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躁鬱の会社員です。お散歩と旅行と読書、思考の記録など。

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千野
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2022/01/28

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  • 中島敦の《狼疾記》- 人生の執拗低音として常に鳴り響く虚無感、不安と「臆病な自尊心」|日本の近代文学

    山中を、1匹の野生のオオカミが全力で疾走している……。足音と激しい息遣いを周囲に響かせて、森の藪の奥を目指し。私が以前「狼疾記」という題名を目にして、すぐ頭に浮かんだのはそんな情景だったが、実際の意味は異なっている。狼疾、の熟語は心が乱れているさまや、ものが乱雑になっている状態をあらわす。また、自らを省みることができない人間を指してそう形容する場合もある。一説には病んだオオカミの振る舞いが由来だとされている(学研漢和大字典)らしい。中島敦の短編「狼疾記」は、それにまつわる孟子の言葉の引用から始まっていた。

  • 珈琲茶論 - クリームソーダとトーストがおいしい駅前のレトロ喫茶店、漫画も読める|山梨県・富士吉田市

    外出先で雨が降っていると、他に目的があっても屋内に留まって何か飲んでいたくなる傾向にある。とりわけ、もう少し時間が経てば晴れそうな気配がするときは。ずっと土砂降りなら早く自宅かホテルに帰りたいし、反対に快晴なら、大抵は歩いて回りたい場所の候補をいくつも持っているが故に。扉を押し開けると左手側に本棚があり、漫画が並んでいた。自由に手に取って読めそうだ。その向かいがカウンター席。

  • 旧旭川偕行社と竹村病院六角堂 - 明治時代の木造擬洋風建築、春光園前|北海道一人旅・旭川編

    この建物は旧旭川偕行社のもの。現在も偕行社という組織は存在するし、設立当時から地続きのものではあるが、第二次世界大戦以前と以後で性質は少々異なっている。「偕行」の語は、中国の古い詩篇「詩経」に登場する一節が由来とされているようだった。旧陸軍第七師団の旭川設営に合わせて、明治35(1901)年に竣工した疑洋風建築。

  • 9月21日(誰もがいて誰もいない、インターネット)

    何か目的のもとに発されている音を、虫たちの側が意図しているようには、人間の側は受け取れない。知らない言語だからだ。音として存在しているものを認識できるので、いるのは判る。おそらくはこうだろうと予想することもできる。少なくとも研究者は仮説を立てるし、それ以外の人間は彼らの説を信じたり、信じなかったりする。しかし虫とまったく同じ意識で虫の声を聞くことは、今のところ誰にもできない。窓の外で音はこんなにもはっきりと聞こえるのに、無数の虫たちが何を言っているのか、明確に把握することはできないのだった。なんだか孤独な感じがした。

  • 妹背牛町郷土館 - 旧村役場のフランス風近代建築、その内部にある約600点の資料|北海道一人旅・妹背牛編(1)

    拠点にしていた旭川駅から妹背牛町まで来たのは、この「郷土館」に寄るためだった。茶色い板張りの壁、なめらかな緑色の屋根、そんな建物の入り口に掲げられているのは校章のような丸いもの。円と星に囲まれた「妹」の字は、妹背牛町をあらわす1文字なのだろう。この辺りだけ、違う時代からそのまま切り取って移した空間が広がっているみたい。雨上がりの虹と同じで眼前に忽然と出現する。角を曲がって佇まいを目にした時は、存在を事前に知ってはいても、意外さに胸が高鳴った。郷土館のほかには、近代の洋風建築やそれを連想させるものは、特に周りには見当たらなかったため。

  • 抽斗の奥から、昔の手帳を取り出して中身を読む

    抽斗の片付けをしていて、異なる段を開けるごとに「手帳」が出てくると気が付いた。手帳。何かを書き込むための冊子であり、高校入学から現在に至るまで、年度ごとに新調しながら私がいつも欠かさず持ち歩いているもの。基本、カレンダーの欄には予定が、自由欄にはそこにおさまらない雑多な事柄が記されている、単なるメモ帳とは少し性質の異なる紙の束。使用後の手帳をひとつところにまとめておく習慣、というよりか取っておく習慣がもともとなかったため、抽斗から出てこなかった年の分は、きっと過去の自分がすでに処分してしまったのだろう。ここ以外の他の場所に仕舞いこんでいるとも思えない。発掘したのは合計で5冊。

  • 焚き火のそばに物語はあった

    小さな火種から炎が徐々に立ち上がり、ゆるやかに(かつ、時にはこちらが考えるよりもずっと速く)縦横に広がって、揺らめく姿。火は半透明に見える。幾重のごく薄い布でできた、衣服にも。それに包まれて燃える薪が小さく爆ぜる音。生まれる高い温度と、煙の匂い。私が焚き火に惹かれるようになったのは、幼い頃から少なくとも1年に1度、必ずキャンプに連れて行かれていた経験とけっして無縁ではない。

  • 9月15日(言葉の寿命は人より長い / 魔法や知識を受け継ぐこと)

    数十年、数百年、あるいは千年以上前に書かれたものの一部が、現代を生きる自分にも難なく読める形式で周囲に存在していることを考えると、本当に途方もない。書き手がいなくなり、やがてその声や、眼差しや姿が忘れられても、書物は焼き捨てらたり引き裂かれたりしれない限り、残る。石板に刻まれた文字は、砕かれるまで。電子の海に流された文字は、データが消えるまで。

  • 「道ありき」を片手に作家ゆかりの地を訪ねて - 見本林の文学館と塩狩峠記念館(三浦綾子旧宅)|北海道一人旅・塩狩&旭川編

    その著書を読んで、またそこに記された、周囲の人々から見た三浦綾子の印象を参考にして、頭に浮かべるのは魅力的な人物像だった。考え深く、しかし静的というよりはかなり激しいものを瞳や胸に抱いている、気の強い女性。はっきりとした物言いに、ややもすれば誤解を招きそうだと思うのだが、本人にもきちんとその自覚がある。それでも多くを惹きつけるのは、彼女の発する言葉は他人に対してだけでなく、彼女自身にも常に向けられていたからではなかっただろうか。

  • ル・クルーゼの鍋の伝説

    旭川空港で黙々と腹ごしらえをしていたとき、不意にそれと邂逅する瞬間があった。羽田を発ってからおおよそ1時間半。首都圏から北海道の中心部まで、航路の発達により、どれほど体感距離が近くなったことか。到着後、2階にカレー屋があると聞いた私は喜び勇んでエスカレーターに乗って、レジで流れるように注文をし、差し出された呼び出し番号の札をわし掴んだ。カレーが好きなのだ。基本、客が給仕される形式の飲食店にはまず一人で入れないのだけれど、空港や高速道路のSAにあるフードコートはセルフサービスだから、気楽でいい。あの名状しがたい心細さを感じる必要がない。

  • 山形日帰り一人旅(2) 静かな峯の浦・垂水遺跡、山寺千住院の境内には電車が通っている

    振り返ってみると、山形行はほんの2カ月ほど前の出来事なのに、すでに思い出せなくなった要素がいくつもある。例えば、このとき山寺の周辺を歩いていて、蝉の声を聞いたかどうか、とか……。蝉は鳴いていたような気がするし、鳴いていなかったような気もする。注意して眺めていたわけでもない花の色とか、鞄のひもが肩に食い込んで少し痛かったこと、道路で何台の車に追い越されたかなどは不思議と記憶しているのに、聴覚にまつわる思い出だけが抜け落ちていた。歩道の脇に並ぶ柵から足下を覗き込むと、川があった。そこにも確かに音はあったはず。しかし穏やかなせせらぎだったのか、あるいは轟音と共に水が流れていたのか、今となっては曖昧だ。駅から垂水遺跡へ向かう途中、どんなことを考えていただろう。

  • ベロア生地の、よそゆきの服

    2022年の北海道では、特に内陸部の空知や上川方面などを中心に、晩夏の8月末から9月頭にかけて、とある「蛾」が大量発生していた。成虫が翅を広げると、最大で10センチ程度にもなる大きな蛾。ヤママユガ科に属しており、名前をクスサン、というらしい。何らかの要因が複数重ならなければ、ここまで大量に姿をあらわすことはないのだとか。今年の大量発生の原因はいまだはっきりしていない。

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