み返したら、去年に上のブログに感想を書いた、中島敦の「木乃伊」を思い出した。共通点を感じたのは、連綿と続く何かと対峙したときに覚える閉塞感。卵が鶏になり、その鶏が生んだ卵がまた鶏になり卵を産んで、その卵もまた鶏になる、無限の連鎖。最初にあったのが本当に卵なのか、実は明らかではない。どこが始まりであって、どの地点が終わりになるのか。そもそも起源と終焉という概念はそこに存在しうるのだろうか?分からない。途方もない、自分の持つ時間や意識の感覚を超越するものの前に立って感じる、奇妙な空虚さ……。

  • 「自己肯定感至上主義」には馴染めない(なぜ、自分をわざわざ肯定しなければ駄目なのだろう?)

    世間的に支持される考えや言葉には支持されるだけの理由があるはず。だから一応考えておいた方が己のためになりそうだと思いつつ、じっくり突き詰めて考えたが、とりあえず自分とは合わないと判明した。自己肯定感至上主義には馴染めない。そもそも常に前向きであれ、みたいな、誰かや何かにとって都合の良さそうな主張が苦手というのは確実にある。前だけを向いて、真横や背後で起こっている事柄に無頓着な人間は、さぞかし御しやすいことだろう。生憎そうなる予定はない。

  • 宮沢賢治《貝の火》のまんまるのオパール - 音もなく、氷のように燃える宝珠|近代文学と自分の話

    10月の誕生石には2種類あるらしい。トルマリンと、オパール。1990年代後半から2000年にかけて、特にトルマリンの方は「ピンクトルマリン」と色を限定して語られる場合が(なぜか)多かった記憶があり、幼少期はそれが不満だった。あのごく薄い赤紫色が、そこまで好きになれなかったからである。加えてトルマリンが持つ「電気石」の異称はいっそ嫌いだった。当時は電気よりも別の魔法の方が心を躍らせるものだったから。その誕生石のイメージが持つ影響で、10月生まれの人に、と書かれている贈り物の多くがうっすらピンク色を帯びているのは、ひどく退屈な現象でしかなかった。その頃から20年程度の時が流れ、いつのまにか上のような風潮はほとんど忘れられたらしい。私にとってはかなり嬉しいこと。

  • 銀のトレーは「特別」の象徴 喫茶チロル - 名鉄インが目の前のレトロ喫茶店|愛知県・名古屋市

    何年も前のストリートビュー写真では「TOBACCO」となっていた右手の看板が、2022年に行ってみると「切手・印紙」に変わっていた。些細なところで確かな時代の流れを感じさせる。そして、明朝体を少し弄ったような字体がレトロで可愛い。赤と朱の中間みたいな色合いもそう思わせられる要因かもしれない。ひさしに洋瓦風の飾りが並んでいる下、入り口は左側の扉だった。名古屋のチロルという喫茶店。カウンター席の上部に氷砂糖みたいな照明器具が並んで、洋風の椅子は赤色で統一されていて、明るい印象のこぢんまりとした内装だった。

  • F・H・バーネット自伝「わたしの一番よく知っている子ども」英国から米国へ渡った作家の想像力の源泉

    語り手である子どもの視点が巧みに活かされた「小公女」や「秘密の花園」など、国境を越えて愛される名作を生み出した作家、フランシス・イライザ・ホジソン・バーネット。彼女は自分自身を振り返る文章を残している。この、自伝である。自伝、と一口に言っても色々な種類があるように、彼女の自伝にもある大きな特徴があった。副題に書かれた「わたしの一番よく知っている子ども」……原語でもほとんどそのまま "The one I knew the best of all" と表現されている、「その子 (The one)」こそはバーネット本人。この自伝は、彼女が「おぼえている限り最初の記憶」から、あるとき報酬が目的で出版社に送った原稿が採用され、作家としての1歩を踏み出すまでの軌跡を振り返るもの。最も近くでその動向を見守っていた子どもについて、まるで第三者の視点から俯瞰するように、幼少期の思い出が紐解かれていく。

  • 10月9日

    朝、久しぶりに薄手のトレンチコートをハンガーから下ろした時の喜びを思い出す。今は椅子の背中にかけている上着。防寒具があるかぎり、寒さは常に私に味方する。なんて動きやすい季節だろうか。あらゆる魔法が適切にとどこおりなく機能する。狂ったような暑さが鳴りを潜めて、適切に呼吸のできる日がようやくってきた。1年で最も美しいこの時期。10月は完全に私の領域だし、今日、9日は私の誕生日でもあるのだった。

  • 【宿泊記録】ドーミーイン秋田 - 大浴場の内風呂が天然温泉のホテル、無料の夜ラーメン付き|秋田駅

    9月末に初めて訪れた秋田県。1泊2日の短い旅程で、田沢湖周辺散策と秋田市の近代建築見学を目的に、新幹線に乗った。そういえば秋田新幹線は今年で開通25周年を迎えるらしい。水面に落ちた紅葉の葉を連想させる、にじむような赤い色をした車体が印象的だった。これはいわゆる2代目なのだそうだ。鮮やかなE6系「こまち」の外観は、奥山清行氏の監修したデザインによる。秋田では交通の便がある駅から徒歩すぐのホテルに泊まり、ついでに温泉と、現地の郷土料理を簡単に楽しんで帰りたかった。あと、ゆっくりする以外に特別何かしたいことはなかったので、宿泊してみたドーミーイン。選択したプランは朝食付き。

  • 魔神と英雄神、アイヌの伝承の地、神居古潭 (Kamuykotan) - 国鉄時代の旧駅舎は明治の疑洋風建築|北海道一人旅・旭川編

    神居古潭駅は明治34(1901)年、北海道官設鉄道の簡易停車場(貫井停車場)として始まった。数年後に停車場へ、そして明治44(1911)年には一般駅に昇格して、貨物の取り扱いも開始される。やがて昭和44(1969)年9月に営業が終了するまで、無数の機関車がそのプラットフォームに停車し、ふたたび旭川方面や滝川方面へと出発する光景が見られた。現在、プラットフォームの片方は安全上の理由で立ち入りができないが、案内板のある反対側には実際に立つことができ、延々と来ない機関車を待つこともできる。いいや、本当に来ないのかどうかは、朝から晩までここで待ち続けてみないと分からないではないか。無論、人間には乗車ができない車両かもしれないが。

  • 月の女神と羊飼い

    一説によると、美男子エンデュミオーンも羊の群れを飼っていた。ギリシア神話で月の女神に見初められ、人間である彼の有限の命を惜しんだ彼女(あるいは、その嘆願を受けたゼウス)によって、ラトモス山の岩陰で永遠の眠りにつくこととなった人物。手元にある、トマス・ブルフィンチの「ギリシア・ローマ神話 付 インド・北欧神話」(野上弥生子訳)には、こんな記述があった。ちなみに序文は夏目金之助(漱石)のものである。この本文中では、エンデュミオーンに恋した月の女神の名前はアルテミス、ということになっていた。

arrow_drop_down

ブログリーダー」を活用して、千野さんをフォローしませんか?

ハンドル名
千野さん
ブログタイトル
chinorandom
フォロー
chinorandom

にほんブログ村 カテゴリー一覧

商用